第4話 暗黒騎士とエアバッグ
リーゼロッテは目を見開いた。運転席の人影が、はっと我に返ったような顔でこちらを見ていた。スローモーションのように不思議とゆっくりした意識で目が合う。避けられるはずもない。受け止められるような力もない。暗黒騎士が彼女の腕を掴み、引くが遅い。このままでは、四人とも――。
ぼん、と鈍い音が響き渡った。
腕を引かれたリーゼロッテは少しだけたたらを踏み、そして信じられないような気持ちで車を見つめていた。彼女のほんの少し前方で車は何かにぶつかったように急停止し、軽く前方がへこんでいる。タイヤはそれでもぎゅるぎゅると回転していた。
あの男の子ふたりが、両手を前に突き出し、眉間と口元にぐっと力を入れた顔で立っていた。
「車の方」
「やってる」
黄色いシャツの方の子供が歯を食いしばる。やがてタイヤは静かに回転を止め、エンジン音も聞こえなくなった。リーゼロッテは自分と車との間に見えない何かがあるのを感じ、手を伸ばす。透明な、空気をぱんぱんにしたビニールのような手触りの壁がある。これが最初に車を止めたのだろうか。
ふたりがほぼ同時に手を下ろすと、壁はそのまま溶けるようにして消えていった。自動車も止まったままだ。とっさに衝突させただけでなく、エンジン自体もぴたりと止まっている。
「これ、あなたたちが……」
リーゼロッテが口を開きかける。ふたりの子供は顔を見合わせた。
「リーゼロッテ! 来るが良い!」
暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードが車に駆け寄り、叫んだ。見ると、中では運転者がエアバッグにもたれてぐったりと意識を失っているようだった。彼は背負ったリュックサックから剣のような形のものを取り出す。
「剣?」
「でもあれ……」
ダンボールだよ、とどちらかがつぶやいた。暗黒騎士はそのまま、少し折り癖のついたダンボール剣を構える。リーゼロッテは知っている。あれは、ただのふざけた玩具ではない。
「『秘神皇斬・ワグナガルド=ヴェルクォドル』」
暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードの持つ力……その一部。手にした物体を鋭い剣と化し、対するものを切断する。技の名前は特に能力発動とは関係なく、彼の趣味だ。
車の閉ざされた窓は、見る間に斬り破られた。リーゼロッテは駆け寄り、中を覗き込む。
「外傷はないみたいですけど、どこか打っているかもしれません。一応、処置をしておきます」
手を差し入れ、中の初老の男性に触れた。温かさが手のひらに集まる。相手の生命力を利用し、負傷を治す。これがリーゼロッテの
怪我をさせてしまったかもしれないのは無念だが、あのままの速度で突っ込んでいたら誰かは重傷を負っていたかもしれないし、車も背後の塀にぶつかって無事で済んだとは考えづらい。とにかく、最悪の事態は逃れたと思った方が建設的だ。
後ろでは暗黒騎士が、『斉藤くん』のモードで警察と救急に連絡をしている。これで大丈夫、と車外に視線を戻し、子供ふたりに向き直る。
「ええと、それで、さっきのあなたたちの力について聞きたいんですが……」
「すっごい」
「斬っちゃった」
ぽかんとした顔のふたりは、はっと何かに気づいた顔になる。
「大変大変」
「お父さんにばれちゃう」
「戻らないと」
「急げ」
リーゼロッテが制止しようとしたのを振り切り、ふたりはわたわたと走り出す。待って、と呼びかけながら追いかけたが、すぐ傍にあった大学の門の中に見失ってしまった。息を切らしながら彼女は事故現場に戻る。
「すみません、逃がしてしまいました。お話を聞きたかっただけなのに……」
構わぬ、と暗黒騎士は鷹揚だった。
「この学府に縁ある者であるのは知れている。いずれまた身柄のわかる日も来よう」
警察にはいろいろと聞かれるかもしれないが、そこは正直に答えるしかない。公的な場では口下手な先輩の代わりに、あれこれと説明をするのはリーゼロッテの役目だ。自然な役割分担に、ふたりはいつの間にか慣れてしまっていた。車の中の男性はいてて、と声を上げながら意識を取り戻したようだ。
「初陣がなかなかの一大事であったな、ザラドルーグよ。しかし、無事で何よりだ」
傍らに停めていた自転車をぽんと軽く叩き、暗黒騎士は微笑んだ。リーゼロッテは空を見上げる。夏の初めの晴れた青空は、ちょうど彼女の自転車と同じ、綺麗な水色に染まっていた。
あれこれと聴取があって、会社ともやり取りをして、帰ったのは西の空が
(お父さん、か)
子供たちが何度も口にしていた言葉を思い出す。その呼び方には、心からの信頼が込められているように思えた。
ザラドルーグは力強い走りで前を行き、暗黒騎士の髪を風に揺らす。やっぱり、自転車は話しづらいのが難だな、と思った。思った時に、少し汗に濡れたTシャツの背中が、不意に止まって振り返った。
「そうであった、リーゼロッテ。何やら我に語るべき儀でもあったのではないか」
ブレーキをかけ、あ、と口を押さえる。何度か口に出そうとして出せなかったのを、彼は気づいていたらしい。
彼女のことを、気に留めていてくれたのだ。
「先日よりそなたの目に映る憂いの炎を……」
少し首を傾げ、それからもごもごとつぶやいた。
「……何かあったなら、話してほしい」
斉藤は、淀んだ目に真摯な色を宿してまっすぐに彼女の方を見た。この目にはどうも弱い。一度大きな迷惑をかけた身だ。やはり、きちんと相談をしないといけないな、と思った。
「……あの」
どこから話そうか、としばし考える。思い出すたびにもやもやした気持ちが蘇り、理性の邪魔をする。必死で振り払う。そして、なんとか端緒を見つけた。
「……荷物が、来るんです」
リーゼロッテはそれだけ、どうにかつぶやいた。
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