第3話 三条正樹
ちょっと離れたところから援護するんだ。ゲームとおんなじ。三条正樹は、双子の兄の弘樹に言い含められたことを忠実に守って息を潜めていた。やることはさっきと同じだ。工事現場を見張って、人が来たら弘樹が一瞬動きを止めるから、その隙に拘束。それから、遠くから必ず弘樹を守ること。絶対の約束だ。
幸い、現場は昼休みになる間際だったようで、人影は少なかった。傍には仮設の建物がある。詰所と言うのだ。そこに人が集まっていたから、『鳳建設』と書かれた扉の前に大きな空気の壁を作って塞いでしまった。これで邪魔されずに動くことができるはずだ。
今、彼は詰所の二階から現場を見ている。広い敷地の一部に大きな基礎ができて、鉄骨が順調に組み上げられている。その前にはさらに広い更地があって、多分そのうち綺麗に整えられて道が繋がるのだろう。少し離れたところには木が茂っていて涼しそうだ。うるさい蝉なんかはあの辺にいるのだと思う。
しばらく前に計画を打ち明けられた時はさすがに驚いたし、止めようよと諭した。でも、結局折れてしまった。正樹は弘樹にどうしようもない負い目があって、そして弘樹はもう彼の言うことを聞いてくれない。きっと止められない。だから、せめて彼は兄を助けるしかない。
新しい父親、総一郎の新しい仕事をなしにしてしまおう、というのが彼らの単純な目的だった。そうすれば、きっとお父さんは正樹をずっと見ていてくれる。弘樹は無表情な目に妙な熱を宿してそう言った。
(僕だけなの? 弘樹はどうするの)
(僕はいいんだよ。だって僕は)
ひとごろしだもの。弘樹は小さく首を傾げる。
運転席で変な形に首が折れていた父親を思い出し、正樹はぎゅっと目を閉じる。すぐに開ける。弘樹はたどり着き、邪魔者は既に拘束した。最強兵器はもはや、彼らのものだ。
がこん、と何かが動く音がした。続いてぎがが、と軋むような響き。やがて、首の長い恐竜のようなシルエットが動き出す。弘樹の力だ。電気で機械を動かせる。とても強い力なのだ。
ユンボ。パワーショベル。油圧ショベル。なんでもいい。中型の重機がゆっくりと作動を始めた。
あの暗黒騎士の人は、
清々しい絶望を感じながら、三条正樹はその様子を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
『……ああ、あれが目当てか。まずいな。僕には止める力はない——』
斉藤月乃の肩に止まった蝙蝠が、参ったような声を上げた。
「葵川さんは、何ができるんですか!」
月乃は職員を連れ、工事現場から少し離れた道を走っていた。突然動き出したショベルカーを見るに、確かに素人がむやみに近づくべき空気ではないと感じる。でも、これからやって来るのはどうやら月乃の兄と友達だ。彼らは大丈夫なのかと不安になった。
『見ての通り、連絡と斥候。端末を飛ばして音をやり取りするだけ。一応ぶつけて妨害くらいはできるけど、こっちも痛いからあんまり得策じゃないね』
「そしたら、あの、あれできないですか」
『あれ?』
「説得。動かしてる子のところに声を届けるの」
葵川は押し黙る。しばしあって、また声が返ってきた。
『統計では、暴走が起こった直後に説得の効果があるのは、近しい間柄の人間からだけとされてる。しばらく経って疲弊したらまた別だけどね』
「……弟さんなんですよね?」
葵川からは手短に、ややこしい家庭事情を聞いていた。なんだか吐き出さずにはいられなかったような声で。
『この何日かだけね。あっちからすればまだ身内でもなんでもない……なかったみたいだ』
自嘲するような響き。それはまあ、そうかもしれない。突然転ばされて、手足を封じられて、そんなことをされれば自信を失うし、相手を信頼なんてとてもできない。
「すいません。素人が余計なこと言いました。でも、なんか、その……」
『……間を保たせるくらいなら、できるかな』
ざ、と小さな羽の音が端末の向こうから聞こえた。別の蝙蝠が飛び立った音のようだった。
『ヴァルちゃんたちが来るまでの繋ぎに、せいぜいしゃべってみるよ。……来たら安心するといい。君のお兄ちゃんは、強いよ』
知ってます。月乃はうなずく。『本当のかずくん』は未だによくわからないし、話す言葉も意味不明だが、ただひとつ。彼が真剣になった時はとても頼りになること、それだけは理解している。鈴堂小夜が一生懸命に話してくれた。妹なのに、全然知らなかった一面だ。
だから、きっと怖くない。
◆ ◆ ◆ ◆
ショベルカーは、鋼鉄の竜のように動き出す。半ば形になった基礎やそこに立つ鉄骨を力強く破壊するように。でもきっと、ちょっと何かやったって止められて、また直されて終わりだ。正樹は頭のどこかでそう冷静に判断していた。
弘樹はおかしなことをしている。もしかしたら、彼らは怒られて、新しいお父さんと引き離されてしまうかもしれない。それくらい大変なことをやり出している。そのこともわかった。でも、正樹は弘樹から離れられない。あの事故の時からそうなってしまった。
おかしくなってしまった弘樹の傍にいてあげないといけないと、ずっとそう思っていた。
(あのね、正樹)
秘密を打ち明ける時のひそひそ声で、弘樹は言う。
(ごめんね。ふたりを殺したのは僕なんだ)
何を言っているのかと思った。事故の時のことはよく覚えている。双子は大人しく後部座席に座っていた。ただ、衝突が起きた時にエアバッグが出てこなくて、それで大怪我をして、両親とはそれきり会えなくなった。新しいお父さんの総一郎はふたりの力を見て、事故のショックと後悔の影響が大きかったんだと思うよ、君たちはご両親が大好きだったんだね、と頭を撫でてくれた。
正樹はエアバッグのような空気の壁の力を手に入れた。
弘樹は機械を操ることができる、電気の力を手に入れた。
どちらも、事故がきっかけの発症だ。もっと先に得ていたら、両親を助けられたはずの力だ。そのはずなのに。
(僕の力のせいで、エアバッグが出てこなかったんだ。僕のせいなんだ)
弘樹の中では、いつの間にか順番が入れ違っていた。総一郎お父さんによると、妄想型、と言うのだそうだ。思い込みを、本当だと信じ込んでしまう。
『正樹!』
はたはたと音がして、小さな透明の蝙蝠が飛び込んできた。『肇さん』の蝙蝠だ。声もする。拘束されたまま飛ばしているのか、それとも抜け出せたのか。
『やめなさい。今すぐ壁を全部消して、弘樹と一緒に出て来るんだ』
「無理」
短く答える。
『どうして』
「弘樹が絶対やめないから。僕もやめられない」
『自主性を持とうよ! いいか、そういう気持ちで人に迷惑をかけて……怪我させたり、死なせたりしてしまったら、後悔するのは君なんだよ。それくらいのことを君たちはしてるんだ』
がごん、とショベルカーが動き、工事現場から少し外れた道の地面を抉った。操縦も、簡単ではないらしい。あそこに人がいたらひとたまりもないだろう。ぞく、と背筋に嫌なものが走る。でも。
「でも、弘樹はもう、ひとごろしになっちゃった」
だから、僕もついていく。
『思い込みだって知ってるだろ。あの事故は君たちには何の責任もない』
「弘樹の中ではほんとなんだ。僕は弘樹のこと助けなきゃならないの」
『……どうして』
三条正樹は、自分がいつの間にか泣きそうな声になっていることに気づく。鼻をすすりあげながら、少年は告げた。
「僕がずっと、お父さんとお母さんをひとりじめしてたから」
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