古いアルバムのにおい(2)
「先輩。私、可愛い女の子とデート中なので、込み入った話は後にしてもらっていいですか?」
「えっ、ちょっ」
視界の端で、島崎さんが焦った声を出す。視線を向ければ、なんだか知らないけど巻き込まないでと顔が言っているような気がした。
佳織は頭を軽く下げて謝罪を伝える。確かに、人を巻き込むのはよくない。
それにしても、綿乃原先輩の反応がない。いつものぺらぺらと胡散臭い関西弁が聞こえないと、通話が切れたのかと不安になる。
「あの、先輩?」
うかがうように声をかける。反応が返ってきたのは、さらに数秒が経ってからだった。
『……そら、悪いことしたなぁ。お邪魔やったね』
「いえ冗談ですけど」
即座に嘘だと明かしてしまった。からかうならもっと引っ張ってもよかったのに、綿乃原先輩が本気で悪いことした、みたいな声で謝るから。
『佳織ちゃんって、そういうとこほんっと、やらしい性格しとるよね』
綿乃原先輩の声に怒気が混じっている。怒らせてしまったらしい。
「すみません。友達と一緒なのは本当なんです。ええと、いつものですか?」
思わず謝罪を口にしてから、綿乃原先輩に問う。除霊のバイトだなんて島崎さんの前で言えるわけがないので、ぼんやりとした表現になってしまった。
『そこは本当なんや。ふうん……』
綿乃原先輩は何ごとかを考えるように息をついて、それから告げた。
『そう、いつものやつやで。そしたら、夜にまた電話させてもらうわ。寮の門限には帰っとるんやろ?』
「あ、はい。その予定です。それじゃあ、また夜に」
『せやね。また後でな』
あっさりと、電話は切れた。
瞬き三度ほど手の中のスマホを眺めて、ポケットにしまう。
「ごめんね、話しこんじゃって」
改めて島崎さんに謝ると、まじまじとこちらを見つめる視線とかち合った。
「冗談のネタにしたの、もしかして怒ってたりする?」
おそるおそる訪ねると、島崎さんは小さく首を横に振った。
「ううん、そうじゃなくて。二条さんって奥が深いなあ、って思ってたの」
島崎さんはたまによく分からないことを言う。言葉の選び方に、佳織との文化圏の違いを感じる。
「だって、今の愛ちゃん先輩でしょ」
「なんっ……!」
佳織はすぐに失敗に気付いて口をつぐんだ。けれど、もう遅い。驚いてしまった時点で認めたようなものだ。
にまーっとした笑みを島崎さんが浮かべる。
「この間、オカ研で噂になってたの。愛ちゃん先輩が二年の背が高い子と仲良さそうに帰ってるのを見かけた、って」
島崎さんの言葉で、佳織は思い当たる。生物室で蛙の霊を除霊した日の話だ。やっぱり見られていたじゃないか、と思う。これだから有名人は。
「身長とか髪の長さとか、特徴を聞いてたら二条さんっぽかったからさ。あ、別にオカ研ではこのこと言ってないから安心していいよ」
混乱からゆっくりと回復した佳織は、まず最初に手の平を島崎さんに向けて否定した。
「仲良くないから」
島崎さんが変な顔をした。だいぶ汗をかいているグラスを手にとって、島崎さんはオレンジジュースを一息に半分くらい飲んだ。
ことり、と音を立ててグラスがテーブルに置かれる。
「……おっけー、おっけー。よく分かった」
すごく分かられていない気がしたので、佳織は補足を入れる。
「綿乃原先輩とは、なんだろう。バイト先の先輩と後輩みたいな」
「二条さんアイドルになるの!?」
がたん、と腰を浮かせる島崎さん。
「そっちじゃなくて。違うの。ええと、そう、事務のお手伝いっていうか」
島崎さんの表情はくるくるとよく変わる。大きな瞳が、すっと逸らされてどこか遠くを見た。浮かせていた腰をゆっくりと席に戻す。
「なるほどねー」
うんうんと頷いた島崎さんは、にこりと笑った。
「まあ、そういうこともあるよね。じゃあさ、話して良さそうなことあったら、愛ちゃん先輩のこと聞かせてよ。もちろん誰にも言わないから」
佳織は綿乃原先輩のファンではないので、たぶん島崎さんの方が詳しいと思う。そう伝えたら、分かってないなと首を振られた。
「素の部分も知れたら、なんか嬉しいじゃない」
そういうものだろうか。佳織はどちらかと言えば、素の部分を知りたくない人間だった。ファンの声優さんがツイッターにアカウントを持っているのは知っていたけれど、別にフォローしようとは思わない。
それに、綿乃原先輩のことについて言っていいことと悪いことの区別を、佳織はうまくつけられないのだ。
「……関西弁が嘘くさい?」
必死に頭を働かせて出てきたのはそんな言葉だった。
島崎さんはきょとんとして、それから笑い出した。
「それは割と有名だよ。インタビューでも出身は関東って答えてたし」
「公式にエセ関西弁キャラで売ってたの……」
げっそりと疲れた気がする佳織だったけれど、島崎さんはそうでもないようだった。
「なんか、すごいなあ」
「……すごいって、何が?」
しみじみと呟いた島崎さんに佳織は疑問を投げる。
「二条さんにとっては、アイドルじゃないんだな、って」
言葉に詰まる。どう答えても、佳織の気持ちを正確に表すことができそうになかった。
綿乃原先輩の顔を思い浮かべる。
仲良くはない。電話番号しか知らないし、言ってしまえばバイトと雇用主で、単なるお金の関係だ。だけど佳織は生物室で、自分がアホだということに気づいてしまった。
「アイドルなら楽だったのに」
呟きが漏れる。
げほっ、と島崎さんがむせた。きたない。紙ナプキンを二枚ほどとって、渡す。
島崎さんがありがとう、と言って受け取る。そうして、丁寧にぬぐわれた口元から、問いが来た。
「仲良くないんだっけ?」
「うん」
佳織は素直にうなずく。
「それで、仲良くなりたいんだ?」
佳織は目を丸くして、島崎さんに視線を合わせた。島崎さんは笑っていなかった。だから、佳織はもう一度うなずくことができた。
「……そうみたい」
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