9 全室同時通信/残り9時間55分
全室同時と言っても、館内放送とは異なり、着信に応じるか否かは個人の自由である。が、梅田の発信からさほど時を要さず、全員が通信を承諾し、倉敷のディスプレイに五人の顔が並んだ。中でも一番に出たのは、意外にも菊池であった。
「皆さん、突然すみません。どうしても皆さんにお話ししたいことがあって、艦長さんに許可を貰いました」
梅田は、声も顔も、落ち着いていた――というより、落ち着き過ぎていた。発覚から一時間以上経っているとは言え、白鳥や桜井よりも、明らかに平然としている。
嫌な予感がした。本当にこの通信は許可して良かったのか?
他の四人は、黙って梅田の次の言葉を待っている。
「私は、艦長さんの提案に反対です。くじ引きで決めるなんておかしいと思います」
全員の表情が、かすかに動いた。
「私のことを話します。私はご覧の通り、見た目は良くないです。顔も良くないし、太ってます。太ってるのは自分の責任です。
私はフリーターです。マクドナルドでアルバイトをしてます。声優の学校に通ってて、同期はみんな自分のことを声優の卵って言ってますが、少なくとも私はそうじゃありません。フリーターです。何故なら生活費はアルバイトで稼いでいるし、私がプロの声優になって食べていける可能性はほぼゼロだからです。
もう何年も前からそうですが、声優も顔を出す時代です。声だけで務まるものではないんです。よっぽど上手いのでない限り、見た目の悪い子になかなかチャンスは来ません。そして私はよっぽど上手くも可愛くもありません」
音声加工の技術が発達し、人間の肉声と遜色ない声を自在に作り出せるようになって、声優の需要は年々下がりつつある。倉敷が知る範囲でも、声優とは声の俳優というより、アイドルに近い存在だった。
「そんな私がどうして声優の学校にしがみついているかと言えば、『声優を目指している自分』でなくなったら、何者でもなくなってしまうからです。恋もしたことありませんし、まぁ、だから要は二十三で処女なんですけど、だから好きな人と家庭を築くなんてことも全然イメージできませんし、だから……つまりそういうことです。どうにか生きていく理由を繕ってるだけなんです。ただ、自殺したいっていうほど思いつめてるわけでもなくて、漠然と、叶いもしない夢にすがって今日まで生きてきました」
誰も、何も言わない。桜井は何か言いたげではあるが、下手なことを言えば逆効果だということは明白である。
「私の命は皆さんより価値が低いです。明らかに価値の低いものが混じってるのに、くじ引きで平等に決めるなんておかしいです」
大隅のように、自分を外せと言うのか。
そうではなかった。
「投票を提案します。得票数の多い二人が生き残るべきだと思います」
全員が、相変わらず、押し黙っていた。
菊池が口の端を歪めて微かにほくそ笑むのを、倉敷は目の端で見た。が、それをいぶかしむ間もなく、梅田の言葉が続いた。
「いかがでしょうか、艦長さん」
「私は……」
油断していた。ここで話を振ってくるとは。
「……命は等価だと思いますが」
「例えば白鳥さんと桜井さんなら同じかも知れませんけど、私の価値はその二人より間違いなく低いです。間違ってますか? 私の方が優れてるところが何かありますか?」
「わかりますよ、梅田さん」
と、割って入ったのは大隅だった。
「僕も君と同じように考えてましてね、抽選から外してくださいとさっきお願いしたんです。君の気持ちはよくわかります。でも、どうして投票なんですか? 自分に価値がないと思うなら、身を引けばいいだけのことでは?」
「結論が欲しいんです。はっきりさせたいんです。私に価値がないってことを」
「確かにあんたは随分性根の曲がった女みたいだけど」
と、今度は菊池が発言した。大人しそうな風貌に反し、くだけた、乱暴な口調だった。
「投票ってのは無理がある。俺たちクズは立派な人間を指名できるけど、立派な人間の方じゃクズをクズ呼ばわりできない。選べやしないよ、どうせ」
「そこを無理やりにでも、っていうか正直に選んでもらいたいんですけど」
「あんたに合わせる理由がない。個人的には投票も面白いと思うけどね」
と、菊池がまた口の端を歪めたところへ、強い口調で割って入ったのは、白鳥だった。
「一人何票?」
少し気圧された様子で、梅田が答えた。
「一人、二票です。生き残るべきだと思う二人に」
「じゃあ、僕は艦長に一票入れる」
一度聞いていたことだが、聞き捨てするわけにはいかなかった。
「白鳥さん、ちょっと待ってください」
白鳥は、倉敷を無視して、続けた。
「いいかい、梅田さん。僕が艦長を推すのは、自分の代わりにこの事故の真相究明と再発防止に努めてもらいたいからだ。もう一票は、コインでも投げて決める。でも、梅田さん、君は除外する。君のように、生まれ持ったものの所為にして、ろくに努力もせず諦めるような奴は、どうせ大成しない。そんな人間、生き残ってもしょうがない。君が思っている通りだ。同意してやるよ。君は価値の低い人間だ」
梅田は、先ほどまでの落ち着き払った様子と打って変わって、カメラから目線を外し、口の中で何やらもごもごと呟いている。
「これで満足か? 満足したら、馬鹿な考えは捨てるんだ。人生は長い」
梅田はその後、目線をしきりに泳がせながら言葉を探している様子だったが、結局何も言わず、通信を切った。
全室同時通話はグループチャットのようなものである。招待者が退室しても、チャットルームは残る。
沈黙を破ったのは、菊池だった。
「かっこいー、白鳥さん。俺一票は絶対白鳥さんに入れますね」
「投票する話にはなってないだろ」
「わかってます。冗談ですよ」
菊池流星。流星と書いて「めてお」。
難読名はかつてキラキラネームと呼ばれ、倉敷が学生の頃は論争の的だったが、そのような名を持つ人口が徐々に増えることで、やがて論争は廃れていった。ら抜き言葉と同じである。
ただ、教養の低い親が難読名を好む、という傾向は依然あった――昔ほど顕著ではないとは言え。
「でも、どうします? 結局、平等にくじ引きなんですかね?」
今の菊池の雰囲気は、出発の時とは正反対だった。自棄になっているようには見えない。こちらが本性なのだろう。
「くじ引き以外にあるのか?」
「俺は殺し合いがいいんじゃないかと思いますけど」
全員が、息をのんだ。
「いい、っていうか、こういう『密室モノ』ってどうせ最後は殺し合いになるでしょ? さっさとその段階行っちゃいません?」
「何を言ってるんだ、君は」
「だって大抵そうじゃないですか」
「これは映画じゃない」
「その台詞こそ映画みたいですね」
「大体、腕力で決めるんじゃ、どう考えても女性が不利だし、若い君が一番有利だろ」
「謙遜はよしてください。僕はただのヒョロいヲタクですよ。大隅さんとはいい勝負かも知れませんけど、白鳥さんに敵うとは思ってません。それに、女には女の武器があるでしょ? 生き残れるのは一人じゃなくて二人なんだから、強い男に取り入ればいいんですよ。ま、そう考えてくと梅田は確かにどうしようもないですけどね」
「万が一そういうことになるなら、君は僕が取り押さえる」
「いちいち臭いんだよなぁ、台詞が。でも、それでいいですよ。その後はどうします? こんな危ないこと言ってる奴も込みでくじ引きするんですか?」
白鳥はため息をつくと、
「艦長、ドアのロックは賢明でしたね。このままの方がいいと思いますよ」
そう言い残して、ディスプレイから消えた。
「あーあ、逃げちゃった」
「菊池君は、どうしてこの旅行に応募したの?」
言ったのは、桜井だった。
「さすが女性。いいアプローチ」
菊池の挑発に桜井は乗らず、黙っていた。
「でも、特別な理由なんかありません。興味があっただけですよ。ついでに、宇宙から地球を見た感想を言うなら、あの狭い星の中で馬鹿な人間たちがいがみ合ってるんだなぁ、ってとこですね」
「菊池君は生き残りたくないの?」
「どうでしょう。どっちでもいいです。窒息で苦しむなら嫌ですけど、安楽死させてくれるっていうし」
桜井は、悲しそうな目で、まっすぐにカメラを見つめている。
「他にヤサシイコトバはないですか? ……ないですね? じゃ、お疲れ様でした」
菊池がディスプレイから消えた。
「申し訳ありません。まさかこんなことになるとは」
倉敷の言葉に、桜井が応じた。
「どうして艦長さんが謝るんですか」
「軽率でした」
やはり一同に会する前に――たとえ通信でも――事前に全員の様子を確認しておくべきであった。
「でも、こんな風になっちゃうなら、直接集まるなんてとんでもないことでしたね」
「いえ、その方がまだ良かったかも知れません」
「……と、おっしゃいますと」
「菊池君は、通信だからあんな態度だったのでは」
「そうでもありませんよ、最近の子は」
と口を挟んだのは、大隅だった。
「何と言うか、怖いもの知らずなんです。自分なんかとは全然別の人種だと思っちゃいますね……。じゃ、僕もこれで」
大隅が通信を切った。
そして、桜井とも簡単な挨拶を交わし、全室同時通信は終了した。
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