第3話 生ライブ
さて、いよいよ萌絵の初めての生ライブの日がやってきた。
この日は朝から大忙しであった。
学園祭がもうすぐ、というところまで迫ってきているために、土曜日だというのに朝から学校へ召集されていたのだ。
クラスメイトは休んでも構わないよ、というのだが萌絵の性格上そういう学校行事はしっかりとこなしておきたいタイプなのだ。
それに、両親との約束もあった。
ネットアイドルをやることに反対はしない、だが、それを理由に学業をおろそかにするのであればどちらか片方を諦めなさい、という約束だ。
萌絵は学業もネットアイドルも辞める気は今のところない。
現代にありがちな、現実主義というところだろうか。
萌絵だってネットアイドルだけでやっていけるとは思っていない。
そもそもアイドルというのは寿命が限られているからだ。
全員が全員というわけではないが、テレビなどのメディアに出ているアイドルだって、そのうちアイドルとして引退するか女優などとして芸能界に残り続けるかだろう。
たしかに萌絵はかわいい、それは自他ともに認めていることだ。
だけどもそれはあくまで一般と比較してかわいらしさがあり、歌のうまさやダンスのキレがあるだけだ。
もちろん、過酷なオーディションを勝ち抜いて頭角を現すアイドルに並ぶのは難しいだろう。
萌絵は大多数の一人にはなりたくなかった。
萌絵には夢があった。
子どものころから自分より幼い子供の面倒を見るのが好きだった。
将来の夢は小さいときから一貫して「保育士さん」。
その夢をかなえるためにも、どうしても学業を修めておく必要があったのだ。
「じゃあ、ごめんね!先に抜けさしてもらうっ!」
「うん、大丈夫だよ!」
「今日のライブ頑張ってね。」
「応援してるぞー!」
クラスメイトもみんな萌絵の性格や約束を知っていた。
そのため、今日の学園祭の準備は自分の担当が終わったら帰ってもいい、というルールにしていたのだ。
萌絵を含めて、あとはクラスの中でくじを作って何人かは午前中だけで終わるような仕事を割り振っていた。
クラスメイトにも何人か半日仕事で構わないという者を作ったのは、萌絵が持つ罪悪感を少しでも軽減してやろうという計らいだ。
あくまでも萌絵たちのグループの仕事が早く終わってしまったから、先に帰るという事実を作り上げただけだ。
「すみません、〇〇ライブハウスまで。」
「はい、〇〇ライブハウスまでですね。」
校門を出たところでタクシーに乗る。
萌絵はまだ高校生ということで、ライブは日中に行うのだ。
一度帰宅してからでも開始時間には間に合うが、ライブハウス入りを早めにしておいて少しでもリハーサルを行いたい。
現在時刻は午前11時50分、ライブハウスはここからだと車で30分ほどの場所だ。
ライブ開始が午後3時なので、2時間ほどは余裕が持てる。
車の中で景色が流れる。
萌絵はそんな変わっていく背景を見ることなく、今日のライブのイメージトレーニングに余念がない。
セットリストの確認はもちろん、今まで撮ってきたライブでのC&Rでどういうタイミングが多かったか、など。
もちろん、ダンスの振り付けも確認しなくてはならない。
それには30分という確認に使える時間、2時間というリハーサルに割ける時間はあまりにも短いように思えた。
(大丈夫、今までやってきたことをみんなの前で見せるだけ……。)
萌絵ははやる心を落ち着かせる。
別に生ライブだからと言って何も特別なことをやるわけではない。
月に1~2回はライブ中継をやってきたし、それでなくても週に1回以上は曲数はもっと少ないが中継でやってきた。
今日はそのカメラという垣根がないだけに過ぎないじゃないか。
そう思うと緊張から少し震えていた手がおさまる。
「ありがとうございましたー。」
予定の時間通りにタクシーを降りる。
事前に運営会社に問い合わせたところ、タクシーなどの公共交通機関を利用した場合領収書をとればそれにかかったお金は会社が補填してくれるそうなのだ。
女子高生が経費を使って何かをするということは今までの人生でありえなかったので、少し大人の階段を上った気分にもなる。
ライブハウスの控室に入る。
今日は萌絵1人でこの空間を使って構わないらしい。
ただ、今日は運営会社と提携しているヘアメイクアップアーティストがいるらしく、開演1時間前に来てくれるそうだ。
もしかしたら人に化粧をしてもらうなんて、物心ついてからなかったかもしれない。
ライブハウスの舞台中央に立つ。
ここから見える景色に映るスペースが、萌絵のために埋まるらしい。
たしかにライブ中継ではここのスペースぎりぎりまでの人数が来てくれることもある。
だが、それはあくまで数値のみで、実際の人間がここに来てスペースが埋まるとなると圧巻だろう。
(VR中継とかできればもっとお客さん身近に感じられるのになぁ……。)
舞台をめいいっぱい使って表現しながら萌絵はそう考える。
普段のライブ中継でもやっぱり楽しいのだが、萌絵はもっとファンと向き合いたかった。
カメラを通してネットを通じようやく向き合える。
だが、それはあくまでも文字でしか向き合えない。
せめてVRだったら、同じ垣根を通してももっと向かい合えるかもしれないじゃないか。
(やっぱり、広いなぁ。)
舞台で表現するのには、ダンスの振り付けを少し変えなければならないかもしれない。
カメラを通すときは、固定カメラであったため表現できるスペースは狭く限られていた。
ファンの人、一人一人が画面上に映る萌絵を独占できる。
だが、今日は舞台の上で萌絵自身を表現することができるのだ。
それは言い換えると、中央にしか萌絵が留まっていなければ端にいるファンの人は萌絵との距離感を感じる、ということにも繋がる。
やはり、この舞台を限界まで使って表現したい。
そのためにはどうすればいいか、短い時間で考える必要があった。
「ではメイクさんはいりまーす。」
個人リハーサルを終えた萌絵が控室に帰るとすでに運営会社の人が集まっていたらしい。
今声をかけたのが、萌絵を担当してくれるいわゆるマネージャーのような役目を普段から担ってくれている人だ。
「じゃあよろしくね。」
「はい、よろしくお願いします!萌絵と申します!」
「あっはっは、礼儀のいい子だねぇ。あたしはヘアメイクの理恵よ。よろしく。萌絵ちゃんって高校生?」
「はい、そうですよ。今高校3年生です。」
「やっぱり若いといいわー、肌の張りは違うしなんてったって瑞々しい。メイクのノリも明らかに違うわ。」
「理恵さんだってお肌綺麗じゃないですか。」
「違う違う、あたしのはただメイクが上手いだけよー。」
こんな軽い会話をしながらでも、理恵の手は止まらない。
髪をセットするために、ヘアから手を付けていく。
染髪などしなことのない、バージンヘアは完全に真っ黒ではなく、少し明るい色合いをしている。
パーマをかけていない滑らかな手触りの黒髪を少し巻く。
萌絵の髪をあっという間に仕立て上げた理恵は続いてメイクに取り掛かる。
30分ほどして、どうやらヘアメイクは終わったようだ。
「うんうん、さっすがあたし。今日もかわいく仕上げられました!」
「ほんとだぁ、ありがとうございます!」
「素材がいいからここまでできるのよ。」
―コンコン
「もうすぐ本番だから確認はじめるよ」
「はい、お願いします!」
3時5分前。
「いよいよ本番だ。頑張ってね!」
「はい、ここまでこれたのも園崎さんのおかげです!頑張ってきます。」
マネージャーである園崎に激励を受け、ステージの端に立つ。
3時になれば、今ライブハウス内についている明かりが1度消え、萌絵はステージの中央に立つのだ。
「消えるよ、5、4、3、2、1…」
明かりが落ちる。
その瞬間に騒めいていた客席が一気に静まり返る。
―コツコツコツ
見えないながらもその足は迷うことなくステージの中央へ向かう。
「みんなぁ、今日は萌絵の生ライブに来てくれてありがとう!」
ステージも客席も暗い中、ファンから歓声が上がる。
「今日は一緒に…」
カッ、とステージに明かりが灯り、萌絵の姿がファンの目に映し出される。
ボルテージは最高潮。
「盛り上がっていこうねー!」
歓声。
そのまま1曲目のイントロが流れ出し、萌絵の初生ライブが始まった。
記憶のない少女と優しい少年 お嬢 @ojou0703
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