第2章 暗黒騎士、血に叫ぶ

第1話 暗黒騎士とプライベートメッセージ

 その日の午後、トカノ特殊業務社の従業員は葵川を除く全員が揃っていて、大机についた皆の前に戸叶とかの社長が一枚の紙を配った。自転車を買った後、リーゼロッテが父親からの荷物を一度受け取り拒否した頃のことだ。


「保健センターからの通達です。一応目を通しといて」


 ピンク色の紙に印刷されたその紙には、『特定健康食品への注意喚起』とあった。中央にはペットボトルや栄養補助食品らしき箱の、ぼやけた写真がある。


「最近、口コミでSMEの症状に効くとかって話題になってる食品類があって、問題になってるからむやみに買わないように、とのことです。本当にそんな売り文句で売ってたら薬事法違反だしね」


「え、これだいぶ注意するの遅くない?」


 つなぎ姿の錦木結にしきぎゆいが声を上げる。少し不機嫌な顔をした女性社員で、人より数倍速く走れる、という能力の持ち主だ。


「もうだいぶ前からネットとかで見かけますよ。なんか微妙ーなキャッチコピーで通販してる」


「駅前にも売ってる店があったね」


 穏やかな声は、一番年配の八重樫徹やえがしとおるだ。触れた物を実際より軽くすることができる。車の運転も得意で、外回りの実務、要するに便利屋的な仕事を結と共に行うことが多かった。


「そうなんだよね、お役所ってどうしてもさ。まあ、がんばってるのはがんばってるから、言わないであげて。ともかく、この辺のものは別に本当に効きやしないから、個人的にも買ったりしないように」


「身体に悪かったりするんですか?」


 リーゼロッテが手を上げて発言すると、戸叶社長は首を振った。


「食品衛生法は通ってるからね。さすがに毒じゃないよ」


『プラシーボ効果的なやつはあるかもしれませんけどね』


 机の上にちょこんと座った、ガラス細工なような透明の蝙蝠こうもりが呑気な声を上げる。葵川肇あおいがわはじめのものだ。これは彼の持つ能力で、遠隔で音を相互に届ける力を持つ。葵川は外回り中でも、この蝙蝠を通して社内の音を聞いているらしい。口の悪い結は盗聴趣味、などと言ったりもする。


「食べても問題はないけど、まあただの水やクッキーと同じということだね。……妻の実家から送ってきた時は難儀したよ」


 家庭持ちの八重樫が、気弱げに笑う。


「それじゃこのチラシあげるから見せてみたら? これ、まだたくさん受け取ってるのよ。で、本題は斉藤くんとリーゼちゃんに、病者ペイシェントのお宅に巡回と説明を頼みたいんだよね」


 ちらりと時計に目をやる。あ、もしかして、とリーゼロッテは少し期待してしまった。


「うん、時間的に直帰してもいいや。一緒に回ってもいいし、手分けしてさっくり終わらせてもいいし、任せます」


「わかりました」


 期待が叶ったことに内心浮ついたのもつかの間、隣から声が聞こえないことを訝しむ。見ると、斉藤一人さいとうかずと……暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは、少し固まった無表情でじっとチラシを見ていた。


「斉藤くん?」


 戸叶社長がもう一度声をかけると、暗黒騎士ははっと顔を上げ、上ずった声を出す。


「うむ、了解した。必ずやかの悪逆の商人の館を我が剣にて討ち滅ぼし……」


『それじゃテロだよヴァルちゃん』


 突っ込まずにはいられなかったらしい、葵川の声がたしなめる。


「ふざけた商売だけど、暴力で解決できる話じゃないよねえ。頼んでるのは家庭訪問か、お留守ならポスティング。お願いね」


 はい、と背を丸め、なんだか小さくなった様子の暗黒騎士はつぶやいた。




 各家庭には、ふたりで一緒に回った。いつもより元気のない暗黒騎士を放っておくのは心配だったし、お年寄りや子供には暗黒騎士の受けが良く、それ以外の層にはリーゼロッテの方が信用されやすい、という自然とできたフォローの分担を活かすためもあった。


「注意しておきますね、怖いなあ」


「えっ、そうだったんですか。うっかり買っちゃってました」


「効果はないと思ってはいるんですが、いただいてしまうと断りづらくて……」


 だいたいはそんな風におとなしく受け入れてくれたが、中には反発する者もいた。


「行政がもっとしっかり取り締まってくれないとどうにもなりませんよ」


「仕方ないじゃないですか、全然調子良くならないんだからこういうものに頼るしか……。知りたくなかった。なんで教えたんですか」


 ごちゃついたマンションの自転車置き場から愛馬を引っ張り出しながら、斉藤はひとつため息をつく。暗黒騎士の顔が出しにくい仕事の時は、彼はいつもどこか疲れた表情をしている。今日もそうだ。


 リーゼロッテは思い切って声をかける。


「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様」


 斉藤が少し表情を引き締めて振り返った。


「お疲れ様です。一通り終わりましたね」


「……うむ。大儀である」


 やはり元気がない。いつもであればもっと明るく答えてくれるのに。かような任務などちょちょいのちょいであるわ、とか。いや、ちょちょいのちょいは言わないか、とひとりで考えながら、リーゼロッテは言葉を探した。


「私、駅前の方に寄ってから帰るつもりですが、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様はどうされますか」


「我はこれより城へと帰参する。さしたる道のりではないゆえにな」


 そういえば、ここはこのあいだの医大の近くで、ということは暗黒騎士の家……魔城ヴァルガラールの近所だ。


「凱旋の狼煙のろしはそなたに任せたい。頼むぞ」


 社への連絡は頼んだ、ということだろう。リーゼロッテはうなずいて短い電話をし、そしてふたりは別れた。ゆっくりと遠ざかる暗黒騎士の背中はいかにも寂しそうで、どうにも心残りだ。


 あの人が私の相談を聞いてくれたのと同じように、こっちだってあの人の話を聞きたいと思っているのに。自分の力足らずをしんみりと肌で感じながら、自転車に乗ろうとする。その時だった。


 ザラドルーグが行き過ぎた地面にからりと音をして、見ると何かが落ちていた。近寄って拾い上げると、黒地に銀の竜の絵のケースに入った携帯端末だ。辺りを見渡すが人影はなく、暗黒騎士のポケットから落ちたものに違いない。声を上げたが、当の本人はもうだいぶ離れたところにいて、豆粒のようだ。反応はなかった。


 追いかけようか、それとも明日会社で渡せばいいだろうか、と少し迷う。その瞬間、端末が震えて、何かメッセージが届いたようだった。


『月乃:今から行くね』


 しまった、と思う。見てしまった。悪いことをしたな、というのと、月乃さんって誰だろう、多分女の人だろうけど、というのと、待受画面にも竜がいてよほど好きなのだな、というのと。ぐるぐると思考がひと回りして、星のように弾けた。


 すぐに届けないと、とリーゼロッテは慌てて自転車に飛び乗る。この間パトロール中に前を通って教えてもらったから、魔城ヴァルガラール……医大近くのアパート『コーポみらい』の場所はわかる。そう時間はかからないはずだ。


 軽やかにペダルを踏んで、リーゼロッテと『ソラちゃん』は駆ける。


 月乃さんって誰だろう。月乃さんって誰だろう。月乃さんって誰だろう。


 なんだか、そのことばかりが頭を巡った。

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