第4話 三条弘樹

 三条家の双子、弘樹と正樹は、二卵性とはいえ幼い頃は瓜二つだった。いつもふたりで仲良く過ごしていたし、家族以外にはよく取り違えられていたほどだ。


 だが、ふたりが小学校に上がる頃から、少しずつ、少しずつ外見も性格にも、自然な違いが出てきた。正樹はやや元気で朗らか、弘樹はどちらかといえば大人しく思慮深い、そういう傾向があった。


 そして三条家の両親は毎日の忙しさに疲弊したのか、徐々に双子を構う余裕をなくし始めていた。何か明確な理由やきっかけがあったわけではないのだろう。少しずつ、少しずつ。両親は大人しく反抗しない弘樹への態度を冷たく変えるようになってきたのだ。


 食事も、衣服も、学校も、彼らはふたり平等に清潔にしっかりと世話をした。暴力や罵倒もない。平穏で、外から見ればごく普通の家庭。だが、正樹が頭を撫でられている時、時折弘樹は無視をされた。何かふたつの物を分ける時、決定権はいつも正樹に与えられた。お兄ちゃんなんだから我慢しなさい、というのが決まり文句で、そして我慢強い弘樹はそうした。心根の優しい正樹も、なんとなく流れがおかしいことには気づいていたようだが、何も言えずにいた。


 そうして家族は静かに歪み続け、やがて終わりを迎える。あの致命的な事故が起こった時、三条の両親は限界を感じたか、これ以上の状況の悪化を恐れたか、遠い親族の元に弘樹を預けに行こうとしていたのだ。


 弘樹は自分が捨てられ、弟と引き離されるであろうことを知っていた。だからずっと、車が壊れて止まればいいとそう念じていた。


 でも、それが本当になってしまうなんて、夢にも思わなかった。




 三条弘樹は、運転席を見渡す。シートはかなり大きくて、まるで王様の椅子のようだ。レバー類には手が届かないものが多いが、それは問題ない。彼は機械に触れずとも、微量の電気を飛ばすことで動きを制御することができる。こんな大きな物を、しかも長時間動かしたことはないが、よくわからない自信と力が湧いてくるのを感じる。いける、と思った。空中にぱちぱちと白い火花が散る。初めて起こった現象だが、気にはならなかった。


 研究棟が立つ予定の場所をめちゃくちゃにして、それから先はあまり考えていない。多分誰かが止めるだろうし、そうしたら自分が全部悪いことにして終わりだ。いなくていい子で、今や本当に悪い子になってしまったひとごろしの弘樹は、無事正樹を助けてあげることができる。新しいお父さんはとてもいい人で、ふたりともすぐ懐いた。彼の愛情を、正樹はひとりじめできるだろう。


 前の時は、自分がわがままを言ったからバチが当たった。自分は身を引かなければならなかったのだ。今度は大丈夫。


 ホテルでだって、正樹はとてもほめられて、大事にされていた。あれでいいのだ。ふたり同じように振る舞って、同じように愛されようと思ったが、それでも結局違いは出る。仕方ない。そうしたら、悪い子の自分が引くのは当然だ。


 当然なのだ。


 三条弘樹は虚空を見つめる。重機は長いアームを振り回す。


 白い火花が、涙のように頰に弾けた。




◆ ◆ ◆ ◆




 斉藤月乃は、はらはらとしながら遠くで不安定に暴れるショベルカーを見ていた。非常時のサイレン音が聞こえる。職員たちもあれこれ連絡を取っているが、ともかく手が出せない。工事現場の人員も、なんだかわからないが閉じ込められているらしい。そのうち建設会社から人が来るのかもしれないが……。


 蝙蝠からは、葵川と小さな男の子の声が聞こえる。説得は難航している。男の子はどうしても頑として聞き入れないようだ。葵川の声もだんだん、悲痛に疲弊してきている。


 早く、と月乃は思う。早く来て、かずくんと鈴堂さん。でも、どうか怪我とかはしないで、それでなんとか上手いこと解決して……。


 虫のいいことだ。あの不器用な兄にできるものだろうか。鈴堂小夜だって、真面目ないい子すぎてきっと不器用さではかなりどっこいどっこいだ。でも、願うしかない。頼るしかない。


 信じるしかない。


 そう思った瞬間、風がごう、と強く吹いた気がした。気のせいだ。周りはじっとりと絡みつくように暑い。ただ、そこを走り抜ける物があった。一瞬で彼女の前を通り過ぎていく黒い影と、水色の風。二台の自転車は、汗だくで漕ぐ操縦者を乗せて走る、走る。


 来てくれた。月乃は息を吐く。子供の頃、兄に手を引かれて走った思い出が、今さら懐かしく思われた。




◆ ◆ ◆ ◆




『葵川さん、兄が来ました』


 葵川肇は道端の木に寄りかかり、額の汗を拭う。これで物理的に解決できる人員が来た。残りの従業員も、いずれ合流できるよう手を回してもらっている。


 それはつまり、物理的に解決をしなければならなくなったということでもある。彼の説得は、間に合わなかった。正樹は話の途中だし、弘樹の方は運転席のガラスに阻まれ蝙蝠が届かない。


 重機の動きは鈍いが、とにかく危険なのはすぐ近くにある詰所だ。あそこには人が閉じ込められている。バケットやアームが接触したり、本体が倒れ込むこともあり得る。もちろん、工事現場の外へと重機が移動するのも避けたい。そして、弘樹と正樹、どちらにも対処が必要だ。彼は、正樹へと向けて飛ばしていた蝙蝠を消し、別の蝙蝠を自転車の走行音がする方へと飛ばす。


「ヴァルちゃん、リーゼちゃん聞こえる?」


『聞こえます』


『うむ』


 声が無事届く。肇は早足で歩き出しながら告げた。


「ひとりは重機の中、もうひとりは現場の外にいる。多分、重機をどうにかしようとしたら外の子がフォローしてくると思う。だから、手分けして処理しないと」


『何故そう判断する』


「ゲームで毎回やられた」


 双子の連携は強固だ。熟練プレイヤーでもない葵川とCPUとのタッグでは、とても太刀打ちできなかった。そして何度やっても、弘樹がメインアタッカーで正樹がサポーター。その布陣は変わらなかった。今と同じだ。


「ただ、正樹の壁は刃物で斬ればどうにかできるから。ヴァルちゃんに重機の方を任せて、リーゼちゃんは正樹の方に来てもらえるかな。できるだけそっと。自転車はどっかで降りて」


『わかりました』


『了解した』


 ふう、と大きく息を吐き、葵川肇は工事現場の詰所を睨んだ。耳の良い彼にとって重機の駆動音やサイレン音は辛いものがあるが、そんなことは些事だ。


「第二ラウンド開始だ」


 斉藤月乃から借りたカッターナイフを手に、彼は鳳建設詰所の階段を見上げた。先ほど断片的に聞いた、双子の愛情格差の話。多分、戸叶社長が見たひび割れの違いはここから来ている。総一郎も把握できていなかった、彼らの秘密だ。


 愛された子供。愛されることに引け目を感じていた子供。ひび割れは弘樹よりも大人しくて……でも、だからといって、傷ついていないなんてわけがない。肇はしばし考えて、少しだけ顔を歪める。


 さあ、そろそろ、いいお兄ちゃんのターンは終わりだ。ケンカをしよう、正樹。




◆ ◆ ◆ ◆




 リーゼロッテは、自転車を道の端に止めるとできるだけ速く、でも気づかれぬように足音を殺して歩いた。葵川肇の指示はシンプルだった。彼が正樹の気を引く隙に詰所の人員を解放、避難させること。


 空気の壁は持続時間が長く、いくつも設置が可能のようだ。時折道を塞ぐようにして壁があり、リーゼロッテは二度ほどぶつかってしまった。それでも、向こうに気づかれている様子はないようでほっとする。仕事用のウエストバッグには十徳ナイフが入っているから、それで簡単に壊せた。


「どうも、本体が来ちゃった」


 詰所の上の方から声がする。葵川が話をしている間に、急ぐのだ。


「君らはさ、ちょっと勘違いをしてると思うんだよね」


 プレハブ製の、二階建ての詰所の外にはいくつかドアがある。まずはそのひとつの前を塞いでいた壁を壊し、中の人が騒ぎかけたのを鎮めた。その都度逃していたら、すぐに正樹が気づく。最後に一気に避難をさせないといけない。


「勘違いって何」


「父さんを君らだけの父さんだと思ってるってこと。僕のこと忘れないでほしいなあ」


「肇さんはだって、大人でしょ」


「これでも十四歳なんですよ、実質」


 何の話だろう、と思うがとにかく進む。壁を壊し、中の人とそっと話して、そして次へ。


「ずっと、僕だけの父さんだったんだよ」


 葵川の声が、少年のように上擦って揺れた。普段は伏せていた感情が、勢い余って漏れてしまったような声だった。


「後から来て、盗らないでよ」


「やだ!」


 正樹が初めて激昂する。二階から、いらいらと足踏みをする音が響いた。


「やだ、やだ! なんでいっつもそうなの! なんで好きになったり、好きになってもらったりするのに、いちいち嫌な気持ちにならなきゃならないんだよ!」


 ぱん、と音を立てて大きな空気の塊が降ってくる。いくつも、いくつも。リーゼロッテの頭に塊がぶつかってバウンドする。軽い衝撃の連続に、思わず小さく悲鳴が漏れてしまった。


 正樹の濡れた目が、彼女を見た。

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