第5話 ミルクの味、思い出の味

 ジュルルルルルルル! ジュルルルルルルル! 


 とても大きなフネの幼生体がミルクを飲んでいます。それはたった一週間ほどで、150メートルまで育ったデュークでした。幼生体は普通そこまで成長するのに早くても数か月――いえ、それすらならぬ龍骨の民にがいるのに、デュークは一週間でそのサイズまで大きくなっています。


 そんな彼が、普通の幼生体の50隻分はあるミルクを吸い込む様子は、まるで物質を無限に吸い込むブラックホールのようでした。


「いやはや、凄まじい勢いだな」


 補給タンクから伸びたホースを使ってミルクを与えていたアーレイが、目を白黒させるほどの勢いです。


 びぃびぃびぃびぃびぃっ! 突如デュークが甲高い声を上げます。ミルクが切れて、追加をご所望ということなのです。


「ほいよ、次の分じゃ!」


 オライオが別のタンクからホースを伸ばすと、デュークは眼を輝かせてそれに食らいつき、またゴクゴクゴクゴクゴクと吸い込みました。


「作るそばから飲んでいきますなぁ。まぁ、作り甲斐があるのは良いことですぞ。ふむ、温度はこんな感じですかな」


 直径数メートルはある大きなボウルを使ってミルクの材料を撹拌していたベッカリアが手についた材料を舐めながら口元に笑みを浮かべます。


「材料の減りが早いな。ふむ、残りのコンテナは……」


 ゴルゴンがミルクの材料が入ったコンテナを持ち上げまそた。手にしたコンテナの側面には、デフォルメされた”駆逐艦”がウィンクしながら、”幸運印のコンテナミルクで、この子あの子も幸運のフネ!”というセリフを吹き出しています。


「幸運のフネか」


 コンテナミルクのキャラクターのモデルとなっているのは、”幸運グッド・ラックの二つ名を持つ龍骨の民でした。彼女は共生知性体連合の軍艦として、数多の敵を打倒してきた英雄として知られている存在でした。


 その活躍は共生知性体連合内でも屈指のものであり、様々な芸術作品――アニメーション映画、絵画などのモチーフとして用いられ、古典的な音楽曲クラシックの題材にすらなっているのです。


「交響楽曲にもなっていたな。それは私の責任でもあるが」


 ゴルゴンはコンテナミルクを手にしながら、過去を振り返りながらこのような情景を龍骨に浮かべます。


 それはとある音楽ホールでの一幕でした。


 ホールを煌々とした眩い光が照らしています。観客席は満員御礼の様相を見せ、観客たちは開幕の時を待ちながら、作品の前評判やら楽団の巧みな技術について熱く語ったり、お気に入りのソリストへの思いなどを口にしていました。


 観客席の前には様々な種族で構成された楽団員が座り、多種多様な楽器の調子を確かめ、思い思いに鳴らしています。しばらくすると、劇場内の明度がスウっと下がります。開幕の時がきたことを知った会場内はすぐに静かになってゆきました。


 会場が物音一つない静けさに包まれた瞬間――カッ! とスポットライトが点灯されます。すると、舞台の上手からスタスタとした足取りで、タクトを持った男が現れました。


 彼は舞台の中央に進み出ると、観衆に向けておもむろに向き直り、丁寧に頭を下げ、「皆さま、ようこそお越し頂き、まこと感謝の極みでございます!」と述べるのです。


 それは、指揮者にして作曲家であるゴードン・ヴォルフガング・グラードン。彼は惑星メルケンタ出身のオルフンドと呼ばれる種族――毛深い顔に、長い鼻と、良く聞こえる4つの耳を持っている体長1メートルほどの生き物でした。


 種族的特徴であるモサモサとした背の低い外見からは、芸術家の姿を見出すのは難しいかもしれません。でも、大きな丸い2つの目には爛々とした光が溢れ、彼が偉大な音楽家であることを示しています。


 それもそのはず、グラードンは古典音楽から前衛芸術、様々な分野において、ありとあらゆる楽曲を作っている偉大な音楽家として知られていました。


 その彼がこう言います。


「偉大なる共生知性体連合、その新たな執政官を称える楽曲を披露させていただくこと、まったくもって恐悦至極!」


 グラードンは今宵、共生連合の新執政官就任を祝うセレモニーとして新しい楽曲を披露すると言ったのです。彼はおもむろに手を上げ、指を折々このように話し始めました。


「アラル星沖海戦の立役者にして、戦場を駆け抜ける戦乙女と呼ばれ――授与された勲章は数しれず―――突撃銀翼章はもとより、名誉負傷勲章、連合元老院十字章、果ては共生知性体執政府最高名誉章を与えられた連合英雄――」


 彼が賛辞を上げるたびに、観客達の熱が高まってゆきます。客席では「あの戦果はすごかった」「まごうことなき英雄だな」「たいへん美しい方でもある」などと

いう言葉が漏れ出しました。


「連合に仇なすものからは、”虐殺者”という不名誉な贈り名で呼ばれ――」


 グラードンが笑みを浮かべながら諧謔に満ちた口調でそう言うと、観客たちはドッと笑いを漏らします。


「おっと失礼、ご当人があそこにおられるようですな」


 彼はホールの貴賓席の方に目を向けて一礼します。その席では、腕を折って軍式の敬礼をする貴人の姿がありました。それに気づいた観客たちは、万雷の拍手を上げるのです。


「新執政官、あなたに、栄え有る貴女に、”幸運のフネ”にこの曲を捧げます」


 そしてグラードンは、緩やかにタクトがゆるやかに振りました。


 第一楽章は、古楽器のひとつバロックハープの序奏、なにかを暗示するような首筋をくすぐる旋律。フルートがテーマを繰り返し、流れるままに美麗に終章します。

 第二楽章は、弦楽器と打楽器の音から一瞬の間をおいて、静かに強く疾走感を深めてゆく四拍子と三拍子のリズムでした。

 第三楽章は、木管楽器がこれまでと違う穏やかな曲調を示し、辺境惑星の民族楽器がゆったりとしたテーマを奏で、眠気を誘うメロディーを響かせます。

 第四楽章冒頭では管楽器が3つ章の連なりを繰り返し、弦楽器が低音で最終章に向けた新たな命題を示しました。


 そして楽曲が最終楽章へ入り、”おお幸運よ!”と、華やかで色気ある声音のバリトンの歌声が届きます。


 その時、ホールの貴賓席では、小さな写し身ミニチュアーに身をやつした二隻の男女が楽曲に聞き入っていました。


「幸運のフネ――――君のことだな」


「そう言われているわね」


「なんだ、気に入らないのか?」


「あのねぇ……」


 女性が何かを言いかけた時でした。控えめな合唱が始まります。静かに打楽器が鳴り始めたのを聞いた女性は「クライマックスね」と言いました。


 テノールの三重奏の後、管楽器の音色が最高潮となり、指揮棒タクトがスパッと天上に振りかざされ、一瞬の間をおいて振り下ろされます。


 ホールを揺るがす大音量の合唱と合奏が始まり、繰り返される合唱と勇壮な演奏によって紡がれ、グラードン氏のタクトが波打つように回転し――スパリと振り上げられると――”幸運のフネ”! という唱和と楽器たちのパン! とした音が鳴り、華やかなフィナーレとなりました。


 満場の観衆は立ち上がり、ブラーボォ! おお、ブラーボォォォ! と叫びながら、雷鳴のごとき拍手を捧げています。


 そしてグラードンが主役はあちらだよとくほどに貴賓席に手を掲げると、観客は皆、「英雄――連合英雄!」「共生知性体連合万歳! 新執政官万歳!」と、賛辞を上げました。


 貴賓席に居た男女も立ち上がりそれに応えながら、観客に向けてクレーンを振りつつ、電波の声でこのような会話をしていました。


「なんで私が執政官なのかしらね……」


「選挙に勝ったからだな」


「結局、あなたに嵌められただけじゃないの、ゴルゴン」


「まったく聞こえんなァ……私もかなり年をとったからな。そろそろ引退させてもらえんかね」


「このクソジジィ――――」


 貴賓席の女性は、手酷い言葉を投げかけました。


 そんな彼女にゴルゴンは――



「おい、なに遠い眼をしとるんじゃゴルゴン! デュークが泣いとるぞ! 手を休めずにデュークの世話をせい、世話を!」


 しばしの回想から現実に引き戻されます。


「おっと、すまない。さてさて、どうしたデュークよ?」


 ビィィビィィィィィ! ビビビビィィィィィ! と、デュークが泣いています電波の泣き声を上げながら涙を漏らしている幼生体は、まだ短いクレーンを使って口の中を掻こうとしていました。

 

「おぉ、歯が生え始めたか」


 ゴルゴンの見たところ、デュークは歯ぐずりを起こしているようです。産後1週間で生えて来た乳歯に、むずむずと違和感を感じて痒い痒いと泣いていたのです。


「よし、よし……」


 ゴルゴンは大きなブラシを使って、デュークの口の中をキュッキュッと優しくブラッシングしてあげるました。すると、うきゅぅ! うきゅぅ~~! と、デュークは嬉し気な声を上げ、笑みを浮かべまし。


 そんな子どもの様子にゴルゴンは満足げな気持ちになるほかありません。


「子どもの時のミルクの味、現役時代の思い出。老骨船として味わう満足感――か」


 連合世界で相当な経験――最高峰の権力者だった老骨船にとっても、幼生体の笑顔というものは、なにより得難い龍骨こころの糧だったのです。

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