第3話 暗黒騎士とシャットアウト

 次の日は快晴に少しだけ白い雲の浮く良い日和で、ソラちゃんのペダルも軽やかに走ることができた。リーゼロッテの誕生日は夏の盛りで、毎年いつも天気がいいのが好きだった。……夏休みのさなかで、ただでさえなんとなく距離のあったクラスメイトに祝われた試しがないのは、とても寂しかったが。


 父は毎年盛大にお祝いをしてくれていた。素敵な洋服。美味しい料理。華やかなケーキ。たくさんの花と、それからプレゼント。まるでお姫様みたいな気分で一日を過ごしたものだ。ただ、プレゼントのリクエストが通ったことは、なかったように思う。


 自転車を止め、水分補給をしながら少し物思いにふける。隣では暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードがいつも通りぼんやりしていて、本当に月乃は誕生日の件を知らせたのだろうか、と少し不思議に思った。また別の人に間違えてメッセージを送ってしまってはいないだろうか。何せ朝から特に何も話しかけられてはいないのだ。変に期待をするのは失礼のような気もするのだが。


 パトロールの時間の大半は『何もない』ことを確認して終わる。それで良いのだと戸叶とかの社長は言う。今の季節だと高齢者のお宅を回って冷房をちゃんとつけるよう勧めたり、時々外で具合を悪くしている人を見つけて介抱したり、場合によっては救急車を呼んだり、それくらいだ。『何もない』はもちろんいいことだが、暗黒騎士的にはどうなのだろう、と思うこともあった。ただし、斉藤本人の穏やかな性格と、暗黒騎士の好戦的な設定の間に矛盾が出そうで、あまりつつかない方がいい部分である気もしている。


 でも。やっぱり、本当に『何もない』のは少し寂しい、と横目で暗黒騎士を見る。言葉だけでもいいから何かが欲しかった。自分はだんだんわがままになってきている、と思う。ただの大人しい塔の上のお姫様ではいられなくなってしまった。一歩踏み出した世界の空はとても鮮やかで美しくて、周りの人達は優しくて生き生きしていて、自分もそうなれたら、と思ってしまった。


 なれるだろうか。


「リーゼロッテ」


「はい⁉」


 隣から突然話しかけられて、リーゼロッテは動揺し、ペットボトルの水を軽くこぼしてしまった。アスファルトにできた黒い染みは、すぐ陽に乾いて消えるだろう。暗黒騎士はやや格好いいポーズを取ると厳かに切り出した。


「我が遠き土地よりの文にて……」


 と、リーゼロッテのポケットの携帯端末が震える。出鼻をくじかれた顔の暗黒騎士をよそに、彼女は着信を確かめた。戸叶社長からの連絡だ。


『もしもし、リーゼちゃん? 戸叶です。結ちゃんに行ってもらってた閉じこもりトラブルの依頼なんだけど、どうも人手が必要みたい。ふたりで三丁目の方に行ってもらえないかな。住所を送るから』


 はい、と気を引き締めて答えた。『何もない』のはもう終わりだ。暗黒騎士の言葉も気にかかったが、仕事が優先。通話を切ると、指示を復唱した。暗黒騎士も、表情を引き締めて黙ってうなずく。……なんだかジーンズのポケットを少し気にした様子で。


 やがて騎馬二騎、もとい二台の自転車は、住宅街を抜けて走り去っていく。小さな言葉を伝え損ねたまま。




 指示された場所はかなり小綺麗な新しい建物で、リーゼロッテも数度通達などの仕事で訪れたことがあった。なんでも女性専用マンションなのだそうで、普段は暗黒騎士には下に残ってもらい、リーゼロッテだけが中に入っていた。設備もかなりしっかりしていて、オートロックのドアの前には管理人室の窓口がある。その手前に上品そうな中年の女性と、明らかに困った顔をしたスーツ姿の若い男性が並んで立っていた。女性はマンションの管理人だ。何度かやり取りをしたことがある。


「トカノ特殊業務社の者です」と挨拶すると女性はうなずき、非常事態なので男性の方もお願いします、とオートロックの自動ドアを開けてくれた。横の荒井俊あらいしゅんと名乗った若い男性が依頼者なのだそうだ。彼らは静かな廊下を歩き出す。少し行ったところの角部屋の前では結が難しい顔で出迎えた。やはり何度か来たことのある病者ペイシェントの人の部屋だ。表札には『木下』とある。


「お疲れ様。悪いね。私ひとりじゃちょっと難しそうだったからさ……」


「なんだか閉じこもりって話を聞きました」


 そうなんです、と憔悴した様子の荒井がつぶやく。


「ざっくり言うと、そこの荒井さんが旦那さんで、中の日奈子ひなこさんが奥さん。ふたりとも病者ペイシェントで、入籍済みだけど同居はまだ、ですよね?」


「今週末に引っ越しの予定だったんです」


 でも、荷造りはできた?って連絡したら何も返ってこなくて。心配をしていたら突然『ごめん』ってメッセージが送られてきたんです。何かあったのかと思って駆けつけたら……。


 荒井は一気にまくし立てると、がっくりと肩を落とした。


「閉じこもり、ですか」


 不安な気持ちが感染するようだった。旧姓木下日奈子の持つ力は、確かーー。


「見てもらったほうが早いかも。何もしなきゃ危険はないと思うけど、一応気をつけて。荒井さんと管理人さんは下がっていてください」


 結がてきぱきとそう言うと、ワンテンポ置いてがちゃりとドアを開けた。


 入り口は、棘の生えた茨の枝にびっしりと覆われていた。中の様子はよく見えないが、枝は奥の部屋から伸びてきているようだった。棘はいかにも人を寄せ付けないぞと言わんばかりに尖り、枝はアラベスク模様のようにぐるぐると渦巻いている。まるで童話の中のお城のような有様だ。


(そうだ、トカノさん。お荷物でなかったらちょっと薔薇を差し上げましょうか。頑張って育てたら咲きすぎちゃって)


 おっとりした雰囲気の髪の長い女性だった。植物に干渉して、ある程度生育状況を操ることができるのだとか。とはいえ、普段からこんなに強力な能力発動をするタイプではなかったはずだ。


 暴走。もしかしたら、さらに悪い狂化。嫌な汗が背中を伝う。


「然らば、我が剣にて茨を斬り裂き、中へと踏み込む他はあるまいな」


「それはもうやろうとした……なただけどさ。そしたら、こう!」


 結が壁に立てかけてあった小ぶりの鉈を持ち上げ、枝を一本軽く切った。強度は普通の枝と大差ないようだが、切られた辺りから茨がざわざわと蠢く。途端に二本ほどの枝がずるりと伸びてきて、結に襲いかかった。暗黒騎士が背のリュックサックから剣を抜こうとするが、彼女は慌てない。自分の腕に絡みつこうとした枝をもう一度切り落とし、急ぎドアを蹴って閉め直す。枝はするすると中へと引っ込み、再び部屋の外は静まり返った。


「むやみに攻撃してはこないけど、やられたらこうやって反応するわけよ。私は足が速いだけだから、ひとりで立ち回るのは無理」


 だから増援を呼んだわけ、と鉈を置く。


「策は」


「一応考えた。ここ一階でしょ。裏から回ると窓があるから、そこを破って中に入れるかもって管理人さんが教えてくれた。茨がどの程度の物かわかんないけど、入り口の方は私がおとりになって引きつけるから、その間に斉藤が中の日奈子さんを救助するなり、説得するなり……」


 襲撃するなり、と続けようとしたのだろうが、結は遠慮がちに口を閉ざした。さすがに夫である荒井の前では憚られる言葉だ。可能性としては十分あり得ることだが。


「私はどうしますか」


「斉藤についてってサポートと、あと荒井さんが話したいって言うから連れてって、守ってあげて。何かあったらこっちに連絡とかも頼むわ」


「かの茨が激しく手向かいをすればいかがする」


「そしたら両面から強行突破。仕方ないよ。そのレベルだと多分……狂者ルナティックになってる。もちろん、ヤバくなったらさっさと引き上げて警察ね」


 リーゼロッテはうなずく。狂者ルナティック。極限までストレスを感じ続けた影響で、力に呑まれ理性を失った者。他人事ではない。ごく僅かな出来事がきっかけで変化してしまうことだってある。リーゼロッテは身をもって知っている。彼女自身の中にも一度宿った狂気だ。


「いいですね、荒井さん」


 強い口調に、荒井は悲壮な顔で、はい、と答えた。先に作戦自体は聞かされていたのだろう。彼も病者ペイシェントであるのなら、状況が切迫していることはよくわかっているはずだ。


 出来るだけ早く、助け出さないといけない。彼女が傷つく前に。あるいは、彼女が人を傷つける前に。


 トカノ社の三人はうなずき合う。結がぱん、と手を叩いた。


「よし、行動開始!」


 荒井日奈子——茨姫の救出作戦は、こうして開始した。

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