第2話 暗黒騎士と新人研修

「あの子ね、どうも自分を暗黒騎士とやらだと思い込んでるんだよね」


 別室に通されて、いろいろと事務的な話をして。最後に、戸叶とかの社長はそう言った。


「なんとかって世界を放浪してる途中の設定らしいよ。昔遊びでそういう設定作って、発症がきっかけでなりきっちゃったんだって」


「斉藤さん、ですか」


「うん。悪い子じゃないの。ただ妄想が強くてさ。見た感じうまくやれてるみたいだから、ちょっと付き合ってあげて」


 言われなくてもそうするつもりだけどなあ、とドアの外を見る。


 あとの手続きはこちらでするとして、さ。昼休みのうちに髪をどうにかした方がいいよ。戸叶が言うので見てみると、毛先が先ほどの爆発で焦げ、ちりちりと乱れていた。


 どうせなので、近くの美容院でカットをしてもらった。会員カードを作るのにリーゼロッテ、と新しい名前を使ったら、とても驚かれて楽しかった。


 事務所に戻ると、ひとりでコンビニ弁当を食べていた暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードがまじまじとこちらを見つめてくる。戸叶も目を丸くした。


「思い切ったね……」


 背中まで伸びていた長い髪を、肩先に揺れるボブカットにしたのだ。頭が軽くなって、春の風に気持ちが良かった。もっと早くこうすれば良かったと思う。


「家もないんでしょ。知り合いの不動産屋に話通しといたから、後で行って契約してきなね。この辺安いホテルとかあんまりないからさ」


「助かります」


 心から感謝をした。昨日は生まれて初めてのネットカフェに滞在し、あまり眠れなかったのだ。


「あとは細かい業務の説明と、帰り次第他の子たちを紹介して……」


『僕なら帰らなくても紹介できるんじゃないですか?』


 突然、聞き慣れない男の声が耳に飛び込んできた。目を瞬く。戸叶の机の上にあった、透明の蝙蝠こうもりの置物が突然宙に飛び立ったのだ。ガラス製か何かかと思っていたが、その羽ばたきはいかにも軽い。


葵川あおいがわくん、今日も出社拒否?」


『ちゃんと外回りしてますよう。引きこもりみたいに言わないでほしい』


「盗聴活動はほどほどにね」


 葵川肇あおいがわはじめくん。戸叶は蝙蝠を軽くつつくとそう紹介した。


「もちろん人間ね。営業とか広報をやってもらってるから、本体はあんまり社内にいなくてサウンドオンリー」


 まあ実際働き者なんだけどさ、と肩をすくめる。要するに蝙蝠は、音声を媒介する能力の一部らしい。


『よろしくね、リーゼちゃん。そのうち本名教えてよ』


「油断ならぬ男ゆえ、気を許すでないぞ」


 暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードが忠告するように言う。盗聴、とさっき言っていた。さっきの会話も聞かれていたということだろう。気をつけないと、と思った。


「まあ、なんか失礼なことしてきたら言いなさい。こいつの下っ手くそなカラオケ音源録音したやつがあるから、蝙蝠にエンドレスリピートで聞かせる」


『そういう攻撃はずるいですよ!』


 透明の蝙蝠は事務所中を飛び回り、やがてまた机の上にちんまりと止まって首を傾げた。


『無害なマスコットだよ』


「後で帰って来なさいよ。事務作業が溜まってるんだから」


『はーい』


 と、またガラスの置物のようにぴたりと動かなくなる。


「……まあ、本体は後で紹介するか。この子みたいに、勤務時間とかはある程度都合に合わせられるから。なんかあったら言ってね」


「わかりました」


 こくりとうなずく。


「あとは普段の業務ね。さっきみたいな戦闘行動もあるんだけど、まあそこまでは多くはないかな」


「そうなんですか」


 なんとなく、特殊警備と言うくらいだからああした暴走事件がよく起こっているのだと思っていた。


「SME発症時の暴走が起こるのは、全体の十分の一以下、ってやったでしょ? 『狂者ルナティック』……末期患者はもっと少ない。もちろん中期の暴走事件もあるし、最近じゃ正気の犯罪者も増えてるから気をつけないとだけど。みんながみんな暴れてたら、うちらもっと肩身が狭かったと思うね」


 SME、ストレス性変異脳症。要するに精神的負荷ときっかけトリガーとなる出来事により脳が変異を起こし、何かしらの能力を与える病気だ。現代病と言っても差し支えない発症率で、厚生労働省も対応に追われているらしい。おかげで、病者ペイシェントであるリーゼロッテもどうにか能力のコントロールを学ぶことができた。


 で、普段は何をしているかというと。戸叶はビビッドな色合いの紙を取り出した。『厚生労働省業務委託施設・トカノ特殊業務社』。会社の宣伝のチラシらしい。


「要するに政府公認の何でも屋。この季節だと引越し作業とかが多いね。今出払ってる子たちもそっちの仕事。斉藤くんは、主に担当区域のパトロールとか、年配の病者ペイシェントの方への声かけとか、清掃活動とか、その辺をやってもらってる。最初は組んでもらうことが多いと思うな。なんか気が合ったみたいだし」


 暗黒騎士は自分の話をされていることに気づいているのかいないのか、目を伏せてぼんやりとしている。その様子は当たり前の、少し内気な青年にしか見えず、先の戦闘の様子が嘘のようだ。


「今日はそうだなあ、午後から外回り行ってもらおうか。案内してあげてよ、斉藤くん」


「えっ、俺……我であるか」


 一瞬口調が揺らぎ、慌てて覆い隠したように見えた。


(あの子ね、どうも自分を暗黒騎士とやらだと思い込んでるんだよね)


 『妄想型』、発症時に認知の歪みが出るタイプとはいえ、症状は軽いのかもしれない。


「しっかりしなさいよ。初めての後輩なんだからさ」


「後輩……うむ。では我に従うが良い、リーゼロッテ」


 軽く胸を張る。嬉しいのかな、となんとなく胸が温かくなるような気がした。この人、ちゃんと言葉を聞けば素直な人なんじゃないだろうか。


「まあ、斉藤くんもこんな暗黒騎士だけど、普段の仕事は真面目にやるからね。見習ってね」


「はい」


 またうなずいた。緊張はあるが、まずは一歩だ。自由。自立。ともかく彼女の願いは少しずつ叶いつつある。


 叶えるのだ、とそっと目を伏せた。




ふるときより伝わりし地図を目当てに警邏けいらを行う。そなたの……そなたの……ええと」


 初っ端から何を言っているのか全くわからない、という顔が伝わったか、それとも暗黒語彙に不足が生じたのか、道端の暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは途端に元気のない顔になる。


「……スマホ持ってたら、さっき教わった会社のデータ置き場にアクセスして、地図を落として。巡回ルートが載ってるから……紙もあるけど、そっちの方が見やすい……」


 なんとなく悔しそうな顔をしているので、『斉藤くん』モードにはあまりなりたくないのだろう、と思った。


「わかりました……と」


 昨日契約をしたばかりの端末を不器用にいじり、ふと思いついて口に出してみる。


「叡智の集いし場よりいにしえの旅路を我が物にすべし、的な……」


 びくりと大きな反応があった。ドアノブに触れて静電気の衝撃を食らった人みたいだ、と思った。


「うむ……うむ! さすれば我らが道は拓けよう!」


「新しき門出に際して、ご教授願います。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様」


 畳みかけてみると、散歩に出かける時の犬のようなものすごく嬉しそうな顔で、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは晴れた空を指差した。


「まず向かうは北東! 大友さんのお宅で大事はないか諸々の確認を行うのだ。かの長老は雄弁なる語り部ゆえ、少々ときを経ねばならぬが……」


 お話の長いご老人なのだな、と思う。


「また、道に潜みし塵芥ちりあくたのごとき物は速やかに拾いあつめるべし。こちらもおろそかにはできぬ重大な任務である」


 なるほど、清掃活動、って言っていたっけ。


 あれ、と気づく。なんだかこの人の言い方に従っていくと、なんでもない地域活動がものすごい大冒険で、宝探しのように思えてくるのだ。


「大友さんと中上さん、そして乃木さんのお宅にては、時に甘露のごとき味覚を馳走される。その際は必ずや礼を尽くすよう」


 たまにお菓子をもらえるから、お礼はちゃんと言いましょう、かな。リーゼロッテはうなずく。


「ご老輩を訪ねし折は、異変の兆候を探るべし。そして……あっどうも、こんにちは……」


 道を通りがかった親子連れに『斉藤くん』モードでぺこりと頭を下げる。シームレスな動きだ。小さな男の子がきしのおにいちゃん、と手を振って通り過ぎていった。


「……えー、通院記録を参照し……異変あらば即保健センターに連絡を行うこと……」


 やはりたまに語彙が足りなくなるようだった。子供に手を振り返しながら、首をひねっている。


「パトロール……警邏もするんですよね」


「うむ。今朝のごとき不逞ふていの輩が姿を現さぬとも限らぬ。ご老輩を狙う不届きなる強盗も姿を見せるとも風の噂よ。さすれば我が暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーの馳せる時である! 道々怪しき気配あらば疾く知らせよ」


「了解しました。暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様」


 笑い出したいのをこらえながら、リーゼロッテは神妙な顔を作った。


 楽しい。楽しい。なんて楽しいのだろう。リーゼロッテは昔、友達と一緒に遊べなかった子供の頃を思い出す。自分はずっと、こんな風に現実を見たかったのではないか、とそんなことすら思った。


「何かおかしいか、リーゼロッテ」


「いいえ」


 首を振る。おかしいのではなくて。馬鹿にしたいのではなくて。ただ、道端に小さな乳白色の真珠がころころと転がっているような、そんな楽しさでいっぱいなのです、と言おうとして、何も言えなくなる。


「お仕事のこと、いろいろ教えてください」


「無論だ。行くぞ」


 角を曲がって行く道は、ただの住宅街。でも、きっとそこには秘密と財宝が潜んでいるのだと、そう思えるような気がしていた。

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