第2章 暗黒騎士、影と舞う

第1話 暗黒騎士と料理当番

「斉藤くん、昼休みにごめんね……斉藤くん」


「え」


 戸叶とかのまゆみは返事の遅れた若い社員の肩を軽く叩く。見れば、彼の耳にはイヤホンがはめられていた。


「あー、ますますごめん。夕方から夜にかけて急ぎの仕事が入ったんだけど、大丈夫かなって確認だけ。リーゼちゃんとふたりで、子供のお世話」


「……あ、はい。問題ないです……」


 イヤホンを外しながら斉藤一人さいとうかずとはぼんやりと答える。思い切り素が出ているあたり、よほど音楽に集中していたのだろうなと戸叶は思った。


「斉藤くんってどんなの聴くの?」


 軽い世間話程度に投げかけてみる。この青年のことは未だにわからないことだらけだ。円滑なコミュニケーションが取れればそれに越したことはない。


「……メタル……シンフォニック系が多いです」


「結構ハードめなんだ」


 ぱちぱち、と瞬きをして、表情がやや引き締まる。うむ、と大仰にうなずく。あ、暗黒騎士入った、と思った。


「いかにも。我が魂と共鳴を起こし、起こす……えっと……格好いいので……」


 一度入ったはずのスイッチが、ぐずぐずに崩れていく。そういうことも、たまにある。


「斉藤くんはだいたい格好いいのが好きだよね」


 春だからといって気が緩んでいるな、と戸叶は思った。大丈夫かしら。依頼の詳細を見ながら思う。


 結構、このお子様は、強敵だと思うんだけど。



◆ ◆ ◆ ◆



 九条美羽くじょうみうは困っていた。


 お父さんが忙しいのはわかる。たまには出張が入ってしまうのも仕方がない。美羽はまだ八歳で、夜に家にひとりでいるのを心配されるのも当然だ。だから、誰か人に来てもらうというのもまあわかる。知り合いに当てがなくて、便利屋さんに頼んだ、というのもしょうがないとは思う。ただ、だ。


父君ちちぎみよりのたっての頼みとあって推参した。いざ、そなたの孤独の時を我らが共に過ごさん」


「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様は、大丈夫、今日は寂しくないよ、とおっしゃっております」


 なんでこんな強烈なのが来るんだよ、と思った。


 やたらと偉そうな口調でしゃべる方は、短い黒髪、パーカーにジーンズの普通の男の人だ。スーパーとかのレジにいてもおかしくない感じ。ちょっと目がぼんやりしてるのがなんとなく怖い。


 その通訳みたいな感じでちょこんと立っている女の子は、まだすごく若い。お人形さんみたいな、肩より短いさらさらの黒髪に大きな目。軽快なパンツルックがなんとなく似合わない、すごくかわいい人だけど、やっぱりどこか変な感じがする。


「夜の十時までお邪魔することになっています。よろしくね」


 文句も言えないのでこくりとうなずいた。十時頃には美羽はいつもベッドで寝ることになっているから、それまでということだろう。家の中を知らない人に歩かれるのはちょっと怖いけど、美羽にはご飯も作れないし、ひとりぼっちで寝るのも嫌だ。お父さんはできるだけ家にいるようにしてくれるけど、たまにはこういう日があるのも仕方がない。仕方がないのだ。


 美羽みたいな、変な病気と力を持っているような、そんな子供には。


 お母さんが出て行くことになった時に生まれた力。うんと周りに迷惑をかけて、それで、普段はないことになっているけど、でも、時々確かに忘れるなよと言うように現れる力。……あまり好きにはなれない力。


「お部屋に入ってていい、ですか」


 恐る恐るそう言ってみると、ふたりは顔を見合わせた。


「もちろん構いません……でも、アニメのDVDとか借りてきたんだけど、一緒に見ませんか?」


「いいです」


 首を振って、ぱたんとドアを閉めた。白い壁、ベッドと本棚と机とおもちゃ箱がある美羽の部屋、小さいけれど宝物ばかりの美羽だけの場所だ。西日がちょっとまぶしいからカーテンを閉めると、長く伸びていた影が消えた。


 ベッドに転がっていたうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きかかえ、ドアに寄りかかるようにして座り込む。お父さんに叱られた時みたいにして。


「大変です、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様。せっかくのセレクションが無力です」


「店員のおすすめコーナーを信用したが誤りであったか」


「ネットには動画がたくさんありますから、ひとりで見るのが好きなのかもしれません」


「……デジタルネイティブ……」


 よくわからない会話が聞こえてくる。知らない人を入れてはいけません、とよく言われるのに、あんな変な人たちはいいんだろうか、などと思った。とにかく、夜まで部屋で大人しく過ごせばいいのだ。ゲームでもしていようか。それとも。


「では、我らは先んじて最も重き使命を果たすとしよう」


 重き使命? なんだかすごいことを言っている。なんだろう。美羽が引っ込んでいる間に、お家の大事なものを盗られたりしたらどうしよう、と突然そんな心配が浮かんだ。引っ込まないで見張っていた方が良かったろうか。


「リーゼロッテ! いざ、鮮血の饗宴きょうえんである。かの者の血肉となるが運命さだめの糧をここへ!」


「はい!」


 どさ、と何かが机に置かれる音がした。なんだろう。


「にんじんと、玉ねぎと、じゃがいもと、お肉と、ルーは甘口。全部あります」


「白米は」


「小分けにして冷凍してあるそうなので、本日はこちらを使わせていただく計画です」


「完全にして無欠ではないか」


 カレーライスだ!


 美羽は思わずドアを開けたい衝動に駆られてしまった。美羽にとってカレーは特別な料理だ。お父さんが忙しいから、平日はほとんど作ってもらえない。なんだか急にお腹が空いてくる気もした。そうだ、ご飯を食べないといけないのを忘れていたのだ。


「具材、これだけで大丈夫でしょうか? 小さい子ですし、コーンとか入れてはどうかと迷ったのですが」


「うちはコーンは入れなかったな……」


 あの暗黒騎士の人、どこまでキャラを作ってるのかよくわからない。時々普通のしゃべり方をするのがなんだかおかしいので、なりきるかやめるかどっちかにしてほしい。クラスの男子のごっこ遊びを見ているようで、少し恥ずかしいのだ。


「ともあれ、簡素は美徳である。無用な手出しをし不興を買うのもつまらぬ」


「カレーはシンプルが一番、ですね」


 リーゼロッテと呼ばれた女の子の方は、あくまで真面目な声をしている。おかしいとは思わないのだろうか。思って、それでも付き合ってあげているのだろうか。わからない。


「では、これよりいにしえより伝わりし魔の儀を執り行う。刮目かつもくして見るが良い」


「はい、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様。じゃがいもの皮はこちらのピーラーで剥いておきます!」


「悪しき芽も全て取り去るのだぞ」


「了解です」


 ……楽しそう、だな。と美羽は少しうずうずした。学校ではまだ家庭科は習っていないから、調理実習の経験もない。お父さんの手伝いはよくするけど、刃物や火は使わせてもらえない。でも、とんとんと軽い音を立てて動く包丁さばきを見るのは結構好きだった。が。


「『鮮烈奥義・ダルグリア=ラシッド=ガルム』」


 声に続けて、だだだだだ、と勢いの良い音が聞こえてきた。


 必殺技。必殺技だ。なんとなくわかる。自分の家の台所で技の名前を叫ばれるとは思わなかった。


 美羽は少しうなってうさぎのぬいぐるみにおでこを押しつけ、そうしてついに我慢ができなくなって、ぬいぐるみを置いてばたん、とドアを開けた。


 音が止まり、ふたりの目が美羽を見つめる。女の子がぱっと顔を輝かせた。


「美羽ちゃん。一緒にカレーを作りますか」


「……作……作る……っていうか……」


 調理台の上には、半分ばかりみじん切りにされた玉ねぎがあった。暗黒騎士の人は目をしぱしぱとしている。玉ねぎが染みたのだろう。


「見せて! 何やってるの! 見たい!」


 つい思ったことをそのまま口にしてしまった。


「我が鋭利なる剣は危険であるがゆえ、あまり近寄るでないぞ」


「包丁でしょ」


「暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーである」


「うちの包丁に勝手に名前つけないで」


 台所に回ると、暗黒騎士の人は軽く笑って、みじん切りを続ける。ものすごいスピードと細かさで、玉ねぎはバラバラになった。


「すっごい……」


 お父さんがとんとんとん、なら、この人のはざざざざざ、だ。切り終えた玉ねぎをボウルに避け、暗黒騎士の人は手を洗うと人参を取り出す。美羽は急いで調理台の引き出しを開けて、星とハート形の型を見せた。


「これ、使ってもいい?」


「かわいいですね」


 じゃがいもの皮を剥き終えたリーゼロッテさんが、にこにことこちらを向いた。こちらは、ピーラーを使ったにしては少し不器用な感じに剥かれている。


「一緒にやりましょうか」


「輪切りであるな……『閃光無慚・アストリグル=ファムエル』」


 だんだん、とやっぱりすごい勢いで見る間に人参が薄い丸になる。ほう、と息が口から漏れた。あとは美羽にもできるお手伝いだ。


「私ハートがいい」


「じゃあ星を」


 ダイニングのテーブルにお皿を置いて、ふたりでさくさくと型を抜いた。かわいらしい形のにんじんがたくさん転がる。


「こういうの初めてやりました。楽しいですね」


「お料理あんまりしなかったの?」


 言葉通りに本当に楽しそうな顔で、リーゼロッテさんはぽんぽんと型を抜いていく。美羽は思わず質問をしていた。じゃっ、と音がして、暗黒騎士の人が玉ねぎを炒め始めた。


「お手伝いさんが全部やってくれて……えっと」


 ちらり。黒い目が暗黒騎士の人の方を見る。


「内緒ですよ」


「うん」


 よくわからないけどうなずいた。お手伝いさんがいるなんて、ずいぶん大きい家の子なのかもしれない。でも、じゃあなんで便利屋さんなんてしているんだろう、と思った。


「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様。にんじんの方が終わりました」


「良かろう。今全が一、一が全となる時」


 付け合わせを作りましょうか、とリーゼロッテさんは立ち上がる。


「サラダ?」


「りんごのサラダです」


 やった、とばんざいをした。いつの間にか美羽の警戒心は、カレーのルーみたいにとろとろに溶けてしまっていたようだった。

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