行き、そして戻る
葛城は、船の上である。四国の方へ至り、東へ。陸に沿うようにしながら、飛鳥を目指す。
政治機構も全て一時的に遷ったわけであるから、筑紫こそが都である。しかし、葛城はそれを背に、もの言わぬ自らの母の亡骸と共に、飛鳥を目指していた。
当時、天皇など貴人が死んだ場合、すぐにそれを葬ることはせぬ。遺体を長く安置し、そののちに葬儀を行う。長期間保存をするためにたとえばエジプトのような防腐技術をほどこすわけでもなく、ただ自然のままに放置した。そのために遺体は激しく損傷し、腐敗し、最終的に白骨化する。それをもってして死とし、それが訪れるまでの間は、霊魂を鎮めたり再生への願いをかけたりして過ごす。一定の期間が過ぎたのちに死を確認する儀式的行為をもがりと言うのだが、それを、筑紫ではなく天皇が長く親しんだ飛鳥の地で行うということであった。
その天皇の棺が納められた屋形の中に、足を踏み入れた。
白木でもって作られたそれが、横たわっている。もがりを待つまで、蓋を開けることはできない。しかし、その中には、たしかに天皇がいた。
当時の親子というのは、今とは違う。民の間ではそうでもないが、こと葛城くらいの立場になると、親と子が揃って暮らすことはなく、別々に暮らすことがあった。下手をすれば、親のことを、ただそこから産まれただけの人、というくらいにしか捉えぬこともある。
それでも、親。それでも、我が血に連なる人。それに対する孝心を尽くしてはじめて、まことの王たる者。大陸からそういう倫理も既に輸入しているが、葛城はそれがなくとも、天皇の喪を載せた船を飛鳥に向けて発し、それに従っていたであろう。
彼は、感情の量が多すぎる。だから、平気でいられるはずがないのだ。
天皇の夫は葛城が生まれたときにはすでに天皇であり、それが死んだあと、後を襲う者がいなかったために葛城母が天皇となった。のちに推古天皇と
彼は、ふたりの天皇の子であるのだ。その血を尊ばず、蘇我だけを尊しとする世への呪詛が、そもそもの発端。まさか葛城があの当時からこのようにして自らが王になると考えていたはずはないが、アマカシの丘を睨むように見上げていたとき、彼は既にその向こうにある何物かを見ていたのだろう。
今、実質上の彼の願いは、叶った。
彼を見下ろす者は、どこにもいなくなった。その彼は今、天皇の棺の前にそっと屈みこんでいる。
両腕を、白木の蓋にかけて。そうしているうち、自らの熱が伝わり、触れている部分がほんのりと暖かくなった。
「母よ」
この狭い箱の中でもの言わぬ姿になっているのは、彼のせいである。彼が望み、こうしたのである。彼が思い定めた、彼の歩むべき道をゆくために、必要なことであったのだ。だが、葛城は、両の瞳から溢れ出てくる涙を、どうすることもない。
筑紫を発した船が向くのは、南。網の目のようになった白波がひとつ船を叩くたび、子をあやす母がそうするように船は上下する。ただ己が血の上で安閑と暮らす生を選ばず、むしろ針の
「母よ」
嗚咽。いちど始まると、止まらぬものらしい。それは徐々に屋形の中に満ちる波音を浸食してゆき、慟哭となった。母よ、母よ、と、幼子のようになんども口にした。思えば、彼は獣として生きる中で研いできたその牙で自らの血に連なる者や創業の功臣を喰らい、破るたび、こうして人知れず涙していたのかもしれぬ。今この棺のある屋形には誰も立ち入らぬから、この涙も、おそらく誰も見ることはあるまい。屋形の中で鳴り止まぬ慟哭も、一歩甲板に出れば波音に押し返され、誰の耳にも届かぬであろう。
このようにして、葛城は、獣でありながら人であり続けた。今は、それを知り、彼の心を汲んでなお彼を王たらんとする激しい心を持つ鎌もおらねば、寄り添い、ときに意地悪く導く芦那もおらぬし、ただ影のように付き従い、最近では葛城の見るものを見ようとし、葛城のためにその手ばかり汚している猫もおらぬ。だから、むしろ彼はかえって思うさま獣に、そして人になることができた。誰が望む姿でもない、彼そのままの姿に。
そして、彼は望んで、獣であらんとしてきた。決して、望まずしてこのようなことになったのではなく、あくまで彼の意思で、このことは起きた。その意味では、彼がここで涙を流すというのはおかしい。
それでも、泣かずにはいられない。だから泣く。この感情の量の多すぎる葛城という男にとっては、ただ、それだけのことなのであろう。
これは、矛盾ではない。たとえば日や月が運動をし、風が吹いたりするのと同じ、自然のことなのだ。
あの日葛城が自ら履き、鎌が差し出した
その沓が、難波津に降り立った。わずかな間筑紫にいたはずなのに、もう風が懐かしい。
――あの山を越えれば、飛鳥だ。
そう思わざるを得ない。
天皇の死から、船を発するまでに二ヶ月ほどの時間を要している。朝倉宮を発したのが七月の末、そこから海を越える船に乗り込むため
二ヶ月というのは、葛城が天皇を飛鳥に送り返してもがりを行い、その死を認めるということを受け入れるための期間。短絡的な想像かもしれぬが、そうであるなら、船の中の葛城は、おおむね上のようなものであったろう。
十月の末、船は難波津に至り、そして十一月の七日、もがりは行われた。それはあくまで儀式のことであるから、その場で葛城がうろたえたり涙したりすることはなかった。ただ淡々と定められた手順をこなし、飛鳥の地の西の山のふもと、現在の近鉄飛鳥駅があるすぐ近くの墳墓に葬った。
葬儀は、まだ行わない。もがりとは死を確認するための儀式であり、使者の旅立ちを願い、葬って弔う葬儀とはまた別のものである。その葬儀を行うことなく、葛城は筑紫へと足を返した。なにか思うところがあったのかもしれぬし、外征を控えた中で無理に飛鳥に旅立ったから、これ以上の日程を割けなかったのかもしれない。
筑紫に戻った葛城を、まず鎌が浜まで出て迎えた。その後ろには、猫。浜の砂に背の低い草が混じるあたりに、芦那と讃良。さらにその背後には、百官の臣どもと浦に入りきらぬほどの兵が整然と並んでいた。
「戻った」
葛城は、みじかくそう言った。
「お待ちしておりました」
鎌も、みじかく答えた。重ねて、もう一度。
「お待ちしておりました。このときを」
葛城を待つ人々の方へと歩きながら、鎌が端的に葛城の不在の間のことを報告する。五月に豊璋を連れて先もって大陸へと渡った先遣部隊一万余りのほか、本軍の大将となるべき
「唐は今なお高句麗の方を向いているため、唐と気脈を通じてかの地を我が物にせんと企む新羅にも気を払いつつ、阿倍比羅夫が至るまでは戦端を開くな、と伝えております」
軍書を極めた鎌がそう言うのだから、間違いはないだろうと葛城は思った。葛城もまた大陸のさまざまな書物を若い頃から修めてはいるが、鎌ほど深く、鋭く兵事のことを見ることはできぬから、一任した。
「あにさま」
芦那が、複雑な表情で葛城を迎える。
「案ずるな」
その顔を見ただけで、葛城は芦那がなにを思い、何を案じているのかが分かるらしい。ふと優しげな顔を作り、頷いてやった。
「讃良」
そして、その傍らにある讃良に目をやる。
「ここからだ。見ておれ」
讃良は、深くは問わず、美しい線をもつ眉を強めた。
砂を蹴るようにして、葛城はゆく。
その背を猫が追い、朝倉宮の方へと向かう。
ぞろぞろとそれに続く百官、そして兵。
葬儀はまだだというのに、なにやら葬列のようでもあった。
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