第3話 暗黒騎士と人命救助
斉藤は何度かドアを乱暴に揺さぶるが、開く様子はない。何かが引っかかっているのか、それともドア自体が歪んだか。やがて、いつもの少しおかしな目つきで結に向けてこんなことを言い放った。
「
緊急時、斉藤は暗黒騎士をしていても、できるだけ回りくどい言い方を避けている気がする。そういうところはまあ嫌いではないのだが、それならいっそ普通に話せよとも思う。
「そりゃそうでしょ、南さんの体調が一番……」
「うむ。その者の命を何よりの宝として扱う、その指針に偽りはないか」
「ちょっと待って、あんたもしかして」
少し頭を押さえる。何をやろうとしているかは、なんとなく読めた。許可をよこせと言っているのだ。しかし。
床で南がうめき声を上げる。具合が回復したようには見えない。このままではきっと、もっとずっと悪くなる。
「……わかった。いいよ。人命が最優先だよね。あとは私が社長と頭を下げる。やっちまえ、斉藤!」
こくり、と斉藤はうなずき、声を張った。
「リーゼロッテ、我が暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーを持て!」
えっ、とリーゼロッテは辺りをきょろきょろと見回し、隅のロッカーから柄の長いモップを取り出して斉藤に……暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードに手渡す。
「これでよろしかったですか」
彼は力強くうなずいた。
「良し。下がっておれ」
そして、漫画のポーズみたいにモップを構えた暗黒騎士は息をすう、と吸い込んで一太刀、二太刀。
「『光明破断・アズガルグル=フェネンシス』」
金属製のドアが斬撃で分断され、外に向けて崩れ、倒れ込んだ。少しだけ温度の低い空気が流れ込んでくる。
「……斬れるんですね」
「我が剣は決して刃をこぼさぬ不滅の剣。たかが鉄扉など敵ではないわ」
暗黒騎士は結を見、顎で外を示す。
「行くがいい、錦木結」
どうもいちいち偉そうなんだよなこいつ、と少しだけ腹が立つが、そうも言っていられない。結は軽くしゃがみ背を南に向ける。
「おっさん、乗せて」
とさ、と彼女の肩に軽い負荷がかかる。重みはあるが、体感では実際の体重の半分以下だ。中身の詰まった大きなリュックサックを背負っていると思えば。
「全然、いけるっ!」
結は立ち上がる。そうしてオフィスを出、軽く走り出す。外のエレベーターが止まっていることに気づき、迷わずに階段へ駆けていく。
その疾走は徐々に速度を増し、風のようなスピードへと変化する。全速で進みながらも、彼女の目は冷静に景色を見据えていた。衝突するなんてへまはしない。どこまでも、ひたすらに駆ける。駆ける。
道路では、軽い事故を起こした車が立往生していた。やはり徒歩で正解だったのだろう。背中に南の心臓の音を聞きながら、走る。
私は何を思い上がってたのだろう、と思った。いつもどんくさい八重樫は、誰より冷静だった。馬鹿みたいなごっこ遊びばかりやっている斉藤は、道を斬り拓いてくれた。自分がひとりがいい、なんてぴりぴりしているうちに、みんなはお互いを支えるように動いてくれていたのだ。
走る。風が心地よい。昔の何倍もの速さを手に入れても、これだけは同じだ。背の南が落ちないように体勢を直し、ビル街を抜けて病院の前へ。滑り込むようにざざ、と止まり。
昔、何も考えず、ただ走るために走っていた。それはとても気持ちが良かったけど……でも今、誰かのために、とかそういう走り方をするのも、嫌いじゃない。
彼女は救急の受付に駆け込んだ。背中の身体を横たえようとした瞬間、それは突然正しく重みを増す。結は自分が背負っていた物の重さを噛みしめるように、ゆっくりと南の身体を椅子に下ろした。
◆ ◆ ◆ ◆
「あっ、お帰りなさい。錦木さん」
大きな箱をいくつも抱えたリーゼロッテは、無残に崩れたドアの向こうに錦木結を発見すると声を投げかけた。結は疲れた顔で、髪もぼさぼさに乱れている。とりあえず残った人員で引越しを済ませようと動き、机椅子はどうにか運び終えたところだ。暗黒騎士は新オフィスで荷物を解いている。
「あっ、エレベーターもう復旧してた? なんか思い込みで階段登っちゃったよ……」
「お疲れ様」
「……ども」
ふう、と息をついて、ペットボトルの水をごくごくと飲む。その顔は、ほんの少し満足げだった。
「とりあえず過労だって。今日は入院するみたいだけど、まあそんな大事にはならないで済んだっぽい。社長と、あと南さんの上司の人には連絡しといた」
「ドアは……」
「とりあえずは仕方がないって話。まあ、ビルのオーナーがどう言うかはわかんないけどさ」
「斬らなかったら結局蝶番外して撤去してたんだから、同じことだろうね」
八重樫は少し堅い表情でそう言う。先ほどまで、えらそうにしてしまったとかなんとか、かなり落ち込んでいたのだ。結には内緒だと、そう言われた。『感情型』にもいろいろな表れ方があるのだと思う。
「あの、錦木さん。ちょっとごめんなさい」
リーゼロッテはおずおずと進み出る。何が?という顔をされた。
「私さっき、何もお役に立てなくて。何かできればと思ったんですけど……」
「ああ、何、それかあ。気にすることないのに。できる時に動けばいいって話」
リーゼちゃんは真面目だねえ、と笑われる。そして、腕を差し出された。
「いつものケア、お願い。今日は肩も腕も相当キてるから、そっちもよろしく」
結の力は筋肉に負担をかけるらしく、今までは翌日筋肉痛が残っていたのだという。リーゼロッテが治癒をするおかげで、回復が早まり楽になった、とよく礼を言われる。
それでいいのだろうか、役に立てているのだろうか。信じて、いいのだろうか。不安が心にさざ波を立てるが、抑え込む。
リーゼロッテは結の腕を取った。
「……リーゼちゃんも、自立したかったんだっけ」
「え? はい。そう、ですけど……」
治癒の力を注ぎ込みながら、なんで今そんな話を?と小首を傾げる。
「いや、私も昔そんなんだったなって思って。でも、結局その時も社長に助けてもらったんだよね」
今日ちょっとそのことを思い出した、と結は少し懐かしそうに語る。
「みんなに手伝ってもらって……リーゼちゃんだってほら、こうしてアフターケアしてくれてるじゃん。ひとりで突っ走ってなんとかなることって、結構少ないのかな、とかって、まあ、そんな感じ」
「……お役に立てていますか、私」
「立ててるし、リーゼちゃんがなんかやる時は、きっとみんな助けるよっていう話。ひとりで無理すんなってさ」
結は笑い、珍しいこと言うね、とつぶやいた八重樫をじろりとにらみつけた。リーゼロッテは癒しの力を注ぎながら目を伏せた。少し、今日は無理をしてあれこれ人の足を引っ張っていたように思う。結はきっとそれを見抜いていたのだろう。かけられた言葉は、暖かかった。
リーゼロッテは、結の脚から軽く手を離す。やがて、疲労で傷ついた筋肉も癒え、強くなるだろう。
ポケットの中の電話が震えた。取り出すと『暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード』の表示。リーゼちゃんその名前で登録してんの、と結が呆れた顔になった。
「もしもし?」
『我であるが、何事か異変の気配を感じこの地より声を飛来させた』
「異変?」
辺りを見回す。特に何も起きてはいない。
「錦木さんが戻られてお話をしていたくらいで、後は……あ」
口元を押さえる。
「もしかして暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様、お待たせしてしまって寂しかったですか」
『左様なわけがあるか。ただ、その、誰も来ないと、何かあったのかと……電話も何回かしたし……』
「すみません、気づかなくて。おひとりでしたものね」
『いや、だから我は孤高の騎士であるがゆえ、別に寂しくはないと言っておろうが』
異変にあらざるのであれば、何者でも良い。迅速に我が元に姿を現わすが良いわ。少しだけ拗ねた口調で暗黒騎士は言って、電話を切った。
「何、斉藤あいつ寂しがってたの」
「話し込んじゃってたからね」
「私、荷物運んできます……!」
八重樫が箱に触れる。空のダンボール箱みたいに軽々と持ち運べるその荷物を抱え、リーゼロッテは慌てて主の元へと駆けていった。
「あ、みんな。やっほー」
結局予定時間より数時間長くかかった引越し作業を終え、夕闇の中を会社に戻ろうとしたところ。一行は繁華街近くでばったりと営業の葵川に出会った。普段通りに笑っているような目でこちらに手を振っている。
「引越しか。お疲れさん。僕も今日はだいぶ歩いたよー」
「私絶対あんたの三倍は走ったんですけど」
ぼろぼろの結が機嫌悪げにうめく。
「葵川さんは、なんのお仕事だったんですか?」
営業というけど、具体的に何をどうしているのかはリーゼロッテにはよくわからない。あちこち回って依頼を集めてきているのは知っているが。
「僕? 提携してる事務所といろいろ情報交換とか、そういうのね」
指差された雑居ビルの二階には、『野上探偵事務所』との看板がかかっていた。ドラマか推理小説みたいだな、と思う。
「探偵事務所」
「たまにそういう依頼が来るから、手に負えなそうならプロの方に投げてるんだよね。尾行とか素行調査とか、そういうのはうちはなかなかね」
なるほど、と感心する。役割分担ができているのだ。縄張りみたいなものだろうか。
「どんな情報交換したんですか?」
「それは内緒。少なくとも、道端でホイホイ話せることじゃないね」
「まーたそういうこと言う」
「貴君の密偵遊びも大概にするがよろしいぞ」
錦木さんはわからないでもないけど、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様、どうも葵川さんには当たりが強いな、と思った。まあ、なんとなく全面的には信用しづらい人なのは確かだ。
「ヴァルちゃんだって暗黒騎士ごっこしてるんじゃん。僕だって遊びたいよー」
「我の矜持は遊戯にあらず。
「斉藤くん斉藤くん、外でダンボール振り回すのはやめような」
八重樫が止める。葵川はいやー、怖い怖い、とにこにこ笑っている。
探偵事務所。尾行。素行調査。リーゼロッテは後ろを振り向く。煤けたビルの窓に、明かりが灯る。もし。もし、それが名前と出自を隠している自分に向けられたとしたら? 自分のことが調べられてしまったとしたら?
そうしたら、どうなるのだろう。追っ手は来るだろうか。そうしてまた、ここを出て行かなければならないのだろうか。
いろいろなことがあって、うんとくたびれて、でも、結局はなんだか楽しかった引越し作業。
色とりどりのクレヨンで描いた絵日記に、間違えて一滴だけ墨汁をこぼしてしまったような小さな小さな不安に、リーゼロッテはほんの少しだけ首を傾げた。
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