第七章 白村江

流れるもの

 年が明けて三月、阿部比羅夫率いる本軍が遂に大陸に向けて軍を発した。その数、実に二万七千。四万近い軍を大陸に投入し、更に後詰めとしてまだ一万以上の兵力を倭国は保有している。

 そもそも、蘇我の台頭自体が、唐の前身である隋の膨張がなければ実現しなかった。この頃はその後を襲う形となった唐の創世期にあたり、なお外敵への危機意識は高い。葛城がここまで力を持つに至ったのは、間違いなくこの強力すぎる外敵である唐の存在による。これまでのおおらかな統治では、とてもこの当時世界最大の力を持っていた唐帝国の侵食を止められぬ。そのため、彼はときに自らの、ときに天皇の名において改革をし、道を作り、諸地域の豪族を従え、遥か北の蝦夷たちまで従え、法を敷き、民にそれを守らせ、時間という概念を教えた。

 これらは、全て、今この場において葛城が筆頭となって咆哮し、その牙でもって外敵をうちはらうことができるだけの「国」をこの地上に出現させるためのものであった。

 いや、正確には、葛城が蘇我への反発を胸に抱き矯めに矯めていたものが、たとえば断層が少しずつずれ動くようにして表れ続けてきたものであり、それが一気に激しく動き、全ての大地を震わせたのがこの外征であり、それにあたって更に国を強固にしてこの天地でただ一人の王と人が勝手に仰ぎ認めるようになるというを、彼の母に与えたことである。力とは、もともと向かうべき方向にしか向かぬ。葛城の鬱屈は怒りとなり、怒りは志となり、志は理想となり、理想は目的となり、目的は手段となり、今実行されようとしているのだ。


 阿部比羅夫率いる二万七千を加えても、倭国と百済の連合軍は唐と新羅の連合軍に比べて圧倒的に少ない。実際、このとき互いにどれほどの兵が出たのか判然とせぬが、唐側は総勢で十三万とも十五万とも十八万とも言われるから、話にならない。

 だが、百済には地の利がある。先に述べたように二十を超える城が豊璋の従兄の福信に呼応して決起しており、なおかつ唐軍は高句麗と向かい合っているため、反転して百済に攻めかかり、その城々を抜いて回ろうとすると、高句麗軍にすぐさま背後を突かれてしまう。だから、依然として睨み合いを続けるしかないという格好になっている。

 また、倭国と百済も容易に攻めかかることができぬ。せっかく決起した城を捨てて打って出てしまえば、ただ小でもって大を討つような格好になってしまい、勝ち目がなくなる。百済にしてみれば唐が領内に攻めてきて、それぞれの城に兵を分散させてはじめて各個撃破が可能になるわけであるから、それを待つしかない。

 戦端を開いて激突するのは、高句麗と唐の決着が付いてからということになる。もし高句麗が優勢となり唐の侵攻をはね返すようなことになれば、そのときこそ倭国と百済は討って出て挟撃し、撃滅してしまえばよい。

「勝てる」

 葛城は、裏打ちを得ようと、鎌の言葉を待った。

「勝てます」

 鎌もまた、そのように確信めいたことを言った。兵力で圧倒的に押してくる唐軍を滅ぼすには、やはりあの広大な半島の南半分全てを使い、各個撃破を目指すということ以外にない。

 葛城をはじめとし、筑紫朝倉宮に遷った倭国中枢は、その日を今か今かと待ち構えた。


 だが、そういう彼らに、衝撃的な報せがもたらされた。

 王に推戴された豊璋が、決起の中心人物であった福信を斬ってしまったというのである。実質、軍を仕切っていたのは福信であるから、せっかく長く住んで親しんだ倭国とそこで得た妻子をも捨てて故国に戻ったにも関わらず飾りのような扱いしかされなかった豊璋が不満を爆発させたのだ。

「なんということだ――」

 それを、飛鳥で言うところの太極殿にあたる建物の中で聞いた葛城は、言葉を失った。では、一体誰が百済軍を指揮するというのか。

「このまま、退くがよろしいかと。兵をいたずらに損ずる前に守りのために戻し、きたる唐の来襲に備えるべきでありましょう」

 鎌は、軍学に基づいた自説を述べた。葛城は即断はせず、

「考えさせてくれ」

 と言い、影を頼りない灯火に揺らしながら自室に引き上げてしまった。


「鎌どの。このあと、どうなるのでしょう」

 その場に残った猫が、心配そうに鎌に声をかける。

「きわめて、悪い。まさか、豊璋が――」

「皆、力を欲する。その器でない人が王になるというのは、悲しいことなのですね」

 讃良は、筑紫に来てから葛城や鎌、猫らと交わり、様々なことを学んでいる。

「王の地位というのは、人を狂わせる。の古い書にも、そうある」

「王とは、なるべくしてなるもの。それを、当たり前にすること――」

 葛城の大方針を、この聡明な娘はよく理解しているらしい。力ではない。力ある者が王であるならば、ほかに力を持つ者が現れれば、両者は戦うことになる。それは国を育てるどころか、むしろ滅ぼしてしまうだろう。そして、王とは、簡単に付けたり外したりできるようなものであってはならない。

 力ではないもので、人を統べる。人ではないものが、人を統べる。どうやら、国とは、そういうものらしい。

 それゆえ、葛城は天皇という位にこだわり、鎌もまた容易に葛城をその座に就けることなく、長年に渡って時期を待ち、地固めをしてきたのだ。葛城もまた、周囲に彼に助言を与える者がおらず、かつ彼がそれをあっさりと受け入れるような性格でなければ、もっと早い段階で、たとえば蘇我を討ち果たしたそのすぐ後に王となり、蘇我の遺臣や変化を嫌う者らの反発を受けて倒されていたかもしれない。

「鎌」

 讃良が、さいきん皺が目立つようになり、白髪も見えている鎌の横顔に問う。

「王とは、何なのでしょう」

 鎌は、少し考えた。考えて、答えた。

「王とは、人にして人にあらず。そのようなものなのでございましょう。力ではなく、たとえば、位。それそのものが、はじめから尊い。人がそう信じてこそ、国は国となるのかもしれませぬ」

 猫が、じっとその言葉を聞いている。

「天地万物の全てが王に連なる。そういうような国であれば、人に王を王と認めるか否かというような考えは、そもそも起こりますまい。そういう、揺るぎない軸があってはじめて、人は導かれることができる」

 鎌のこの考えは、この少し後の時代になってから実現することとなり、そしてそれは今なお続く。たとえばこれより遥か昔に興った秦の始皇帝などは、中国大陸にはじめて登場した統一王朝を築き上げながら、自身とその子の胡亥こがいの二代で滅ぼしてしまった。それは、ひとえに彼の生まれた時代が古すぎて、なおかつ統一王朝などという前例もなく、王としてのに欠けていたためである。それゆえ、人は、始皇帝を個人として見た。王が個人であるなら、それを倒せば、自分が王になれる。そういうことを、その後に漢帝国を築く劉邦も、それを阻んで自らが新たな帝となろうとした項羽も思っていたことであろう。

 葛城の国においては、項羽も劉邦も出現させぬ。中央に、そして王に強力な権威と実力を持たせ、人との隔絶とでもいうべきを持たせることで、その統治を定める。

 前に、葛城自身の言葉にもあったように思うが、彼が為すのは、創世である。彼は、どこか彼自身の役目を、そのように捉えているふしがある。

 葛城は、知っている。自分が、人を導く光となることができうる器であると。そして、全ての人がそうであるはずはなく、たとえば己の嫡子の伊賀が凡庸であった場合、とても葛城の後を襲うことはできぬであろうことも。葛城自身の代で王とはそこにある時点で王であり、したがって尊い。という理屈が人の端にまで染み渡らせることができれば、次の王は凡愚でも誰でもよい。だが、おそらく、この国土にかつてなかった完璧な国は、彼一代では完成はせぬであろう。

 だから、葛城はかつて、猫を自らの弟とし、もし伊賀が暗愚であればそれを滅ぼしてでも自分の事業を継いでほしい、と口にしたのである。

 猫は、そのことを思い出している。いかに葛城が王となっても、その命は永遠ではない。鎌に皺や白髪が増えているように、葛城もまたこのところ、頬の線は濃くなり、目尻にもわずかに皺が見えるようになり、髪にも白いものが混じりつつあるのだ。

 葛城は、時間とは流れてゆくものであるということを教えた。それが確かなら、葛城もまた、それに従い、老いてゆかねばならぬということになる。

 このとき、葛城は三十八歳、鎌は五十歳。彼らは長く、時間の感覚の薄い世界で生きてきたわけであるから、筆者もまたそれに倣って、気付けばもうこんなに、という具合に歳を取らせてきた。そのぶんだけ、ここにきて時間というものが怒涛のように押し寄せているように感じている。

 鎌や讃良は、王とはいかなるものかということ、そして大陸の戦いの今後のことなどに目を向けて言葉を交しているが、それに口を挟まずに黙っている猫は、どうやら筆者と同じような感覚でそれを見ているらしい。

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