第2話 暗黒騎士とミンストレル

 戸叶とかの社長に連れられて訪れた『ホテルトワイライト瑞野』の白い外壁は暖かい光に照らされ、ほんのりとオレンジ色に染まって浮かび上がっていた。


「この辺で女の子がひとりで泊まりやすいホテルって言ったら、ここじゃないかなあ」


 外で簡単に着替えを買って、チェックインをして。先に社長が電話をしてくれていたし、幸い観光地ではないのでシングルの部屋が空いていた。久々に鈴堂小夜の名前を書いて、部屋のカードキーをもらう。ふかふかのカーペットを足元に感じながら、ラウンジへ向かった。


「あとは大丈夫かな。そしたら斉藤くんに連絡をして……」


「あれ、社長とリーゼちゃんだ。何やってるんです?」


 後ろから聞こえた声に振り返ると、葵川肇が私服らしい細身のシャツとパンツ姿で立っていた。左右の手は十歳ほどのよく似た顔の男の子が無表情で握っている。見覚えがあった。いつか医大の傍で出会った双子らしき子供たち、確か名前は弘樹と正樹だ。


「葵川くん……ってことは、その子たちが例の弟くんたちね。こんばんは。お兄さんの会社の者です」


 こんばんは、とふたりは声を揃えて言う。戸叶はにこやかに目を細めてその様子を見、そして小声でつぶやいた。


「……双子にしてはだいぶ違うんだ」


 リーゼロッテはまじまじと子供たちの様子を見た。確かに、よく似てはいるが二卵性のようで瓜二つという顔立ちではない。三条正樹です、と名乗った方は声が少し元気で頰がふっくらしており、弘樹です、と言った方は大人しめで目が丸いのが特徴だ。最初はそっくりに思えたが、こうして見るとそのうち見分けをつけるのは難しくなさそうだった。


 葵川は軽く首を傾げる。


「リーゼちゃん、なんかあったんですか? あっ、今日誕生日だからお祝いかな」


「ちょっとトラブル……なんで葵川くんがリーゼちゃんのお誕生日知ってるのよ」


「東京で調べ物した時にちょっと」


「ほんとに君、ストーカーとかにならないように気をつけてよ? ……っと!」


 リーゼロッテの足の力が抜けてふらついたのを、慌てて戸叶が支える。


「やっぱり平気じゃないんじゃないの。部屋についてく?」


「大丈夫、です」


 誕生日に、東京。話題がたまたま重なったせいで見苦しいところを見せてしまった。どうにかちゃんと自分の脚で立ち直る。


「髪」


 ついと黒髪を引っ張られる。見ると一筋、彼女の横髪は不自然に長く伸びていた。以前も同じことがあった。ストレスに対する能力の反応、暴走の前兆だ。手を見ると、爪も少し長めに伸びている。リーゼロッテはぞっとして立ちすくむ。


「無理しないこと。ね。ひとりで休んだ方がいいならそうするけど」


 大丈夫ですから、と言いかけてやめた。以前の失敗を繰り返すわけにはいかない。


 無理しないこと。本当にその通りだ。彼女は今、どう考えても大丈夫ではないし、それに対してちょうど良い距離で見守ってくれている人たちがいる。リーゼロッテはずっと手にしていたキーホルダーを握り直してうなずいた。


「……少し、ここでお話とかしてもらってもいいでしょうか」


「お話するの?」


「こないだの暗黒騎士のお話が聞きたい」


 それに答えたのは双子で、葵川がこらっ、君らは関係ないだろ、と手を引っ張る。


「具合悪い子がいるんだから、静かにしなさい。父さんを部屋で待つんだろ」


「大丈夫ですよ。人がいた方が気が紛れる気がするんです」


 これは本当の気持ちだった。変に真面目な話をするよりは、雑談で吹き飛ばしてしまいたい。


「ほらー」


「いいって」


 抑揚のない声だが、双子はなんとなく葵川には気安く接しているような感じがした。しょうがないなあ、と葵川はため息をつく。


「しんどくなりそうだったらすぐ言ってね」


 うなずく。戸叶社長、葵川、双子、リーゼロッテ。五人で席についた。


 それから、本当に他愛のない話をした。じきに話題は共通の奇妙な知人、この場にいない暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードのことになる。リーゼロッテは、彼の英雄譚をどうにか格好良く語ろうと頑張った。選んだのは以前、リーゼロッテと暗黒騎士と葵川が結婚披露宴に呼ばれた時の、睡魔を呼ぶ乱入者との戦いの話だ。


「それで、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様がこう、剣を構えて式場の扉から」


「ダンボールの?」


「その時はケーキナイフでした」


「斬れなさそう」


「あのねえ君ら」


 驚いたことに葵川は的確に、真面目に彼女にフォローをくれた。


「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードが握れば、どんな物も暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーになっちゃうわけ。元はダンボールでもなんでも、無敵の剣だよ?」


「無敵。すごい」


「超強いってことだ」


 双子は顔を見合わせる。最強とか無敵とか、そういうのはやっぱり子供は好きらしい。でも、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードの本当に素敵なところは、そこだけじゃないのにな。そう思いながらリーゼロッテは話を続けた。


「そして必殺技の名前を叫びました。『音速……』ええと、なんでしたっけ」


「『音速飛散・デュカルム=デル=ライズ』」


「葵川さん、よく覚えてますね!」


 もう一年以上前のことなのに、彼の記憶力には驚くばかりだ。しかもこの時、葵川は半分眠らされて朦朧としていたはずなのだが。


「まあ、それで、この後は葵川さんが格好いいんですよ。スピーチを……」


「あっあっ、そこは飛ばしてヴァルちゃんヒーローショーやって。お願い」


 人のことは細部に至るまで覚えているくせに、自分の活躍については照れ臭いらしかった。せっかくのお兄さんの見せ場なのに、と思う。


 それから、暗黒騎士の剣さばきがどれほど鋭かったか、眠りの力にどう抗ったか、リーゼロッテは訥々ながらも熱を込めて語ったし、葵川は上手く話を繋げてくれた。双子たちも何度も茶々を入れるわけでもなく、真剣に聞いてくれている。暗黒騎士の一番の信奉者のつもりであるリーゼロッテにはとても嬉しいことだった。


「こうして、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様のおかげで事件は無事解決、新郎新婦はめでたく結ばれたんです」


「はい、小さく拍手」


 ぱちぱち、と周囲に配慮された喝采の音で騎士物語は終焉を迎えた。戸叶社長も優しい顔で手を叩く真似をしている。件の夫婦からは社に年賀状が届き、それによればその後もふたり円満に暮らしているのだそうだ。何よりの報せだと思う。


「面白かった」


「格好良かった」


 相変わらず興奮とは無縁の抑揚のない声だが、楽しんでくれてはいたようだ。


「……リーゼちゃんには、あの子はそういう風に見えてるんだね」


「? え、はい」


 戸叶がつぶやく。彼女はなんとも懐かしそうな、微笑ましげなような、ほんの微かにうらやましさのスパイスを振ったような、そんな顔をしていた。


「いいなあって思って。なんかねえ、キラキラしてるよね」


「キラキラ」


「そうそう、いちいち嬉しそうですよね……こら君ら、飲み物で遊ぶのはやめなさいよ」


 リーゼロッテの話に感化されたか、双子は飲み終わったジュースのストローでチャンバラを始め出す。無表情のまま鍔迫り合いをしているところを葵川が止めるが、あまり聞き入れてもらえてはいないようだった。


 やがて社長は暗黒騎士に連絡を取り付け、朝ホテルまで来てくれるそうだと教えてくれた。


「今わりと暇だし、半休扱いで昼までに来ればいいよ」


 そう言ってもらえるのがありがたくて、何度もお礼を言った。明日になったら暗黒騎士にも感謝を伝えないと、と思う。


 葵川は明日は代休で、やはりまたホテルに来て一日弟たちの世話をさせられるのだそうだ。


「よくわかんないんだけど、弟がいるってこんな忙しいものなんだっけ?」


 と言って、それほど嫌でもなさそうな顔をして笑う。


「双子ですしね」


「双子とか兄弟がいる家はほんと大変だよね。ふたりともしっかり面倒見なきゃならないんだからさ」


 ゲームの話を聞いてみると、勝率が四割に近づいてきたんだよ、と嬉しそうにする。つまりまだあまり勝ててはいないらしい。


「この子らが今度は雷系の武器を入手してきたから、防ぐためには深海の洞窟の敵を」


「きりがないように思うんですが」


「きりがないから楽しいんじゃない」


 そういうものかもしれない。いつまでもずっと一緒に遊んでいられるなら、きっとそれは何よりも幸せなことだ。


 やがて遅れて来た葵川総一郎氏と挨拶をし、明らかに彼に懐いている様子の双子を微笑ましく眺め、リーゼロッテは皆と別れて部屋へと向かった。あの百合の花を見た時の恐怖と忌避感は、ゆっくりと少しずつ薄れていく。消えないおりを感じながらも、彼女はどうにか心のバランスを取り戻していた。


 軽く入浴してドライヤーをかけ、少しだけ伸びてしまった髪の毛と爪を切って捨てる。柔らかなベッドとぴんとしたシーツの上でごろりと寝転べば、明日はすぐそこだ。


 歩の駒のキーホルダーにはソラちゃんの鍵をつけ、思い立って袋に飾られていた水色の細いリボンを結んでみた。とても変で、なかなかかわいらしい。正式デビューの時はもうすぐだ。リーゼロッテは薄く微笑むと、そのままゆっくりと眠りに落ちていった。

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