終章 暗黒騎士、春に謳う
最終話 暗黒騎士の夢現回帰
次は瑞野、とアナウンスがかかる。立ち上がってリュックサックを背負った。中には肌身離さず持ち運んでいる『れんごくの書』と、何代目になるかわからない、ダンボールの暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーが収められている。『れんごくの書』は先日コピーをした写本だ。劣化してちぎれかけたオリジナルは、部屋の棚に眠っている。
朝は少し荒い人の波に押されながら歩く。彼の視界には、二年前に建て直された近未来的な銀色の駅舎と、薄暗く湿った深淵の迷宮が二重写しになっている。時々誰かにぶつかりかけては現実に戻り、軽く頭を下げる。
広くもないコンコース奥には市のマスコットの小さな銅像があって、そこが待ち合わせ場所だ。着いたと連絡を送るべきか、待つべきか、少し逡巡する。文面を打ちあぐねているうちに、『着きました』と向こうから連絡が来た。返事を返すべきか否かでまたおたおたと、視線を端末と通路との間で彷徨わせる。新年度に向けて気を引き締めねばならないというのに、心は途方に暮れて……浮かれている。
急行電車から降りた人たちが、こちらに向け歩いてくる。その間からひょこりと、小柄な影が飛び出す。黒髪を肩より短いボブにして、活動的なパンツスタイルは、以前より似合うようになったろうか。白と水色のストライプのシャツが爽やかだ。
「お久しぶり……一年ぶりです」
「……うん」
顔を合わせたら、言いたいことがいろいろとあった気がする。少なくとも格好いい暗黒騎士として、ようやく復帰した後輩を導いてやろうとそう思っていたのだが、全部忘れてしまった。
「私、帰ってきました」
一年の間に、いろいろとあったのだとは聞いていた。お父さんとケンカしちゃいました、と伝えられたこともある。その文面に添えられた桃色の花の絵文字には、ようやくちゃんと言い返せたんですよ、という誇らしげな気持ちがこもっているようにも思えた。リーゼロッテ……鈴堂小夜はしばらく親元を離れ、叔母の元で暮らしていたと聞く。再指導と研修の結果、ひとつ上の乙種免許を取り直し、他にもいくつか資格を勉強中なのだそうだ。
「……今日は休みだから。社長に引っ越し周りいろいろ付き合ってやれって、言われてる……」
「なんだかご迷惑おかけしてすみません」
遠慮がちに小さくなる。連絡は取り合っていたとはいえ、しばらく離れていた影響はどうしても拭えない。そのうちにまたきちんと打ち解けられるだろうか。
「……俺が、やりたくてやって……うーん」
頭を掻き、それから意を決して姿勢を正した。
「何を
隣でスポーツ新聞を読んでいた男性が、びくりと震えた。
「そなたは何も言わず、我に忠義を尽くし……時に、笑みを見せてくれればそれで良い」
リーゼロッテは応えるように目を細め、遠い山の雪解けのような笑顔を浮かべる。ああ、この顔がずっと見たかった、と思った。
「はい、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様……でも」
何事か付け足しがあるらしい。なんでも聞くつもりだった。なんだっていい、話がしたかった。
「私、夢があります。まだしばらくは侍女でいたいですし、お姫様も素敵でしたけど……。でも、でもいつか、あなたみたいに強くて格好いい騎士になって、一緒に戦う夢です」
ごく真面目にそんなことを言う顔を見て、ああ、いいな、と思った。
いつかふたりで、踊るように刃を交わした。あの時の高揚を、今度は背中合わせに感じることができたら。それは、きっと何よりも素晴らしいことだろう。
彼女の夢は、その時、彼の夢にもなった。
「……それは良いな。我が蒼穹の高みまで追って来るが良い。待っているぞ。リーゼロッテ」
「はい!」
暗黒騎士主従はしばし笑い合い、そしてゆっくりと歩き出す。
「まずは新たなる城を確かめねばなるまい! 秘された扉を開く
「はい、しっかりと持っております」
「城の主への供物も忘れるでないぞ」
「大家さんと、お隣と、あと下の部屋の方にお菓子を用意しました」
「うむ。終焉の暁には外つ国にて花の宴と参ろうぞ」
「今年はお花見ができそうで嬉しいです。新しいお家の近くには、桜並木もあるんですよ」
「上々! 征くぞリーゼロッテ!」
道を曲がろうとしたところ、パーカーの裾を思い切り引っ張られた。
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様! 行き先は東口のバス停です!」
「えっ、あれっ、間違えた……会社はいつも西口だから……」
欠けたところだらけ、妄想に満ちたふたりの遊戯は続く。その旅路も、また。
詩人には語られぬ、決して公には記されぬ暗黒の騎士の物語。その呪われし伝説の記述は……きっと春の青い空の下、穏やかに流れていくのだろう。
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