第4話 暗黒騎士と逢魔剣戟
「斉藤くん、結ちゃん大丈夫?」
「これ完全戦闘入ってますね、返事してる余裕なさそう」
ふっと空中にもう一匹透明の蝙蝠が生まれ、朝の空気に溶け込みながら羽ばたいていく。
「リーゼちゃん宛に飛ばしました。まあ、ぶっちゃけ車のが早いと思いますけど……」
「言って葵川くん、現場に突っ込む気ないでしょ?」
「まあ、怪我したくないですしねえ」
ふたりは緊張した顔で笑い、バンに乗り込んだ。シートベルトを締めると、八重樫が車を急発進させる。『交通安全』のお守りが軽く揺れた。
「誤算だらけだわ。お父さん、うちにまず顔を出すと思ってた」
「普通ならそうでしょうねえ。もしかしたら、道の向こうとかでリーゼちゃんを見かけて追いかけたのかも。後手後手になっちゃったな」
いかにも不満そうな顔で、葵川はシートに寄りかかる。リーゼロッテ……
『受けてみよ、我が戦慄の太刀筋』
「……ヴァルちゃん、こんな時でも元気っすね」
ぽつりと葵川がつぶやく。
「普段通りにしてるなら、安心なんじゃないのかな」
八重樫がハンドルを切りながら言った。
「そうかな……あたしは心配」
戸叶は膝の上でぎゅっと両の手を握る。視界がぐらぐらと揺れる。不安で押し潰されそうだった。リーゼロッテはもちろんのこと、斉藤も、きっと無理をしている。内気で、真面目で、優しい子だ。彼女は、あの大きなひび割れがこれ以上広がらないようにと祈る。
「とりあえず、公園の横で停めます」
「ありがと。ここで様子を見よう」
滑り込むように停止したバンの中、リーゼちゃん、と葵川が蝙蝠に呼びかける。
「聞こえる? まだ間に合う。戦闘行為を止めてくれないかな」
『……嫌』
低いつぶやきが帰ってきた。対話が不可能ではない、と三人は顔を見合わせる。戸叶が引き取った。
「ゆっくり話そう。あたしの落ち度で嫌な目に遭わせたよね。ごめん」
『社長……社長もいらしてるんですか』
斉藤が叫ぶ。多分、いつもの技の名前だろう。きん、と何かが斬れて飛ぶ音がした。
「近くにいる。リーゼちゃん。あたし達はあなたを助けたいの。なんならそっちに行っても……」
「社長、だめです!」
ざっ、と無数の蝙蝠が窓の外へ飛び立つ。蝙蝠はあちこちに散開、互いに連携し、外の音の様子を正確に葵川へと届けるのだという。
『私から、行きます』
「八重樫さん、車出して!」
葵川が叫んだ瞬間、横合いのツツジの植え込みからリーゼロッテが飛び出す。車が大きく揺れて急発進し、彼女を引き離した瞬間、何か鋭いものが伸びて後部ガラスに突き刺さり、べきりと折れた。
「……爪」
中まで届いていたらと思うと、ぞっとする。
葵川の元にふわふわと一匹、蝙蝠が帰ってくる。リーゼロッテの元にいた一匹だ。意思の疎通は無理と見たのだろう。
『そちらは無事であるか。今追う』
『おっさん、うまくこっちに来てお父さん乗せられないかなあ? 病院に連れて行かないと……』
斉藤と結の声が届く。まだ疲労の色は少ない。戸叶はほっと息を吐いた。
「リーゼちゃん、だいぶ戦い慣れしてきてる。気をつけて。おまけに、どうも怒りっぱなしみたいだ」
「……そろそろ、警察を……」
葵川の助言の横で、戸叶は苦渋に満ちた声を出す。できるだけ身内で済ませたかったが、そうもいかないようだ。何より怪我人が出ている。地域に被害を広げるわけにはいかない。
『待ってください』
斉藤の、斉藤一人の声が震えた。
『……俺がどうにかします。させてください。お願いします。誰も呼ばないでください』
「つってもヴァルちゃんさあ、あれどうすんの、止められる?」
『たとえ刺し違えてでも』
「物騒なんだよ! もうちょっとこう現代的に……」
葵川と斉藤の言い合いを背に、八重樫さん、と戸叶は指示を出す。
「もう一度公園の方に。怪我人を保護しないといけないし、ふたりだけに任せてもおけない」
「僕も出ますかね」
うなずく。バンなら彼女や葵川も運転できる。
「迷惑だけど、車や人が来なさそうな道路に誘導して。お父さんを確保したら八重樫さんが行くから、三人で連携」
『承った』
『了解』
社長、と運転席の八重樫が短く声をかける。
「……彼女は、どう見えました」
戸叶の能力、ひび割れた視界の話をしているのだ。彼女は唇を噛む。
「ボロボロになってた。表面があちこち剥がれて、真っ赤な地がのぞいてる。
そうですか。八重樫はブレーキを踏む。周囲に戦闘の気配はない。
「それなら、我々が拾って戻してあげないといけませんね。彼女の落としてしまったものを」
うん、と戸叶はうなずき、ドアを開けて車外へと出ていく。公園の中央付近、ベンチにほど近い場所に、血を流して倒れ伏す男性がひとりいた。
◆ ◆ ◆ ◆
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。リーゼロッテは少しずつ、心が黒い海に飲まれ、麻痺していくのを感じる。あちこち破けたドレスはすぐにざわざわと修復される……されてしまう。殻の中で悲鳴を上げている自分がいるのも感じる。でも止まらない。
私、なんでここにいるのだったっけ。
記憶がおぼろげになっていく。ただ、ものすごく怒っていたのは確かで、相手は、確かに信じていた人たちで、だから余計に悲しかった。
私、どうなってしまうのだろう。
これはすぐに思い出す。悪いお姫様は征伐されないといけないのだ。追われて、攻撃されて、それでも元に戻らなかったら処分される。もっとずっと強い人たちが来て無理やり捕まるか、最悪の場合、殺されてしまうのだ。
嫌だなあ、と思った。殺されることが、ではない。どうせならあの人がいい、と思った。
短い間だけど、ずっと一緒にいた人。おかしな先輩で、格好いい暗黒騎士で、いつも遊んでくれた、大好きな友達。あの人の剣になら、きっとこの身を貫かれたっていい……反対に、私が首を刎ね飛ばしてもいい。
高速で走る結を追いかけていたら、いつの間にか周囲は狭い道だ。コンクリートの塀の向こうには民家の緑、車両進入禁止の標識が立っている。見上げる空は抜けるような青。
足音がした。胸が高鳴る。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードが、暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーを手に駆けてくる。
リーゼロッテの目には、翼のようになびく黒いマントがありありと見えていた。たとえその姿が、あちこち破れたパーカーと、よれたジーンズにスニーカー姿、ダンボールの剣を掲げたただの滑稽な青年だったとしても。
「この地にて決着をつけるべし。姫」
ええ、一緒に遊びましょう。彼女は両腕を広げる。
逢魔の宴はこれからです、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様。
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