第3話 暗黒騎士と地域巡回
「まあ本当にねえ、毎週毎週孫くらいの子に来てもらえるというのはねえ、ありがたいことですよ」
痩せた老婦人、大友は皺だらけの口元をもごもごとさせながら、にこにこと言う。今日三度目の話題だ。目の前の机には小皿に乗せられた豆菓子とお茶が置かれている。お年寄りのひとり暮らしとはいえ、部屋の中は小綺麗に片付いている。
「大友さんも息災で何よりである。先週より何事か変事はないか」
暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードが茶をすすりながら答える。こちらの対応は三度ごとにきちんと違う方向に話を誘導していて、慣れているのだな、と感じられた。リーゼロッテはやや落ち着かない気持ちでその会話を聞いていた。祖父母は早くに死去していたから、あまり年配の方と親しく会話をした経験はない。
「ええ、もうねえ。こんなかわいらしいお嬢さんにまで来ていただいて。足腰は弱ってますけど、
「血の大河ラグナヴァルゴにて花見の宴か。我も相伴に預かりたきものよ」
地図には『中瀬川』という二級河川があったから、そこのことだろう。桜並木があるとは知らなかった。今年は花見には行けないまま、ソメイヨシノはもう散りかけの頃合いだ。
「うちはねえ、ほら、ずいぶん前に息子夫婦が東京に行ってしまったから、寂しくてねえ。
これも三度目だろうか。少しぬるくなったお茶を飲みながら、それでも話だけは聞こうと軽くうなずいた。
「行けたらいいのにねえ」
少しだけ遠くを見る目になる。高齢者のSME発症も、近年問題になっているのだという。生活ストレスは、どんな年代の人間にも重くのしかかる。
三十分ほど引き留められ、ふたりは大友さんの家を辞した。
「いろんな
道を歩きながらぽつりとつぶやくと、暗黒騎士は『斉藤くん』の顔になって答えた。
「大友さんは……時々軽く認知症が出てて……」
目を伏せる。
「そのうち
胸にずきりと何かが刺し込まれた気がした。
「よって、我らが力にてかの長老に闇の庇護を授けん。そなたも励むが良い」
暗黒騎士口調が復活する。どうもこの落差にはなかなかついていけないが、多分、彼なりの使い分け基準があるのだろうと思う。
はい、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様。ちらりと白いマンションを振り返ると、ふたりは次なる地へと足を向けた。
『トカノ特殊業務社』を出る時に渡されたゴミ袋は、じわじわと中身が増えつつある。
「人の手による
地味だけどお仕事だからちゃんとやろう、かな、と補完した。軍手とトングでちまちまとゴミを拾うのは、案外性に合っている気もする。
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様は」
落ちていたチラシの紙くずを袋に放り込むと、暗黒騎士はこちらをじっと見る。
「ええと、普段はこうしたお仕事をされているんですよね」
「いかにも。我が神速の剣技、滅多なことでは衆目に晒せぬゆえな」
はた、と気づいた。そういえば、今日の仕事は暗黒瘴気剣の出番は何もない。なんでも剣になる、と社長は言っていたけれど、ダンボール以外にも使えるのだろうか。
「私、ちょっと見てみたいです」
「我が秘技は門外不出ぞ」
じろりとにらむような目で見られ、あっ、失敗したろうか、と思った。だが、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは、自販機の横のゴミ箱からあふれたペットボトルをトングで掴むと軽く宙に放り投げる。
「『透華裂断・ザガルレスト=ズラムシード』」
風を斬る鋭い音がした。
手にしたトングが、透明の容器を真っ二つに切り分ける。軽い音を立て地面に落ちたゴミをトングは再びつまみ上げ、プラごみの袋に放り込んだ。
本当になんでも剣にできるんだ、と目を瞬かせ、そうしてリーゼロッテは自然にぱちぱちと拍手を送っていた。正確には、軍手のぽふぽふという音だけがした。
「すごい。さすがです、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様!」
「うむ……うむ、そうか? よろしい。我が名を讃えよ」
「素晴らしきお手並みです。格好いいです!」
少し照れた顔で、暗黒騎士は口をもぐもぐとさせる。
「泰平の折には、我が暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーは眠りにつく。技を存分に振るえぬ
「えっと、ちょっとお待ちくださいね」
今回はさすがに解読に少し間が必要だ。ええと、泰平の折には……。
口惜しい。力を使えず、悔しいのだろうか。物を剣にする力は、確かに日常的に応用の効く能力ではない。カッターナイフが見当たらない時くらいしか、使い道はぱっと思いつかなかった。少なくとも引越しの手伝いで常に必要とされる類の力ではないのだろう。
「でも、今日は助けてくれましたね。私のこと」
バス停の暴走事件。あの時彼の剣は確かに、暗黒瘴気ドラグザルディムカイザーだった。そして、まだリーゼロッテではなかった彼女を救ったのだ。
「我が剣は正義にあらず。ただ
「それでも、ありがとうございました。その後もお願いを聞いてくれて」
「……次は乃木さんのお宅である!
話題を変えられる。あんまりほめると照れるのかしら、とリーゼロッテは不思議に思った。ふたりは『乃木』と表札が掲げられた平屋の前で立ち止まる。堅く閉ざされた黒い色の門が、威圧的に彼女を見下ろしていた。
「また出たんですよ。
乃木は大友とは違って陰気な様子の白髪の老人で、不満そうな顔でうっそりとこう言った。緊急の案件にしては場違いな、牛乳と黄色いカステラをどうぞと差し出された。食べると少し嬉しそうに笑う。
「危機あらば即我らが城に文を投げるべし」
「すぐにいなくなったからね。わざわざ来てもらうのもどうかと思って……ああ怖かった」
バス停で出会った暴走者の頭が炎に包まれていたのを思い出した。あの人も、放っておけばそんな存在になってしまっていたのかもしれない。
それが、この辺りをうろついている?
「あの、それ、とても危ないのでは」
甘いカステラを飲み込んでから小声で言うと、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは小さくうなずいた。
「しかし、我が剣の敵にはあらず。安堵せよ。必ずや
「そんな物騒なものはいらないですけどね……。頼みますよ。おちおち夜も眠れやしない」
「寝台にて身体を
布団でストレッチとかしてくださいね、かな。乃木はその後もゴミ出しのマナーが良くないだの若者は挨拶ができないだのあれこれと不満を述べ、ふたりはしばらくその話に付き合う羽目になった。カステラは、お代わりをどうぞ、と勝手にふた切れ目が補充された。
「
「落ち着くがいい、リーゼロッテ」
暗黒騎士は小さく息を吐いた。
「かの者の言葉は
「えっ?」
少し歩いて乃木家から離れると、彼はリーゼロッテに向き直る。
「この半年で、領内に狂える者の存在を告げる声は二十を超えている」
「そんなに?」
そのわりには、おかしい。町も人も、あまりにのんびりとしている。破壊の跡もない。学校を終えた小学生たちが、賑やかにざわめきながら走っていった。
「その全てがあの乃木さんだ。幾たびも
リーゼロッテは振り返る。ぞくりとした。嘘の通報を何度も、何度も。何のために?
「ただの迷惑行為なのでは……」
「迷惑であろうが、呼び声あらば
もしかしたらこのかっこいいポーズを取っている人、担当を体良く押しつけられているのではないだろうか。そんなことを思った。放っておけばいいのに、とも思う。そうはいかないのだろうけど。
「捨て置くわけにはいかぬのだ」
リーゼロッテの心を読んだように、ぽつりと暗黒騎士がつぶやく。
「そは我が使命であると同時に、同時に……うー、うーん」
唸りだす。暗黒騎士と『斉藤くん』の顔がちらちらと入れ替わった。
「……寂しいんだと思うと、どうしても」
「寂しくても、人に迷惑をかけるのは良くないことです」
「そう……左様であるな。だが、我は寛大であるからして、
トングが空を指す。損をしやすい人だなあと思った。SME。ストレス性変異脳症。ストレスを溜めやすい……発症しやすい性格の、典型みたいな人だ。
だからだろうか。なんだか他人事と思えない。放っておけないと思ったのは。
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