暗天公爵の贋雨
安良巻祐介
ある時を境に町の上に留まるようになった陰鬱な黒い雲のかたまりが、温くて生臭い雨を四六時中降らせているから、町はいつもずぶ濡れで湿っていて、あちこちで沁み出した水が流れを作って、何本も新しい川ができて、その上を町の住人の個人的な小舟が黙ったまま行き来している。濁った泥色の水面の上に、生活カンテラのオレンジの火がいくつも反射して、人々の舟の上の青白い疲れた顔をほのかに照らした。誰もかれも疲れ切って、何をするにも動作は緩慢だった。そんな中、町の奥に住む降雨専門家のドプ・ドムニ氏だけは、水饅頭様に膨れた体に黒い蕾のような特製の防湿服を着込んで、昼夜を徹して精力的に働き回っている。それは例えば食用ナメクジの捕獲と品種改造だとか、中央公園に聳える収水捻濾機構通称〈よだれすすり〉の周回メンテナンスだとか、俄にバリエーションを増した雨占いの色系統議論だとかであって、青いスクリーンがかかったように長雨の降り続けるこの町においては、次から次へとそのような事案が湧いて出るのであった。例えばある休日の氏は、粘り雨の過重堆積によって破損した逆傘の樋を修理しに、深海のフクレウナギに似て丸っこくユーモラスな小型掻水艦に乗り込んで、メーンストリートの食道川を二条のメスメリ燈で照らしながら、ぐんぐんと泳いでいく姿が人目を引いたし、またある時は、恒常雨天下でも問題なく稼働できる耐浸合皮製の女性型オートマトンを開発してマーケティング用にパラソルボートの隣に座らせ、親子か恋人かといった態で雨の町の中をぐるりと回遊したこともあった。マーケットで売上一番の栄養補給剤の形状をレインドロップ型に変えさせたのも氏の仕事であった。そのようにして陰鬱な雨の町のどこでもいつでも忙しく動き回る彼の姿が見られた。湿気に晒され色の抜けた白い肌に灰色の濡れ染みをいくつも作って、建物の陰やそれぞれのフードの下から雨景色を見つめる住人たちは、客席から鑑賞するようにそれをぼんやり見ていた。やがてその中の何人かによって鬱々と雨の研究が進められ、この雨の発生と持続というのが他ならぬドプ・ドムニ氏のたゆまぬ努力と研究の成果によるものだと判明し、武装した町内会の迷彩自警隊が〈雨と無知〉亭――氏の屋敷――に踏み込んだ時、彼は腐卯花(フウカ)と名付けたかのオートマトンと褥を共にして、雨の周期と連動する遺伝子を組み込んだ人工児を造ろうとしていた。屋敷が爆破され、連行された彼の体が、華燭を灯した自動人形と共に赤い水になるまで念入りに解体された時、町の天気予報は実に二十年ぶりに晴れを指した。しかし、それから四十九日の間、黒雲は予報に反して町の上から去らず、まるで涙のようなさめざめとした雨を、町へと降らせ続けたそうである。
暗天公爵の贋雨 安良巻祐介 @aramaki88
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