第2話 暗黒騎士と花嫁衣装

「でもあいつさ、なんかあれになったって聞いたんだわ。SME」


「あっ、そういうのマジであるんだ」


 無責任な会話は続く。彼女は外に出るべきかどうか迷いながら耳を傾けていた。


「詳しくは知らないけど。友達が会ったらなんかわけわかんないこと言ってたっていうし、正直怖いわーっていう」


「いや無理無理、話聞くだけで無理だわ」


 えー、それ普通に感染うつったりしないよね?


 言葉が耳に突き刺さるのを感じた。次いで、胸に。


 何も知らないくせに。『斉藤くん』は、それは見た目は地味で、妄想型で、よくわからない設定の話ばかりするし、そうでない時はぼんやりしてばかりで。


 でも。誰より優しくて仕事に真面目で、そして格好いい、彼女の大事な先輩で、最強の暗黒騎士なのだ。今日だって多分、すごく大変だと思うのに、『まとも』な会話をあんなにがんばっていた。


 ばたん、と音を立ててドアを開けた。驚いた顔で華やかな格好の女性ふたりがこちらを見る。乱暴に手を洗い、すれ違いざまに彼女はこう言ってやった。


「ストレス性変異脳症は、病原菌由来ではありませんから。現段階ではどんな経路での感染も確認されていません。どうぞご安心ください」


 じろりとにらんでから、ヒールの音を響かせ外へと出ていった。何あれ、怖、と後ろから声がする。多分、意趣返しにはならなかったと思う。でも、言わずにはいられなかった。




 お手洗いを出ると、暗黒騎士……斉藤が廊下を歩いているのに出くわした。さらに疲れた顔になっている彼は、ぼそぼそと話しかけてくる。しっかりセットしていた前髪も、少しだけ崩れていた。


「……遅いから、少し気になって」


「大丈夫です……大丈夫。ええと、お手洗いが混んでたから。それだけ」


「ならば良いが、気が優れぬことあらば……うー、そっちを優先で……」


 葵川あおいがわさんにも同じことを言われたな、と思う。反省するが、それはそれとしてふっと笑いが漏れてしまった。お互い、口調を無理しすぎているのがおかしかったからだ。『斉藤くん』も困り顔で口の端を吊り上げた。しっかりおめかしをしてちゃんと笑えば、そんなに悪くないんじゃないのかな、あの人たちはこんな顔見たことがないんだろう、と思う。


 ああ、このままのんびりしていては、あの元同級生ふたりに『斉藤くん』が鉢合わせしてしまうかもしれない。それは多分、あまり気持ちがいいことにはならないだろう。そう思って会場に戻ろうとした矢先。絨毯を踏みつけるようにして、ふたりを追い越し、ずかずかと走っていく人影があった。


「……遅刻の人?」


「……いや、席は全部埋まっていた……」


 それに、彼女にもすぐおかしいとわかった。その痩せた女性は、裾の長い純白のウェディングドレスをまとっていたのだ。もちろん、お色直し中の花嫁ではない。女性はスタッフが制するのを振り切り、長瀬氏の披露宴会場のドアを大きく開いた。


 高い、意味のわからない絶叫。奇声。


不逞ふていやから。行くぞ。リーゼロッテ」


 斉藤の背筋が伸び、『暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード』の低い声がした。ふたりは駆け出す。絨毯につまづきかけ、彼女は——リーゼロッテはヒール靴を脱いで片手に持った。この方がいっそ歩きやすい。


 そこに、透明の蝙蝠こうもりが低く飛んでくる。葵川だ。


『ふたりとも、今どこ』


「すぐ外にいます。今の見てました。すぐ対処に」


『その前に警察を。こいつ多分……』


 病者ペイシェントだ。そう告げた途端、蝙蝠は力なくひとつ羽ばたき、そのままぺしゃりと潰れるようにして床に落ち、消えた。


「葵川さん……?」


 女の引きつったような笑い声が響く。


「戦況を甘く見るは愚かだが、かの者は賢くしぶとい。あまり心を囚われるでないぞ」


 すっかり暗黒騎士の顔をするので、リーゼロッテも頭を振って、侍女の心得を思い出す。新婦がお色直しに出ていたのは救いだ、と思う。外のスタッフに頼んで、警察を呼んでもらった。あとは、会場内をどうにかしないと。


 ばん、と大きな音を立て、リーゼロッテは扉を開く。先ほど彼女が出てきた、会場の後ろ側の扉だ。女がこちらを見る。ドレス姿なのに化粧っ気はなく、髪もざんばらで、とてもちぐはぐな感じがした。


 でもともかく、姿形は人間だ。狂者ルナティックになってはいない。


 列席者とスタッフ、それに新郎は床に倒れ、転がり、椅子に寄りかかり、皆堅く目を閉じていた。葵川も同じようだ。まさか、死んでしまったのだろうか。まるで実感が湧かなくて、ただじわじわと恐ろしかった。


「なんで、こんなことをするんですか」


 声を震わせながら問う。答えは期待していなかったが、女は口を開いた。


「あの人が私を裏切ったからよ」


「あの人?」


 女は、高砂の方を、力なく机に突っ伏している長瀬氏を見る。その目つきには、なんだか誰かを思い出すような淀んだ雰囲気があった。


「彼。去年までは私と付き合ってたのに。急に別れようって。許せなくて。だから」


「『音速飛散・デュカルム=デル=ライズ』」


 もうひとつの扉が——新郎新婦が入場してきた、前側の扉が開いた。銀食器が乱れ飛び、女のドレスを切り裂く。そこには暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード。彼は姿勢を低くして駆け、こちらへ突進してくる。途中、床に倒れた葵川の身体を思い切り蹴りつけた。


「女。そなたに既に結ばれしえにしを引き裂く資格はなし!」


 構えるのは、ケーキカットに使った長いナイフ。だん、と床を踏みしめる。そなたは後方より入り敵を引きつけよ、と先ほど指示された。少しは役に立てたろうか。


 ゆら、と一度は体勢を崩した女は、白いドレスのあちこちを微かに赤く染めて、手を掲げる。


「どいてよ。私、彼を手に入れなくちゃいけない。私のもの、盗られただけなのに……!」


「……『長瀬くんは非常に誠実な人で、結婚を前提でないと女性とは付き合えないと、僕らに語っていたものです』」


 男の声がした。聞き覚えのある、少しのんきな語り口。女が首をぎぎ、とそちらに向ける。


「『正直な話、当時は今時それはないだろうと思っていました。でも、無事響子さんと結ばれた今は、きっと彼の選択は正しかったのだろうと心からそう言えます』」


 葵川が頭を押さえながら立ち上がった。手に持っていた紙を、畳んでポケットにしまう。


「僕が『友人代表』のスピーチする予定だったんだけどね。この話、ちゃんと裏取ったから間違いないはずなんだ。長瀬さんは新婦以外誰とも交際していた経験はない」


 びくびくと女が震える。こめかみに血管が浮き出る。


「あんた誰だよ」


 ああ、わかった。あの濁った目は——暗黒騎士のものとよく似ていたのだ。重度の『妄想型』。暴走の率が高い、思い込みでのみ動く、厄介なタイプ。


「うるさい黙りなさい黙って!!」


「黙らせてみせよ」


 リーゼロッテが思い切って片方の靴を女に投げつけたのと、ケーキナイフ……今は暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーが横薙ぎに払われたのと、会場のあちこちから透明の蝙蝠が飛び立ったのはほぼ同時。


 女は後ろに大きく下がり靴と剣を避けるが、体勢は崩れる。そこに蝙蝠が何匹か飛び込んだ。


「痛っ、何、何これ!?」


 外傷を与えるほどの威力はない。葵川は痛みを感じたのだろう、つらそうにうめく。だが、女は確かにひるみ……。


 倒れかける刹那、掲げた手から何かが解放された。


 くら、と視界が揺らぐ。あたたかな午後の眠気を何倍も濃くしたような、とろりとした睡魔が彼女を襲った。これだ。これでみんな倒れているんだ。


 膝をつく。立っていられない。葵川もふらふらと椅子に寄りかかり、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは剣を杖代わりにしてどうやら立っている。


 ふらふらと、宙を透明の蝙蝠が舞い上がり、きい、ききき、と身をよじりたくなるような不快な音を会場中に響かせた。葵川の蝙蝠は音を媒介する。やりようによっては、スピーカーとして大音量を発揮することもできるのだと聞いた。音の元は……料理の皿と銀のナイフ。倒れかけながら、葵川はめちゃめちゃに皿を引っ掻いてひどく耳障りな音を生み出していた。その音は、眠りに落ちそうな意識を現実に繋ぎ止める。


 でも、それだけじゃ動けない。もやのかかった頭をぶんぶんと振った瞬間。


 暗黒騎士が飛び込んできた。リーゼロッテの手にした、もう片方の靴が奪われる。ケーキナイフがドレスの裾を床に釘付けにし、靴は女の頭をしたたかに殴りつけた。


 女の喉が鳴る。そのまま長い嗚咽が華やかな披露宴会場を満たした。


 私、私、だって、寂しかったのよう。


 ドアの外から警官が走り込んでくるのが目の端に映る。リーゼロッテは耐えきれず、睡魔に身を任せてかくん、と首を垂れた。


 暗黒騎士のあの黒いマントと、それから、あれは一体どこなのだろう。豪華なお城の広間の、晴れやかな宴の夢を見た気がした。

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