第3話 暗黒騎士と一期一会
暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードが、影を縛られ動けぬリーゼロッテの視界の端へと再び現れた。彼は椅子を引き出し上に立つと、先ほど剣と化したDVDのパッケージを無造作に投げ飛ばす。
空中でそれはぴたりと止まり、宙に浮いた。影がまたひとつ、床に落ちたパッケージの影を覆っている。
「なんでそんな危ないことするの!」
九条美羽がヒステリックに叫んだ。
物の動きを止めることもできる。しかも、空中で。速度はほとんど反射のようだった。意識せず止めている可能性すらある。
「恐るべき力よ。しかし」
ぐしゃ、とビニール袋の音がした。暗黒騎士はチョコバーの袋に手を突っ込んでいる。
「我が暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーを、全て防ぎきることができるか!」
「できるもん!」
華やかな色あいの袋が、いくつもいくつも、宙を舞った。ばっ、と影が細く何重にも分裂し、飛来するすべてのチョコバーを宙に浮かせる。居間の空間がまるでお菓子の宇宙のようになり、そして。
「リーゼロッテ!」
身体が、動いた。
リーゼロッテは
ぽすん。軽い音と感触が、背中にひとつ。ふたつ。たくさん。かしゃん、と少し大きな音がひとつだけ。
あれ、と思って顔を上げた。チョコバーは個包装のままいくつも床に転がっているが、彼女の身体には傷ひとつない。もちろん、腕の中の九条美羽にも。
拾い上げると、それはやはりおいしそうなパッケージのただの軽いチョコバーで、剣のような鋭さはどこにもなかった。DVDのパッケージも同じく。
「ええと、これは……」
「ただの菓子よ。剣にあらず」
当たり前ではないか、という口調で、暗黒騎士がしゃがみ込んだ。
「九条美羽。気は済んだか」
ひっく、としゃくり上げる声がした。半ば顔を覆いながら、九条美羽は大粒の涙をこぼしていた。
「だって、私、だって、お母さんも、みんな、みんな、いなくなっ、なって、お父さんも、い、いないし、ひとりで、ひとりはやだ」
暗黒騎士は、さもあろう子供、とか孤高こそが真の美、とかそういうことも言わず、黙って九条美羽の頭をぎこちなく撫でた。
「ひとりはやだ」
暗黒騎士が目配せをする。リーゼロッテは思い当たり、電話を取り出して教わっていた依頼主の携帯電話の番号を探す。
「夜分遅くに申し訳ありません。私、トカノ特殊業務社の者です。お嬢様とのお留守番の件でご連絡がありまして、お電話いたしました。はい、いえ、実は……」
慣れない電話応対に汗をかくリーゼロッテの横で、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは、ただ黙って小さな子供の頭を撫でていた。彼女が泣き止み、電話越しで父親に謝れるようになるまで、ずっと。
「ええと、結局ちょっと悪役風だったのは、全部嘘だったということでしょうか」
夜遅く、街灯に照らされた道を歩きながら、リーゼロッテは暗黒騎士に向け尋ねてみた。九条美羽とはあの後ちゃんと話し、ゆっくりと寝かしつけてから渡されていた合鍵で施錠し、こうして帰路についている。時計は十時半過ぎ。超過勤務だと明日報告しなければならない。
「うむ。
影の数が増えたから、金縛りの時間も短くなった、よってリーゼロッテの拘束もすぐに切れ、動くことができた、ということらしい。賭けではあったな、と思う。
「うまくいって良かったです。……あの、ついご乱心かと思ってしまいました。ごめんなさい」
「子供との遊戯は、全力をもってせねば侮られるがゆえ。うまくいかぬ際は、まあ、寝かしつけた後にどうにでもした」
暗黒騎士は小さくあくびをする。いつもおかしなことを言うし、ぼんやりして見えるわりには、しっかり考えているのだな、と改めて頼もしく思う。そして、ふと思い出す。
「夜の闇を友とする
「左様なことを言ったか」
リーゼロッテは子供の頃、窓の薄明かりから漏れる光と、それが生み出す影が怖くてたまらなかったことを思い出した。親にそんなことを話すのも
「闇を征服することは、いかな暗黒騎士とても叶わぬ。ただ、思いを闇に任せ、宙に遊ばせることのみが我が幼き心を癒した」
空想の世界を広げることだ、と言っているのだろうか。だとしたらやはりこの人も、同じだったのだろうか。
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様も、昔は……」
「あー、ええと、いや! ざっと三百年は昔のことよ。遠き過去ゆえ記憶もおぼろである」
ごまかしたな、というのと、やっぱり人間ではない設定なのかしら、というのと。
だが、リーゼロッテは少しだけほっとした。誰だってみんな、寂しい子供だった記憶を抱えて生きているのかもしれないと、そう思えたからだ。
街灯の真下に、影が伸びる。良いことか悪いことかはわからないが、九条美羽はいずれ、ひとりの闇と仲直りできるのではないか、とそんな気がした。影を操る子供は、きっと大きな深い闇に何かを見出すだろう。そう思ったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「ご迷惑をおかけしました」
九条美羽は『トカノ特殊業務社』の事務所の中、お父さんと一緒に深々と頭を下げた。何度謝っても足りない気すらしていた。
「まあ、その辺を含めてご依頼いただいていたわけですし……」
眼鏡の社長が、困ったように手を振る。女の人が社長って格好いい、と思った。社長の後ろには、暗黒騎士の人とリーゼロッテさん、この間のふたりがやはりどうしよう、といった顔で立っている。
「それにしても不注意でした。申し訳ない」
お父さんは出張から超スピードで帰ってくると、美羽にもひたすらに謝ってくれた。謝ってくれること自体が申し訳なくて、また泣いてしまった。お父さんは、悪くないのだ。我慢できなかった美羽が悪い。
「その辺りは、ご家族で話し合ってケアなさってください。提携しているカウンセリングルームの紹介はできますので」
保健センターでは、担当の先生にとても怒られた。怒られて、それから、大変だったね、と言ってもらえた。こういう時に自分の力そのものを嫌いになってしまうと、後からとてもややこしいことになってしまうのだという。だから、必要以上に落ち込まないで、と言われた。
でも、美羽の影の力って、どうやれば役に立つのだろう。どうやれば好きになれるのだろう?
「では、失礼します……」
お父さんが最後にまた頭を下げた。多分、もうここの人たちとは会えないのだと思う。それだけが寂しかった。
美羽はドアの方へ向かい……。
「九条美羽!」
背後から、男の人の声。暗黒騎士の人だ。社長さんがシッ、と止めたけど、彼はニヤリと笑って続ける。
「そなたの力。実に格好良かったぞ!」
「は」
美羽はぽかん、として暗黒騎士の人を見つめてしまった。隣では、リーゼロッテさんがうんうん、とうなずいている。ふふ、と口から、勝手に息が……笑い声が小さく漏れた。
「うん! ありがとう!」
美羽は笑った。笑って、応接室のドアからまっすぐに出ていった。
彼女はこれから、何度も失敗をするかもしれない。その力は時に重荷になるのかもしれない。どうしても嫌いになってしまうこともあるかもしれない。でも、大丈夫。そんな時は、あの人がくれた言葉を思い出す。
私の力は、格好いいんだ。
ほんと斉藤くん、格好いいで全部済ませようとするよね……とか、確かにお好きそうなビジュアルでした、とかなんとか、後ろから声が聞こえる。美羽はお父さんを追いかけて、昼の光の中に飛び出していった。
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