第3章 暗黒騎士、宴を賀ぐ

第1話 暗黒騎士と大安吉日

「それでは、新郎新婦の入場です。皆さま、拍手でお迎えください」


 司会の声とともに、白い扉が開き、ゆっくりとした足取りで腕を組んだふたりが現れる。若い女性は純白のドレスに身を包み、広がったスカートを揺らしながら。横の男性は、少し緊張した面持ちで、灰色のフロックコート姿。


 中規模な披露宴会場には、四十人ほどの列席者と数人のスタッフがいて、手を叩く音が場内に響き渡る。


 どちらも、とても幸せそう。惜しみない拍手を投げかけながら、リーゼロッテは微笑んだ。少し前までは全く人柄を知らなかったふたりの結婚式だが、出てしまえば自然と祝いの気持ちは湧いてくるものだとほっとした。隣の席の葵川あおいがわも、堂々とした態度で手を打ち鳴らしている。が、その横の青年を見て、リーゼロッテは、あっ、と頭を押さえたくなった。


 珍しくきちんとした礼服姿、髪の毛もきっちりとセットして、見た目は文句のつけどころがない。ただ、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード……斉藤一人さいとうかずとは、背中を丸めてもそもそと気合の入らない拍手をひとり続けていた。




 結婚式の代理出席、という仕事は初めて聞いた。うちも普段はそんなに受けてないんだけどね、というのが、デスク前に並んだ三人に向けての戸叶とかの社長の言葉。


「要するに、親戚とか友人の人数を確保したい、少しでも華やかな式にしたいっていう人向けのお仕事ね。やることはいろいろあるけど、一番大変なのは『辻褄を合わせること』。葵川くんなんかは得意だと思うけど」


 つまり、何か話しかけられた時などにしっかりと友人なりになりきって応対しないといけない、ということなのだろう。……大丈夫かな、とリーゼロッテは思った。自分ではない。横に立っている先輩のことだ。


「斉藤くんはね。今回の仕事中は『暗黒騎士』禁止」


 社長の当然の言葉に、暗黒騎士は目を剥く。


「我が我たるを辞めよと申すか」


「そういう話じゃない。いや、やってもいいけど、その上で完全に演技をすること。わかる?」


「要するに、斉藤モードでいてくれればいいってこと。フォローはするからさ」


 いつも笑っているような目の葵川は、慣れた様子で助け船を出す。社長の言う通り、この人は安心だろうな、と思う。なんというか、知らない人と話したり、本心とは別のことをさらっとしゃべったり、そういうのが得意そうな人だ。暗黒騎士はうーん、と困ったように唸り声を上げた。


「リーゼちゃんも、今回は日本人名前名乗ってね。適当に考えておいたから。『大坪友美』。呼ばれた時に間違えないこと」


「わかりました」


 知らない人になりすますというのは少しどきどきする。映画のスパイみたいだ。


「衣装とか美容院とかはこっちで手配するから、まあご馳走が食べられると思って気軽にね。一般的なマナーは後でまとめて伝えるから、きちんと守って。とにかく自然に盛り上げていい式にすること。それと、注意事項がひとつだけ」


「なんです?」


「今回の式、新郎が暴走歴ありの病者ペイシェントなの。そのせいで友人が離れてしまって、式に呼べなかったのね。不測の事態には注意すること」


 ふう、と少しアンニュイな顔で戸叶社長は髪を揺らす。だからうちに話が来たのかな、とリーゼロッテは思った。


「こういう一大イベントの時ってのは、神経に負荷がかかって何があるかわかんないからね」


「なんか実感こもってる感じです?」


「うるさいな、とっととカバー経歴を覚えなさい、蝙蝠こうもり


 リーゼロッテは、未だ考え込んでいる様子の暗黒騎士の顔をのぞき込んだ。


「大丈夫ですか、暗黒騎士……」


「……斉藤」


 なんとも不満そうな顔ではあるが、『斉藤くん』モードにスイッチはできたようだ。あとは当日の維持と、盛り上げる方向に持っていけたら。


「……斉藤……斉藤一人さいとうかずとなので……我ではなく俺……」


 本当に大丈夫かな、と改めて思った。




「っ痛っ!」


 テーブルの陰ぎりぎりに、ほんの小さな透明の蝙蝠が生まれ出たかと思うと、『斉藤くん』の手の甲に体当たりしてかき消える。拍手に埋もれるほどの小声で、『斉藤くん』がうめいた。それからはっとしたように背筋を伸ばし、ぱちぱちと大きく拍手をする。葵川が一瞬顔を歪め、少しだけ苦笑した。彼の能力が生み出した蝙蝠は、ああしてほんの小さな攻撃に使うこともできるらしい。本体にも影響があるそうで、耳がだいぶ痛いらしいけど。


 高砂たかさごに新郎新婦が腰掛け、拍手が収まる。司会者が新郎新婦の紹介を始めた。新郎の出身大学の友人、というのがリーゼロッテもとい大坪友美を含めた三人の今回限りの肩書きだった。大学卒業どころかまだ十八歳の自分にそんな演技ができるのかとおののいたが、無理やり化粧をされて送り出された。鏡の中の大人びた顔は、なんだか自分でないような気がして不思議だった。スパンコールの揺れる青いドレスと、ハーフアップにした頭に飾られた、控えめなラインストーン付きのリボンは少し気に入っている。


(大学か。……行きたかったなあ)


 聞き入る振りをしながら、そんなことを思う。そういえば、会社の人たちがこれまでどんな学校で何を勉強してきたのかを自分は何も知らないな、と思った。葵川さんなんかは大学を出ていそうだけど、と横目で様子を見る。葵川は要所要所で適度に笑いを挟みながら、ちゃんと聞いている風を装っている。暗黒騎士……斉藤もまあ、疲れた顔はしているが、大人しく聞いているようだ。とりあえずは良し。


 ただ、いつものいかにも元気の良い様子と比べると、陸の上で息も絶え絶えな金魚か何かのようで少し気の毒に思えた。その日は他の仕事が入ってて、人員が確保できてないのよ、と社長もあまり適材適所とは考えていない風だったのを覚えている。


「大丈夫? 『大坪さん』」


 小声がした。はっと気づくと、葵川がこちらを横目で見ていた。


 しまった、自分の方がぼんやりしていたかもしれない、と汗をかきながら軽くうなずく。


「気分悪くなったりしたら、それは早めにね」


 そういうわけじゃないんです、ともう一度こくりと首を縦に振った。斉藤も少し心配そうな顔をしている。


 主に気を使わせるなんて侍女失格、などと考えてしまい、内心でいけない、と首を横に振る。今日の彼らは暗黒騎士とその侍女ではなく、同じ大学の文学部はシェイクスピア研究ゼミ出身、同ゼミの友人の結婚式を機に三年ぶりに再会した身、なのだから。細かいなこの設定、と思った。


 主賓の挨拶、乾杯、ウェディングケーキ入刀と披露宴は滞りなく進む。緊張は少しずつ解けてきたように思う。とにかく、自然に楽しめばいいのだ。


 やがて料理が運ばれてきて新婦はお色直しに退出、ようやく周りと話がしやすい状況になった。オードブルを食べ終え、ほう、と息をついた彼女に、葵川が声をかける。


「長瀬、めちゃめちゃ緊張してるの。見てると面白いよ」


 長瀬、というのは新郎の名字だ。見てみると、確かに硬い表情で棒のように座っている。しかしこの人葵川さん、本当によくここまで演技ができるなあ、と思った。


「本当です……じゃなくて、本当だ」


 同い年設定は無理があると思うが、従うしかない。始まった会話をとりあえず転がす、と。


「卒論発表の時もあんな感じだったしねえ。変わんなくてほっとした」


「卒論発表というと……教授のスリッパ事件の……」


 突然、斉藤がぽつりと割り込む。えっそれどんな事件なんですか、と言うべきか、会話を続ける協力をする気があったのかと驚くべきか迷った。


「あったあった! あれは伝説だよね」


「長瀬は正直かわいそうだったと思う……」


「いやあ、あのグズグズムードから持ち直したんだからセーフでしょう」


 あっ繋がるんだ、とあわあわしながらキャッチボールを見守る。


「でっでも、長瀬くん、あれで女子評価上がったんだよねっ。やる時はやるじゃない、って……」


 長瀬氏が何をどうやったのかさっぱりわからなかったが、ともかく『大坪友美』として首を突っ込んだ。葵川が軽く片目をつぶる。


「そういうとこあるよね。結局美人とゴールインなんだから、まあ勝ち組ですわ」


 ほっと息をついて運ばれてきた魚料理を口にする。なんだかゲームみたいな会話は、とりあえずいいゴールに向かったようだった。その後は、葵川に食べ方が綺麗だね、とほめられたり、斉藤がパン屑を口元につけているのをこっそり指摘したりしながら歓談をしていたのだが。


 あ。


 彼女は小声で葵川にささやく。


「あの、お手洗いって行っていいん……だっけ」


「ああ、今ならちょうどいいんじゃない。行ってきなよ」


 こそこそと立ち上がり、慣れないヒール靴でそっと出入り口に向かった。




 晴れやかに明るい照明の会場から、少し落ち着いた色彩の外に出るとほっとする。自分の名前が今、あやふやなのも良くないな、とも思った。早くリーゼロッテに戻りたい。手洗いを済ませて一息つき、さて個室の外に出ようとしたところ。外から女性ふたりの声がした。


「さっき見かけてびっくりしたんだけどさ。隣の会場にあいつが来てるの。斉藤」


 思わず、鍵を開けようとした手が止まった。


「誰?」


「斉藤。斉藤なんだっけ、カズヒコ? 高三の時にいたじゃん。なんか暗いやつ」


「いたかなー。覚えてない」


「まあね。地味キャラだったし。席が近かったからなんとなく覚えてたけど」


 そういえば、会社の人はみんな地元出身だと言っていたっけ。長瀬氏の式の方は出席者に知り合いがいないか調べたという話だが、こういう場で元同級生とすれ違うというのはあり得る話だ。少しひやりとした。


「あいつ、なんかやたらかわいい女の子と一緒でさ。生意気だよね、斉藤のくせに」


「あ、ちょっと格好よくなってたとか、そういうのじゃないんだ?」


「なってるわけないじゃん。斉藤だよ?」


「だから覚えてないってば」


 胸の中が、すっと冷えていく気がした。彼女は、きゅっと右手を握り締めた。

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