第3話 暗黒騎士とパワーショベル
蝉の声を聞きながら、行き慣れない街を自転車で走る。時々地図を広げ、印のついた家を探した。印は、
特に、新しく引っ越してきたご家庭には念入りにね、と指示をされた。環境が変わることで精神の平衡を崩す
「……何か心配なことがあれば、すぐにお電話ください」
暗黒騎士の顔を出したり引っ込めたりしながら、斉藤はどうにかトカノ社のアピールに成功していた。もちろん、リーゼロッテもしっかりと、不測の質問に弱い先輩をフォローする。おかげで新しいご家庭にもどうやら、それなりに信頼を置いてもらえたようだった。
次回はもっとあちこちを細かくパトロールしなければいけないのだな、と道を覚えながらペダルを漕ぐ。日差しが強いから帽子をかぶって行きなさい、と社長が言うので、母親ってこんな感じだろうか、と思いを馳せたりもした。
暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードの駆るザラドルーグは、速すぎも遅すぎもしないスピードで彼女を先導している。自転車に乗っていると喋りづらいのが難点だな、と思った。本当は、話がしたかった。ここしばらくの彼女の憂鬱について、聞いてもらいたかったのだ。
やがて二台の自転車は、蔦の絡む少し古い塀が続く道へと入っていく。
「ここが医大ですか?」
少し大きめに声を上げると、暗黒騎士は小さく首を縦に振った。キャンパスは地図で見た時の印象よりも広く、どこまでも塀が続いていくように思えた。
「……あ」
暗黒騎士がスピードを緩め、やがてブレーキをかけて止まる。リーゼロッテもそれに続いた。彼は車道から歩道の端に自転車を上げ、そして向かいの道、塀の向こうを振り仰ぐようにする。何かあったのかと思いきや。
「見よ、リーゼロッテ。
見上げた先には、当然竜の姿はない。ただ、解体工事中なのだろう、半ば崩れた建物と、轟音を立てながら動く大きなショベルカーがあった。新しい研究棟を建てると言っていたから、そこの予定地なのかもしれない。
なるほど、アームをくねらせる動きは巨大な竜の首のように見えなくもない。いつもの暗黒解釈だ。リーゼロッテはすっかり嬉しくなってしまう。
「大きいですねえ。何をやっているんでしょうか?」
「血塗られしその牙で獲物を屠り、引き裂いているのであろうな」
案外血なまぐさかった。
「生きとし生ける者の摂理よ。強ければ生き残り、弱ければ命を失う」
「シビアなんですね……」
骨を噛み砕くような力強さで壁を破壊していく重機を、暗黒騎士はどこかわくわくしたような顔で見つめている。竜はもちろん好きなのだろうし、もしかしたら工事現場そのものも好きなのかもしれないな、と思った。
「でも、竜なんて退治しなくて大丈夫なんですか?」
ふと浮かんだ疑問を口にしてみる。
「我と竜は共に生ける邪悪……殊更に敵対する理はなし。ましてやかの者は人に飼われし身ゆえに」
しかし、と暗黒騎士は続ける。
「ひとたびその高貴なる魂を堕し
「ユンボだよ、正樹」
「おっきい」
「別名、油圧ショベル」
「首が長いね。ブラキオサウルスっぽい」
双子かな、と思った。なんとなく表情が乏しくて、淡々と喋るのが不思議だったが、重機や恐竜が好きそうなところはいかにも小学生らしい。
「……えー、まあ、首を刎ね飛ばし、介錯とせねばならぬな。我がかの竜に敵することがあるとすれば、その時よ」
暗黒騎士がなんとなく据わりが悪そうに続けた言葉に、男の子たちは顔を見合わせた。
「竜」
「竜だって、弘樹」
「あれのこと?」
「竜なんですか?」
小さな手が重機を指差し、暗黒騎士に問いかけた。彼はほんの少し逡巡し、そしてまた暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードの顔に戻って勢い良くうなずいた。
「左様! あれこそがかの悪逆非道の黒曜竜、ヴァラムガラッシュの末路である」
新しく名前がついたので、人が増えてテンションが上がったのかな、とリーゼロッテは推察した。男の子たちはおおー、と感心しているのかしていないのか、よくわからない声を上げる。
「あくぎゃくひどう?」
「すごく悪いって意味ですよ」
リーゼロッテは補足する。
「悪い竜なんだ」
「悪いんだ」
「えっと、でも今は人の役に立っているから良い竜なんですって」
なんとなくフォローを入れてみる。教育的に良くないかもしれない、と思い至ったのだ。
「暴れたのかな」
「暴れたから捕まっちゃったんだよ」
相変わらず声は淡々としているが、ふたりの会話はピンポン玉が弾むように軽快だ。
「まあ、ユンボだけどね」
「カミナリ竜の方が好き」
子供は無粋で、時に残酷だった。暗黒騎士は慣れた様子で軽く首を振る。
「まあ、そう言う地方もあろう」
方言とかの問題なのかしら、と思った。彼の夢想は、時折現実にぶつかっては自信なさげに引っ込んでしまう。そこが優しくて、どこか不憫だ。
「あなたたちは、この辺の子なの?」
よく考えれば今日は月曜の昼間で、夏休みに入るのにも少し早い時期だ。学校はどうしたのだろうかと気になり、尋ねてみる。
「ううん。お父さんのお仕事について来てる」
「お父さん、中でお仕事のお話してるの」
ふたり揃って塀の向こうを指差す。なるほど、大学の関係者らしい。特殊な事情はありそうだが、納得はいった。
「もうちょっとしたら、こっちの家に住むんだよ」
「学校にも通うんだって」
ね、と顔を見合わせるのがなんとなくかわいらしかった。
「であれば、我らは再び
「さだめ?」
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様は、『ご近所さんだからまた会えるかもね』とおっしゃってます」
再び、ふたりはおおー、と無表情だった顔をわずかに輝かせる。やはり暗黒騎士というワードは子供には効果絶大だ。
「暗黒騎士なんだ」
「普通に見えるよ」
「名前が長いね」
「騎士なのに自転車に乗ってるの?」
これは我が愛馬ザラドルーグであり、今現在も熾烈にして重要なる任務の途上なのであるぞ、などということを子供たちに言い含める暗黒騎士は、やはりなんとなく楽しそうに見えたし、暗黒騎士が楽しいということは、リーゼロッテも心がふわっと嬉しくなるということだ。どういう理屈かはわからないが、ずっとそうだった。
「ああ、でもそろそろ先に行かないと……」
何気なく車道の方に目をやった瞬間。
妙に速い速度でがたがたと揺れながら、一台の軽自動車が進んでくる。明らかに中央線を無視してくねるように曲がる。リーゼロッテは目を瞬かせ、え、と小さく声を上げた。
その車は、彼らの立ち止まっている辺りに向け、まっしぐらに猛スピードで突っ込んできたのだ。
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