第5話 暗黒騎士とデリバリーサービス
「荷物?」
不思議そうな顔で、暗黒騎士はおうむ返しをする。ただの買い物の荷物なら別に良いのだが。
「……あの、父から。何度も荷物が送ってくるんです」
最初は引っ越してからすぐのことで、贈り物はなんと、机椅子一式だった。それも、かなり上等のものだ。もちろん、リーゼロッテは既にひと通りの家具は用意していたから、配送員に謝って送り返してもらった。今の後見人の立場である叔母にも連絡し、しっかりと注意をしてもらったはずだった。
食品会社の社長である父親とは、一年と少し前から関係が良くない。しかも、良くないと思っているのはどうやらリーゼロッテの方だけのようだ。いつも優しく、穏やかで、毅然として、そうして彼女を支配しにかかる父親は、いくら自分が苦しいと告げてもほとんど曲がることを知らなかった。
それからひと月ほどして、また荷物が届いた。今度はそれほど大きな箱でもなく、なんとなく受け取ってしまった。中身は洋服で、みんな彼女が好きな清楚な雰囲気のもので——トップスは白の繊細なレース付きのカットソーやブラウス、ボトムスは全部ふわふわとしたスカート。
特殊警備の仕事はあちこち動き回るから、上は汚れても良い格好、下はパンツとスニーカーを履いていかないといけない、と食事をしながら確か話したことがあったと思う。父は微笑みながら話を聞いてくれていたのに。
もちろん、休日は彼女もスカートを履くことはある。送られた洋服はどれも素敵で、働き出す前の彼女なら喜んで着ただろう。でも、今はそこに嫌なじっとりした意図しか感じられなかった。父は自分の話を少しも聞いていないか、それとも、聞いていてなおこう言いたいのだろう。お前はその仕事に合っていないから、早く帰って来なさい、と。
スカートのウエストに結ばれたリボンが、自分の身体をぐるぐると縛っているような、そんな気持ちがした。
叔母になんと伝えようか迷っているうちに、飽きもせずまた荷物が来た。今度はお菓子だ。父の会社、リンドー食品の商品がたくさん詰まっている。ひとりで食べるには多いし、人に配るのもなんだか嫌だった。賞味期限はまだ先だし、と困って先延ばしにしているうちに、また箱が来た。全部で三箱。さすがに邪魔になってきたし、どうにか処分しようと少しずつ食べていたら、体重が少し増えてしまった。
別に、縁を絶ったわけでも接触を禁じられているわけではない。東京にいた時は何回か会うこともあった。叔母やセンターの人と話し合って、今は距離を置いておいた方がいいという結論になっただけだ。以前痛い目を見た父親も、その方針に納得していたのだと思っていた。
でも、さらに外から手を伸ばそうとすることは、止める気はないらしい。
「……で、困っているんです。捨ててしまうのも悪いし」
「…………」
暗黒騎士は珍しく無言だった。少し意外だな、と思う。力強く斬って捨てるか、それとも優しく勇気づけてくれるか、どちらかだと思ったのに。
「……親はほんとに……」
途方に暮れた
「……困る」
「困りますね」
そのまま、斉藤は何も言わずに思い詰めるような顔をしていた。何か、彼は彼で家族関係に思うところがあるのかもしれない。そういえば、自分はこの人のプライベートを何も知らないな、ということにリーゼロッテは今さら気づいた。
「……社長なら……全部受け取り拒否しなさいって言うと、思う」
ゆっくりと、言葉を選ぶように斉藤は続けた。
「宅配の荷物もできるんですか」
「確か……配達の人に言えば、持って帰ってもらえる、はず」
ちゃんと調べた方がいい、と言いながら、白と橙に輝く空を眺める。
「……嫌な物は……受け取らなくていい。食べ物だって、送り返して、いい……。文句を言われるようなら、それは……愛情じゃない……」
声が震える。なんだか泣きそうにすら見えた。
「……と、社長なら、そう言う」
「そうかもしれません」
さっぱりしていて、臆せず物を言える人だ。きっと一番の解決策を提示してくれるだろう。
でも、彼女はまだどこか期待しているのかもしれない、と思う。子供の頃、色とりどりの贈り物に心から喜んでいた時の気持ちを取り戻せないものかと。それは、ただ自分を押さえつける鋭い爪の生えた腕に気づかなかっただけのことなのだけど。
リーゼロッテは、西の空を見た。夕焼けの光は色を増し、青は薄れつつある。心が迷いに落ち込みそうで、少しだけ震えた。家族と完全に別れる覚悟を、決めなくてはならないのだろうか。
「血の絆とは呪わしきものよ。我は既に煉獄に捨て置いたがゆえに、かような悩みとは無縁であるのだがな」
ひらりと愛馬にまたがる暗黒騎士は、でも、何かを振り捨ててすっきりと前に進めたような、そんな顔は少しもしていない。
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様」
リーゼロッテは呼びかける。
「私、自転車……この子の名前を決めました。ソラちゃんと呼びます」
それは、暗黒騎士の世界観とはまるで噛み合わない、子供っぽい名付けだった。空の青だからソラと、ただそれだけの。でもそれは、これから暗がりに飛び込むかもしれない彼女の、一筋の光だった。色褪せた夕暮れにも消えない、一握りの勇気だった。
暗黒騎士は、そんな思いを知ってか知らずか、口の端を軽く吊り上げる。
「良き名だ。そなたを遠き行く手まで導くであろう」
やがて、道の明かりがぽつぽつと灯り始める。暗黒騎士主従の姿はもうどこにもない。
その後、あの双子の話が警察から届くことはなかったし、リーゼロッテの元にはそれからも父親の荷物が届き続けた。
そうして、物語は静かに転がり始める。
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