時代が変わった日と、旧い時代の墓
それは、文字通り雷に打たれたような話であった。
下手をすれば、
それが、儀式の場において、天皇や他の豪族らの居る前で、誅殺された。これを、夜陰に紛れて密かに、としなかったあたり、鎌は上手い。わざと、誰もが畏れる入鹿の殺害を公衆の面前でおおげさに行うことで、入鹿に対する恐怖や不満、反発を公の感情としたのだ。
それまでは、誰も、口には出せなかったし、思っているだけでも入鹿から遠ざけられたり、下手をすれば数年前の聖徳太子の皇子が死んだ事件のように、攻められ殺されかねない。
それらの感情の存在を、鎌の画策と、葛城の剣により、この国の中に明らかに浮かび上がらせたのだ。
その入鹿が、目の前で死んだ。人はあまりの事態に度を失いそうになったが、鎌が正義を叫び、天皇がそれを認めたことで、古人は、自らの身が危ないことを知った。
衆の前で、入鹿が悪と断定されたのである。
それを行ったのは、天皇の実子の、葛城。
入鹿に推され、次の王であるとされていた古人の足場は、一瞬にして崩れた。
ゆえに、変事のあと、すぐ逃げた。
そのことは、少し置いておく。
彼らの目的は、どの時点をもってして達成されたと言えるのであろうか。
たとえば、蘇我の主が入鹿でなければ、このような歴史的変事は起きなかったであろう。
入鹿であったからこそ、鎌は立ち上がり同志を募り、葛城は憤懣を募らせそれに乗り、覆したのだ。たとえば入鹿の父の
入鹿を殺し、変事は終わりか。蝦夷は、立ち枯れるのを待つのか。
葛城は、言う。
「急ぎ、法興寺へ」
法興寺とは、さいしょに少し触れた飛鳥寺の、当時の名である。
「蝦夷を、滅するのだ」
解き放たれた獣は、入鹿の血だけでは飽き足らず、その父の蝦夷の血をも求めた。
鎌も、他の同志も、それに従った。
武装しながら彼らが待つうち、法興寺には、変事を聴きつけた近隣の豪族どもが、新たな時代のはじまりに立ち合い、その中で生きてゆく場を得ようと、こぞって集まった。
それらを従え、葛城は、蝦夷が立て籠るアマカシの丘を見上げ、睨んでいる。
――見下ろすな。
――怯え、震えよ。
そう思いながら。
法興寺と蘇我の居館があるアマカシの丘の位置関係は既に述べた通りである。
今ごろ、アマカシの丘からは、法興寺に続々と集まる豪族どもが見えていることであろう。
戦いにおいて、見上げる側よりも見下ろす側の方が有利であることは基本である。それを承知で、葛城は法興寺に布陣したのだ。わずか一日で時代は変わり、自らのもとに、それを求める人々が集まっていることを見せ付けるために。
アマカシの丘に登ったのは、蘇我により隆盛した渡来人の
のみとは言え、それらはこの時代において最も先進的な技術と武装を持つ者達だから、侮ることは出来ない。多くの豪族は戦いなど知らぬし、したとしても押す、引くくらいのことしかしない。だが、この渡来人の一族には、軍略というものもあったし、それを実現するだけの人数も装備もあった。それが、蝦夷を守らんと一族を揃えて集まったのだから、一筋縄ではいかぬことは明白である。
葛城がそうしようと決めたか鎌がそうしようと決めたかは分からぬが、筆者は前者であると考えている。
豪族どもに、渡来人の武威に恐れをなす向きがあることを見て取った葛城は、
このまま戦いを始め、ひとたび押されでもすれば、この流れに浮かぶ木の葉のような連中どもは、どこにゆくか分かったものではないと思ったのだ。
この判断には、鎌も舌を巻いた。
葛城の目的である蝦夷の討滅を果たすならば、戦うべきではないのだ。
葛城とは、激情の塊のように見えて、こういう知恵も働いた。いや、ものごとの本質を察することが出来るのだ。
密談がてら、漢書の授業に二人で通ったりもしていたが、とても頭がいい男だと鎌は常に感じていた。
意味の分からぬ語も、知らぬ言い回しも、読めぬ字も、ほとんど、葛城は飛ばして読み、それでいてその項の要点は完璧に把握する。
頭で考えるよりも、肌で感じる。そういう類いの男なのだ。
だからこそ、鎌は、よりこの獣を慎重に扱わなければならなかった。
それはさておき、葛城が送った降伏勧告のことである。
「従え」
と彼は言う。
「死ぬことはない」
とも。
「お前達は、一体、何のため、誰のために武器を取り、戦うのだ」
と諭し、
「そして、何のため、一族ことごとく死ぬのだ」
と問う。無論、これには、従わねば全力を以て、一族の一人もこの地上に残さず皆殺しにするという圧力と恫喝を含む。
葛城なら、やるだろう。
そういう凄味のある男だからこそ、この降伏勧告は効いた。
漢氏は、武器を捨て、降伏したのだ。
そして、蝦夷と彼が立て籠る要塞化された巨大な居館は、火の中に消えた。
これで、終わった。
時代は、変わったのだ。
蘇我の時代の夜は更け、そして暁がやってきた。その光を浴びながら、鎌は葛城を顧み、
「
と言った。
無論、これで全てが終わりというわけではない。事後処理もあるし、新たな国づくりという本題が待っている。しかし、とりあえず、それをするための地ならしという破壊行為は、終わったと鎌は言ったのである。それに対し、葛城は、太い眉をきりりと吊り上げ、
「まだだ」
と言い、口の端を少し持ち上げて笑った。
「入鹿の――」
と
「――墓を」
「墓を?」
どうするのか。
「壊せ。跡形もなく」
従う者どもは、一瞬、しんとした。
「では、入鹿の墓は」
誰かが、問うた。
仮にも、一国の宰相である。その死の上に新たな国を造ると言うなら、あまり無下にするのもどうかという空気があることを、葛城は察したのである。
だから、命じた。
「どうした、鎌」
「いえ」
「早く。壊すぞ。鍬を持て。俺がやる」
「そのようなことは」
こうして、葛城が入鹿を殺し、蝦夷を滅ぼし、その次に行ったことは、新たな時代において、入鹿の存在そのものを否定することであった。
今でも、入鹿の墓はどこにあるのか分からぬという。ごく最近になって、今は学校か何かの敷地になっている一角から、同じ時代の墓らしきものを破壊した跡が出ているから、それが入鹿の墓なのではないかと言われている。
蝦夷の墓は、ある。ちゃんと、生前の居館に模した石棺まで用意され─無論、この時代の権力者の常識として、生前に自分自身で用意したものであるが─、今もその内側に塗られた漆の跡まで残っている。
そこに、同じく家型をしてはいるが、やや粗末な造りの棺が、もう一つ。誰のものかは、分からない。
筆者は、想像する。
墓をさんざんに破壊し尽くしたあと、入鹿の亡骸をどうするのかと問われた葛城が、今そのことに気づいたような顔を鎌に向け、
「入鹿の墓?蝦夷のそれにでも、放り込んでおけ」
と言う姿を。
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