#5 シケイン

ノイジー・エナジー #5シケイン


★本作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事、法律などには一切関係ありません。法令を遵守し交通ルールを守りましょう。


#新学期 新入生


 春休みはバイクとバイトと文化祭のレポートで大忙しだったけど、あっという間に過ぎ去って二年生になりました。

 とっととレースデビューしたかったんだけど、レースのレギュレーションに適合したマシンが間に合わなくて、春にエントリー予定だったシリーズだったけど、夏にデビューすることになってしまいました。仕方ないから七月のデビューまでバイクの調整とライディングの修行に励むんだ。


 今日は入学式。春男くんが入学してくる。様々な部活の部員が入学式が終わった後で帰宅する新入生を勧誘するために、校舎から正門までの間に群れていた。

 夏子は爆発研究会の勧誘。翔吾は自動車部二輪班の勧誘。アタシは自動二輪研究会の勧誘だ。陣取った場所はアタシ達より少し校舎寄りに爆発研、少し正門寄りに二輪班だ。

 さぁ頑張って勧誘しよう!


 春男くんが友達と来た。あ、手を振ってる。アタシが振り返すと、爆発研の夏子も手を振った。

「晴海さ~ん!」

 春男くんはどうやらアタシしか目に入ってないみたい。夏子がアタシを振り返った。

「チッ。」

 ん?夏子は春男くんの前に足を出した。転ばせるつもりらしい。でも春男くんは、そんなものが存在しないかのようにスイスイと通り過ぎてしまった。引っかかるでもなく、わざわざ避けるわけでもない。

「ぐう…。」

 夏子は姉としての面目が潰されたかのように悔しがっている。

 春男くんはそのままアタシ達のところに向かっていたのだが…。


「ハル!君の居場所はそこじゃな~い!」

 と、春男の背中にタックルした新入生がいた。それは予想していなかったのか、春男くんはよろけてアタシの胸に飛び込む格好になった。

「え?ちょちょちょっ?!ちょっと!」

 不意をつかれた春男くんの手が、アタシの可愛い胸に伸びてきた時、アタシのカラダは自動的に反応している。

 と言ってもイヤン?とか、ウフン?とか、そういう反応ではもちろん無い。あ、今夏子がアタシの考えを読んだかのように、ジロリとアタシを見た。


 そんな意識には全く関係なしにアタシはスッと体を開き、伸びてきた春男くんの手と手首に手を添えた。カラダを回しながら春男くんの腕を手繰りつつ、アタシの頭まで持ち上げると、春男くんのカラダはクルリと回り、無防備な背中が晒される。

 今やアタシは彼の腕を掴んだまま彼を背中から地面に叩きつける体勢になった。そのまま、ズイッと一歩踏み込み腕を振ると、果たして春男くんは地面に倒れ、後頭部を強かに打撲するかに見えた。


 コロリ…しゅたっ!

 しかし、彼はアタシと一緒で合気道の心得がある。カラダを丸めて柔らかく受け身を取る事で後頭部への打撃を回避し、足が地面を捉えるとスックと立ち上がって笑みを浮かべる。怪我する代わりに新しい制服の背中は砂まみれになったけどね。


「お見事ッス!晴海先輩!」

 投げられたのに嬉しそうなんだ?佐藤さんち姉弟はやっぱり変でしょ。

「ごめんね。新しい制服を汚しちゃったね。ついカラダが動いて…。」

 謝りながら、ポンポンと春男くんの背中の砂を払った。

「いや、大丈夫ッスから…。」

 随分と大きな背中だなぁ。ふと春男くんの背中を見上げると、少し赤くなった耳が見えた。


「うわ…。ひでぇ先輩だな。あんな凶暴なオンナがいる部活には入らない方がいいぞ!?」

 春男くんが転がった先には、翔吾の所属する自動車部二輪班が陣取っていて、アタシもその領域に侵入していた。


「そうだよハル!背中にタックルしたのはゴメン!でもせっかく一緒の高校になったんだし、ボクと一緒にバイクを心ゆくまでチューニングして走ろうよ!」

 ん?可愛い声のヌシを見ると、女の子?男の子?背の伸びた春男くんと並ぶと小柄に見えるその男子制服姿はなんだか女の子っぽい。肩や腕はブカブカで、袖口から覗く細い手首は長い綺麗な指先に続いている。目はクリクリっとしていてマツゲも長い。か、可愛いかも!


 そんな考えを読んだのか。その男子生徒はアタシをキッと睨みつけた。

「晴海先輩ですね。ハルはボクと一緒に二輪班に入りますから。」

 え?そうなの?

「メグ!勝手な事言うな。」

 春男くんがちょっと強い口調でメグと呼ばれた男の子を遮った。そして真面目な顔でアタシの目を見た。

「オレは!晴海先輩がいる部活に!…いやその…。」

 春男くんはそこで言い淀むと、真っ赤な顔になった。隣りの爆発研究所のほうからチッという舌打ちの音が聞こえた。


「…アノ、姉…そう!姉のいる自二研に入りたかったんです!」

 春男くんがなんで慌てるのかよく分からないけど、新入部員が増えるのは大歓迎だよ。すごい嬉しー!アタシはガシッと春男くんの手を取って、ブンブンてシェイクした。

「嬉しいよ!春男くん!仲良くしようね!」

 春男くんは顔を伏せ、ハイって小さく呟くと、じゃあコレでって校舎に向かおうとした。


「佐藤くん?何か忘れてないかな?」

 その声は…!春男くんの行く手に立ちはだかったのは…。

「翔吾!何やってんの?」

 翔吾は腕組みをして春男くんの前に立ち、その隣りにはさっきの男の子、メグくんも同じポーズで立っていた。そして高らかに呼びかける。男子高校生にしては高い声で。


「ハル!キミはボクと一緒に自動車部二輪班に入るんだ!それから、メグはやめてくれ!」

 隣りで翔吾も同じような事を言うつもりだったみたいだけど、機先を制されて口を開けっ放しで横にいるやや小さめの新入生を見下ろした。

 メグくんは翔吾に向き直るとペコリとお辞儀をした。

「ボクは中目黒大介といいます。メカいじりが大好きです。二輪班に入部させていただきます。よろしくお願いします。」


 その目が驚きと期待の入り交じった色を帯びる。

「…おい、お前は…まさか『触手使い』のナカメか?」

 誰?アタシのアタマの中は?マークがいっぱいだ。

 後で聞いた話だけど、機械イジリーの間では有名人らしい。パソコンやバイクなどの修理動画などをネットにアップしているらしい。その視聴コメントは以下の通りだ。


『超速!でも真似できない。』

『なんであの隙間に手が入るんだ?!』

『あんな奥であの位置のボルトを回せるか?ムリ!』

『神の手?…いや、あの気持ち悪い感じは触手に近い!』

 で、付いたのが『触手使い』。奥まで届いてしっかり仕事をするのは、お掃除用品のなんちゃらワイパーみたいらしい?


「おお!よっしゃー!」

 うるさいのは翔吾だ。しきりにガッツポーズをしている。

「コレでウチの部も安泰だ。ナカメ!向こう三年、魔窟で好きなだけバイクをイジリまくってくれ!」

 そして次に春男くんを振り返った。

「春男くん、これからは親愛を込めて、俺もハルと呼ばせてもらう。」


 翔吾は春男くんの肩に手をかけると、ごちゃごちゃと話しはじめた。

 春の文化祭でジムカーナ大会をやること、アタシが昨年二位になったこと、兼部でも構わないなど、春男くんの不安を払拭するべく、アピールしまくっていた。


「そういうオレも、自二研には参加してるんだぜ?」

 これが殺し文句だったらしく、春男くんは自二研と二輪班に入部した。残念ながら、ナカメくんは自二研には入部しなかった。

「いやです!女子会には参加しませんから。」

 と強くお断りされてしまった。

「ボクはメカが好きなだけで自分が乗るのは嫌いなんです!転んでばかりでちっとも楽しくありません。あと、ボクは女の子扱いされるのがもっとキライです!」

 そういうナカメくんの目が羨ましそうに春男くんを見詰めているようなのは気のせいだろうか?


「…。」

 そんな賑わいを見せる自二研と二輪班の勧誘場所と対照的に、反対側の隣りに陣取っている爆発研究会の勧誘場所は閑散としていた。

 勧誘を始めた時間から、いつも夏子と一緒にお弁当を食べていた女の子が、すまなそうに席を外すと夏子は一人残された。去ってゆく女の子は眼帯をしていた。昨年文化祭で爆研の展示で爆発騒ぎがあった。実はその場は隠していたが、彼女は怪我をしていたらしい。まだ治療をしていて研究会は退部したそうなのだ。


「夏子、お茶いる?何か買ってきてあげようか?」

 アタシが見かねて横から声をかけるが、う~んとか、あ~とか、上の空で聞いちゃいない。新入生が通りかかると物欲しそうに見上げるけど、決して積極的な勧誘はしない。先輩達が卒業し人数はかなり減っていて、研究会としての存続の危機にあるハズなのだが…。


 二輪班、自二研の賑わいの中から、一人寂し気な爆研の勧誘場所に赴いた人影があった。

「佐藤先輩。もしよかったら、ボクも入部して良いですか?二輪班との掛け持ちになっちゃいますけど。」

 言ったのはナカメくんだった。


#学園祭・二年生 祭りの支度


 新入生が入って間もなく、学園祭の準備が始まった。


 昨年はバイクに乗り始めて色々なことが目白押しだった。今年も週末になると筑波で練習走行、それ以外の日も放課後はピザ屋のバイトで資金調達に忙しい。学園祭の準備は翔吾も手伝ってくれると思ってたら…。


「オレはバイク屋でレースや練習走行の準備があるし、二輪班でも葛城部長とナカメのケツを叩いてジムカーナの準備をさせなきゃならんのだ!レポート書く資料は渡したよな?後は任せた!好きにやってくれ!じゃあな!」

 て、感じ悪ぅ。


 じゃあ夏子と一緒にやろうかな?

「ゴメンちえり!爆研の展示の準備が遅れてて、色々やらなきゃいけないの。ナカメくんも掛け持ちだし、翔吾くんがあんまり彼を貸してくれなくて…。ブツブツ…。あ、ミカリン先輩にも共同研究を任せっきりだし…。本当にゴメン!」

 だよね。


 じゃあ吉野先輩も忙しいんだ?

「当たり前でしょ!しかも私は受験生なのよ?自分でやんなさい!あ、でも展示のクオリティを落としたら怒るからね。言ってること解るよね。…そんなナミダ目してもムダよ!私は忙しいの!」

 ひどい…。

 仕方ないから一人でやるかぁ。と思って自二研の活動日に部員が集まる教室に重い足取りで向かっていった。



「あ、晴海さん!こんにちは!」

 お、春男くんがいた。ちょっと悪いけど、手伝ってもらおうかな。悪いねえ、と手を合わせてお願いすると、春男くんはパァーっと笑顔を輝かせた。

「え、僕なんかが手伝っていいんですか?いやいや、ぜひともやらせてください!」

 なんだか嬉しそうだ。助かるなぁ。


「あ、久しぶり。元気だった?」

 関山くんと鈴木さんの自二研ユーレイ部員カップルが教室に入ってきた。今年から違うクラスになってしまったから、部活中くらいしか、顔を合わせる機会がない。


 二年生に上がるとクラス替えがあった。アタシは翔吾と同じクラスになった。代わりに関山くんと鈴木さんの自二研ユーレイ部員カップルは違うクラスになってしまったのだ。

 今年の学園祭は二人がいないから、きっとウチのクラス展示はあまり盛り上がらないに違いない。まあでも、その分アタシは自二研の展示に集中出来るってことだ。


 幽霊部員の二人はさっそく原付レポートを仕上げている。ああでもないこうでもないと、楽しそうに作業している。でもたまに二人の目が合ったり、指先が触れ合うと、すぐに机に目を落とす。可愛いカップルだな。


 アタシは春男くんと作業を進めた。

 まったく辰巳先輩は酷い人ですよね。勝手に人を部活に入れておいて雑用に使いまくってくれるんですよ。そうなの?酷いね。なんて二人で翔吾の悪口を言いながら、レポートをなんとか仕上げて、模造紙に書き写し始めた。

「手伝ってくれて良かったな。思ったより早く済みそうだよ。ありがとね。」

 アタシは作業の目処が立ったのがとても嬉しくて、素直な気持ちで春男くんに自然とニッコリと笑いかけた。


 春男くんは作業の手を止めて、そんなアタシをじっと見た。

 アレ?アタシ変なこと言ったかな?

 すると、春男くんは何かボソボソと言っていた。

「…晴海さん。…綺麗です。」

 ん?なに?よく聞こえないな。と、アタシはズイと机に身を乗り出した。


「春男くん?」

 春男くんはハッと急に我に返った。

「…ヤバ。って!…えっと…そう!夕陽が綺麗ですよぉ!」

 春男くんは慌てて窓の外を指差した。


 気が付くと真っ赤な夕陽が教室を照らしていた。夕陽のせいか、春男くんの耳が真っ赤に見えた。アタシも夕陽に照らされた顔が、なんとなく暖かかった。はてな?


 あ、そうだ。

「は、春男くん!持ってる?一緒にやらない?」

 アタシの言葉にピンと来なかったのか、一瞬キョトンとした後、ビックリしたように言った。

「えええ!何をですか?!」

「コレよ。コレ!」

 アタシはポケットからハーモニカを取り出した。

「…あぁ、…ハイ、持ってます。」

 春男くんはちょっとガッカリしたように、ゴソゴソとポケットからハーモニカを取り出した。


 アタシはハーモニカを吹き始める。感謝の気持ちを春男くんに伝えよう。

 春男くんもそれに答えるように優しい音色を奏で始めた。


 ありがとね。

 どういたしまして。

 会話するように旋律はゆったりと進む


 自二研のみんなも、美しく暖かい夕陽に目をやり、忙しい学園祭の仕度からホッと息を抜くように手を止める。

 関山くんと鈴木さんも手を止めて窓の外を眺めている。二人の手は優しく重ねられていた。


 吉野先輩を見るとキーボードを打つ手が止まり、なんとなく寂しそうに夕陽を見詰めていた。そしてクスンと鼻をすすった。

 御厨先輩がいないからかな?

 アタシがじっと見ていると、それに気付いた吉野先輩は慌ててブンブンと首を振ると言った。

「晴海!何やってんの?気が散る!レポートは終わったの?…じゃあ隅っこで静かにやれ!」


 うぅ…酷い…。アタシと春男くんは、一番後ろの席の窓際に座り込んでコソコソと吹き始めた。ちょっと乗ってくると、吉野先輩がギロリと睨む。うぅ…怖い…。

 なんだか吹きづらくなって、ハーモニカを机の上に置いた。あ~あ、つまんないの。


「晴海さん。約束覚えてますか?」

 一段落すると春男くんが意を決したように言った。

「え?」

 やばい忘れた。何だっけ?あ、春男くんがガッカリしたような…。あ、あれだよね?しどろもどろに、えーと、えーと、と繰り返すアタシを見て、春男くんがクスリと笑った。

「学園祭始まったら、案内してくださいね。前に言ってくれましたよね?」

 そう言うと春男くんは立ち上がった。そして、じゃあクラス展示もあるんで、と先にあがった。

 …そうだった。アタシはやっと思い出した。


 パタリ。

 吉野先輩がキーボードをしまった。

「晴海、今日はバイトあったよね。」

 春男くんが抜けてぼーっとしてたアタシは、不意に声をかけられてビックリした。

「ほら!そろそろシフトの時間だよ!」


 今年から部活とバイトが重なる時は吉野先輩がベスパの後ろに乗せてくれて一緒に行くんだ。

「ヤバい!もうそんな時間ですか?」

 バタバタと帰り支度をするバイト組とは対照的に、関山くんと鈴木さんは暮れゆく空を見詰めていた。なんかイイ雰囲気。

「じゃあ、またね!お先に!」

「あんまり遅くなるなよ。」

 アタシと吉野先輩は二人を残して教室を出た。


「あ!しまった!」

 パタパタと階段を駆け下りていたアタシは忘れ物に気がついた。ハーモニカを回収していない!机の上に置きっぱなしだ。

「なぁに?忘れ物?」

 立ち止まったアタシにイラッとしたように吉野先輩が言う。

「すいません。取ってきます!」

「三分で来なかったら、置いてくよ!」

 アタシはダッシュで教室に戻った。



 春の日は暮れ始めると早い。教室はもう薄闇に包まれようとしていた。まだ僅かに差す夕陽の明かりに、窓際で寄り添う二人の姿が浮かび上がっていた。二人の影は一つになり、すぐに二つに分かれた。

 アタシは教室に駆け込む直前に気付いたがちょっと遅かった。しまった…。なんてところに…。


「…は、晴海さん!ど、どうしたの?」

 顔を真っ赤にした鈴木さんが、アタシに気付いた。関山くんは知らぬ素振りで窓の外を眺める風だが、相当動揺してるのだろう。腕を上げ下げしたり、回したり…。ラジオ体操か?


「ご、ごめんね…。そ、そう!ハーモニカを忘れたの!」

 アタシは机の上に放置されたハーモニカをソッコーで回収した。

「ミカリン待たせてるから急ぐね!」


 その後、なんだかアタシは上の空で記憶が定かでない。駐輪場で待っていた吉野先輩にどつかれたことも、タンデムシートに後向きに座ってしまったことも、ベスパを運転する吉野先輩になんだかベタベタくっついて走行中に突き落とされそうになったことも…。後で吉野先輩にグチグチ言われても、そんなことしてませんよう、って答えるくらい覚えてなかった。


 その日のバイト、アタシはピザの生地を飛ばしたり、トッピングを山盛りにしてしまったりしたので、吉野先輩は声を枯らすほどアタシに罵声を飛ばしていた。

 アタシはそんな声はぜんぜん聞こえなくて、アタシは誰と結ばれるんだろう。とかオトメなことを考えていた。


「あんた今日は相当気色悪いよ。なんか憑いてる?」

 そう言えば、この人もカレシがいたな。

「吉野先輩はちゅーとかするんですかぁ?」

 アタシはボンヤリして思った事が勝手に漏れた。

「バッカじゃないの!」

 激怒したミカリンが赤鬼のように真っ赤になった。

 そしてピーマンが飛んできた。

 狙いは誤たず、だらしなく開いたアタシの口の中に…。よく考えずにモグモグとよく噛んで飲み込むと、途方もない刺激がアタシを現実に引き戻した。

 ひぃーはぁー!

 ハラペーニョだったか…。


#学園祭・二年生 さあお祭りだ!


 お祭りだ!学園祭の始まりだ。


 アタシはなんとかサーキットレポートを書き上げ、春男くんに手伝ってもらいながら模造紙に書き写した。手作り感満載でところどころ修正液がポロポロしているし、資料写真はペロリと剥がれそうだが、ソコはご愛嬌。壁に貼り出すと、そこはかとなく満足感が湧いてくる。


「なんとか間に合いましたね。」

 手伝ってくれた春男くんもホッとした様子だ。結局、自動二輪研究会の展示設営は、結局学園祭初日の朝までかかった。春男くんは今日はクラス展示の当番、その後二輪班に呼ばれているらしい。


 アタシも昼頃からは二輪班の安全運転練習会(通称ジムカーナ)に参加する。でも、少し早めに行って練習しないと、速いタイムが出ないんだ。昨年はアタシと葛城先輩でレイアウトを決めたから、何度も走って二位が取れた。

 今年は誰が準備してるのかな?とか、考え始めたら猛烈な眠気が襲ってきて…。


「…さん?…晴海さん?そろそろ二輪班の時間じゃない?」

 はっ!ヤバイ!寝てた?アタシがガバッと起き上がると、鈴木さんが心配そうに覗き込んでいた。

「え…何時?あ、よかった。まだ大丈夫だ。…鈴木さん、起こしてくれてありがと。」

 鈴木さんは手を振ると、展示の受付に戻って関山くんと話し始めた。アタシは二人の様子も気になるけど、そろそろ行かないと練習時間が無くなっちゃう。速攻で身支度を整えて二輪班のガレージに向かった。


「お、来やがったな?今年はコスプレしねえのか?色気無えな。」

 翔吾が絡んでくる。昨年、アタシは着替える時間がなくて、クラス展示のチャイナ服で走ったんだ。さすがに今年は学校御用達の作業着に簡単なプロテクターで、確かに色気は皆無ですよ。


「はぁ?コスプレなんてしないよ!それより、あんたのせいで自二研の展示が今朝までかかったんだけど!」

 原稿だけアタシに押し付けた奴にコスプレとか言われたくないよ。ムカつくけど、練習時間が勿体ないから、これぐらいにしておいて、アタシは早速ジムカーナのコースを走り始めた。


 今年も去年と同じエイプで走る。なんか去年よりマシンの調子が上がってる気がする?整備士のスキルが高いのかもしれない。アレ?去年はアタシが整備したんだよね。って思い出したら、落ち込んできた。いやいや、雑念は払って練習だ。


「むぅ、最後のコーンが窮屈だな…。」

 何度か走行するうちにタイムは上がってきたけど、最後のコーンが難しい。どうしても前輪がコーンに接触しそうで、スピードに乗れないのだ。まぁ、そういう風にコース設計してあるからだと思うんだけど、ちょっと不完全燃焼な終わり方でモヤモヤするんだ。

 そんな消化不良な感じだったけど、時間は無情に過ぎてゆき練習時間は終了となった。


「それでは時間になりましたので、安全運転練習会を始めます。参加する方は集合してください。」

 葛城部長が説明をした後、本番のジムカーナ大会のタイムアタックが始まった。

「ちえり!勝負だ!負けねぇぞ。」

 いつも通り、こういう時は翔吾が絡んでくる。

「…ハイハイ、よろしくお願いしますぅ。」


 翔吾もいい加減にして欲しいけど、真剣勝負は嫌いじゃない。気の無い返事はしたものの、だんだん気合いが入ってきた。

 順繰りに二輪班の部員が走り始めたが、どうも他の部員も苦労してる。何人かは最後のコーンで接触してしまった。


「…ねぇ誰が考えたのこれ?」

 アタシは翔吾に訊いてみた。

「ん?…ハルメグかなぁ?」

 翔吾が言うには、春男くんと中目黒くんがコースレイアウトを設計したらしい。

 当然、何度か試走しているはずだけど、ちょっといただけないコースだ。アタシは大いに不満だよ!辺りを見回したが、二人の姿は見当たらなかった。


「おい!ちゃんと見てろよ!俺が一番だ。」

 ドンとアタシの肩を一突きしてそう言うと翔吾が走り始めた。

 スタート合図からのロケットダッシュ、八の字、スラローム、いくつかのコーンを危なっかしくすり抜ける。そして最終ターン!トップスピードからフルブレーキング!あわや接触かというギリギリでクリアした。ゴールでピタリと止めると、現時点で最速タイムをたたき出した。


「ッシャー!」

 ヘルメットのシールドをハネ上げると、どうだとばかりにアタシを睨む。やるじゃないの!なるほど、口だけじゃないな。アタシは静かに闘志を燃やし始めた。


「晴海さん、スタート位置にお願いします。」

 今年は石田部長が卒業して、いとこで昨年一位の交通機動隊員は参加していない。昨年二位のアタシは一応優勝候補なのだ。しかも翔吾が先に走って、暫定一位でアタシの走りを待ってる。コレはやるしかないでしょ?


 エイプに跨って、スタートラインに前輪の位置を合わせる。グッとクラッチレバーを握り、カチャンとシフトペダルを踏んで一速に落とす。ボルン!とアクセルをあおると、スタート合図を待つ。


 ポーン!ボルルル~ン!ブルーン!

 スタート合図と同時にクラッチミート!よしっ!スタートダッシュ成功だ!

 あっという間に最初のコーンが迫る。ギュウっとブレーキレバーを引き、スッと体重移動。最初のコーンを掠めて通過する。


 「よしっ!次っ!」

 アタシは八の字へのアプローチにかかっていった。

 その後も順調に関門をクリアしたアタシは、途中のスラロームで一瞬ヒヤリとしたものの、いいペースで走っていった。


 ブルルル~ン!いよいよ最終関門だ!ギュギュッ!トップスピードから、最後のコーン通過ポイントに向けてフルブレーキ!

 スッとブレーキレバーを緩め、クルリとマシンを旋回させる。


 ブンッ!ギャガガガガッ!よしっ!窮屈だけど上手く回った!

 キキキキキッ!キュキュッ!ゴールでピタリとマシンを止めた。


「タイムは?!」

 告げられたタイムはトップタイムだ!

「やったぁー!」

 どんなもんだい!


 翔吾の方を見ると、ガックリとうなだれていた。あ~あ、可哀想に。いつものことではあるけれど、ちょっぴり気の毒な気がした。

 その後、次々と二輪班の部員達がトライしたが、アタシのタイムは超えられなかった。



「コレで終わりか?まだ走ってない奴はいないか?」

「え~と…まだ二名残ってますね。」

 葛城部長が確認すると、名簿をチェックした翔吾が答えた。ん?なんかこのシチュエーションて、デジャヴ?


「お~い!待ってくれ~。」


 校舎の方から走ってくる人影があった。春男くんの声なのだけれど、シルエットがヒラヒラしてて…なんか変?

「ちょっと待ってくださ~い!」

 違和感の正体は彼らの服装だった。春男くんと中目くんは、なぜかメイド服を着ていたのだった!


 後で聞いたんだけど、クラス展示でメイド喫茶をやっていて、男子もメイド服を着ることになったらしい。この時は中目くんが女子にしか見えなくて、激しく息を吐きながら、口を開いた時はビックリしてしまった。


「ハルは走りますが、ボクは走りません。」

 二人の服装に葛城部長がちょっと引いてる。

「わ、わかった。ハルはすぐに走れるか?」

 いや、ちょっと無理でしょ?と、アタシは止めようかと一歩踏み出そうとしたけど…。


「走ります!」

 春男くんが息を整えながら、ハッキリと言った。アタシがそんな場面を見ていると、春男くんはアタシに気付いたのか、ニカッと笑ってグッと親指を突き出した。

 ふふっ、かっこいいじゃん。アタシもニカッと笑って、グッと親指を突き出した。

 春男くんは、なんだか一瞬下を向いたけど、すぐにスタート位置に向かっていった。


「それじゃあ、佐藤ハル!行きます!」

 バイクに跨って顔を上げた時には、もうジムカーナのコースに集中していた。


 ポーン!ブルルル~ン!

 冷たく響くスタート音とともに、あっという間のスタートダッシュを決め、恐らく何度も走ったコースを、明らかに他のライダーとは次元の違ったスピードで駆け抜けていく。


 ギュワ~ン!キュキュキュキュッ!ボルルル~ン!

「…凄いな。」

 去年はアタシもいっぱい練習したけど、ここまで速くは走れなかった。まだ免許は持ってないはずなんだけど、なんだか凄く安定してる。八の字も、スラロームも、鮮やかに駆け抜けるライディングテクニックは一朝一夕に身に付いたものじゃない。


「…あいつ、レースやってるな。」

 気付いたら隣にいた翔吾が呟いていた。そんなことは全く知らなかったし、夏子も話してくれなかった。このまま走り切れば、アタシのタイムを大幅に更新しそうだ。


 ビュオーンッ!ブルル~ン!とか、言っている間に春男くんはもう最終関門に向かってる。

 ギュルルッ!キキキキッ!フルブレーキングでフロントフォークが沈み込む。

 春男くん?突っ込み過ぎてる?それじゃ曲がり切れない!


 ブルン!ブロロローッ!グワーッ!

「えええええ?!」

 なんと!フルブレーキングからの、アクセルオープンでフロントタイヤを高々と持ち上げる!そのウィリーの姿勢のまま、クルリとターンを決めて、コーンをクリアした?!


 「…その手があったか。」

 春男くんはそのままゴール!

 キキキッ!最後はジャックナイフまで決めた。

 むぅ...やるな。タイムはアタシより全然速いタイムだった。だったのだけれど…。


 パタン。みんなが音のした方を振り返った。最後のコーンが倒れていた。なんで?


 「アイツ、メイド服なんて着てなけりゃよかったのにな。」

 翔吾が言うには、ウィリーでコーンをクリアする時に、スカートの裾がコーンの頭を引っかけたみたいだ。春男君はがっくりと肩を落としていた。


 結果、今年のジムカーナ大会でアタシは一位を獲ったのだけれど、なんだか物凄く複雑な気持ちだった。しかも一位の賞品は去年と同じフォーストロークエンジンオイルで、アタシのNSRには使えない。

 仕方なく翔吾に、レースで使ってくれ、と差し出したらホクホクして受け取った。なんだか妙に悔しいな。


 モヤっとしたジムカーナ勝利の余韻に浸る暇なく、アタシはクラス展示の仕事に回った。クラス展示はお化け屋敷。アタシが展示に顔を出すと、ウムを言わさずに着ぐるみを着せられた。しかも残っていたのは、たてがみも勇ましいオスライオンだった。アタシは可愛い女の子なのに…。


 そう言えば春男くんと学園祭を回る約束だったな。休憩時間に迎えに行く約束だったけど…。訳も分からずお化け屋敷の仕事をするうちに、いつのまにか春男君との待ち合わせ時間になっていた。

 さてと、じゃあ、着替えようか、と思ったら...。え?着ぐるみは着たまま行け?宣伝してこい?…勘弁して欲しいんですけど。



「…お待たせしました。」

「…晴海さん?その格好、どうしたんですか?」

 春男くんこそ、なんでまだメイドコスなのかな?という言葉は飲み込んだ。

「じゃあ、行こうか!」

 美女と野獣の先輩後輩は学園祭に繰り出したのでした。


 二人で回るって、なんかちょっと楽しい。他校の女子が、春男くんを見て、男の子だね、可愛いね、とか言ってる。そうでしょう。自慢の後輩なんだよね。


「なんか可愛いとか、失礼ですよね。」

 春男くんは面白くないみたいだけど…いや、可愛いよ春男くん。

「晴海さん、暑くないですか?」

 そうなんだよ。着ぐるみって重いし、暑いんだよね。まあ新品未使用品だから、臭くないだけマシだけどね。


「アイス売ってますよ。買ってきます。」

 うぅ、嬉しいかも。あ、でもここは先輩として、お代はアタシが…。あ、サイフ忘れた。

「大丈夫ですよ。優勝したお祝いに、ボクにご馳走させてください。あそこのベンチで一休みしましょうか。」

 タイム的には春男くんの方がよかったのに、なんか悪いねえ。アタシ達は中庭のベンチに腰掛けた。


「ハイ、どうぞ。」

 って、アイスを受け取りたいけど、着ぐるみの手袋が分厚いし、毛むくじゃらだし…。

「ごめんね。ちょっと手袋外すよ。」

「…いや、大丈夫ですよ。」

 なにが大丈夫なのかな?


 春男くんはアタシのアイスバーを取り出して、アタシの口元に近付けた。

「はい、召し上がれ?」

 いやいやいやいや!これにはさすがに顔が火照ってしまった。 

「は…春男くん、それはちょっと…恥ずかしいから…。」


 春男くんは、一度はてな?という顔をしたが、イキナリ真っ赤になった。

「すみません。…ちょっとクラス展示でやってたのでつい…その…ごめんなさい。」

 こんな事してたのかぁ!とんでもないぞクラス展示!

「ねぇ、あれって男の子だよね。」

「いや、萌えるわぁ。私もやって貰いたい~!」


 ゲッ!しかも注目されている!通りすがりの生徒がくすくすと笑っている。 アタシは急いで手袋を外すと、アイスバーをひったくってかぶりついた。火照った頬に冷たいアイスが気持ちよく染み渡る。

 二人共なんだか妙に無口になって、辺りは人混みでざわついているのに、二人の間だけ音の無い世界が訪れたみたいだった。

 シャリシャリというアイスバーをかじる音が妙にうるさい。全くもう!親友の弟にときめいちゃったりしたらダメだし…。


 ドーン!


 静寂を破り大音響が響き渡った。

「なに?!」

 辺りを見回すけど、なぜか心ではもう分かってしまった様な気がした。イヤな予感いっぱいで、夏子がいるはずの爆発研究会の展示教室へと走り出す。春男くんも一緒に走り出した。


 ダンッ!ダンッ!ダンッ!校舎に入ると、一段跳びに階段を駆け上がる!気ばかり焦ってなかなか着かない。ようやく爆発研究会の展示に到着したけど、そこには誰もいなかった。


「夏子は?」

 その時、廊下の先から煙が見えた。あれは理科実験室?去年の爆発で爆発研究会の実験展示は封印されているはずだったのに…。

 後で聞いた話だが、新入部員が勝手に器具を持ち込み、実験を始めて失敗したらしい。夏子は止めようと駆け込んだ時に爆発が起こったのだ。


 理科実験室に駆け込むと、すでに消防が駆けつけていて、夏子が担架で運び出されるところだった。ぐったりして、頭から血が流れていた。

「夏子!」

「姉さん!」

 呼びかけにも反応は無い。


「身内の方ですか?」

 救急隊員の問いかけに、春男くんが、弟です、と答えた。どうやら爆発の衝撃で倒れて頭を怪我したらしいと教えてくれた。

 意識が無いので、病院に救急搬送するから、親御さんに連絡して欲しいということだ。


「分かりました。連絡して付き添います。」

「助かります。お願いします。」

 アタシは?何が出来る?なにか夏子の力になれれば…。


「私も…。」

「晴海さんは残ってください。」

「でも…。」

「大丈夫ですから。」


 春男くんはそう言うと、救急隊員と一緒に実験室を出ていった。夏子が大変なのに、アタシは何の役にも立たなかった。アタシは一人取り残されてしまった子供みたいだった。


#祭の後


 ゴールデンウィークが終わると早くも中間テストが始まる。


 一旦は入院した夏子もすぐに退院して学校にも出てきたけど、爆発研究会は事故の影響で廃部となってしまった。夏子は魂が抜けたみたいで、…いや、本当に抜け殻のような有様だった。

 何を話しかけても、生返事しか返ってこないし、テスト前の自二研の集まりもアタシが引っ張ってこなければ、さっさと帰って寝込んでしまっていただろう。

 でも、せっかく連れてきても、ぼうっと窓の外を眺めたり、心ここにあらずでぶつぶつと一人で何かをつぶやいている様子は痛々しかった。


「ねえ、夏子ちゃんは大丈夫なの?」

 パソコンをいじりながら、普段は他人のことにあまり関心のない吉野先輩も、こそっと心配してるくらいだった。

「まあ、人生は爆発だ!ってな感じだったからな。」

 翔吾はくだらないことを言って場を和ませようという無謀な賭けに出るが、夏子の冷たい視線と吐かれた毒に当てられて、石像のように固まってしまった。


「もう少しであなたの季節が来ますから、元気を出してくださいね?」

「...先生。」

 天崎先生の優しい言葉だけが、氷のような夏子の頬に血の気を上らせることができた。


「そうそう!また、ビーチバレーで盛り上がろうよ!」

 と、アタシが余計なことを言うと、天崎先生は苦々しい顔をして、そういえば用事を思い出しました、と言って職員室に戻ってしまった。


 夏子はアタシが天崎先生を追い出したって泣きそうになるし、吉野先輩もアタシを凄い目つきで睨むし、何も知らない翔吾がなんだよそれ、オレ知らねえとか言ってふくれるし、散々だった。

 珍しく翔吾が自二研にいるのには実は訳があった。アタシの思い付きだったけど、翔吾に相談したら、じゃあ俺が話をつけるって言ってくれたんだ。気を取り直した翔吾は口を開いた。


「なあ、会長さん。実は折り入って頼みたいことがあるんだ。」

 会長というのはもちろん吉野先輩のことだ。吉野先輩はちらっと翔吾に視線を投げたけど、すぐにパソコンに戻ってしまった。何をやっているかは知らないけど。


 翔吾はちょっとイラっとしたみたいだけど、アタシがまあまあとなだめると、しょうがないなと話をつづけた。

「今度、オレのレーシングチームでバイクのレースに参加するんだけど、会長さんと佐藤さんの力を借りたいんだ。」


 翔吾はレース用バイクを走らせるに当たって、電子デバイスに詳しい吉野先輩と、ケミカルに詳しい夏子に、マシンやレース機材の作成やサポートをお願いしたい、ということを話した。実はすでに自動車部二輪班には翔吾のレーシングチームへの協力を依頼している。


 学校としては部費などを流用したりしなければ、個人的にレースに参加することは禁止しないというお墨付きをもらったのだ。

 その背景には、長らくレース活動をしていないことへのOBの不満が学校側に寄せられていて、先日の学園祭で二輪班を訪問してくれたOB,OGにレース参加の嘆願書への署名を募ったところ、思いのほか署名してくれる人が多かったのだ。


「整備や機械系の作業は二輪班でも間に合うんだけど、電装系とケミカル系は学校の第一人者にやってもらいたいと思ってるんですよ。」

 とアタシも翔吾をフォローする。


「うん?今なんて?」

 第一人者という言葉に、吉野先輩が食いついた。キーボードを打つ手が止まり、鋭い視線が投げかけられる!夏子の目にもキラリと生気が灯った。

「電子工学の第一人者と、マスターオブケミカルの二人にサポートしてもらったら、向かうところ敵なしってことですよ!」

 煽るは煽るは!翔吾もほめちぎる!いやほめ殺しか?


 吉野先輩は持ち上げられて陶酔した目で椅子の上に立ち上がると、アタシ達を見下ろした。まあ、椅子に乗らないと見下ろせなかっただけなんだけどね。


「よ~くわかってるじゃないの!このワタシに任せれば優勝は間違いなしよ!私は電脳の神なのよ!そしてそして・・・・・。」

 演説は続いていたが、やる気になってさえもらえれば、これ以上話を聞く必要はない。そうですよ。神の力をお与えください。とかなんとか適当な受け答えをしていた。

 それよりも夏子が心を動かしたのなら、何とか手伝ってもらえないだろうか?一緒にレースを楽しんでほしいし、何より前向きになって欲しい。


 「これを機会に、天崎先生にいろいろアドバイスをもらって、それからそれから...とにかく色々教えてもらえば何か進展するかもしれないよ!」

 またアタシは適当なことを…。本当は杏姉さんも夏子もどっちも幸せになって欲しいんだよ。だけど…。


「私…やる。」

 アタシの苦悩をよそに、少し頬を染めた夏子が静かに言った。中間テストの後、翔吾のチームは強力な助っ人ともに活動を開始するのだった。


#レース サマーラウンド


 さあ!夏が来た!


 中間テストの直後から、夏に向けてバイトとバイクの生活が戻ってきた。そして二輪班のエンジニアに吉野先輩と夏子が加わったレーシングチームは、翔吾が春からセッティングしてたマシンを大化けさせた。

 翔吾と春男君とお友達のナカメくんで主に機械回りをチューニング。夏子と二輪班のケミカルチームが潤滑剤などのケミカル用品の選定や調合。


 吉野先輩が電装系と電子制御装置のチューニングや、フレームの剛性チェックなどの計測機器の導入。

 また、カウル形状の空力シミュレーションを吉野先輩が行い、夏子が天崎先生の協力のもと学校の機械や資材を貸してもらって、FRPやカーボン素材のパーツを作成するといったコラボで、マシンの戦闘力は確実に向上していった。


「どうだ!オレのR25ーSS(翔吾スペシャル)は?」

 翔吾が作ったワケじゃないでしょ!と、各方面からツッコミが入るけど、期末テスト前にはいい感じに仕上がってきた。

 アタシはCBRベースがよかったなぁ、という趣味趣向の問題はあるものの、乗ってみると確かに自慢したくなるくらいイイんだよ。

 期末テストが終わるとすぐ、エントリーレベルだけどレースに出場するんだ。


 アタシにとってはバイク復活後初めてのレースだ。初級者も参加できるけど年間シリーズがある。レギュレーションでバイクは250㏄4スト二気筒で改造がかなり制限されている。アタシ達のマシンもレギュレーションに合わせたチューンを施した。


 本当はNSRで走りたかったけど、2スト250㏄の走れるレースは公式には絶滅している。2ストロークのエンジンは昔の世界GPが全盛期だったが、現在のMotoGPでは4ストロークエンジンしか走っていない。


 市販車では排気ガスの規制が厳しくなって、排気ガス制御が大変な2ストロークエンジンは新車ではほとんど販売されていない。

 販売できない2ストロークのレースを継続しても、レースの技術を市販車にフィードバックできないのでは意味がないから、GPも4ストロークエンジンになったんだ。


 何て説明はくどいので置いておいて。お待たせしました!筑波でのレースが始まります。


「おい!あのレースクイーン可愛いな!」

 翔吾と二輪班の男子たちはスタイルがよくてかっこいいレースクイーンに釘付けだ。

「ふふ~ん。私の方が可愛いもんね。」

 吉野先輩はレースクイーンに対抗心を燃やしていて、露出度が高い。へそ出しタンクトップとホットパンツを身にまとい、データ解析のためのタブレットを片手に電子機器のチェックに余念がない。


「今の燃費だとガソリンはこれぐらいでも最後まで走れるはずよ。」

 夏子もノースリーブのシャツとミニスカで大人セクシーに決めていて、ピットクルーに混ざって生き生きと動いている。

 よかったなあ、元気になって。久しぶりのレース。ジュニアではない、大人のレースだ。翔吾も同じマシンで出場する。どうしてもアタシとのバトルで勝ちたいらしい。


「お嬢ちゃんたち、元気いいね。」

 レーシングスーツを着たおじさんが、団扇を片手に隣のピットから覗き込んだ。

「すみません。うるさかったですか?」

 ベテランライダーっぽいおじさんだけど、同じレースに出るらしい。


「はははっ!全然大丈夫だよ!オレもマシンも老いぼれてきたから、これくらいのクラスがちょうどいいんだよ。」

 おじさんのマシンは年季の入ったホンダのVT系だ。これはこれで結構いい音してるし、何より軽くて速そうだ。

「パワーはそれほどでもないが、コーナーは速いんだよ。」

 なるほど、おじさんの職人芸をもってすれば、最新鋭のマシンも敵じゃないってことらしい。


 久しぶりのレースで慌ただしく感じた予選タイムアタックは、なんだか思うように走れなかったので、詳細は割愛させていただく。まだ慣れないアタシは後れを取って四列目11番グリッドだった。翔吾は三列目9番グリッド。アタシよりも前にいることで天狗になっている。絶対にぶち抜いてあげるからね!


 さっきのおじさんは、どうも予選は調子が出ないと呟いていて、隣りの12番グリッドだった。レースは10周だ。持ちタイムも重要だけど、他人より前に行こうとするファイティングスピリットが勝敗を決する。


 ウォーミングアップラップの後、グリッドにつくと猛烈にドキドキしてきた。スーツの襟元はちゃんと閉めたかな?ヘルメットの顎紐は締まってるかな?シールドにごみがついていないかな?何度もギアが一速に落ちているか確かめる。クラッチミート大丈夫かな?

 などと考えているうちに、とうとうスタートの時刻になった。


 係員がフラッグを振ってピットに退くと、シグナルが点灯する。各ライダーがアクセルをあおってクラッチミートに備えると、物凄いエンジン音があたりに響き渡った。

 アタシはシグナルに集中してスタートの瞬間をまち、クラッチを握った指先に神経を集中する。


 シグナルオフ!スタート!

 スッとクラッチレバーを緩めてクラッチを繋ぐ!ポンと前に飛び出そうとするバイクに置いてかれないよう、すでに体はタンクの上に伏せている。

 あれ?アクセル開度が足りなかったか?スタートダッシュで思ったよりも加速がつかなかった。


 ボゥ~ン!ブルル~ン!ボァーッ!


 後ろから来るマシンに追いつかれ追い越され、アタシのマシンは大きな集団の中に飲み込まれてしまった。第一コーナーを大集団で突っ込んだ後、緩いS字から第一ヘアピンへのアプローチに向けて、少しづつ周りにいるマシンが列をなしてきた。


 気が付くと目の前に翔吾のマシンがいる。ちょうどいい。落ち着くまで翔吾に引っ張ってもらおう。しかし、ダンロップブリッジを通過するころにはほとんど一列になって集団は概ね落ち着いてしまっていた。


 アタシはアジアンコーナーから第二ヘアピンに向けてのアプローチで、このまま翔吾を抜こうと決めていた。第二ヘアピンの突っ込みで翔吾の真後ろにつく。タイヤが触れるか触れないかのぎりぎりで追走する。翔吾がクリッピングポイントを過ぎてアクセル全開で加速すると、アタシも離されないように食らいついた。

 バックストレッチ!マシンに体を伏せて、翔吾のマシンにスリップストリームでぴたりと張り付き、機をうかがう。間もなくアタシのマシンが前に出たくてうずうずし始めた。

 アタシはわずかにイン側にマシンを滑らすと翔吾のマシンを抜きにかかった!


 ボゥ~ン!ボァ~ン!

 そのまま最終コーナーに突っ込んでゆく!まともに大気の壁と格闘していた翔吾のマシンは余力を残していなかった。アタシはじりじり前に出るとイン側の進入ラインを確保した。

 ここだ!アタシはガバッと体を起こすとイン側に重心を移動してブレーキレバーを引いた。


 ギュワッ!キキッ!

 アタシはそのままレコードラインに乗って最終コーナーに飛び込んだ。

 翔吾のマシンはアウト側に追いやられて後退した。おそらくクロスラインを狙ってくるだろうが、クリッピングポイントにつくのは先行しているアタシだ!


 アタシはレコードラインに乗ったまま最終コーナーをクリアしていった。クリッピングポイントで翔吾は追いついてこなかったし、そこからの全力加速で追いついてくることもないと思っていた。


 最終コーナー出口で外側いっぱいにストレートに向けて加速していた時、さらに外側からアタシを抜いていくマシンがいた。

 古めかしいVTがアタシの外側、つまりゼブラゾーン使って悠々とパスしていった。しかもチラリとアタシを振り返る余裕さえ見せて。


「え?おじさん?」

 慢心していたわけではない。しかし、経験値の差というものがどういうものなのかということをあらためて思い知らされた。


「参ったな…けど、終わってないよ!」

 凄腕のおじさん!アタシを引っ張って!アタシはその後、VTのおじさんにがむしゃらにくっついて離れなかった。



 レースが終わった。

 VTのおじさんは表彰台に上った。インタビューでは、『たまたまだよ。俺とVTの調子が良かったからさ。』って、いつものことのように、でも嬉しそうに話していた。

 アタシはおじさんに離されないようコバンザメのようにくっついて、何台ものマシンを抜いていくことに成功した。


 結果は表彰台には届かなかったけれど、4位でチェッカーを受けた。アタシってば、結構イケるんじゃない?翔吾は集団から抜け出せず、12位。結構凹んでいた。

 ピットで夏子と吉野先輩が褒めてくれた。


「やったね、ちえり!次は表彰台だね。」

「まあ、天才の手にかかれば、しょぼいライダーでも速く走れるものだよ。はっはっはっ!」

 アタシと翔吾のマシンはほとんど変わらないんだけどね。


「ねえ!ちえりだっけ?腕を上げたね。」

「また速くなったみたいね。負けませんよ。」

 パドックで見知った二人に声をかけられた。


「サキさん!ミズキちゃん!」

 声をかけてきたのは、いつもたまたま偶然に出会う、新旧CBRのガールズライダー、サキとミズキだった。

「あたい達はこの後のレースに出るんだよ。」

 彼女達は次の上のクラスのレースに出るらしい。


「いいな。アタシも一緒に走りたいよ。」

「じゃあ、秋のレースは同じクラスにエントリーすれば?」

 それはちょっと翔吾に聞かないと、わからないな。


 おや?ヘルメットに二人はお揃いのステッカーを貼っていた。いや、『CAT』というロゴは一緒だけどアイコンの猫が異なっている。サキは目つきの悪い猫、ミズキはにやりと笑う猫だ。

「ああステッカーかい?」

 アタシの視線に気付いて説明してくれた。スポンサーのレーシングチームが作ってくれたそうで、サキは『ヘルキャット』、ミズキは『チェシャキャット』というらしい。

「ミズキはあんまり笑わないんだけどね。」

「なにそれ?変なの?」


 アタシたちが話していると、いつのまにかアタシの隣から男の人の声がした。

「おや?あなたはいつぞやのNSRガールですね?」

 ビクッとして振り返ると男の人が立っていた。

「ちょっと忍さん!びっくりするからやめて?」

 サキとミズキもその存在に初めて気が付いたようだ。


 忍さんと呼ばれた男の人は、前にここ筑波で会ったが、翔吾の義理のお兄さんと聞いている。

 「先日は振られてしまいましたが、心変わりしてくれたなら、いいライダーズシートを用意しますよ?そうですね…『トムキャット』なんてどうですか?勇ましいあなたにピッタリかと思いますが?」


 『トムキャット』?なんかかっこいいぞ?…いやいや、アタシは翔吾のチームなんだから、ちょっとかっこいいあだ名だからって、そう安々とは釣られて行かないぞ!

「おい!ウチのもんに気安く声をかけないでくれよ。アニキ。」

 翔吾がアタシ達を見つけて声をかけてきた。一緒に夏子がついてきていた。後で聞いたところによると、アタシが忍さんに声を掛けているのを夏子が見つけて、翔吾を連れてきたらしい。


「それに『トムキャット』ってオス猫って意味もあるよな?ちえり、お前ちょっと馬鹿にされてるぞ?ああ、英語は不得意科目だったか?」

 翔吾に言われたほうが、なんだかムカツクけどね!そんな言葉を聞かなかったかのように、翔吾の兄さんは夏子を見ていった。


「おや?きれいなお嬢さん、先日もお会いしましたね?あなたも私のチームにいかがですか?あなたなら…そう!私の『プシィキャット』になっていただけませんか?」

 『プシィキャット』は子猫ちゃんってことだ。夏子が一瞬頬を染めたのは好みのタイプだったからだろう。

「ねぇ…サキ…あの子って…。」

 ミズキがサキの腕を取った。なに?夏子がどうかした?


「…私は、好きな人がいるので…お断りします。」 

 夏子が断ると、そうですか残念です、と翔吾のアニキはがっかりしたようだった。

「おい!だから言ってるだろう!ウチのもんに手を出すなって!」

 翔吾が怒鳴った。でも何その言い方!

「なによ!『ウチのもん』って!アタシ達はモノじゃありませんから!」

 ガルルルル…とうなり声が聞こえそうな雰囲気の中、翔吾と、その兄と、アタシは睨み合っていた。


「じゃあ、秋のレースは同じクラスで勝負すればいいじゃん。」

 サキが言った。

「何も問題ないだろ?そんなことより、ねぇ!あんた!」

 サキは夏子を指差した。

「ちょっとあたい達とお話ししない?」


 アタシたちがいがみ合っている間、夏子はサキとミズキとなにやら話し込んでいた。悪い勧誘とかじゃないとは思うけど、なんだろう?

 その直後のレース。サキとミズキは表彰台こそ逃したが、4位と5位に入った。次の勝負、秋のレースが俄然楽しみになったけど、熱い夏はまだ始まったばかりだ。


#夏合宿


 レースが終わるとすぐに夏休み!


 今年も夏の一大イベントがやってきた。そう夏合宿だ!去年は海で日帰りだったけど、今年は山で温泉付きのお泊まりだ!

 今年は気になる先輩が卒業したし、うるさい先輩はいるけど、夏子も少し元気になったし、鈴木さんの恋バナも聞きたいし、凄い楽しみなんだよ。


 早朝のまだ優しい朝日を眺めながら、アタシはウズウズして一番乗りで、待ち合わせ場所のいつものファーストフードで待っていた。出かける時に姉さんがなにか言ってたけど、とにかく一番に着きたくてダッシュで振り切ってしまった。


 自動二輪研究会だけあって、バイク持ちはバイクで行くのだ!アタシはもちろんNSRだ。さすがに原付の鈴木さんは天崎先生の四輪に乗り合わせてくるらしいけど。


 フォーン!オン!

 夏子のゼファーだ。アレ?後ろに春男くんが乗ってる。免許取って1年たったから一般道なら夏子もタンデムできるけど、高速道路は20歳以上でないとタンデムはできないよ?どうするのかな?


 ボボボ、ボルルン!

 翔吾はマグザムか。あ!サクラも一緒だ!翔吾はどうでも良いけど、サクラが来るのは嬉しいなぁ!


 ドルルルン!アレ?隼だ。先生は四輪じゃなかったのかな?


 ボフォ〜!オン!アレ?XJだ!御厨先輩?え、OB参加?一緒に来たのは?


 ダダダダン!ババン!ハーレー?誰?ちょっとちびっこだな。え?吉野先輩?が?ハーレー?しかもタンクトップにレザーベストにホットパンツ?転んだら大変だよ?


「なによ?悪いの?私はアメリカで研究の傍ら、イージーライダーするんだからね。」

 いつの間に大型免許取ったんですか?倒れたら起こせるんですか?あぁ、御厨先輩が代わりに起こしてくれるのか?


「悟が大型なんか乗ってるから、ベスパじゃついていけないし!」

 足着くのかな?見ると超高いヒールのブーツを履いていた。なるほどその手があったか。


 しばらくすると、天崎先生のミニバンが駐車場に入ってきた。運転手は?

「ごめんなさい。ちえりがとっとと行っちゃうもんだから。」

「杏姉さん?!鈴木さんと関山くん!」

 どうやら、天崎先生はバイクに乗りたくて、杏姉さんに運転手を頼んだらしい。


 これって、夏子は大丈夫なのかな?チラッと夏子の様子を窺うと、やっぱりちょっと気になるようだ。何も無ければいいけど。

 春男くんは高速道路ではクルマに乗って、一般道ではタンデムするつもりみたい。


「それじゃぁ、出発します!皆さん、安全運転で!」

 天崎先生の号令でツーリング合宿の始まりだ!


 目的地は志賀高原!一度は行っておきたいライダーの聖地のひとつだ!関越練馬インターまでは、早朝のまだクルマの少ない環八を行く。

 東名、小田急、京王線、中央道、井の頭線、中央線、西武新宿線と池袋線を横切って、練馬インター目指して北上。谷原交差点を左折すると関越道の始点、練馬インターだ。ここまで40分ほど。


 練馬インターから関越自動車道へ。最初の休憩は関越高坂SAだ。30分程走って高坂SAに到着すると、小休止の自由行動だ。

 みんなバラバラとSAに散らばった。ミカリン先輩は御厨先輩とカフェ。鈴木さんと関山くんや、天崎先生と杏姉さんも二人一組でショップを散策し始めた。

 アタシはサクラとドッグラン。飼育員の翔吾が付いてくるのは仕方ない。夏子は春男くんとアタシ達に付いてきた。

 夏子はドッグラン脇のベンチから、天崎先生と杏姉さんの姿を目で追っていた。


「杏姉さんも、こんな時に着いて来ないで欲しいよね?」

 アタシはサクラを飼育員に任せて一休みしようと、ベンチの夏子に言った。

「別にいいよ。お似合いだし。」

 夏子はフイと目を逸らしてしまった。全く先生も先生だよね。なんで杏姉さんに運転手を頼んだのかな。


 最初の休憩は早めに切り上げて、アタシ達は先を急いだ。次は横川の釜飯だ。藤岡ジャンクションで上信越道に入って、有名な富岡製糸場が近づくと、山々が迫ってくる。そしてだんだん険しくなってくると、松井田妙義インターだ。

 碓氷軽井沢まで高速の方が早いけど、バイクで来たら碓氷峠は外せないでしょ。そして横川の釜飯も外せない。

 アタシ達は釜飯でお腹を満たすと、バイクで碓氷峠を登り始めた。


 おお、くねくね道!楽しい!

 森の中を抜けるワインディングロードはライダーを飽きさせない。連続する小さいRのコーナーは、そんなに飛ばさなくてもライティングの楽しみを味わせてくれる。

 気分良くスイスイとコーナーをクリアしていたら…。


「うわっ!何か道に寝てる?」

 ビックリして止まっちゃった。小さなキツネが車線の真ん中に横たわっている。頭は上げてキョロキョロしてるから、死んではいない。

 ハザードを付けてバイクを止めると、後ろについていた翔吾も一緒に止まった。とにかく道路から退かさなきゃと思って、抱き抱えるためにグローブを外そうとすると…。

「待て!グローブは外すな!やるならそのままでやれ!野生動物は病気や菌を持ってるぞ。」


 そんなこと言われたら触れないじゃん!アタシがオロオロ見てると、翔吾はグローブのまま、気をつけて持ち上げるとガードレール外の路肩にそっと降ろした。幸い噛まれる事もなく、暴れもしなかった。

 子ギツネは脚が折れているのか、立ち上がれない様子だ。どうしたものかとアタシ達が思案していると、遊歩道を歩いて道路に出てきたおじさんが声を掛けてきた。


「どうかしましたか?」

 事情を話すと地元の人らしく、助けを呼んでくれると言う。

「もう大丈夫だよ。ありがとう。気をつけてね。」

 アタシ達はおじさんに後を任せると、気をつけて碓氷峠を登っていった。振り返った時、子ギツネを咥えたキツネが森に入って行くのが見えたのは、たぶん気のせいかな?


 碓氷峠を登りきると、そこはもう軽井沢だ。さすがに有名な避暑地で涼しく感じる。

「ねぇ、軽井沢のアウトレットパークは寄らないの?」

 吉野先輩がワガママを言い始めたが、御厨先輩がたしなめる。

「志賀高原はまだ先だよ。」

「ちぇ~。」


 中軽井沢を右折して浅間山方面に向かう。その後も有名リゾートを通過する度に吉野先輩をなだめながら、先を急いだ。


 有料道路の鬼押しハイウェイと万座ハイウェイで行くか、追加料金無しの146号で草津温泉経由で行くか…。

 幸い火山活動による交通規制が解除されていたため、貧乏性のアタシ達は草津温泉方面から行くことにした。


 道は高原の緩いアップダウンで、まっすぐや緩いカーブが続く。朝早かったから眠くなる。危ない危ない。

 結構なロングランだったけど、草津温泉手前の道の駅で一休みした。温泉街も魅力的だけど、志賀高原はもうすぐだ。


 草津の交差点を左折すると、山道が始まる。冬はスキー場となる斜面もチラホラ見えた。道端の木々も白樺が増えてきた。空気も澄んで気持ちいい。

 登り坂のくねくね道も楽しさ復活!と思ったら、硫黄の匂いがする殺生河原だ。『止まるな』という標識が目についた。いいカーブだけど、ここで転んだら毒ガスであの世行きなのかな。


 ここまでくると木々は少なくなり、笹の原っぱや岩肌が目立つ様になって、視界が開けてくる。


 絶景だ!


 登って行くにつれ、山々が見晴らせる。草津白根を巡る道は湯釜の近く、今は閉鎖されたレストハウスを過ぎ、万座温泉からの有料道路と繋がり、国道最高地点へ続いてゆく。


 昔、レストハウスが開いているときに一度だけ来たことがある。当時お父さんから聞いた話では、昔は火口近くまで歩いて行けたらしいけど、その時も丘の上から遠巻きにしか見れなかった。ミントグリーンのアイスのような水をたたえた湯釜は不思議な感じだった。今は断続する火山活動のせいでちょっと駐車することも出来ない。


 この先は高くそびえる尾根伝いの道。左右の眼下に山を見下ろす景観は圧巻!

 中央分水嶺と呼ばれるこの嶺は、雨水が流れ落ちれば一方は太平洋に、反対に流れれば日本海に注ぐのだ。景色は、いよいよ壮大になり、道は天空を縫う様に続いて行き、国道最高地点を通過する。


 嶺の先の渋峠にはGWまで滑れるゲレンデがあり、眺めのいいドライブインがある。

 渋峠から横手山を少し下ったゲレンデに面した宿に、アタシ達はようやく到着した。さすがに疲れてぐったりだよ。


#星空の分水嶺


 宿は男女別にそれぞれ大部屋。夕食までまだ時間があったから、アタシは夏子とその辺を散歩するつもりだった。

 しかし、テーブルにあったお菓子とお茶を頂いたあと、いつのまにか寝てしまった。目が覚めると、もう夕食の時間だった。なんてこった!近くの観光スポットとか、お土産ショップ探索とか行こうと思ってたのに!


「でもよ、絶景スポット走って来たんだし、途中であちこち寄ってきたし、今日はもういいんじゃねぇ?土産なら明日買やいいじゃん!」

 翔吾の言う事ももっともだ。納得したらお腹空いてきた。今日はいっぱい走ったからなぁ。


 夕食はバイキング形式。あれもおいしいこれもおいしい!信州そば、山菜、お肉に天ぷら、デザートも!今日消費したカロリーをきっちり補充しておかなくちゃ!あ、明日の分も…。って、食べ過ぎ?


「まったく、これだからお子ちゃまは!女の子はクビレが命よ!」

 吉野先輩が小姑のようなことを言う。昼間にカフェでスイーツなんか食べるから、夕食の量を気にしてるだけでしょ!


 食べた後、大きなお風呂に入ってさっぱりしたら、女の子部屋でガールズトークタイム!あとは眠くなったら寝るだけ!と思ったけれど、さっき昼寝したから眠れない。しかもみんな寝るの早や!ガールズトークはどうなった?

 仕方ないからなんとか寝ようとすればする程、目が冴えてしまう。このまま朝が来たら、きっと寝不足になってしまうんだ。と、しばらく一人悶々としていた。


 おや?ミカリンがいつの間にかいなくなってる。まさか御厨先輩と?まったく、困った人たちだ。喉も乾いたしちょっと自販機コーナーに行ってみようかな。夏子はスヤスヤと寝息を立てていて熟睡してるみたいだ。


「あ、晴海さん。眠れないんですか?」

 アタシが自販機コーナーに行くと、春男くんがお茶を飲んでいた。

「さっき昼寝しちゃってさ。春男くんは?」

「ちょっと辰巳先輩と騒ぎすぎて、喉が乾いちゃって。」

 翔吾め、明日文句言ってやらなきゃ。


「夏子姉さんは寝てました?」

 春男くんがちょっと心配そうに言った。

「最近、あまり眠れないみたいで、気が付くとスマホしてるんです。」

 そうだったんだ。どうしちゃったのかな。何かあったのかな。

 爆発研究会の廃部から、少しは元気になった様に見えたのは、アタシの思い過ごしかな。


「アレ?」

 その時、廊下の先に人影が動いた。誰?夏子?パタパタという足音がロビーの方に向かって行く。一人?二人?

「春男くん、行ってみよう。」

 アタシ達は思わず後を付けて行った。



「うわ!凄い星空ね。」

「そうだね。さすがに宙が近いからね。」

 女の声は抑え切れない嬉しさに弾んでいる。

 男の声は落ち着いていたが、その口元には自然と笑みが浮かんでいたのだろう。クスリと笑うような息遣いが漏れ聴こえる。


 二人はロビーに面したテラスに出て、宙を見上げていた。照明を落としたロビーからも宙の星は沢山見えていたが、真っ暗なテラスに出ると頭上の星は、圧倒的な光の存在そのものだった。山々は星海の光を遮る暗闇として沈んでいた。


「掴めそうだね。」

 と、空に突き出した手は星々を消す影としか見えない。

「新月は星の力が強いよね。」

 月の無い宙は星のプリンス達が光の競演だ。辺りは虫の声しかしない。

 二人の影は闇に消えてしまいそうだった。


「きゃっ!」

「なにか踏んだ?」

 慌てる男女の声が、静寂を破った。

「誰かいる!」

「ヤバい!」


 誰かがスマホを取り出してライトをつけた。照らし出された影は四つ。

「吉野さん?!」

「先生?!」

 ちょうどアタシと春男くんは、影を追いかけてテラスに出たところだった。


 テラスに立っていたのは…。

「お姉ちゃん…先生…。え、ミカリンと…御厨先輩まで…。」

 どうやら、二つのカップルは同じことを考えたらしい。星空の下でロマンティックなミッドナイトデートを楽しもうとしていたようだ。

 アタシは驚くよりも、呆れてしまった。


「ちょっと!皆さん引率者なのに、どういう事ですかね。」

 ミカリンは明らかにイライラしていた。邪魔が入った事に腹を立てている。

「いいじゃん別に!誰に迷惑かけてるワケじゃないし!」


「まぁまぁ…。合宿でこんな事していた俺たちもよくないよ。」

 ミカリンが逆ギレするのを御厨先輩がなだめている。って、こんな事って!?なにをしちゃってたんですか?


 対象的に先生とお姉ちゃんはバツが悪そうに立っている。

「…あのね、ちえり…。私も先生とこんな機会じゃないと、あまりデートとか出来なくて…。その…。」

 デート!いつの間に付き合ってたの!でもこんな時じゃなくてもよくない?こんなところ夏子に見られたら…。


「ねぇ、何してるの?」

 いまさっき出てきたロビーの方から、聞き間違うことはない声がした。

「夏子姉さん…。」

 春男くんがつぶやくと、アタシは後ろを振り返った。


「…先生?と…ちえりのお姉さん?」

 夏子の表情はアタシからは見えないけど、震える声が夏子の気持ちを表していた。

 一瞬、テラスに踏み出した足が躊躇うようにロビーに引き込まれ、夏子はロビーの奥へと走り出した。


「夏子!」

 アタシは夏子を追って走り出した。

「杏姉さんのバカ!」

 振り返ることも無く、アタシはお姉ちゃんに叫んでいた。



 女子部屋に戻ると夏子はいなかった。春男くんが後ろにいたはずだったけど、いなくなってる。どうしよう…。アタシはスマホを取り出すと、夏子にかけたけど…。ダメだ。出ない。ふと荷物の山を見ると夏子の荷物が消えていた。アタシは慌てて、駐車場に向かった。


 キュキュキュキュキュ…ブルン!

 夏子のゼファーのエンジン音だ!廊下を走り階段を駆け下りて駐車場に着くと、夏子は着替えてヘルメットを被っていた。

 アタシに気がつくと、吼えるように叫んだ。


「ちえり!私はアナタが嫌いよ!」

 何を言っているの?アタシは夏子からぶつけられた言葉が、何なのか分からなかった。

 ぶつけられた言葉に込められたチカラは、アタシの胸を突き、歩を進めることを許さない。


「いつも幸せを掴んで、不幸な私から幸せを奪っていくアナタが大嫌い!」

 夏子が何を言ってるのか分からなかった。言葉の槍で突き刺されたまま、立ち尽くしていた。夏子はゼファーに跨って言った。

「さよなら!巨大女子ハルミさん!」

 なんで?!夏子がウワサの発信元なの!?アタシはガクリと膝を着いた。


 その横を走り抜けた影があった。影はそのまま、ゼファーのタンデムシートに跨った。ヘルメットを被り、荷物を背負っていた。

「ちょっ!春坊!来ないで!退いて!」

 春男くん?アタシは頭が働いていなかった。


「ちえりさん!俺たち先に帰ります!夏姉に付いて行くんで!心配しないでください!」

 夏子は春男くんを引き剥がそうとしたけど、アタシの後ろから来る先生達に気がつくと、春男くんを乗せたまま、暗闇の中に消えた。

 この出来事が、アタシと夏子の分水嶺だったのかもしれない。


#非行少女


 アタシ達は部屋に戻って寝床に入った。

「ちえりちゃん…ごめんなさい。夏子ちゃん…傷付けちゃったね。」

 アタシのアタマは動いているのか?杏姉の言葉はまったく入って来ない。なのに気持ちはグラグラと揺さぶられて、気分が悪くなってくる。


「でも…先生が好きなの。…止まんないの。」

 アタシも何となく分かる…気がする。けど、じゃあ、どーすればいい?!わかんないよ!


 お姉ちゃんを見た。泣いてる…。アタシだって泣きたいよ。

「…知らない!お姉ちゃんなんか嫌い!」

 口をついて出た言葉は、思ってることじゃなかった。アタシは布団に顔を埋めた。

 ダメだ!アタシ、嫌いだ!自分が嫌いだ。誰にも会いたくない。誰も知らない所に行きたい。


 結局、眠れないアタシは、空がしらじらと明けていく頃、宿を出て行った。

 落ち込んだ時、いつもだったら、夏子のところに行って愚痴ったりすればよかった。でも、嫌われちゃった。

 杏姉さんに甘えることも出来ない。家に帰るのが嫌だ。顔を合わせたら言わなくてもいい事を口にしてしまいそうだ。


 春男くんは夏子と一緒に行っちゃった。そりゃそうだよね。お姉さんだもん。先輩たちには迷惑はかけられないし、お世話になりたくはない。

 翔吾だって、絶好のチャンスとばかりに、アタシをこき下ろすのが、目に見えるようだ。

 そんな自虐ネタで傷を広げながら、どこをどう走ったのか分からない。一般道を延々とさまよっていた。


 どこかの湖のほとりで現在地を調べると、アタシはビーナスラインという道を通っていた事がわかった。結構な距離を走っていた。

 あたりは朝もやなのか霧なのか、真っ白になっていた。もう少し走ると美ヶ原高原という所に着くらしい。


 アタシはなんでもいいから、この心のモヤモヤを晴らしてくれるような所に行きたかった。なのに現実にも辺りは霧に包まれている。アタシの心の中と同じだ。霧の中から現れた道路標識には霧ヶ峰とある。どおりでね。


 クネクネだけどあまり路面の良くない道を暫く進む。晴れていたら景色が良かったかもしれないし、もう少しペースアップして気晴らしになったかもしれない。

 先の見えない荒れた道はアタシの今を暗示しているみたい。

 進むのが苦しくて、でもいつまでもここで止まってるわけにはいかなくて、いつか霧が晴れるまで、晴れるところまで、アタシは走らなきゃいけないと思っていたんだ。


 高原に美術館?道路標識や、看板に書かれていた文字に導かれて、アタシはクネクネ道の先の駐車場に入っていった。


 バイクやクルマがチラホラと止まっている。霧はまだ晴れないけど、この先はまた山を下っていくみたいだから、ちょっと休憩だ。

 幸い駐車場は無料だし、まだ営業してないけど、お土産屋さんもあるみたい。


 リ~ンゴ~ン♪リ~ンゴ~ン♪

 なに?なに?!大きな音にびっくりした。辺りに鐘の音が響きわたる。時計を見ると時報のようだ。

 そして鐘が合図だったかのように、霧が少しづつ晴れていく。


「わぁ!」

 美ヶ原高原に名前の由来の通り、美しい山の景色が現われた。高原で急な山のてっぺんじゃないから、360度四方に視界が広がっているわけじゃない。

 でも、駐車場の端っこから広がる林の向こうに折り重なるように連なる山の端は、夏だというのにチラホラと白いモノが残ってたりして、凄い綺麗なスカイラインだった。ビーナスラインの名前は伊達じゃなかった。

そして後ろを振り向くと、さっきは気が付かなかったけど、駐車場の上の斜面にはカラフルで様々な形の彫像のようなものが並んでいた。野外美術館なんだ。


「綺麗…」

 そうだね。今のアタシはこんな綺麗な景色で心の洗濯が必要なのかもしれない。しばらく景色を眺めていると、目がシパシパしてきた。


「お姉ちゃん、泣いてるの?大丈夫?」

 気がつくと近くに幼稚園くらいの女の子が、じいっとアタシを見つめていた。

 うわ!恥ずかしい!アタシはゴシゴシと涙を拭うと女の子の前にしゃがみこんだ。


「ごめんね。大丈夫だよ。心配してくれてありがと。」

 その時、アタシのお腹が思い出したように、ぐうと鳴った。

「お姉ちゃん、お腹空いちゃった?飴ちゃんあげるから、元気出してね?」

 飴をアタシの手に押し込むと、女の子は家族のところに戻って行った。


 アタシは恥ずかしくって固まってしまった。空腹を思い出したら、立ち上がるのもなんだか大変だった。

 これじゃいけないと、ようやく開店した売店で食べるモノを少し買った。駐車場の端っこで座れそうなところを見つけると、座り込んで食べることにした。

 美味しそうな手づくりパンだったけど、気分が滅入ってるからか味がしない。しかたなくコーヒーで流し込んだ。


「眠い…。」

 こんな時にも、お腹は空くし、眠くなる。人の心と身体って、ままならないもんだなぁ。とか、考えているうちに、まぶたが重くなって、何も考えられなくなった。



 気がつくと、あたりは再び霧が立ち込めていて、何も見えなくなっていた。

 『ちえり!私はあなたが大嫌いよ。』

 夏子が叫んでいる。


 『お姉ちゃんなんか嫌い!』

 アタシも叫んでいる。


 どこで間違っちゃったのかな。なんで嫌われちゃったのかな。なんで嫌いなんて言っちゃったのかな。


 『寒い。』

 アタシは凍えていた。夏だというのに、なんでこんなに寒いんだろ。霧のせいかな?アタシのせいかな?もう嫌だな。暖かくして寝たいな。


 アタシの願いが通じたのだろうか。冷えきった手足が、じんわりと暖かくなってきた。気持ちいいな。

 手の甲にザラザラのなにかが、擦り付けられ始めた。くすぐったいな。

 鼻のアタマにもふもふした柔らかなモノが押し当てられていた。なんだか懐かしい匂いだな。


 「ワンッ!」

 という一声でアタシがパチリと目を開くと、まあるい目と目が合った。 



 アタシの膝の上にサクラが乗っていた。アタシの手はサクラをしっかりと抱きしめて、その手をサクラが舐めている。

 アタシはサクラの背中に半分顔を埋めていて、手を舐めるサクラと見つめ合っていた。


「…サクラ?!」

  ブンブンと振られたしっぽがアタシのアタマにペシペシと当たって、ようやく現実に引き戻された。と、いうことは?当然サクラの飼育係も近くにいるということで…。

 ガバッと身体を起こすと、正面にいた!


「よう、やっと起きたか。眠れる獅子。」

 地べたに座り込んで、コーヒーかなにかを水筒からマグカップに注ぎながら、サラッとイヤミな言葉を投げかけたのは、いつもの翔吾だった。


「…それを言うなら、眠れる森の美女じゃないの?」

 寝起きのスキを突かれたアタシは、そんな返ししか出来ない。きっとだらしない寝顔も見られてしまったんだ。

「プッ…美女ってタマか、野獣の方が似合ってるぞ?それより、コーヒーいるか?」

 と、言いながらマグカップを差し出した。


「ねぇ…なんでいるの?」

 と訊くと、翔吾はマグカップをアタシに渡してスマホを取り出すと、ミカリンの追跡ソフトの画面をみせた。

 な、なるほど…。マップ上でアタシのいるところに赤いマークが付いている。


「まぁ、お前が逃げたくなる気持ちもわからんでもない。」

 翔吾は自分のマグカップにもコーヒーを注ぐと一口飲んだ。

「家でお姉さんと顔を合わすのもいやなんだろ?」

 アタシはコクリと頷き、コーヒーを一口飲んだ。いつもよりも苦かった。


「家出するなら、付き合ってやるぜ。非行少女!」



 ちょっと気晴らしするか、と言う翔吾に引っ張られて、アタシ達は近くにあるキャンプ場に来た。何をどうしたらいいのか、オロオロするアタシは翔吾に引きずり回されて、気が付くと翔吾が借りたハンモックチェアに座って、翔吾が入れたコーヒーを飲んでいた。

 翔吾のスクーターからは簡易コンロなどのアウトドア用品が、小さいものだけどじゃんじゃん出てくる。


「結構入るんだね。スクーターって。」

 NSRは簡易工具がちょびっとしか入らない。

「マグザムはあんまり容量ないけどな。コーヒーお代わりいるか?」

 翔吾は必要最低限の事しか話さない。かと言って無関心なわけではなく、今だってアタシが飲み切ったマグカップをちゃんと見ていた。


「夏子とは小学校からの付き合いなんだよ。」

 アタシは夏子の事を話し始めていた。次に杏姉さんの事を。

 アタシは二人とも大好きで、夏子とはずっと友達でいたいし、苦労した姉さんには絶対に幸せになって欲しいんだ。


「夏子を傷つけちゃったなぁ。」

 でも、あのウワサはなぜなのかな?

「…アタシ、あのウワサは翔吾かもって思ってた。」

 翔吾はニヤリと笑った。

「まぁ、オレも尾ヒレはつけたけどな。佐藤さんもなんかあったんだろ?」

 コイツ!…でも、今は怒る気にもなれない。


 さっきから、サクラがアタシの足元に丸まって、しっぽがパタパタと足に当たってこそばゆい。アタシはポケットから、ハーモニカを取り出した。

 奏でるのは、一人ぼっちのメロディライン。やるせない思い。悲しい気持ち。寂しい心。

 ハーモニカの調べに乗せて、アタシの心が溢れ出す。


 ふと足元に目を落とすと、心配しているようなサクラと目が合った。

 少しホッとした気持ちになると、明るめの曲を吹きたくなった。

 静かな思い。落ち着いた気持ち。救われた心。奏で始めると、優しい草笛の音がアタシのメロディを支えるように寄り添ってきた。


 翔吾の草笛は素朴な感じで優しい音色。

 少しづつ嬉しい思いが湧き上がる。優しい気持ち、思いやりの心が、アタシを包み込んだ。なんでかな?少し目が暖かいや。


 そうやってボンヤリ過ごしていると、翔吾がランタンを取り出して灯りをつけた。そろそろ暗くなってきたのに、今更だけど気がついた。

「おい、カップ麺食うか?」

 翔吾は湯を沸かして、カップ麺に注いだ。アタシはまたも空腹に気付かされた。


「食べてもいいの?」

 翔吾は返事の代わりにアタシにカップ麺を渡してくれた。ひと口スープをすすると、何だかとっても暖かい。

「しみるなぁ。」

 翔吾は黙ってカップ麺をすすっている。


「今日はありがとね。付き合ってくれて。明日は帰ってみんなと話してみるよ。」

 そうだな、と言うと翔吾は食べ終わったカップ麺を片付け始めた。

 翔吾はアタシのことをどう思ってるのかな。ビジネスパートナー?バトル仲間?それとも気になる女の子?翔吾って…彼女はいるのかな?


 アタシはご馳走様と言って眼を閉じるとあっという間に眠りに落ちた。



 翌朝、ハンモックチェアで寝た後遺症で首を寝違えた事を除けば、アタシは概ね元気を回復していた。アタシが寝入った後、翔吾が毛布をグルグル巻いてくれたおかげで、寝冷えもせずに済んだ。帰り道、何となく照れくさくて、口数が少ないけど、そんなことも含めて、翔吾には感謝していた。


「いいよ、家まで来なくて。」

「いいや、オレには家出娘を送り届ける責任がある!」

 まぁ、いいか?一緒にいてくれるなら…って、サクラがね!と言ってる間に、アタシんち裏のガレージに到着した。


「名残惜しいね、サクラ。」

 アタシは最後にサクラを抱かせてもらっていた。

「やっぱりかわいいなぁ。暖かいし。」

 もうちょいだから。もう少し待って?

 そろそろ帰りたい翔吾は段々焦れてきた。


「おい!心配してる家族が待ってるんだから、早く家に入れ!駄々をこねるんじゃない!」

 うぅ、そうは言っても敷居が高いんだよね。

「サクラ行くぞ!カモン!」

「え?ちょっと待って!」


 アタシの腕からすり抜けるサクラを追おうと、一歩踏み出したアタシは翔吾とぶつかって…。

 ウソ…。

 ぶつかったのは身体だけじゃなかった。アタシと翔吾の唇も…。軽く触れ合うほどだったけど、柔らかい感触が確かに残った。

 アタシ達は二人とも真っ赤になっていた。


 「い…今のは、事故だから!ノーカンだから!じゃあまたね!」

 アタシは裏口から、ソッコーで家に飛び込んだ。


 「…なんだよ。ノーカンって…。」

 呆然とした飼育員が、エンジンを掛けて帰路につくには、少し時間がかかったようだった。



「ちえりちゃん?帰ったの?」

 姉さんの声だ。翔吾から逃げて裏口に飛び込んだ音を聞いたに違いない。

「た、ただいま帰りました!」

 すぐに杏姉さんが裏口まで来てくれた。心配そうだけど、無理に笑顔を作ろうとしているのがわかる。


 天崎先生を思う気持ちとアタシを心配する気持ちの狭間で、杏姉さんはきっとすごく苦しんだんだ。よく見ると顔色も悪いし、お化粧のノリも悪い。アタシに呼びかけた声も少し震えていたようだ。


「ごめんね、心配掛けて。姉さんには本当に幸せになって欲しいんだ。でも、夏子も大事な友達なんだよ。」

「ううん、私もちゃんと話しておけばよかった。ごめんね、ちえりちゃん。」

 姉さんの目からポロリと涙があふれ出た。もしかすると姉妹はここ数日で泣き上戸になってしまったかもしれない。アタシも杏姉さんの胸に顔を押し付けると涙と嗚咽が止まらなくなった。


 アタシ達姉妹が泣き出したのを聞き付けて、母さんが店からやってきた。

「二人とも、お客さんがびっくりしてるよ。上がって落ち着いたら、夏子ちゃんにも連絡するんだよ?」

 そういいながらも母さんはアタシと姉さんをそっと抱きしめてくれた。アタシはしばらくすると気を取り直して、母さんに返事した。

「うん、わかってる。後で電話するよ。」


 家族三人で遅い晩ご飯を食べながら、ここ数日の家出ことを話した。アタシは少しずつ気持ちがほぐれて、夏子に電話する勇気も出てきたんだ。

 電話して大丈夫かな?怒ってるなら謝りたいし、許してくれるならなんでもする。あんまりあてにしちゃいけないけど、春男くんがうまくなだめておいてくれると助かるな。

 アタシはその夜、何度も電話したけど、夏子は出てくれなかった。


 夏休み中、夏子も春男くんも連絡がつかなかった。家に会いに行っても、夏子のお母さんも何だか辛そうで、夏子は出かけているからと断られた。

 ピザ屋のバイトに行っても、吉野先輩はいなかった。来年の大学受験に向けて勉強しているんだ。うるさい先輩がいないと、バイトにも身が入らないなぁ。


#次のステップ


 翔吾とはバイクの練習でショップの皆さんとも一緒にサーキットに足を運んだ。

「なぁ、ちえり…。その…この間の事は事故だ。お前は、走りのライバルで、大事なチームの仲間だ。変に意識するのは止めよう。」


 この間のことって何よ!って言い返したいけど…わかってる。事故チュウのことだよね。恥ずかしいけど、翔吾がそう言うなら、この間のキスは翔吾にとってはなんでもなかったんだ。「…そっかー!そうだね!うん!じゃあ、勝負しようか!」

 翔吾がそう言うなら仕方ない。アタシもなんでもなかったように横を向くと、カラ元気を出して言った。でもちょっと、寂しいな。


「…だな。よし!そうと決まれば真剣勝負だ!」

 ホッとしたような顔をするのがムカつくけど…。よかった。翔吾のバトル好きは変わらない。でも、本当によかったのかな?


 アタシは翔吾と走り出したけど、ここのところの心配事で弱気になっているのか、タイムはなかなか伸びなかった。翔吾と競り負ける事も多くなっていた。

「お前はレースで勝ちたいんだろ!もっと気合い入れろ!」

 翔吾がハッパを掛けるけど、アタシが今は弱気なせいもあるかもだけど、ここからどうしたらタイムを削れるのか分からず、壁にぶつかっていたんだ。


 フリー走行が終わって片づけをしているとき、翔吾が言った。

「なあ、俺たち、そろそろ次のステップに進まなきゃいけないと思うんだ。」

 え?何のステップですか?さっきの話は?アタシとアンタの関係を何か進めようっていうの?やっぱり付き合うっていうこと?それともなにか他人に言えないような…。

「おい、なんで後じさって嫌なものでも見るような目で俺をを見るんだ?」


 しまった。態度に出ちゃってたか。アタシはとにかく真面目に話を聞こうと、翔吾に向き直った。

「次のステップってなによ?」

 翔吾がアタシとの関係をビジネスパートナーだと言うなら、アタシはそれでもいい。とにかくレースで走ってれば変なことを考えなくて済むんだ。


 翔吾も真面目に考えてくれていたみたいで、作業をしてた手を止めてアタシに向き直った。面と向かって話そうとするとやっぱりお互い照れるけど、翔吾は少し視線をそらしながらも何とか真面目に話そうとしてくれた。

「ちえりはライディングスキルを上げるためにはどうしたらいいと思う?」

「そりゃ、何度も走ってタイムを縮めるんでしょ?」

 そんなこと、練習以外ないでしょ。何を言ってんだかと横を向こうとする。


「俺たちには進むべき道を教えてくれる先生が必要だ。今の俺たちが自分の頭で考えてもたかが知れてる。お互いアドバイスしあっててもそこは素人だからな。」

 アタシはジロリと翔吾を見据えた。

「そこまで言うからには何かあてがあるんでしょうね?」

 翔吾がニヤリと笑った。出た!俺様に任せておけってヤツだ。

「まあ、当たってみるから少し待ってくれ!」


 とは言うのだが、あまり気乗りしない様子も見え隠れしている。ショップの渡辺さんにベテランライダーとかの伝手があるのかもしれない。腕はいいけど翔吾と仲が悪いとか?

「さて…どうすっかな。」

「ちょっと大丈夫なの?そこまで言っといて煮え切らないその態度!言ったからにはきちんとしなさいよね?!」

 翔吾は苦笑いするだけでそれ以上は話してくれなかった。


#レース オータムラウンド


 やがて、長かった夏休みが終わり、二学期が始まった。


「どういう事?!教えて、春男くん!」

 始業式で夏子のクラスに行くと、一身上の都合で転校した事を知らされた。夏子と仲が良かった元爆発研究会のメンバーも、突然の事で驚いていた。

 アタシは春男くんがまだ教室にいるところを捕まえた時、ホッとしたと同時に腹が立って叫んでいた。


「…姉さんは、全寮制の私立高校に転校したんです。今はそっとしておいて下さい。僕も正直混乱しているんです。」

「なによ…それ。」

 そんなこと言われたら、何も聞けないじゃない。


 せっかく夏子と向き合う勇気を出したのに、学校に来ればまた会えると思ってたのに、たくさんごめんなさいをして、またいっぱい話をしようと決めていたのに…。

 アタシはフラストレーションを抱えたまま、秋のレースに挑むことになった。



 秋のレースは夏からのお約束通り、筑波サーキットで翔吾VS忍さんのチーム対抗ガチンコバトル!アタシのお相手は『ヘルキャット』サキさんと、『チェシャキャット』ミズキちゃんと思ってたのに…。もう一人のライダーがそこに立っていたんだ。


 チーム『CAT』はサキとミズキの他にもう一人、サングラスをしたライダーが増えていた。黒いレーシングスーツは割と新しいんだけど傷だらけだった。膝のバンクセンサーだけじゃない。肘も肩も背中も擦れた傷がある。アタシも昔からよく転ぶ方だったからスーツの傷を見ればどんな転び方をしたのかなんとなくわかる。あの傷はコースで何度も転んで痛みに耐えながら、それでも走り続けるライダーの勲章だ。


 サングラスを掛けてるけど、アタシにはすぐにわかった。

「ねぇ!なんで夏子がいるの?」

 詰め寄るアタシをサキさんが遮ると、説明が必要なようですね、とドラゴンスカルの革ジャンを着た忍が現れた。


 翔吾の義兄さんの忍さんが改めてあたしたちに紹介した。『プシィキャット』の『ちょちょ』というライダーだと。

「彼女は記憶を取り戻して、彼女本来の人生を歩んでいるんです。まだ完全ではない記憶を取り戻すための治療を受けながらね。」


 忍さんの話によると、ミズキが通う全寮制の学校に、サキと『ちょちょ』は通っているらしい。この夏休みに少し記憶を取り戻した『ちょちょ』はサキとミズキの元を訪れた。そして以前の記憶を取り戻すべく、忍さんの紹介で脳神経外科に通い、記憶を取り戻すためのリハビリを始めたとのことだ。


「そんなの信じられない!」

 アタシは夏子が夏子じゃないなんて言われても、そんなこと理解できるはずもなかった。

「おいアニキ!適当なことを言うな!佐藤さんはちえりの大事な親友なんだぞ?いったい彼女に何をしたんだ!」

 翔吾が忍に詰め寄ろうとする。


「夏子!ごめんなさい!謝るから!戻って来て!許してくれるならなんでもするから!」

 アタシが近寄って話しかけようとすると、サキとミズキが詰め寄る二人を遮った。

「夏子はもういないよ。あの子はあたい達の仲間さ。」

「『ちょちょ』は私達の大切な友達なの。もう離れない。」


 サキとミズキは何を言っているの?そこにいるのは夏子じゃないの?!夏子はサングラスを外してアタシを見た。やっぱり夏子だった。アタシは少し安心した。でも、その目はアタシより先の遠くを見てるみたいだった。


「私は、夏子なんて名前じゃない。違う人間よ。思い出したの。」

 そう言うと、もう一度サングラスを掛けて、アタシに背を向けた。

「貴女の事はもう忘れたの。…なんでもするって言ったわね。」

 手にしたヘルメットには『プシィキャット』のセクシーな猫のアイコンとCATのロゴがあった。

「私のことは忘れてちょうだい。もう話しかけないで。」

 アタシから離れていく夏子を守るように、サキとミズキがアタシ達から目を離さずに歩いていく。アタシは何も言う事ができなかった。



 予選が始まった。


 チーム『CAT』はカワサキのNinja250だった。アタシ達のチームのR25とほぼ同じ戦闘力のマシンだ。チューニングも限られているこのクラスでは、腕の差が出るということだ。


 動揺の収まらないまま、アタシはピットロードからコースに入った。夏子を追いかけてタイミングを合わせて出て行ったが、サキとミズキがここでも間に入ってきた。

 夏子のレーシングスーツが傷だらけなのはどういうことなの?コース上で自分の目で確かめずにはいられなかった。


 2周ほどタイヤを温めると、夏子を先頭として『CAT』チームはスピードを上げ始めた。予選はバトルするものではなく、最速のラップタイムを叩き出すのが目的だ。

 しかしアタシは『CAT』の三台に追随し、あわよくば抜いてやろうという気持ちで彼女たちを追いかけていた。


 3台のマシンは仲良く集団で走っていたが、やがでミズキが夏子を抜いて引っ張り始めた。夏子はミズキに道を譲って、おとなしく走るかに見えた。


 ボアーン!ボォー!

 三台のNinjaの太い排気音が奏でる騒音がスタンド前で反響する。


 ミズキはどちらかというと目の前に誰もいないクリアラップで気持ちよく走りたいタイプで、バトルをするよりもだれにも邪魔されない状況でスピードを上げていくのが得意だ。

 そんなミズキを前に出したことで、先頭のミズキが『CAT』チームの後続を引っ張って、ペースが上がっていった。

 アタシは最後尾のサキの後ろについて何とかついていった。


 ミズキは3周ほど走って目の前に他のマシンが現れると、ペースを落とした。この時までの3周でおそらくいいタイムを出したんだろう。夏子はほとんど差がない状態で追従していたが、後ろにいたサキは少し離されていた。当然アタシもその後ろでくすぶっていた。


 ペースを落としたミズキは夏子にラインを譲り、サキとアタシはその間に差を詰めて追いつくことができた。


 夏子は先頭に出ると、前を行くマシンを抜きにかかった。マシンは割とあっさりと道を譲り、夏子はペースを上げ、チームCATとアタシも夏子を追走した。


 アタシが初めて見る夏子の荒々しい走りだった。見てるこっちがハラハラするような、アグレッシブな走りだ。


 ボウン!キキキッ!ザリザリザリ。

 ハードなブレーキングからフロントから滑りそうなほどギリギリまで突っ込んでいく。


 ボォー!キュキュキュ!ボァー!

 早いアクセルオープンで滑りだすリアタイヤをなんとか抑え込んでコーナーを脱出する。


 アタシの知ってる安定感抜群の夏子と同一人物とは思えない走りだった。傷だらけのスーツは、限界を探る為に何度も転倒し、それでも立ち上がってきた証だった。これが夏子の本当の走りなんだ。

 アタシは何とかついていこうとあがいたが、夏子の本気の走りについていくことができなかった。


 何度かのタイムアタックを終えて一旦ペースを落とした夏子に、アタシのマシンはだんだんと追い付いてきた。


 サキとミズキは夏子のタイムアタックが終わったころにピットへと戻ってしまっていた。


「これはやるっきゃないよね。」


 夏子と勝負する千載一遇のチャンスだ。アタシはペースを上げて夏子のマシンに躍りかかった。


 しかしバトルの中で後ろから追突しようかと接近するバイクを鮮やかにかわす、周囲の危険を察知するセンサー(転ばない&転ばされない安定感抜群の夏子が会得していた能力)は、今だに健在だった。


 第一コーナーを立ち上がりS字区間で夏子のマシンを捉える。夏子のマシンはアタシのマシンが突っ込んできたのを見ていたかのようにラインを譲ったのだ。


「アタシを舐めんな!」

 ギュギュギュッ!ボウン!

 ハードブレーキング!シフトダウン!アタシは第二ヘアピンの入り口で強引に割り込んでいった!


 スルスルスル。

 後ろを振り返ることなく、接触を避けるように夏子のマシンは道を開ける。しかしそれはアタシを誘う罠だったのだ。


 ボボボ…ボゥ~。

 強引に突っ込んだアタシのマシンは立ち上がりが苦しいラインになる。一旦は抜いたものの、立ち上がりでクロスラインで立ち上がる夏子のマシンにイン側から並びかけられる。


 ガッ!

 信じらんない!夏子にどつかれた?!明らかに意図した接触だった。アタシをはじき出そうっていうの?


 決勝ではない。まだタイムを競うだけの予選なのだ。決勝ならばバトルの中で抜きつ抜かれつの勝負で接触するのは珍しいことじゃないけど…。そういうつもりならアタシも引けないよ!アタシの闘争心がMaxになった。


 ゴゥー!

 ダンロップブリッジに向かう直線を、2台が並んで加速する!コーナーに向けてイン側を走るアタシは先にコーナーに侵入した。しかし外側の夏子に邪魔されて苦しいアプローチになってしまう。


 ザリザリザリ。ブンッ!

 苦しいながらもアジアコーナーへとマシンを切り返す。この時、夏子のマシンがクロスラインでイン側から立ち上がってきた!


 ボォー!

 全開で並びかける夏子のマシン!


「クッ!」

 ボアー!ザザッ!

 慌ててアクセルを開けたアタシのR25はズルリと流れていく!


「しまった!」

 流れたリアを立て直そうと、アクセルを戻してしまったことが、最悪のハイサイドを引き起こした。


 ギャッ!ガッ!ズザーッ!

 アタシは急にグリップを取り戻したマシンに振り落とされた。マシンは横転して転がり、コース上にみじめな姿をさらしていた。


 アタシのR25は大破。レッドフラッグが振られ、予選は一時中断。決勝までにマシンを修復できなかったアタシは、予選でリタイアとなった。


 そしてアタシのいない決勝レース、一人で走った翔吾は頑張って8位。

 優勝は夏子。二位にサキ。三位にミズキが入って、チームCATが表彰台を独占した。秋のレースは翔吾チームの惨敗に終わった。



「残念だったな。レースをやってれば転倒なんて日常茶飯事だ。」

 翔吾が珍しくアタシに優しく言葉をかけてくれた。

「今日はいろいろあったけど、気にするなよ?」


 アタシは転倒で腕が痛かったけど、それより頭が痛くてしょうがない。本当に今日はいろいろありすぎた。

 夏子に会えない不満を晴らそうとレースに来たけど、何もかもが真逆で、夏子に会えたけど不満は積み重なるし、レースでは転倒するしで散々だった。


 わけのわからない夏子の話や、夏子のライダーとしての才能、そのスピードは、アタシの知っていた夏子って何だったんだろうと、夏子の何もかもを否定されたような感覚でおかしくなりそうだ。そもそも、『ちょちょ』って誰?

 そんな気持ちを抱えながら、そろそろ片付けを始めたときのことだった。


 『翔吾!』


 アタシ達が失意に沈んでいるその時に、スタンドから誰かが翔吾に呼びかけた。アタシはあんまり聞こえなかったんだけど、翔吾が驚いたような顔でスタンドに目を向けているのがわかった。

 何だろ?アタシがスタンドに目をやると、金色のキラキラが一瞬だけ見えて、階段へと消えた。


 翔吾がパドックから駆け出して、スタンドへの地下道に向かって行った。アタシの横をすり抜けたその横顔は、恋する男子高校生に見えた。


 アタシは転倒した時に路面に擦った腕をそっと撫ぜた。レザースーツも摩擦熱を全部吸収してくれる訳じゃない。ヒリヒリと痛いその感触はアタシの心まで広がっていった。


#シケインの先へ


 レースの後、翔吾とはそれきり会えなかった。ショップの渡辺さんのトランポと一緒にNSRで帰還した。


 なんだよ翔吾…あんな顔するなんて。週明けの月曜日なのに、何となく気が滅入ってる。登校途中の坂道で、アタシは頭がこんがらがっていた。

 っていうか、キャパオーバーです。夏子も翔吾もCATの皆さんも、何なのあいつらは!段々腹が立ってきた。大体さぁ!と、心の中で毒づこうとしたところへ…。


「邪魔だ!退け!」

「待ちなさい!逃げてもムダよ!」

 アタシの後ろから、見覚えのある男子が女子に追われて走り込んで来た。


「ちえりか?そこを退けぇ!」

 翔吾だ!女の子に何か悪さでもしたか?

「…チャ~ンス。」

 虫の居所が悪いのは翔吾のせいだ。


 アタシのカラダは駆け込んできた翔吾に自動的に反応していた。スッとカラダを引くと、駆け抜けようとする翔吾の足を振り向きざまに片足で払った。

「ウワッ!」

 アタシの足に蹴つまづいてバランスを崩した翔吾の背を片手で突くと、翔吾は顔から地面に突っ込んだ。

「痛って~!」

 フンだ!ザマみろ!


「やった!追いついた!」

 息を切らして追いかけてきた女子が言った。膝に手をついて息を整えている。駆けてきたのはプラチナブロンドの女の子だけど、アタシの学校の制服を着てる。誰?顔を上げた彼女が語りかけてきた。


「久しぶり、ちえり!私よ?パトリシア!」

 パトリシアって小学生の時、翔吾と組んでいたあの子?


 息を整えて姿勢を正したパトリシアは、アタシより少し背が高くなっていた。アタシより随分と幼い子だったけど、何だか…脚も長いし、スタイルもイイ!恐らくはユーロサイズ…。

 そんなアタシの品定めに気付いたのか、不敵な笑みを浮かべて言った。


「追いついたよ、ちえり。この間のレース、あんな戦い方じゃダメだよ。私とトレーニングしよ!きっともっと速くなるよ!」

 え?どういう事?色々聞きたいが翔吾はアタシが退治して、目を回している。


「パトリシア・スパークル・チェリースイーツ、14歳!」

 14歳がなぜ制服を?

「今日から神奈川北工業高校機械科二年生に飛び級編入学よ!よろしくね!」


 シケインは高速で走るライダーに、一度スピードを落とさせて、再び加速していく小回りのコーナーだ。

 ハードなブレーキングが必要で、抜き所でもある。激しい鍔迫り合いからの、接触や転倒もある要注意スポットだ。


 最大加速でシケインを離脱するために、ライダー達は何としてでも最速の脱出ラインをつかみ取るのだ!


#CBRライダー++


ねぇ、『ちょちょ』なの?

わからない。


私達はわかる?

ごめんね。あんまり覚えてない。


思い出したことは?

バイクのステッカーに友達と一緒に名前を書いたこと。


やっぱり…『ちょちょ』なの?

ごめんね。名前がなんだったのか忘れた。


まぁ、ゆっくりやればいいんじゃないの?


ねぇ、あの子はいいの?

あの子は…支えてくれる人がたくさんいるから大丈夫。


あなたは大丈夫なのかな?

私は、一人で立ち上がらなきゃいけないの。


でも、あんたにはあたい達がいるよ。

そうだよ。おかえりなさい。

うん。ただいま。


ありがとう。待っててくれて。

ありがとう。居場所を取っておいてくれて。

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