第4話 暗黒騎士とブライアローズ
「多分、俺の力のせいじゃないかと思うんです」
荒井は早足で歩きながらそう言った。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードとリーゼロッテは彼を連れ、建物の裏手へと向かう。詳細は荒井さんから聞いておいて、と結はそう言っていた。
「荒井さんはどんな力をお持ちなんですか」
「『背中を押す力』と普段は言ってます。要するに、人の決断の最後のひと押しを手伝うことが出来る、らしいんです」
ふたりは顔を見合わせた。
「心理操作……」
そんな大したものではないです、と荒井は苦笑する。強力な心理操作能力者には、悪用を防ぐために通常より厳しい指導プランがある。あらゆる意味で扱いが難しい力なのだ。……暗黒騎士は、一度暴走をしかけた後に念のためこの指導を受けたと聞いた。詳細については深き淵に沈みし秘された匣の中のなんとか、らしいが。
「本人が心から望んでいることでないと、さすがに。デザートを頼もうか迷ってる時にアイスを食べさせることはできても、急に牛丼を頼ませたりはできません。決断をほんの少し早めるくらいで、しかもどのフレーバーを選ぶかを決めるのはやっぱり本人でないとできないんです」
何度も人に説明をしてきたのだろう、こなれた例えだ。なるほど、と思う。操作というよりは誘導だろうか。でもそれが、日奈子の閉じこもりとどう関係しているのだろう、と思った。
「彼女、多分、俺の力のせいで結婚を決めることになったんじゃないかと、そう疑っているのじゃないかって」
裏手の地面は草が伸び放題で、さくさくと踏みながら歩いた。リーゼロッテは振り返る。
「え、でも、本人がしたいことじゃないと」
「そうです。実際は操作なんてしてないし、もし無意識で力を使ってたとしても、無理に決めさせたなんてことではないはずなんです。でも、どうも最近機嫌が悪いというか、調子崩してる感じで。式までには治ると思ったんですが……」
「マリッジブルー」
リーゼロッテはつぶやいた。知識としては知っている。結婚前に不安定になる人がいる、という程度のことだが。
「気にしすぎちゃってないか、とか。しかも俺のせいで……」
「そは、確かにかの姫によって紡がれし言の葉であるか」
「は?」
それまで静かだった暗黒騎士の、突然の暗黒語による問いかけに荒井は目を丸くする。リーゼロッテは慌てて通訳をした。
「それは、日奈子さんから直接聞いたお話なんですか、とおっしゃっております」
「え、あ、いや。そういうわけじゃ……」
「であれば、無用な勘ぐりは魂を蝕む毒ぞ。真実は共に語り合い月の光の下
「ちゃんと話し合って実際のところをはっきりさせた方がいいですよ、とのことです」
「はあ」
首をひねりながらも、荒井はごくりと唾を飲み込み、窓を見つめた。ベランダには薔薇のプランターが並び、緑豊かに茂っていた。色とりどりの大輪の花がいくつも鮮やかに開いている。不自然なほどに。薔薇の花は真夏にはあまり咲かないはずだから、日奈子の力の影響だろう。
「もしもし、リーゼロッテです。裏手に着きました。お話も聞いて、いつでも動けます」
スピーカーモードにした携帯端末で結に連絡を取る。
『了解。じゃあ十秒で突入』
「わかりました」
十、九、八、と声を重ねてカウントダウンを始める。暗黒騎士がリュックサックからダンボール製の剣を取り出すと荒井は非常に不安げな顔になったが、黙って見守っている。
七、六、五、四。暗黒騎士がベランダの手すりに手をかける。窓の向こうはカーテンに閉ざされ、様子を伺うことはできない。
三、二、一。
「ゼロ!」
ばっ、と暗黒騎士がベランダに飛び込んだ。どこにもないはずの漆黒のマントが背になびく様を、リーゼロッテは幻視する。荒井も同じものを見たのだろう、目を疑うような表情になった。彼女と荒井はしばし待機し、様子を見て突入する予定だ。ダンボール製の暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーが振り下ろされ窓ガラスをかち割った時、荒井はさらにぽかんと口を開けた。
「そういう力なんです」
端的に告げると、なるほど、と小さくつぶやく。カーテンが引き開けられ、部屋の中があらわになった。小さめのソファと、あちこちに積み上げられた引越し業者の箱、箱。その間を這い回るように伸びた茨の枝。日奈子らしき姿はなく、奥の方には影が落ちてよく見えない。だが、茨が突然動き出して襲ってくるような様子もなさそうだ。
「……リーゼロッテ」
奥の部屋へと進んだ暗黒騎士が、短く侍女を呼んだ。
「かの者を連れこちらへと来たれ。ただし、周囲には重々心せよ」
ふたりは目を見交わし、手すりをどうにか乗り越えると中へと踏み込んだ。
1LDKの部屋のリビングは、外から見た通り引越し作業中という様子で、あちこちに半端に物が積み上がっている。茨は玄関から奥の寝室らしき部屋の方に向かって伸びているようだった。いや、逆だ、とリーゼロッテは枝を避けながら思う。多分、茨の本体があの部屋にあって、そこから生えてきているのだ、と。
入り口からそっと様子を伺うと、中には暗黒騎士が剣を片手に立っている。部屋の奥にはシングルベッドがあって、茨の枝の塊のようなものがごちゃりと乗っていた。
違う。あれは、人だ。膝を抱えて座っている人間に、茨がぐるぐると巻き付いているのだ。よくよく見れば、長い髪がはみ出ている。閉じた目が枝の隙間に見える。荒井日奈子は、まるで眠っているように静かな姿で茨の中に閉じ込められていた。
「日奈子……?」
おそるおそる、という様子で荒井が声をかける。ざわ、と部屋中の茨が蠢く。囚われの日奈子がぱちりと目を開く。
「良かった。なあ、この茨、お前のだろ。引っ込めてそれで……」
「なんで……」
『! ヤバい。リーゼちゃん、茨がなんか戻ってくんだけど!』
繋げっぱなしの通話の向こうで、結が焦った声を上げた。床に這っていた枝々は、徐々に壁を侵食するように伸びていく。暗黒騎士とリーゼロッテは、背中合わせでその様を見つめていた。
「なんで来たの、俊ちゃん。出てって。出てってよ、私のお城から」
突き放すようなその声は、狂気の熱に浮かされ、震えていた。リーゼロッテには覚えがある。わかる。これはいつか時の、自分の声と同じだ。
「狂化が」
暗黒騎士はうなずき、剣を構える。経験からすれば、あの茨を全て断ち落とせば彼女は解放されるだろう。だが、植物だ。きっと後から後から伸びてくる。いたちごっこになりかねない。
「出ていかないなら……!」
開け放していた玄関のドアから、外へ伸びていた枝が戻ってくる。枝と枝は絡み合い、より太い枝となって蛇のように鎌首をもたげた。同時に、鉈を手にした結が弾丸のようなスピードで突っ込んでくる。作業着はあちこち小さく裂けて、手足には切り傷があるようだった。
天井まで伸びた茨の枝が、弾けるように八方に伸び、その場の全員を襲った。暗黒騎士と結が斬り飛ばし、リーゼロッテと荒井がどうにか避け、それでもさらに枝は伸び続ける。肩に棘が刺さり、腕を枝が掠めた。荒井の腕を掴み、引っ張って寝室から抜け出した。だが、攻撃が大人しくなるというわけでもない。
「日奈子……!」
頬から血を流しながら荒井は呆然とする。その前に暗黒騎士が立ちはだかり、剣を振るう。どうやら技名を叫ぶ余裕もなさそうだ。結も、この狭い室内では得意の走行が封じられているようなものだ。やりにくそうに動いている。全員が寝室から退避するとやがて茨の勢いは弱まり、ばたんとドアが閉まって日奈子は再び中に閉じこもった。
「……どうすんの、これ」
結が難しい顔でつぶやく。暗黒騎士も思案顔だ。荒井は暗い表情で言った。
「話は、できないでしょうか」
「面と向かっては難しいかもね」
「まずは茨をどうにかせねば……」
リーゼロッテは自分の手を見る。先の攻撃で薄く裂け、血がにじんでいる。力を用いて治癒をしなければならないし、消毒も必要だ。
考えは、なくはなかった。
「私、どうにかできるかもしれません」
三人の視線がリーゼロッテに集まる。彼女はドアの向こうに聞こえぬよう小声で告げた。
「えっと、植物相手に試したことはないので確実ではないんですが、流れている生命力をどうにか抑えれば傷を開いて動きを抑制できるかも、と」
「なるほど、そなたの力のひとつか……。かの茨は今や日奈子姫との間に強き
だが、大丈夫なのか、と暗黒騎士は微かに目で彼女に語りかけているように見えた。この力には少々悲しい思い出がつきまとう。しかし、囚われてばかりもいられなかった。それでは、今まさに目の前にいる人を守れない。リーゼロッテは大きく首を縦に振る。
「やります。私が弱らせて、結さんと暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様が枝を斬って、その隙に荒井さんがどうにか話しかけて……それで、日奈子さんを助けるんです」
いいんじゃない、と結が笑った。
「作戦立てるの、様になってるじゃん。リーゼちゃん」
「この我が認めし
「いや、あんたがどうとかは関係なくない……?」
ふと一瞬だけ空気が緩み、そして彼らは寝室のドアをきっと見た。もう一度、今度こそ、と。ドアは内側から茨に覆われているようで、開けようにも動かない。
「『緑碧破断・ヴラナガル=イ=ガルスール』」
暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーが閃く。ドアが茨ごとがたりと倒れ、
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