第17話 朝日は昇る

僕は銃口を向けた戸崎に一瞬驚きを隠せなかったが、犯人の姿が見当たらないことから戸崎が脅されていてこのようにさせられてるのではないかと確信した。


「おい、戸崎。脅されてるんだろ?犯人はどこにいる?姿を見せろ。卑怯だぞ。」


「馬鹿だなあ、朝日は。」


と言うと戸崎は鼻で笑い、銃を持っていない方の手でシャツの襟をめくった。


「蛇の模様…。」


「僕だよ、神楽 慶介は。」


僕は戸崎からの告白と蛇の模様を見せられるともう何も反論できなかった。


「何その顔。面白っ。」


戸崎はそう言うと高笑いをした。


「でも…今まで築いてきた…友情関係は嘘じゃないよな?」


「ばっかじゃないの。僕たち親友でもない、いや友達でもない。ただ僕がお前に復讐するために近づいてお前がいいように勘違いしてくれただけ。」


「嘘だ…。」


「嘘じゃない!!お前がただ憎かったよ。お前の父さんは西園寺の事件のもみ消しに関わったのに死ぬまでのうのうと生きてた。そしてその2世も犯罪に手を染めてのうのうと生きようとしていた。」


「それは違う…。それは…だって…お前が仕組んだことだろ?」


「仕組んだことにしろ、犯罪に手を染めようとしたのは事実だ!!それに…お前は…お前には…頼れる人や権力の強い人まで…。なんで僕の人生はこんなに不公平なんだろうって…。おかしいだろ!!こんなに今まで苦しい思いをしてきたのに…でもそれがようやく報われる。」


次の瞬間、戸崎は引き金に手をかけた。


「お前も銃を持て。決着をつけよう。」


「嫌だよ。」


「じゃあお前が死ぬか?」


僕は恐る恐るスーツの内側から拳銃を取り出し、そして銃口を戸崎に向けた。


「朝日、引き金もちゃんと引くんだよ。じゃないと面白くないからな。」


朝日はゆっくりと引き金を引いた。


「さっき…お前は苦しい思いは自分だけがしてきたみたいに言うけど爆発テロのせいで僕は大事な人を2人失った。そしてお前がやった爆発テロのせいで関係のない人がたくさん死んできてるんだぞ。それが分かってるのか?」


「でもそれは朝日が生きてるから行われたことなんだよ。朝日を単純に殺したって面白くないからね。君のお父さんがどんな最期を迎えたのか調べようとした時、違和感を感じてね。それで君のお父さんが爆発テロで死んで事故死とされていたけど実はそれが今いや亡き警視総監が殺したのを僕が嗅ぎつけちゃったんだ。それでついでに脅して西園寺のことを詳しく聞こうとした時、またしても奇跡が起きてね。日向優の娘の竜千秋といることを偶然見つけちゃったんだ。最初は娘だと思ったけど警視総監室に飾っている写真に写っている娘さんとは顔が違う。それに3人家族か聞いたらそうだと言って答えた。何か裏があるに違いないと思ってね。大分時間はかかったけど竜千秋の身元も分かって。そして僕の頭に最高のシナリオが出来上がった。爆発テロを捜査していた朝日君が失踪してしまうってね。ある意味一種の都市伝説になる感じだったけど、誤差が生じてしまってね。」


「誤差?」


「ああ。高木の存在と西園寺のお茶会に招かれること。君は本当に敵を作るスペシャリストだよ。まさか僕と同様に朝日を恨んでいる存在がいると思ってなかったよ。そしてそのネズミに獲物を取られるのは今までの僕の努力が水の泡になると思ってね。やむなくネクタイを脅されていた月島さんに高木を殺すよう指示したよ。でも幸運にも重傷で済んだようだけどね。でも今となっては高木には感謝してるよ。西園寺は後から自分の手で殺そうと思ってた。だけどね朝日が捕まったことで僕にチャンスが訪れた。そして計画を変更して僕と西園寺さんの事故が実は朝日がしたことにしようと思い立った。後は朝日が失踪したことに見せかけるだけ。最高だろ?」


もう僕が知っている戸崎はそこにいなかった。


器用そうで見えるけどどこか不器用でぎこちなくてそれが返って愛らしかった戸崎の姿は。


「なあ一つ分からないことがあるんだ。どうしてわざわざ自分の身を冒してまでこんなことをした?」


「………戸崎を死んだことにしてまた別の名前で生きていくためだよ。」


戸崎は自分のスーツを傍らに脱ぎ捨てた。


「朝日も脱ぎなよ。ちゃんと弾が貫通するように。脱がないと早く撃っちゃうよ。」


僕はボタンを一つ一つゆっくりと外し自分の傍らに脱ぎ捨てた。


「僕の推理ショーはここで終了だ。10秒数える。それまでに朝日が僕のことを撃たないと僕が君を撃ち殺す。じゃあ10秒数える。10…9…。」


それでも僕の頭に何か引っかかるものがあった。


どうして戸崎は僕の顔がニュースに出るのを待たなかったんだ?


「8…7…6…。」


もし僕が戸崎を撃ったとしてもこの悪天候なら海を捜索しないだろう。


どうして戸崎はこの状況を選んだ?


「5…4…。」


戸崎はたとえ撃たれて海に落っこちたとしても僕に罪を擦り付けるつもりはないのか?


「3…2…。」


戸崎の手が少し震え始めている。


「1…0…。」


僕は銃を下ろした。


「どうして…どうして撃たない?僕のせいで大事な人を2人も失ってるんだろ?」


「ああ、そうだ。」


「ならどうして撃たない?僕のこと憎いだろ?」


「確かに憎い。でもな…お前分かりやすいんだよ。」


僕は銃を持っている戸崎に全く警戒心を持つことなく近づいた。


僕と戸崎との距離は1m分ぐらい縮まっていた。


「僕を殺す気さらさらないんだろ?」


「そんなこと…。」


「じゃあどうして手が震えてる?やっぱり僕のこと親友だと思ってるだろ?こんな悪天候をわざわざ選んだのも僕が万が一戸崎を撃ったとしても捜索は困難だ。それにこんな崖すれすれにお前が立ってるのも撃たれたとき、すぐに海に流れさせるため。あと決定的なのは僕は重要参考人だが名前と顔がまだ出ていない。それまで待てばいいのにどうして待たなかった?分かりやすすぎんだよ、お前のやってる事なんか。」


戸崎の目は潤み始めて、僕に向けていた拳銃を下ろした。


「僕には…やっぱり朝日を殺すことは無理みたいだな。…お前の言うとおりだ。僕は朝日のことをまだ友達だと思ってるみたいだ。正直この計画を立てた後もお前を殺すのを迷ったんだ。最初は憎かった。いや嫉妬だったかもしれない。どうして犯罪に手を染めた息子がこんなに楽に生きられてるんだろうって。でもお前と話すうちにすごいいい奴だと分かって…。いつしか恐れていたんだ。この日がいつ来るんだろうって。」


「なあどうしてやめられなかったんだ?」


「………西園寺のパーティーで僕が神楽のせがれだってバレたんだ。西園寺に。謝られたよ、父を殺したこと。でも僕は許せなかった。もし反省してるなら自首して僕の父の汚名の返上してくれると思ったからね。であらかじめ用意してた車のトランクに入ってた爆弾でドライブに西園寺をおびき寄せて爆破させた。その時に思ったんだ。もし僕が奇跡的に生きてたら朝日を殺す。死んだらそこで諦める。でも…生きてしまった。だから朝日をとことん追い詰めようって。そしたら心の準備は出来てるだろうって。」


戸崎は目から溢れ出る涙を左腕のシャツの袖で拭いて拳銃を持っていた僕の右手を戸崎の胸に押し当てるようにした。


「お願いだ。朝日の手で僕を殺してくれないか?僕が今たとえ捕まったとしても死刑になるのは間違いない。頼む、殺してくれ。」


「い、嫌だよ。」


「頼む、頼むから。」


戸崎が僕の拳銃を持っている方の手を握る力はどんどん強くなっていく。


「……死ぬの怖くないのか?」


「ああ、心の準備は出来てる。」


「ありがとう、戸崎。僕は戸崎のおかげで今までどんなに救われたことか。お前は僕の最初で最後の親友だ。」


発砲音は鳴り響き、それに驚いた鳥が飛び去る音が聞こえた。


そして海に劣る鈍い音を聞いてから僕は親友が海に流れていくのを見送った。


僕は戸崎の姿が見えなくなって崖の近くが赤い海で染まったのを見た時、親友を殺してしまったのを自覚して泣き叫んだ。


「うわあああああああああ!!」


頭の中を駆け巡る血管の流れが早くなり、胸の鼓動の速さで息も荒くなった。


その間に戸崎との出来事が頭の中に浮かんでくる。


初めて戸崎と出会った時にぶっきらぼうに挨拶されて少し腹が立ったこと。


今まで正反対の世界に生きていると思った戸崎とゲームの話で意気投合してそれから仲良くなって恋人みたいに決まって月初めの日曜日に好きな映画を見に行くようになったこと。


僕がアメリカに行くとなった時、わざわざ戸崎の好きな書籍を1冊プレゼントしてくれたこと。


そしてアメリカから戻ってきた時、唯一変わらずに接してくれた中の一人だったこと。


あのいつものこじんまりとした喫茶店での2人だけの捜査会議。


僕はもう血で染まらなくなった海を見て立ち上がり、自分のスーツが返り血を浴びているのに気づいた。


そして僕の足元近くに戸崎の脱ぎ捨てたスーツがあるのに気が付いた。


僕は感覚が麻痺した手で戸崎が脱ぎ捨てたまだ暖かいスーツを拾い上げた。


そして僕の血で染まったスーツを海に投げ捨て、戸崎のスーツを着た。


その時に胸元に何か入っているのを感じて胸ポケットを探った。


「ん、パスポート?それに手紙か?」


戸崎の胸ポケットになぜかカバー付きのパスポートと白い丁寧に折りたたまれた便箋が入ってあった。


パスポートを開けるとカバーにはアメリカ行きの航空券が挟まってあって数ページをめくると竜千秋の写真が貼ってあった。


手紙を全体的にみると明らかに殴り書きのもので後半にかけて所々インクが滲んでいた。


「朝日へ


この手紙を手にしているということは僕はもう既にこの世にはいないんですね。


最後に僕の勝手なわがままかもしれないがお願いがある。


竜千秋をこの航空券の時間までに空港まで送り届けてくれないか?」


時計を見ると昼の1時前だった。


そしてアメリカ行きの航空券は6時半となっていた。


後ろから砂利の擦れる音が聞こえてきて、振り返ると相澤さんが黒い傘を持って立っていて僕を傘の中に入れてくれた。


僕はさっきまで読んでいた手紙を自分の背中に隠した。


「朝日君。」


「相澤さん。」


名前を呼び合った後、しばらくの間崖に打ち寄せる波の音と傘に激しく打ち付ける雨音しか聞こえなかった。


もしかして相澤さんに僕が戸崎を殺したのがバレたのではないかと思った。


そう思うと自分のシャツに雨と一緒に変な汗がにじみ始めていた。


「それ千秋ちゃんのパスポート?」


相澤さんは僕が持っていたパスポートを見て言った。


僕は相澤さんの思わぬ質問を投げかけられて一瞬返しが遅れたが何事もなかったかのように普通に返事した。


「ああ、ああそうです。」


竜千秋はもうネット上では晒し物になっている。


一刻も早く竜千秋を逃さないと彼女は未成年とはいえ爆発テロに関わっているから終身刑になる可能性はある。


それに手紙通りだと戸崎は竜千秋を早く外国に逃がしたがっている。


相澤さんに真実を告げるのはせめて竜千秋を逃してからでも遅くはないだろうと思った。


「……一刻も早く急ぎましょう。未成年とはいえ自分の意志とは関係なく爆発テロに関わってるから竜千秋は終身刑になる可能性があります。彼女の未来がここで終わるのはあまりにかわいそうだ。」


相澤さんは僕の目を見て何か考えているようだったが、そうねと言って相澤さんの乗ってきた車に同伴させてもらった。


父さんの車だと最悪僕が途中で捕まってしまう危険性があるので後で取りに行くことにした。


相澤さんは運転している間、どうして僕があそこにいたのか、そしてスーツが誰のものか全く問い詰めなかった。


そして運転中今流行りの女性シンガーのヒット曲メドレーを流しながら自分の武勇伝の話を永遠としていた。


自分の家で車を一旦止めて僕は車で待機するように言われた。


僕はさっきの手紙を取り出して再び読み始めようとした。


しかしその手紙は雨のせいでさっきよりもインクのにじみがひどかった。


「それと僕のポッケにUSBメモリーが入っていると思う。」


僕は戸崎のスーツの右ポケットからUSBメモリ―があるのを確認した。


「それは朝日の罪の潔白を晴らすものだ。


もし万が一失くしたとしても僕のPCにデータがちゃんと入ってる。


パスワードは僕たちが学生時代に見に行った映画の主人公の名前だ。


最後に朝日に文面でも謝りたいと思う。


こんなことに巻き込んで本当にすまなかった。


本当は復讐相手は西園寺だけのはずだったのに。


朝日は嫌だと思うけど僕の中では今でも朝日は出会った中で最高の親友だ。


ありがとう、そして最後まで迷惑を懸けてごめん。


戸崎 翔太」


「……何がごめんだよ。」


朝日は溢れてくる涙をシャツの袖で拭った。


あの事件があった後でも僕の中では戸崎が最初で最後の親友であることは変わりなかった。


しばらくしてから竜千秋と一緒に戻って来た。


竜千秋は後部座席に座った。


「ごめんね、お待たせ。今何時?」


「丁度5時ですね。」


「こりゃまずいね。急ぐね。」


高速を使ったおかげもあるのか5時半前には着いたが竜千秋との別れを言う時間はあまり残されていなかった。


「ありがとうね、千秋ちゃん。わずかな時間だったけど。」


竜千秋は相澤さんと抱き合ったもののお礼の一つも言わなかった。


「…なあ朝日。」


「な、何だ?」


珍しく竜千秋が僕のことをお前とは言わなかったことで返しが自分でもぎこちないと思った。


「朝日…元気でな。そしてありがとう。」


僕は竜千秋の笑顔を見て久しぶりに彩花のことを思い出した。


「……ああ、こちらこそありがとな。」


「じゃあな。」


竜千秋は自分の体には少し不似合いな大きいスーツケースを持って行ってゲートの中に入っていった。


もうそこにはちゃんとした一人の人間としての姿があった。


「行っちゃったわね。」


「そう…ですね。」


僕が相澤さんの車に乗る前のあの誓いはどこかで揺るぎ始めていた。


今僕には戸崎から貰ったUSBがあって、そして恐らくこのUSBを使えば僕の冤罪は晴らされ戸崎の死も自殺として処理される。


「朝日君?」


相澤さんが心配そうな目で僕を見つめた。


「ああ、いや…何でもないです。とりあえず早くここから去りましょうか。」


僕は車で2人きりになっても結局あのことはなかなか口に出せなかった。


車のガラスを打ち付ける雨音を聞きながら僕は何が一番善い選択か導き出そうとしていた。


「…これからどうする?」


「とりあえず…さっきの崖まで戻りませんか?」


「……分かった。」


相澤さんはそれだけ言って適当にラジオから流れてくるポップな音に乗せて車を走らせる。


相澤さんは行きとは打って変わって何も話さない。


僕の中では恐怖が襲い始めていた。


相澤さんは全て真相に辿り着いていて、だから僕から話すのを待っているのではないかと。


僕はその恐怖から解放されたくてポケットの中に入ってあるUSBメモリーを握りしめていた。


そして自分が助かってもいい言い訳を理論的に作り始めていた。


戸崎の手紙ではパソコンの中にもデータが残っていると言ってる。


そしてそのデータはどうせ誰かの手によって開けられるだろう。


戸崎が犯人だと暴露してももう戸崎には家族はいないんだし、それに僕より人脈は確実に狭いはずだ。


そして僕には未来がある。


だけど戸崎にはもう未来はない。


僕はこれから生きなければならないし、戸崎が殺してくれって言わなくてもあの場所に呼び寄せてた時点で死ぬつもりだったのだろう。


そうだ、僕は何一つ悪いことをしていないじゃないか?


どうして罰せられなければいけない?


殺すのは刑法に違反するが僕は戸崎の願望を叶えたんだ。


ある意味僕は刑法という立場から考えれば完全なる犯罪者だが、最後の戸崎の想いを考えたら僕は最高の親友ではないか。


朝日の一貫して築いてきた正義はどこか崩れ始めていた。


「相澤さん。やっぱり西園寺さんの別荘に向かいませんか?」


「…そしたら捕まるわよ。」


「大丈夫です。僕の冤罪だと分かる証拠がここにありますから。」


そう言って僕はポケットからUSBメモリーを取り出した。





数時間ぐらいして西園寺さんの別荘に着き周辺をうろうろしていた警察官に身柄を確保された。


「東宮 朝日だな。」


「はい。」


「話は暑で聞きましょうか。」


「ちょっと待ってください。これ。」


僕は警察官にUSBメモリーを手渡した。


「これは何だ?」


「僕の冤罪が分かる証拠です。」


警察官はそれを受け取ったものの僕の事情聴取は長い間行われた。


どうして僕はあの時逃げたのか、竜千秋との関連性などもろもろ聞かれた。


でも数時間ぐらいして僕の冤罪が晴れたのか解放してくれた。


僕は西園寺さんの別荘まで送ってもらった。


別荘の中では楓さんと相澤さんが楽しそうに話している姿が見えた。


僕が中に入ると楓さんはお帰りなさいと一言だけ言って丁寧に頭を下げた。


「ごめんなさい。一緒に居てあげなきゃいけない時に逃げ出してしまって。」


「いえ。相澤さん、少しだけ席を外していただけますか?」


「…分かりました。」


相澤さんは僕の方を少し見た後、奥の方に行ってしまった。


「私、朝日さんがいなくなった後すごく心配したんです。そして今帰ってきた時ほっとしました。」


「ごめんなさい、本当に心配を懸けてしまって。」


「ところで縁談の話なんですが…。」


「それなら予定通り勧めましょう。お父さんが亡くなっても縁談の話に変わりはありませんから。」


「ごめんなさい。なしにしていただけませんか?」


「どういう…ことですか?」


「私、音楽の道に行きたいんです。ウィーンに留学して本格的にピアノを始めたいんです。今までは父に音楽は2の次にして茶道の道に進むよう言われてましたが、父が亡くなったことで母に言われました。今は日本に居てもマスコミに追いかけられてつらいだけだろうし音楽の道に進みたかったら進んでいいよって。それに縁談の話はそんなに進んでもいなかったからまだ引き返せるだろうって。」


「そうですか。」


楓さんのお父さんの野望がなくなった今、楓さんとは普通に付き合っていけると思ったのだが。


それにあのハグを交わした後に引き返せるという言葉を楓さんが使えたのは楓さんにとって僕はそこまで関係が進んでいなかったことが分かったのは少し残念だった。


「本当にこんな独断をしてすみませんでした。」


「いえいえ。でもよかったです。楓さんの明確な意志みたいなものが分かって。外国に行っても頑張ってください。応援してます。」


「ありがとうございます。」


数分ぐらいすると丁度激しく打ち付けていた雨が弱まり、父さんと相澤さんと僕の3人で相澤さんの車に乗ってあの崖まで行って車を取りに行くことにした。


「朝日、どうして車をあんな所に停めにいったんだ?サスペンスじゃないんだぞ。」


「ああ、ごめん。」


しばらくして崖まで着いて戸崎が流された崖の近くまで来て一瞥してから父さんの車に一緒に乗り込もうとした時、相澤さんが引き留めた。


「ねえ、朝日君。私と一緒に乗ってくれない?」


父さんの方を見るともう車に乗り込んでエンジンをかけていた。


「お、おい。待てよ。」


そして父さんは車をそのまま発進させた。


「お、おい。」


「あーやっぱりやめた。私朝日君を乗せないで帰るわ。」


「いや乗せてください。」


僕は相澤さんの車に乗り込んだ後も、自分のやった事が本当に正しかったのか分からなかった。


相澤さんの車のラジオからは西園寺事件の続報が流れていた。


「先ほど重要参考人として連れて行かれた西園寺さんの娘さんの婚約者の相手は無罪だということが分かりました。そして失踪中の現職警察官の戸崎翔太さんが無理心中を図ったのではないかということが新たに分かりました。警察の話によると…。」


相澤さんはラジオを切った。


「ねえ朝日君。連れて行きたいところがあるの。」


車を数時間走らせて着いたのは横浜みなとみらいだった。


目の前にあるコスモクロックがとても綺麗だった。


「綺麗ですね、観覧車。」


「ええ。今からあれに乗るんだけどね。」


「ええ。」


そう言うと相澤さんは僕の反応が面白かったのか笑った。


「実は楓さんからペアチケット貰ったの。今日までなんだって。さっさと乗りましょう。」


時計を見ると夜の11時35分だった。


観覧車の方向まで歩いていると僕は歩みを止めてしまった。


「もしかして朝日君もトラウマになってるの?」


「トラウマ?」


「じゃあ違うのか。私ね昔トラウマだったの。いや今もトラウマかも。赤い格好をした人。特にサンタクロースとかね。」


「何でですか?」


「血を連想させるのよ。あの時の出来事がね。人と一緒に居る時は大丈夫なんだけど。12月とかは仕事で遅くなったときはデパチカ辺りを迂回して人気のない路地を通るの。おかしいでしょ。」


相澤さんはそう笑って見せて僕の前をどんどん進んで言ったがその後ろ姿はどこか寂しそうだった。


観覧車で待っているとやはり僕らの前も後ろも若いカップルだらけだった。


「私たちもスーツじゃなくて私服で来ればよかったわね。」


「そうですね。」


観覧車に乗ると雨上がりで観覧車の窓は濡れてはいたものの、雨粒がイルミネーションと反射してそれはそれで綺麗だった。


「大変だったわね、この数か月の間。」


「そうですね。」


僕は相澤さんが行ったことに対して素っ気ない返事しかできなかった。


なぜなら僕の中にはやはりUSBを渡したことへの後悔が徐々に募り始めていたからだ。


戸崎の父親の事件を僕の父さんがもみ消したことを明らかにされずに戸崎が悪者にされてしまう。


「私ね、1年前はさっきのリア充どもを見てもまあ背中に風が少し横切る程度だったけど何か今年は羨望の眼差しをどこか向けていたのよね。」


相澤さんはまだ灯りが点々とついているビルを見下ろして言った。


「あなたが来てから変わったの。今まであまり優しくされたことなかったから心がどこか揺らいじゃってね。最初は優しくされたことがなかったからどこか信頼できる心のオアシスみたいな存在だと思ってた。でも違った。あなたが石廊崎に一人で戸崎君の所に行ったと聞いて私は無我夢中になって急いで車を走らせた。何としてでも助けるんだってね。その時、私は朝日君に対する恋心に気づいた。」


「え?」


丁度その時観覧車が頂上に着いた。


「朝日君、私ね…私…好きなの。朝日君のことが。だから…付き合ってください。」


ただ僕はすぐには答えられなかった。


本当に僕が幸せになっていいのか。


「もしかして…戸崎君のことが頭に引っかかってるとか?」


僕は返す言葉に窮した。


「やっぱりそうなのね。」


「僕…戸崎を殺したんです。だから犯罪者が幸せに…。」


その続きを言おうとした時、唇に何か暖かいものが触れた。


「私も同罪よ。あの時、私も見てたの。ただ黙って見てたの。だから朝日君より私は卑劣よ。もっとたちが悪いでしょう。だからもしあなたが自首するなら私も自首をする。ただ黙って見てたって。」







-4年後ー


「朝日君、これお願いね。」


「はい。」


僕は今新聞社で下積みで働いている。


あの後、戸崎を殺したのに犯罪者を下すというのがどうしてもできなくて僕は警察の職を辞めた。


仁志さんには必死に説得されたが、それでも僕は断った。


だけど別に後悔はしていない。


僕には新たに2つの目標ができたのだから。


「お、楓ちゃんのピアノ演奏だ。」


さっきまで厳しい目で社員を監視していた編集長がこの時ばかりは目を細めてテレビの方を凝視していた。


この編集長は知る由もないだろう。


今テレビに出ている西園寺楓が婚約まで約束されていた僕のお見合い相手だっただなんて。


楓さんは丁度イルミネーションで辺りを照らす六本木のビルの屋上でラストクリスマスのピアノの演奏をしようと準備していた。


あの時ぶりだろうか、楓さんのピアノの演奏を聞くのは。


警察を辞めて1年後に僕は相澤さんと結婚してその時に相澤さんが好きなクラシック・メドレーを演奏してくれたものだ。


「おーい、朝日君。」


編集長はもうすっかりテレビから目を離して再び社員を厳しく見張り始めていた。


「ダメだよ、ちゃんとシャッキとしなきゃ。」


「す、すみません。」


「ったく。ただでさえ使えないのに。」


編集長はそう言って軽く舌打ちをした。


「僕が代わりにやっときましょうか?」


横を見ると後輩の佐藤君が編集長の方に視線を向けたままで手でこっちに渡すようジェスチャーをした。


「大丈夫だよ。」


「でも今日せっかくのクリスマス・イブなんですから家族の所に帰ってあげてください。ほら東宮さんの所小さいお子さんもいますし。」


「大丈夫だよ、ありがとう。奥さんには言ってあるから。」


「そうですか。」


佐藤君は諦めて手をキーボードの方に向けて打ち始めていた。


僕が掲げた2つの目標というのは家庭を支えることとジャーナリストになって仁志さんがあの日僕に拘置所にいる時の話と僕が日本に戻って人生の歯車が狂ったこの数か月の出来事を基にゼブラという本に仕立て上げることだ。


それでその本を読んでこの人の正義は正しいとか間違っているとか自分の正義と照らし合わせてくれる人が一人でも居てくれたら嬉しいと思う。


それまでは僕はこの仕事を抜け出してはいけない。


「立派になったね、朝日。」


そうどこからか金の鳴る音と共に聞こえた気がした。


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