第2話 暗黒騎士と移転作業
発症とともに得た力は『超速度の移動能力』。要するに人並みの三から五倍程度の速度で走れる、というシンプルなもので——この能力のおかげで、結は所属していた陸上部から追い出された。
それはそうだろう。走るたびに突風を巻き起こしていては、公式大会にも出られないし、周りの部員もやりづらい。速度はコントロールできるようになっても、わざと遅く走るのも馬鹿らしいし嫌味だと思った。
ストレス解消の一番の方法を失った結は、荒れた。発症以来感情はささくれ、ずっと怒りっぽくなった。元々反りが悪かった家族に対して当たり散らし、友達がいない学校をサボり、繁華街をうろつき……偶然
それ以来、結はずっと『トカノ特殊業務社』の従業員だ。こっそり中学生の結を雇って、自立を助けてくれた社長にはずっと恩義を感じている。能力を発揮して、走り回れるのもいい。
でも、時々思う。昔、何も目的も、必要もなくただ独り走るために走っていた時のあの多幸感は、きっともう味わえないのだろう、と。
結は『マイダスシステムズ』の白っぽい狭いオフィスを見渡す。机がむりやり詰め込んであるし、資料はダンボールに詰められて棚からはみ出している。移転を考えるのは道理、というより、もっと早く考えとけよ、と思った。頭を少し掻く。今日は少し調子が悪い——カリカリしている。
「したら、まず全員で箱詰めだね、これは。半分くらい終わったら、机椅子から順番におっさんに軽くしてもらって、私が運ぶ。斉藤はその辺であっちのオフィスに移動して、荷物受け取り係。南さんは……」
今日の企業側の監督員であるセミロングの若い女性を見る。少し顔色の悪い彼女はひとりだけオフィスカジュアルで、トカノ特殊業務社の青のつなぎを揃いで着た従業員の中では少々浮いていた。
「詳細は指示していただくとして、あともし手持ち無沙汰だったら一緒に箱詰めしてもらうと助かります」
「はいっ、頑張ります。よろしくお願いします」
いや、メインはこっちなんで、そんなに気合入れなくていいですよ、と言いかけたくらいの反応が返ってくる。なんだか肩に力の入った人だと思った。
「そしたらまず、リーゼちゃんははみ出してるのをちゃんと梱包して、おっさんは右の棚、斉藤は真ん中、私とあと南さんは左。箱に棚の位置と番号を振るのを忘れないでください。はい、開始」
さっ、と全員が動き出す。うん、良い、と思った。速さは効率で、力だ。
「おっさん、ガムテはこっち!」
ダンボールを開いてあたふたしている
最初は戸叶社長と結、ふたりきりの体制で、主に個人配送やメッセンジャーの仕事をしていた。バイク便よりもさらに小回りが利くという程度の利点だったが、若い結は結構あちこちでかわいがってもらえたし、出来たばかりの小さな会社はどうにかぎくしゃくと動き始めていた。
やがて、そろそろ仕事を広げたいよね、ということで加わったのが、八重樫と営業の
使えないわけではない。ふたりの能力の相性は良かったし、彼の実直な勤務態度は嫌いではなかった。ただ、どうしてもテンポがずれる。そこがイライラして仕方がなかった。
人と組むってそういうものだよ、結ちゃん。戸叶は笑って言ったものだ。未だになんとなく、納得はいかない。
「……あの。こっちのファイル、番号が飛んでるんですが……」
「あっ、はっ、はい! あっこれ途中が右の棚にあるので持ってきまっひゃ⁉︎」
斉藤に声をかけられた南は、危うく何もないところで転びかけて肩を支えられる。逆に器用だな、と思った。
「すいませんすいません」
「そういうの、結構あるんですか? あんまり多いんだったらもうまとめて運んで、あちらで整理した方がいいかもしれない」
結は声をかける。できるだけ客先に責任を取ってもらえた方がありがたい。
「ちょこちょこありますね……ううん、でもこちらでも困っていたところだったので、先に揃えて運んでいただけると助かります」
ふう、と南はため息をつく。なんだかやっぱり調子が悪そうで気になった。IT企業なんてストレスが多そう、という勝手な偏見がある。そのうちこの人、こっち側に来ちゃうんじゃなかろうか、などとも思ってしまった。
「外に出てた分梱包しました」
とことことリーゼロッテがやって来る。つなぎを着ても、小柄で華奢な体格が目立つ。見た目通り力仕事が得意な方ではないから……。
「じゃあ斉藤の方のヘルプかな」
「はい。よろしくお願いします。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様」
「うむ。まずはこれら呪われし
「客先でそれやんなアホ!」
ぽかんとした顔の南に、すいませんね、と苦笑いする。八重樫につかせた方が良かったかな、と様子を見た。八重樫は八重樫で、まとめてファイルを運ぼうとして落としそうになっている。軽くできるせいで一度に動かそうとしすぎているのだろう。
「……南さんが右の棚の手伝いに行ってもらった方がいいですね。私はひとりでここやりますから」
「はいっ、わかりました」
あとは、時々周りをチェックしながら、黙々と箱詰めをした。やっぱりひとりはやりやすいな、と思う。斉藤・リーゼロッテコンビは独特のオーラを放ちながら作業しているが、なんとなくリーゼロッテは自分のキャパシティ以上の物を持とうとして空回りしているように見えたし、八重樫と南はやたらに手をぶつけたりして、お互い謝り合いながらわたわたとしている。そんな彼らをよそに、瞬く間に結の前の棚半分ほどの中身が箱に収まった。
「そーしーたーらー、そろそろいいかな。机を……」
その瞬間だった。
カタ、と小さく地面が揺れ、見る間にそれは吠えるような地鳴りとともに大きな縦揺れになった。
きゃ、と南が悲鳴を上げてうずくまる。揺れが長い。
「棚から離れなさい」
八重樫が顔色を変えて声をかける。ぐらぐらと床が不安定な中、慌てて距離を取った。斉藤が立ちすくんだリーゼロッテの手を引っ張る。幸い、中身が減って軽くなった棚も、倒れるまではいかないようだった。ファイルはぱたぱたと横倒しになり、床に落ちるものもあった。
しばらくしてようやく揺れは収まる。被害は多少あったが、ともあれ全員無事だ。結はほっとして声をかける。
「確認。みんな大丈夫?」
うむ、とか、はい、とか返事が三々五々返ってくる。
「震度四くらいかな」
「余震があったら怖いね。少し待機した方がいいかもしれない」
おっさんもたまにはいいこと言うな、と思う。避難経路なんかも確認した方がいいだろうか。
「そうね、そうしよっか。……あんたらいつまで手ぇ繋いでんの」
携帯端末をいじりながら指摘すると、斉藤とリーゼロッテが今気づいたように、ぱっと握っていたままの手を離した。こいつらやたら仲良いよな、と呆れる。そのうち付き合い出しても不思議ではないし、別れたら気まずいからそういうのやめてほしいな、と思う。
「この辺はやっぱり四くらいみたいね……と、南さん?」
頭を抱えてしゃがんだままの南に声をかける。地震にトラウマでもあったのだろうか。
「す、すみません。大丈夫……」
苦しそうな声が返ってきた。
「大丈夫、です。ちょっと、立てなくて」
「椅子に座ります?」
「いえ」
ゆるゆると顔が上がる。血の気が引いて、真っ青な色になっていた。唇が土気色だ。
「あの、ちょっと、横に……」
ごろん、とそのまま床に倒れた。ひゅう、と喉が鳴る。
「大丈夫ですか!」
八重樫が近寄る。意識はあるようだが返事はない。疲労で神経が参っていたところにショックを受け、一気に体調が悪化した、という様子に見えた。
「やばい、病院に連れて行った方がいいかな。リーゼちゃんはこういうの治せる?」
「やってみます。でも、難しいかも……」
軽く肩に触れるが、良くなった様子はない。リーゼロッテはやがて、ゆっくりと首を横に振った。いわゆる怪我の状態ではないのだろう。
取り急ぎ、首元のボタンを軽く緩めた。南は抵抗する様子もない。
「救急車……は今きっと大変だろう。ちょっと行ったとこに総合病院があるから、直接連れて行こう」
「今日は車乗ってきてないよ?」
「道路も混んでいるかもしれないし、彼女を『軽くして』結ちゃんが背負っていくのが安全なんじゃないか」
結はすう、と深呼吸した。焦っていることに今さら気づいた。八重樫はいつになく冷静だ。それが心からありがたかった。
「そうだ、人も軽くできるんだった」
「物ほど簡単じゃないがね。この状態なら病院まで間に合うと思う」
オッケー。うなずいたところで、何かがガタン、と音を立てた。ガタガタ、と金属が揺れてぶつかるような音だ。
見ると斉藤が、オフィスのドアノブに手をかけて揺らしている。横のリーゼロッテが声を上げた。
「大変です。ドアが開かないみたいなんです」
しまった。地震の時ってまずドアを開けとかなきゃいけなかったんだ! 結はぎゅっと唇を噛んだ。南は床で苦しそうに息をしている。
どうする。
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