#番外編 夏子ストーリー

ノイジー・エナジー #番外編 夏子ストーリー


★本作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事、法律などには一切関係ありません。法令を遵守し交通ルールを守りましょう。


#夜明けの家


 子供たちが幼稚園のような施設の庭で遊んでいる。屋内にも保育室のような大部屋がある。施設の名は「夜明けの家」。身寄りのない、あるいは親が育てられない子供たちの生活する家だ。災害孤児、育児放棄など、子供たちが自分ではどうにもならない運命に翻弄され、たどり着いた場所だ。


 そんな家の大部屋の片隅で、女の子が絵本を広げていた。

「夏子ちゃん、今日もご本を読んでるの?」

 施設で世話をする女の人が女の子に声をかけた。返事はなかったが、女の子はコクリとうなずいた。

 夏子と呼ばれた少女はまだ幼児だった。あまり手入れしていない長い髪。着古された大きめのスエット。膝のアップリケも擦り切れ脛までしかないツンツルテンのズボン。


 ページをめくる手の指は細くやせていて、自分にも周りにも興味はないように見えた。開いている絵本は、装丁もボロボロな「ホームズの冒険」。読み残した文字がないか、見過ごした絵はないかと、食い入るように、貪るように絵本を読んでいた。まるでそこにしか自分の居場所がないように。



 私は「ホームズの冒険」が大好き。何度も読んでもらって、書かれた文も絵も全部覚えてるけど、気がつくとページをめくっている。

 たった一人で悪者に立ち向かうおじさんは凄くかっこいい。しかも実験てなんだろう?私も実験してみたい。何が起こるのかな。忘れた事を思い出させてくれる薬がつくれかな。もしかしたら爆発する薬でビックリしたら思い出せるかもしれない。


「夏子ちゃん、またホームズ読んでるね。」

「ここに来た時は気力も無いし、食欲も無いし、何より記憶が無かったから、なにか興味があるだけまだマシになったよね。」


 …聞こえてるよ。施設の人達がなんか話してるけど、気にしない。そう!その通り。夏子と呼ばれる私は本当はどこの誰だか分からない。夏の日にやって来たから、夏子ちゃん。ここに来る前はあちこちさまよっていたらしいけど、それも覚えてない。

 ホームズさんがいたら、私の事も推理してくれるかな。もしかして、どこかのお嬢様だったりしないかな。そんなことを考えながら、取手が割れたプラスチックのマグカップで、今日何杯めかの出がらしのティーバッグのぬるい紅茶をすすった。

「…まっず。」

 自分のおうちが出来たら、お茶だけはおいしいものにしよう。それが私、『夏子』のささやかな夢だった。


#家族


 そんな私を探し出してくれた家族が現れたのは、ホームズの絵本がそろそろ分解しようかという春の日だった。


「夏子…」

 記憶が無い私には初対面の女の人だけど、なんとなく鏡に映る自分と面影が似てるような気もする。

「お母さんなの?」

「あなたのお母さんよ。夏子。あなたの本当の名前も夏子なの。偶然だけど嬉しい。今日は私しか来れなかったけど、お父さんも弟の春男も喜ぶわ。」


 春男?私の弟?戸惑う私の手を取って、『お母さん』という女の人が言った。

「私の名前は真冬、お父さんは秋信、四人揃って四季になるのよ。一人も欠けてはいけないの。」

 そういうと『お母さん』は私を抱きしめた。

「見つかってよかった。生きていてくれてありがとう。」


 私の首筋に暖かな雫がぽたぽたと落ちた。私の頬にも…。私の手は暖かな匂いのする『お母さん』の服をぎゅっと掴んでいた。



 私は『お母さん』に連れられて家に帰った。玄関を開けると、大人の男の人と、私より小さな男の子が出迎えてくれた。男の子は男の人の後ろからじっと見つめている。

「おかえりなさい。」男の人が言った。

「ただいま。」お母さんが言った。

 そして私を振り返った。

「夏子、あなたのお父さんと、弟よ。」


 私は『お父さん』と呼ばれた人を見上げ、『弟』と呼ばれた男の子を見下ろし、視線を何度も上下させた。新しい家族というのは目が回る。

「夏子、おかえり。」

『お父さん』が、言った。

「た…ただいま。」

 頑張ってそう言った。何だか照れくさい。


「本当に『お姉ちゃん』なんだね。」

 そう言うと、小さな男の子は父親の後ろから私の前に飛び出してきた。そして私に耳打ちした。

「僕ね、優しい『お姉ちゃん』が欲しかったの。」

 その日から、私は佐藤家の一員となった。



 『弟』春坊のなんでもない言葉から、私が本当の子供ではないことを、なんとなく認識していた。でも、お母さんも春坊も私とよく似ているので、ちょっと不思議に思っていた。

 ある夜、お手洗いに起きたら、お母さんがお父さんと話すのが聞こえた。


「あの子、小さい頃の夏子にそっくりね。」

 はて、私はまだ小さいんだけど、と思っていたら。

「本当にそっくりなの、私の妹、夏子に。」

 私は息を飲んだ。


「妹の夏子は駆け落ち同然に家を出たけど、まさか夫婦で死んでしまうなんて思ってなかった。」

 お父さんは、君のせいじゃないし、天災じゃ仕方ないよ、そんなに自分を責めないで、と慰めていた。

「やっと子供だけ見つかったら、偶然でも妹と同じ名前で呼ばれているなんて…。私はあの子の事を幸せにするわ。絶対に。妹もきっとそう願ってる。」


 ベッドに戻った私はひとり枕を濡らした。私は新しい『お母さん』達に感謝すると同時に本当の家族がいなくなってしまった事を悲しんでいた。でも、私が知っている事を知られてはいけない。その事も強く感じていた。


#バイク


 私は『弟』の春男と仲が良かった。自転車で一緒に近所を駆け回っていた。

 出会った時の一言以外、本当の姉弟ではないと思わせるような事はなかった。まだ幼いからか、本当の姉と刷り込まれたようだ。ずっと、夏姉、夏姉と、私にくっついてきた。大きくなってからも、私が姉であると信じきっているようだった。


 お父さんは大きな『バイク』に乗っていた。よく友達を連れてきて、ラーメンとバイクの話をしていた。時折、私にポケバイ乗らないかと話をしてくるけど、私にはなんの事か分からなかったから曖昧に頷いていた。


 ある日、家族でバイクの遊園地に出かけた。私と春防は子供用のバイクを借りて、山あり谷ありのコースを初めて走った。私はなぜか最初から簡単に乗ることが出来た。

 春坊は苦労していたが、私が手本を見せると段々乗れるようになってきた。私は風を切って走る『バイク』が気に入った。まるで生まれる前から乗っていたような気がした。春坊も楽しそうだった。


 最後に二人で勝負する事になった。お母さんは止めなさいと、ひどく心配顔だったが、小さな二人はやる気満々だった。スタートすると、小さな弟はアクセル全開でダッシュした。私は負けじと追走した。実際、いい勝負だった。しかし、私がなかなか離れないので、焦った春坊がコーナーに突っ込んで転倒した。春坊はバイクから投げだされた。わたしは急ブレーキと急ハンドルで避けようとしたが、間に合わなかった。


 ガシャン!

 私のバイクが春坊が乗っていたバイクに突っ込んで、私は前のめりに地面に突っ込んだ。幸いにもおでこの擦り傷程度で大きな怪我はなかったが、お母さんは泣いて心配していた。


 その後、お母さんは私の扱いが、恐ろしく過保護になった。

 春坊がバイクで野山を駆け回っても、私はボーッと見ていることしか許されなかった。外に出かけてもつまらないので、この頃から私は部屋に閉じこもり、懐かしいホームズの真似をして、化学の実験をするようになった。

 お母さんは、その後私が引き起こす数々の爆発事件に心底肝を冷やすことになるのだが、この時は私が外で事故の危険に遭うよりは、目の届く屋内で実験をしているほうが安心だったのだろう。


 こうして私の実験道具コレクションは順調に揃っていくことになった。試験管や試験管立て、ビーカー、フラスコなどなど。

 さすがにアルコールランプをオネダリしたときは、若干の抵抗があったものの、かわいく涙をこぼして見せたらイチコロだった。


#悪友


 小学校に上がると、すでに本の虫だった私は、勉強で苦労することはなかったし、体育でも運動神経は悪い方ではなかった。休み時間は本を読んでいたし、一人でなんでもこなして完結してしまうので、親しい友達はいなかった。


 しかしある時、『ちえり』ちゃんというクラスメイトがポケバイに乗っていることを知り、私もまたバイクに乗ってみたいと思った。

 チャンスは意外と早くやって来た。ちえりちゃんのお父さんは私のお父さんのバイク友達だったのだ。ちえりちゃんは勝手に私を名前呼びするので最初は少し嫌だったが、バイクに乗るという欲望には勝てなかった。


「お母さんには内緒でバイクに乗りに行こう。その代わり、絶対に転ばないようにするんだよ。」

 お父さんも私が初めてバイクに乗った時の楽しそうな様子を覚えていて、乗せたかったらしい。でも『絶対に転ばない』って結構難しい。私は自分が転ばないだけじゃなくて、前後左右のバイクに気をつけて、ぶつからない、ぶつけられないように走った。

 言うのは簡単だけど、ミラーもないポケバイでは凄く難しい事だった。お陰でタイムは出ないし、神経がすり減って、走り終えると頭痛い。


「大丈夫?」

 へたり込んで膝に顔を埋めていたら、心配顔のちえりちゃんが覗き込んだ。そう言う本人の手には、転んだ時に痛めたのか、テーピングが巻いてある。ちえりちゃんが着ている子供用のライティングスーツはあちこち傷だらけだった。気軽に転べるのを羨ましいと思うのは、私がひねくれているだろうか?


「夏子は全然転ばないよね。凄くない?さっきなんか、後ろから突っ込んできたバイクを避けたよね?」

 また、気軽にそんなこと言ってくれちゃって、邪気が無いのが始末に負えない。

「ちえりちゃんの方が、タイムいいよ。」

 そう言うと、それ程でも~…と、まんざらでもなさそうなのが癪に障る。チッ、と思わず舌打ちしてしまった。ちえりちゃんは気付いてないけどね。


「でも、杏お姉ちゃんのタイムより、夏子の方が良くなったよね?」

 そうなのだ。

 ちえりちゃんのお姉ちゃんは私達より先にポケバイを始めて、最近はミニバイクに乗り始めたけど、伸び悩んでいた。ちえりちゃんのお父さんが、もっとアクセルを開けろと言っても、怖いからムリと言うのだ。


「ポケバイの時は楽しそうだったのにね。」

 最近は殆どサーキットには来なくなってしまった。元から女の子らしい可愛いらしい感じが、中学生になってすごく綺麗になった気がしていた。


「最近はクラスの男子の誰それがカッコイイとか、誰と誰が付き合ってるとか、そんな話しかしなくて、アタシはつまんない。」

 最近、ちえりちゃんは自分の事を『アタシ』と呼ぶようになった。きっとお姉ちゃんの後をついていくだけだった自分から脱皮しようとしているのだと思う。

 『ジリツ』した『オンナ』っていうのもかっこいいな、と思い始めたのはこの頃だと思う。


#春坊


 私と会った時から、春坊は少し負けず嫌いなところもあるけど、素直になついてくる大好きなかわいい男の子だった。幼稚園ではませた女の子が告白したりしていたが、『僕の好きなのは夏子姉だから。』と公言してはばからなかった。

 私はそんなシスコンの弟を心配しつつも、嬉しくて自然と笑みがこぼれているのを、同い年の園児からはブラコンの姉として気味悪がられていた。


 私と春坊は血がつながっていないことを知らない園児の母親たちは、『まあ、可愛い!』、『いいお姉ちゃんね!』と微笑ましく見守ってくれていた。

 小学校に上がると、幼稚園ではいつも私の後ろについてきていた春坊がいなくなった。少し寂しかったが、二年生になれば、可愛い弟も新一年生として入学してくるのを楽しみにしていたものだ。


 春坊は期待を裏切らず、新一年生で入学してくると、休み時間の度に私のところに来るようになり、担任の先生も困るような甘えん坊ぶりを発揮してくれた。

 しかし、ある事件をきっかけに春坊は、私とは距離を置くようになってしまう。というか、普通の姉弟関係になるだけなんだけど…。


 私は小学校に上がってから、理科室にこっそりと忍び込んで、私の持っていない実験器具を眺め、触れ、二年生に上がるころには秘密の実験を行うようになっていた。

 ある日の放課後、私はいつものように理科室に忍び込んで実験を開始した。春坊もこの頃は私の後についてきて、実験をする私を誇らしそうに見つめていたものだ。


「今日は何をしているの?」

「爆発よ!戦隊モノみたいな爆発を見せたげる。」

 私は、弟が大好きな戦隊ものみたいな爆発シーンを見せてあげようと意気込んでいた。

 しかしこの日の実験では、プスンという音の軽い爆発音と白いモクモクとした煙は出たのだが、それは戦隊ものの爆発とは到底言えないような結果だった。


 焦った私は、あろうことか薬品を入れていたフラスコを倒してしまい、中の液体に引火して床一面に炎が広がってしまった。私は一瞬の炎で目が眩んでしまった。

 何が起こったのかわからず、恐怖で硬直した春坊に向かって炎が燃え広がったとき、理科室の入り口から黒い影が走りこんだ。

 影は春坊を抱きかかえるようにすると、ゴロゴロと転がって炎を避けた。受け身を取ってすっくと立ちあがったのは、ちえりちゃんだった。


「春坊!大丈夫?」

 私は駆け寄って、春坊の無事を確かめて安堵した。炎のせいか、薬品のせいか、目がしばしばしてよく見えなかったけど、春坊はちえりちゃんを崇拝するように見上げていた。

 この時から私は実験で危険を察知すると、眼鏡をかけることが習い性となった。


 そして春坊はちえりちゃんを崇拝するようになり、それとは異なる感情も芽生えてしまっていたようだ。私の可愛い春坊はお姉ちゃん子から、ただの年上好きなショタになってしまった。春坊がちえりちゃんの通う合気道の道場の門下生となったのも、このことがきっかけであったのは言うまでもない。

 「…お姉ちゃん、『チッ』ていうのはやめた方がいいよ?」

 春坊からそんな指摘を受けることになったのもその頃のことだ。


 ちえりは、私から次々と大事なものを奪っていった、そんな極悪非道なオンナだったのだ。


#CBRライダー


 「あれ?あの女の子、しゃがみこんで私のCBR(旧車)を見てる。やっぱり、イカしたシールを貼ってると注目度も高いね。」

 「イカれたシールの間違いじゃないか?…グフッ!ミズキ!肘鉄はやめろ!ろっ骨が折れる。」


 「…何を見てるんだろうね。あれ?なんか泣いてる?眼を擦ってるよ?」

 「本当だな…。あ、なんかシールを触ってるぞ!」

 「…触ってるというか、撫でているみたいだね。」


 「あ、立ち上がって行っちまった。何だったんだろうな。」

 「ねえ…何を見てたか確認しない?…ひょっとしたら…。」

 「…そうか!もしかするとあの子って?おい!行ってみよう。」



 「おかしいなぁ。あの子、見つからないね。」

 「どこに行ったんだろう。見つけたと思ったら人違いで、しかも男の子だったし。」

 「…やっぱりこれだよね、見てたのは…。」


 「あたいがこの間はがしておいたシールだな?…痛っ!もういいだろ?この間謝ったじゃないか!」

 「サキがバイクぶっつけて剝がしちゃったんでしょう!」

 「悪かったって言ってんだろ!…でもそのおかげで…見つかるかもしれないな。」

 「そうね。サキの暴力沙汰もたまには役に立つときがあるんだね。」


 「でもこれ見て泣いてたってことは、どう考えても『ちょちょ』じゃないか?」

 「そうね、そうだといいわね。私たち3人の名前を書いたこのステッカーで涙を流すのは、私たち3人しかいないわよね。」

 「…また、すぐに会える気がするな。」

 「うん、会える気がするね。」


本編へ続く!

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Noisy Energy ノイジー・エナジー 小鳥乃きいろ @yellowbirdie

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