第7話 暗黒騎士と書類事務

「うーむ、書類……書類がめんどい」


 戸叶まゆみは机の上の紙束をトントンと叩いて揃え、げっそりとした顔になる。窓の外は既に薄暗い青に染まりかけていた。


「葵川くん手伝って……」


「社判勝手に押していいならいいですけど。僕ハンコ押すの好きなんで」


「君にそんなの任せたら、何されるかわかんないでしょ」


 葵川はキーボードを叩きながら、けらけらと笑った。


 従業員の狂化と暴走は、トカノ特殊業務社に多少の痛手をもたらした。とはいえ、人的被害がほぼ社内で収められたこと、鈴堂小夜が未成年で、かつ試用期間中のアルバイトであったこと、社外の負傷者も狂者ルナティック当人の身内であったことなどを鑑み、処分自体はそう重いものにはならなかった。短期間の営業停止と、従業員の再指導と再検査、そして戸叶の目の前の大量の書類である。ペーパーレス化は遠い。


 ガラス扉には、今回の騒動のお詫びの張り紙が貼ってある。ご近所の信頼はまた少しずつ積み上げていかねばならない、とこれはまた別の話だ。


「しかし、処分後にそんなに書くものあるんですね」


「これね、法的ななんかというよりは、保健センターへのフィードバック目的が多いのよ。狂者ルナティックになるケースってやっぱり少ないからね。貴重なサンプルってわけ」


「実験をするわけにもいかないですしねえ」


 ぎ、と椅子を軋ませて背もたれに寄りかかる。結と八重樫は外で実務、斉藤は負傷の治療と症状の進行を抑えるために休暇を取らせている。


「……ヴァルちゃんのあれも報告したんですか」


「あれねえ、どう書いたものかわかんなくてさ……。一応正直に暴走しかけたことは言ったんだけど」


 机に肘をつき、口を曲げる。暗黒騎士化はともかく、辺りの景色まで歪めたのはよくわからない。書類もその辺りで詰まっている。そこに、葵川が身を乗り出した。


「僕ちょっと仮説があるんですよ。聞きます?」


「黙ってても話すでしょ。どうぞ」


 葵川はこほん、と咳払いをした。


「僕らの力はまだ完全に解析されてなくて、まあ見えてるとこだけをさらってこれこれの能力、って決めつけてるわけですよね。だから、間違ってたり変化したり成長したりってこともあり得ると」


 そう言われてるね。戸叶は相槌を打つ。


「ヴァルちゃんの力は触ったものを剣にすると思われてる。実際起こってますしね。でも」


 笑ったような目が、ちかりと光った。


「それは氷山の一角で……もっと大きな規模の能力だとしたら」


「ふむ?」


「たとえばですよ。なんて言えばいいかな……『ごっこ遊びに周囲を巻き込む能力』」


 戸叶は目をぱちくりと瞬く。なんというか、かなり荒唐無稽な仮説だ。


「『物語に引き込む能力』って言った方が格好いいかなあ。極論を言うと、僕らが普段彼のいつもの言動を良しとしてる、そこまで能力の範囲だってこともあり得る、とか」


 精神作用あり、との履歴書の記述を思い出す。


「……あんまり趣味はよろしくないよね、その想像は。剣の能力が物理的なアレだけじゃなくてメンタル面に影響してるかもって話はあるみたいだけどさ」


「だから、仮説で邪推ですよ。でも、あの時の幻はそんな感じしませんでした? 八重樫さんもつい乗っちゃったって言ってたし。同じ世界を見せる能力。自分の持つ前提を共有する……」


 彼は一度口を閉ざし、言葉を探すようにしばらく考えてから小首を傾げる。


「んん、やっぱりごっこ遊びなんだよなあ。暗黒騎士ごっこ。遊ばずにはいられないんですよ、きっと彼。……それと、僕らも」


 そうかもしれないな、と思う。あまりに真剣に遊ぶから、こちらもつい許してしまうのだ。戸叶はもうきっと一緒に走り回ることはできないが、それでもその様を見ていたいと思う気持ちはある。


「僕らの力も同じように、見えているものとは違う、もっと大きくてすごいことができるものだったら。そう考えると、少し楽しくなってきませんか」


「……葵川くんにまで暴走されたら困るんだけど」


「僕だって困りますよ。ただ、一生付き合うものなんだから、ちょっとくらい夢が見たいじゃないですか」


 愉快そうに笑った葵川が、ふと真面目な顔になった。


「リーゼちゃん、どうなるんですかね」


 ぽつりとつぶやく。結果的に彼女の暴走のきっかけになってしまったことに関しては、葵川はかなり後悔をしているようだった。


「年が年だし、保護者の監督下に置かれるのが筋だけど。あたしだいぶ口酸っぱくして言ったから、少しは考慮されてると思いたい」


 本人ときちんと話した上で、わざわざ東京まで出て、担当員に面談までしたのだ。軟禁はともかくとして、父子の関係があまり穏やかなものではないことは把握されていたらしい。彼女の叔母ともよく話し合った。出来る限り力になると言ってくれたが。


「……お節介かしらね、こういうのは」


「まあ、そうですよね」


 この野郎、とにらんでやる。


「まあ、後は担当者さんとか法律関係のお仕事。なんにしろリーゼちゃん、しばらくは免停だろうし、斉藤くんも寂しいだろうな。葵川くん、たまには遊んであげなよ」


「いいんですけど、僕がせっかく設定覚えて話しかけても、ヴァルちゃん結構忘れてるんですよね」


「ふたりとも気質がマニアなのに、その辺は合わないんだ」


「スタンスの違いってやつですね。僕がファンで、あっちはクリエイターだから……。ああ、今のはヴァルちゃんには内緒で」


 葵川は軽く笑って、またパソコン作業に戻る。先ほど訪ねてきた乃木が分けてくれた、つやつやとした桜桃をもぐもぐと食べながら。戸叶はため息をついて、『実際に起きた現象について』欄に『幻覚(暗黒騎士)』と渋々書き込んだ。

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