第7話 合流
破砕された鉄骨が、めきめきと音を立てる。食い破られたようなひしゃげた断面に、白い電気火花が弾けた。
リーゼロッテは伸びた髪の毛と爪をナイフで切り落とし、きゅっと口をへの字に曲げた。暗黒騎士と彼女は葵川の蝙蝠とともに一度退避し、詰所の陰に走る。幸い、弘樹はあえて彼らを追うことはしなかった。建設現場の破壊を優先して行っている。葵川が少し落ち着いた様子の正樹を連れ、二階から降りてきた。
「ええと、解決しなきゃならないのはショベルカー本体と、周りのバチバチと、中の弘樹くん」
「弘樹を引き剥がせばほぼ解決すると思うけど、それには電撃が邪魔だな……」
「弘樹くんを傷つけずにバチバチを弱められれば、とすると、言葉で説得するしかない、ですけど」
「蝙蝠は届かぬのだったな」
「ガラスがあるからねえ。外の音もすごいし、運転席に近づくのも無理っぽい……」
葵川は、破砕音と鳴り続けるサイレン音に顔をしかめる。彼らの会話も、自然大きめの声で行われていた。
「ガラスを割れれば」
リーゼロッテはちらりと現場を見る。狂化の影響か、ショベルカーは先ほどまでよりかなり機敏な動きで破壊を続ける。走行速度も上がっているとすれば、近づいて窓を破損させるのは難しそうだ。強化ガラスは、投石程度ではびくともしないだろう。
「誰かが囮になって……と言ってもちょっときついよね、この面子だと」
リーゼロッテは暴走を抑えるのに体力を使い、暗黒騎士は単純に疲弊している。葵川はあまり荒事には向かないし、正樹を見ている必要がある。
「そうすると……と、あ、え、マジで?」
葵川の曇った顔が、不意にリーゼロッテには伺い知れぬ何かを得て輝いた。
「ナイスタイミング。適材適所じゃん」
顔を上げる。遠くに車のエンジン音が聞こえた。構内の道を一台のバンが突っ込んできて、詰所の横で急ブレーキをかけた。
「悪い、遅れた。病院で患者が暴走してさ。そっち行ってたの。片付いたから二連チャン!」
錦木結が髪を揺らして助手席から、八重樫徹が次いで運転席から慌てて飛び出してくる。リーゼロッテはほっと笑顔になった。それまで黙っていた正樹が目を見張る。
「病院⁉ お父さんのとこ?」
「ああ、葵川先生のとこの子だね。先生は大丈夫。ただ、ちょっとだけ怪我をしたのと……ごたごたがあってね」
八重樫の言葉に、正樹がそわそわと落ち着かない顔で口を閉ざした。
「父さんが説得するのが一番いいんだけどな。仕方ない」
葵川も顔を曇らす。暴走したのは、先ほどホテルで倒れた患者だろうか。あの時何かできたかもしれないのに。リーゼロッテの胸に悔いとやり切れなさがずしりと食い込むが、首を左右に振った。選ばなかった道は過ぎたことだ。今自分ができることを精一杯やるしかない。
「で、何? 走るわけ? 準備運動もがっつりしてきたけど」
とんとん、と結がつまさきで地面を叩く。そして輝くショベルカーを見上げ、また派手なことやるよね、とつぶやいた。
「クリスマスの電飾か。嫌いじゃないけどさあ」
「子供の事故は、他人事じゃないな。早く助けてあげよう」
八重樫の言葉に、うん、とリーゼロッテもうなずく。弘樹もかなり疲弊しているはずだ。あまり放置しては、命に関わることもある。
「されば竜退治が戦の一石を投じん。征くぞ」
「あ、斉藤的にはそういうことになってるわけ」
結は肩をすくめ、そしてくすりと笑った。
「ま、見えないこともないか」
作戦はごく簡単なものだった。足の速い結が現場を走り回ってショベルカー内の弘樹の気を引く。その隙に後方から八重樫が窓のガラスを破砕、隙間から葵川の蝙蝠を飛ばして説得を始める。残りは待機しながら、ふたりが危険に遭った場合に補佐する。
リーゼロッテが、八重樫の物を軽くする力でショベルカーをどうにか動かせないか、と確認したところ、さすがに重すぎ大きすぎて試したことがないレベルだ、と言われた。実戦で力比べをさせるのは少々難易度が高いようだ。
「あ、そうだ。これこれ」
結はバンの後部座席から袋を取り出し、中身を八重樫、暗黒騎士、リーゼロッテに軽く放った。受けるとぺち、と軽い音がする。
「……ゴム手袋?」
「絶縁のやつ。電気ビリビリ系だからね。やらないよりはマシでしょ」
なるほど、と暗黒騎士がもそもそカーキ色の手袋をはめる姿はなんとなく面白かった。
「リーゼちゃん、調子は大丈夫かな」
八重樫が顔を引き締め、彼女を気遣ってくれる。はい、と返事をする。とてもありがたいと感じた。暴走の感覚は先ほどよりはやや遠ざかっている。一度閾値を超えた経験が、限界のラインを見極めることを可能にしたのかもしれない。
「葵川くんも」
「え?」
葵川が少し大きな声で聞き返した。
「顔色があまり良くないよ。無理はしないように」
「ああ、すいません。確かにちょっと耳にダメージ来てるなあ。気をつけます」
誰もが疲弊している。増援のふたりだって先の仕事で疲れているはずなのだ。でも、ここで食い止めないといけない。警察の特殊能力人員は訓練されていて、彼らよりも強力だが人数が少なく、配備されているのは大抵大都市だ。普段はより大規模だったり悪質だったりする事件を担当していて、そこをカバーするのが民間特殊警備。つまり、こんな地方都市で部隊の出番があるということは、よほどの
弘樹をそんなことに巻き込むわけにはいかない。
合図とともに、結が走り出した。八重樫が能力で重さを奪ったのだろうバールを、軽々と持ち上げて続く。リーゼロッテと暗黒騎士も、少しだけ休憩してからふたりを追った。夏場の陽は強く、補給した水分がそのままじりじりと蒸発していきそうだ。
結の足取りは軽い。危なげなく加速し、的確に重機を翻弄する。八重樫も、速度こそ速くないが着実に近づいた。上手く運転席の死角から駆け寄り、すれ違いざまにバールを大きく振り上げる。振り下ろす瞬間に重さを戻せば勢いは増し、確実な力を得る。がしゃん、と窓が割れた音がした。
『成功した。戻るよ』
蝙蝠越しの声は冷静で、いかにも頼もしかった。
『弘樹は無事ですか』
「……中はあの電撃でよく見えなかったな。ガラスを避けた様子もなかった。急いだ方がいい」
『今端末を……うおっ』
バチ、と何かが焼け焦げるような音が響いた。
『痛え! 駄目だ、電撃がバリアみたいになってて直接中へは飛ばせない……』
ならこうだ、と葵川がつぶやいた瞬間。
青い空に、無数の透明な蝙蝠が羽ばたいた。
それはばらばらとランダムに飛び交い、なおも結を追いかけるショベルカーの運転席を包むように群れなした。
『こんだけ大音量なら聞こえるだろ、弘樹!』
リーゼロッテは自分の傍を飛ぶ蝙蝠が、少し弱ったようにふらふらとし始めたのに気づく。葵川は無理をしている。なんのために? 治安? 仕事? 意地? 違う。きっとそれだけではない。
彼は多分、出来たばかりの家族のために、歯を食いしばっている。形になりかけた物を、もう二度と壊さないように必死なのだ。正樹は取り戻せた。なら、もう一度、と。
蝙蝠は飛び回りながら、一匹、また一匹と電撃に呑まれ消えていく。
『弘樹、聞こえる? 弘樹!』
『弘樹!』
葵川と、正樹の声が呼びかける。返事は。
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