第5話 暗黒騎士と危機管理
本日はまず、パトロールついでに備品の買い出しを頼むわ。
「いざ、旅立ちの時ぞ来たらん。行くぞ、リーゼロッテ」
「はい!」
会社の前で気合いを入れていると、散歩中の犬に吠えられ、飼い主の人には少し避けられた。当たり前だが、彼のキャラクター性は近所の皆に受け入れられているわけではないようだった。
「……昨夜は安らかなる眠りを得ることができたか」
少し気遣うような言葉が飛び出す。暗黒騎士なりに『侍女』のことを心配してくれているのだろうか、と思った。昨日の頰の火傷はもう影も形もない。よかった、効いた、とほっとした。
昨晩は小さな不動産屋に紹介された、古いアパートの一室で初めて過ごした。取り急ぎ買った安い毛布にくるまり床で寝たので、あちこち身体が痛い。今日は布団が届くはずと思うとほっとする。通帳のお金はまだ残っているから、少しずつ家電も揃えないといけない。
「お布団がなかったから大変でしたけど、嬉しかったです」
腕を伸ばしてストレッチをする。みしみしと硬く軋む感じがした。肩も重い。
「ほう」
「ひとり暮らし、初めてだったので……えっと、孤独こそが我が魂をどうのこうの、みたいな……」
眠たいのでいい加減な翻訳だったが、暗黒騎士はうなずく。
「そなたの新しき道に、常闇の祝福を授けようぞ」
常闇ではない方がいいなあ、と思った。
近所のホームセンターで、ガムテープや蛍光灯などを買い込む。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードはどうも工具と木材が好きなようで、少しだけ関係ないところを回ったりもした。生活用品を揃えるのに後で個人的に来ようかしら、とも思う。電化製品は駅前の電気屋とどちらがお得だろうか。
『春の防犯フェア』と張り紙があり、ブザーやカメラなどのグッズが並んでいる。こういうのも、あって悪いことはないのだろうと思う。ひとり暮らしで腕力も攻撃能力もないのに、変な人に押し入られたりしたら怖い。
「何事か異変あらば我か
まあ、この人が今のところ一番変な人ではあるな、と思った。いいか悪いかで言ったら、多分『いい変な人』だけど。
「
「かの者は戦士としては使い物にならぬ。ただし知恵は働く男ゆえ、役に立つこともあろうな」
パソコンのセッティングなんかは得意そうな人だったな、と思う。パソコンとかタブレット、欲しいと言えば欲しいけど、買う余裕はあるかしら。
「
「皆さんと仲良しなんですね」
軽い気持ちで言うと、暗黒騎士は少し気まずそうに口をへの字にした。
「我は孤高にして高潔ゆえ、生温き馴れ合いは好まぬのだが」
別に仲良しでいいのにな。リーゼロッテは、買い物かごを持ってレジへと向かった。
今日は特に人のお宅を訪問することもなく、昨日とは別のルートを辿ってぐるりと巡回をするらしい。あちこちの木で若葉がきらきらと透き通り、陽気に揺れている。暗黒騎士の腕に揺れる買い物袋がなければ、ほぼお散歩のようにも思えた。
動きやすい服装が望ましい、と言われていたので、一着だけ持ってきていたチノパンを履いた。もう何枚かパンツを買わなきゃな、と思う。暗黒騎士は今日もカジュアルというか、あまり構っていない風なジーンズ姿だ。
幼稚園のお散歩と行き合う。ひよこみたいな子供たちが、小さな手をつないで道端を歩いていく。ふたりは道を空け、先を譲った。
「平和ですね」
ぽつりとつぶやく。防犯グッズが必要な事態なんて起こるのかしら。
「仮初めの安らぎに過ぎぬかもしれぬぞ」
暗黒騎士的には、やっぱり自分が活躍できるような戦乱……まではいかなくても、事件が起こった方がいいのだろうか、と思う。
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様は、やはり戦いたいのですか?」
「闘争こそが我が宿命、望む望まぬに関わらず、必ずや血と鉄の臭いは我が元に集う」
少し、はぐらかされたような気もした。『斉藤くん』ならなんと言うだろうか。聞いてみたくても、簡単にリーゼロッテがスイッチをできるわけでもなし。
「難しいのですね」
「そなたにはまだ早きことかも知れぬな」
歌を歌いながら去っていく園児たちの背中を、暗黒騎士は目を細くして見送る。多分優しい人なのだと、なんとなくそれはわかる。設定と本人の性格に
辺りを見回すと、昨日来た道の近くだと気づく。見覚えのある白いマンションが目の前に見えた。
「ここ、大友さんのお宅ですよね。昨日お邪魔した」
指を差すと、暗黒騎士はうなずき……上方を見つめると、やや
「いち、にい……三〇五号室」
階数と部屋番号を数えるように指を動かす。視線を追うと、黒っぽい服を着た人影が、ドアの前に立っているのが外からも見えた。
ドアが開く。しばらくして、人影はドアの中に吸い込まれるように入っていった。多分、大友の部屋だ。お客さんかしら、と思う。だが、暗黒騎士は低い声を出した。
「……行くぞ。リーゼロッテ。何やら怪しき輩。捨て置けぬ」
つかつかと早足で暗黒騎士は歩き出す。慌てて後を追うと、徐々に速度は増し、ほぼ疾走になる。
「あ、あの、親戚の方とかそういう可能性があるのでは?」
息を切らしながら言う。この人、暗黒騎士になりきりすぎて事件性を感じすぎているのではないだろうか。和やかなところに勝手に飛び込んでいって、恥ずかしい思いをするのではないかと、それが心配だった。
「大友さんの身内は、この辺りにはひとりもおらぬ!」
あの人、前も変な浄水器買わされたんだ。『斉藤くん』の顔が微かに見えた。
「杞憂に終わるのならそれで良し。ただ我らが恥をかくのみよ。だが、全てに備え、戦の気配あらば
それが
マンションにたどり着き、エレベーターのボタンを連打する。やがて降りてきたかごに飛び乗り、三階へ。遅い。早く。やがてドアが開いた瞬間、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードとその侍女は外へと躍り出る。
行く先で、何かが割れる音と悲鳴がした。
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