第3話 暗黒騎士と夫婦円満

 リーゼロッテの肩が揺さぶられる。はっとして辺りを見回すと、披露宴会場のあちこちで招待客たちが目を覚ましているところだった。あちこち机も椅子もぐちゃぐちゃで、お祝いムードも何もない。葵川あおいがわが警察とやりとりを行い、赤いドレス姿の新婦が、まだ朦朧もうろうとしている新郎を抱き締めてぼろぼろと泣いていた。


 気づくと、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードが、座り込んだリーゼロッテの顔を少し心配そうにのぞき込んでいる。


「大丈夫です。大丈夫。起きられます」


 立ち上がりかけ、そういえば珍しく必殺技の名前を叫んでいなかったな、と思った。社長によるとあれは単に叫んでいるだけで、どうも特に何か攻撃の威力が上がるとかそういうものではないらしいのだけど。


「うむ、起て我を治癒してもはふかる」


 何?と思った。なんだか口調がいつも以上にもごもごしている。口の端から血が一筋流れた。


「まさか、舌を噛んだんですか!」


 首が横に振られ、とんとん、と頰が指された。口の内側、ということらしい。少しほっとするが、無茶には変わりない。強い眠気を振り切るために、自分で自分を傷つけたのだ。


 相手の頰に手を当て、ほのかな温かみが集まるのを感じる。ここしばらく能力を使う機会が増え、少し効率的に治せるようになった気もする……それでも、完治には少しかかるけど。


 目の前の青年が、手を伸ばしてリーゼロッテの後頭部に触れた。髪に飾られていた、借り物のリボンが取れかけていたらしい。少し直して、うん、とうなずく。


 今のこの人は、暗黒騎士なのか、斉藤くんなのかどちらなのだろうと思った。口を利かないと判別がつかない。でも、どちらでも構わないな、とも思った。陰口を叩いていたあの人たちはきっと、今日みたいな彼の強さと優しさを見たことがないのだ。それは、彼が暗黒騎士だって、斉藤くんだって、きっと同じことだ。リーゼロッテはその事実を自分が知っているということを、とても誇らしく思った。




「結局ね、乱入犯と新郎の長瀬さんは、保健センターの講習で知り合って、SNSで繋がってる程度の仲だったんだって。犯人は発症が原因で結婚の話が土壇場で取りやめになってたらしくて、自棄やけになっていたみたい」


「そこで同じく病者ペイシェントの長瀬さんが幸せそうに結婚しますーなんて書いてたから、妄想が走っちゃってストーカー行為に走ったと」


 戸叶とかの社長の説明に補足し、怖いね妄想型、と葵川は肩をすくめる。暗黒騎士は知らぬ顔で黙ってそれを聞いている。


この病気SMEって、やっぱりそういう……結婚とか就職できなかったり、いじめとか多いんですよね」


「まあね。うちもその辺からできた会社だし。無理解とか差別はどうしてもあるね」


 でも、長瀬夫婦は違った、と思う。あの後届いたメールを、社長は見せてくれた。披露宴はめちゃくちゃになってしまったけど、ちゃんとお色直しのドレスでも写真を撮りましたから、と画像が添付されていたのだ。ふたりは、それでもとても幸せそうな顔をしていた。


 いいな、と心から羨ましく思った。自分もあんな風に誰かと並んで、綺麗なドレスに包まれて、なんて、発症以来少し諦めていた夢がいつか叶えられるような気がしたのだ。


「これからも、いろいろ大変ですね。長瀬さん」


 親戚や職場の人も巻き込んでしまったのだから、何かと誤解も生じたのかもしれない。乗り越えていけるのだろうか。


「大変でない夫婦なんてないでしょ」


「それ実感です? あっ痛っ」


 あんたはいちいちうるさいんだよ、と葵川の腕をボールペンがぐりぐりと攻撃する。


「そういえば、葵川さんは会場のあちこちに蝙蝠こうもりを隠していたみたいですけど、あれはやっぱり不測の事態に対処をしてたんですか?」


「まさかあ。単に趣味だよ。あちこちのテーブルの話を聞きたかっただけ」


 は、と開いた口が塞がらなかった。なんという慧眼けいがんだろうと思っていたのに!


「この者は元来そのような心根ゆえ、ゆめゆめ気を許すでないと伝えたはずだが」


 口の怪我が治りかけらしい暗黒騎士が、仏頂面で言う。


情報依存知りたがりなの、この子。まあ、悪用はしないから諦めて」


 私は諦めました、という顔で社長が洋画みたいな肩をすくめるジェスチャーをした。『依存型』。発症がきっかけで物事に対する強いこだわりが生じるタイプ。暴走はしない方だが、理性的に犯罪に手を染めやすいとされている。


 そんな、それは困る、とリーゼロッテは眉を八の字にした。



◆ ◆ ◆ ◆



 午後のトカノ特殊業務社には、人がいない。今日は戸叶と葵川の『事務部隊』ふたりだけがうららかな陽の射す事務所に残っている。


「社長、僕、今回の仕事で結構観察したんですよ」


 窓辺に立つ葵川がにこやかにそう言った。


「何が? 無理なく斉藤モードに固定する方法でもわかった?」


「そっちじゃなくて。あの子の方ですって。リーゼちゃん」


 飴を舐めていた戸叶が口の動きを止める。


「マナーがね、完璧なんですよね。式絡みはともかく、テーブルマナー。あんなの一朝一夕で身につくものじゃない。ヒールは慣れてないみたいだけど、ドレス着てても動きがわりと様になってましたね」


「それで何よ」


「社長は本名知ってるんでしょ。多分、身元も調べてますよね。誰なんですあの子。がぜん気になってきちゃって」


 戸叶は書類を揃え、とんとん、と机で端を叩いた。


「本人に聞きゃいいじゃん」


「僕好感度低いんですよ」


「あたしからの好感度も下がるよ。気をつけてね」


 あらら、と葵川は頭に手をやる。


「なんでまたそんなこと気にするのさ」


「知りたいからですよ。それ以外にあると思います?」


 情報依存の青年は、大きく両腕を広げた。窓からの逆光で、戸叶には黒いシルエットが笑っているように見えた。


「僕の好奇心を、甘く見ない方がいいですよ。社長」


 ほんとこいつ、蝙蝠野郎だよなあ、と戸叶は小さく口を歪めた。

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