後編 個人塾塾長の秘密

○村瀬探偵事務所・オフィス内


SE:電話の鳴る音、姫川が受話器を取る音


姫川「はい、村瀬探偵事務所です。……あ、私は、助手の姫川と申します。……ええ……はい……ご主人の素行調査依頼ですね。かしこまりました。では、詳しくお話を聞かせて頂くのに、ご都合のよろしい日時を伺ってもよろしいでしょうか。……今日? 申し訳ありません。所長は、今外出しておりまして……」


SE:オフィスのドアが開く音


姫川「あっ、今戻ってきました。少々お待ちください」


SE:姫川が子機の保留ボタンを押す音


姫川「所長、調査依頼のお電話が……え?」


姫川M「(な、何、そのスカーフ! 出がけには用意してなかったのに、いつ巻いたの? 悪目立ちしてるし似合ってないし、私、そんなの巻けって言いましたかー!?)」


村瀬「おう、悪いな。代わろう」


姫川「え? あ、はい」


SE:村瀬が近づいてくる足音、保留ボタンを押す音


村瀬「もしもし。お電話変わりました。所長の村瀬です。……ええ、ありがとうございます。……本日ですか。申し訳ありません。この後予約が入っておりまして……ええ、申し訳ありません。では、ご予定がお分かりになり次第、またご連絡ください。お待ちしております。では」


SE:村瀬が子機を本体に置く音


村瀬「ん? 何だ?」


姫川「そのスカーフ……いつ巻いたんですか?」


村瀬「ああ。今回の調査では、ファッション業界の集いに参加するということで、事前に軽く様子を調べてみたんだが、メンバーは男でも皆、首に何かを巻いているじゃないか。これでは、何かないと浮くと思って、道すがら買って巻いたんだ」


姫川「そういうことなら、もっと早めに言って下さいよ! 絶対、あった方が浮きましたよ、これ……」


村瀬「でも、ある男性に『来年のトレンドになりそうですね!』と言われたぞ?」


姫川「それ、苦し紛れに言った言葉だったりして……。とにかく、外してください! この後、依頼人がお越しになるんでしょう?」


村瀬「いや、でも、意外と似合ってると思うがなあ」


姫川「外してくださいっ!」


村瀬「お、おい、引っ張るな!」


SE:本が床に落ちる音


村瀬「あ、すまん。……ん、この本は?」


姫川「それは、私が受験生の時に使っていた参考書で、もう一度読み返した後、高校の後輩にあげようと思ってるんです。塾講師のバイトは辞めてしまったけど、誰かに勉強のことで力になれることがあったら、何かしてあげたいという気持ちは変わってませんから」


村瀬「そうか。熱心だな」


SE:玄関のチャイムが鳴る音


姫川「あっ、依頼人の方でしょうか。私が出るので、それ、外しておいて下さいよ?」


村瀬「ム……仕方ない」


SE:姫川が歩いて行って、オフィスのドアを開ける音


姫川「お待たせしました。……あ!」


相楽「姫川さん……。久しぶりね」


姫川「相楽さん……!」




○村瀬探偵事務所・オフィス内


SE:姫川が、相楽の前の机にカップとソーサーを置き、お茶を注ぐ音


姫川「カモミールティーです。どうぞ」


相楽「ありがとう。……早いわね。姫川さんがバイトを辞めてから、もう三か月か。すっかり、探偵助手が板についてきてる感じね」


姫川「いえ、私なんて、まだまだです。でも、相楽さんが事務所に依頼をされていたなんて、私、全然知りませんでした。それに、何だかお顔の色が悪いような……大丈夫ですか?」


相楽「そうね、確かに、ちょっと疲れてるかも。色々あって……ね」


SE:オフィスの奥のドアが開く音


村瀬「お待たせしました。お話を伺いましょう」


姫川「では、私は退出しますので……」


相楽「待って。姫川さんにも、話を聞いて欲しいの。もしかしたら、何か知っているかもしれないから」


姫川「え? でも」


村瀬「ここにいても構わんが、守秘義務は守るようにな」


姫川「わ、わかりました」


村瀬「確か、電話で依頼内容を伺った際には、『就職希望先について調べてほしい』ということでしたね」


相楽「ええ、そうなんです。村瀬さんと姫川さんのお蔭で、ソフィア進学塾でブラックバイトが行われていたことが発覚し、蓮井先……いえ、蓮井が逮捕されてから、塾の評判はみるみる落ちました。なんとかスタッフだけで体勢を立て直そうとしたものの、一度世間に認識されたイメージは消えず、無言電話や恐喝電話までかかってくるようになって……。私、すっかり滅入ってしまって、新しい職場を探すことに決めたんです」


姫川「相楽さん、あの……」


相楽「でも、あなたたちを恨んではいないのよ。あのまま秘密裏にブラックバイトが続けられていた状況より、早めに発覚した今のほうがずっと良かったわ。まさか、あのおかしな生徒さんが探偵だったなんて、当時は思いもしなかったけどね」


村瀬「ゴホン……それで、『就職希望先』というのは?」


相楽「はい。転職を決めた後、散々リクルート情報を探して、やっと小さな塾の求人広告を見つけたんですけど……これは、その塾のホームページの一部をコピーしたものです」


SE:相楽が紙を机の上に置く音


村瀬「『Okuyamaオクヤマ Academyアカデミー』……これが、塾の名前ですか?」


相楽「ええ。このページは、塾長とスタッフの紹介コーナーになっています。でも、スタッフの名前の下には顔写真付きで、詳しい経歴が書いてあるのに、塾長だけ写真無しで略歴、名前も何だかペンネームみたい。おかしいと思いませんか?」


姫川「『塾長 オクヤマイズミ』? 聞いたことないなあ。あまり有名な人じゃないんじゃ……」


相楽「でも、別のページでこの人が唱えている塾の理念や指導方法には、感嘆させられる部分が多いのよ。これだけのことが言えるんだから、私が知らないだけで、かなり名のある先生かと思ったんだけど……。勉強家の姫川さんが知らないようじゃ、やっぱりただの怪しい人かしら。今度の勤め先でもブラックなことが行われていたら、私、立ち直れそうにないわ。お願いします。この塾長の素性を、詳しく調べて頂けないでしょうか?」


村瀬「なるほど……。わか」


姫川「わかりました! 大丈夫ですよ、相楽さん。相楽さんが安心して就職できるように、私も所長も、全力で頑張りますから!」


村瀬「おい、所長は俺だぞ。しかし、今相楽さんが悩んでいるのには、確かに私たちにも責任があるようです。わかりました、依頼を引き受けましょう。契約書にサインをお願いできますか?」


相楽「ありがとうございます! よろしくお願いします。姫川さんも、お願いね」


姫川「はい! 任せて下さい!」




○四日後・村瀬探偵事務所・オフィス内


SE:姫川が階段を上がってきて、オフィスのドアを開ける音


姫川「ただ今帰りました~」


村瀬「おう、お疲れ。どうだった、一日目の調査は?」


姫川「塾は都心から離れたところにあるので、移動が大変ですけど、それ以外は順調に進みましたよ! 大きな収穫もあったし」


村瀬「しかし、姫川はまだバイトの立場だから、調査は俺が行ってもよかったんだが……。明日からもお前が行くのか?」


姫川「以前のことを思うと、所長が若者の中に紛れるのは、とても困難な気がするんです……」


村瀬「ん、何だって?」


姫川「な、何でもありません。では、報告を始めます。今回私は、個人塾『オクヤマアカデミー』に、一週間の体験入塾制度を利用して、調査に入りました。今日はその一日目です。最初に塾の内部を把握した後、塾長の存在を確認しようと思ったのですが、今日は見当たりませんでした」


村瀬「見当たらない? どこかに出張か?」


姫川「というより、塾長は、いつも塾にいる訳ではないようですね。生徒たちの指導は、おおむねスタッフに任せていて、予定のある時や重要な時にしか、塾に来ないようです」


村瀬「神出鬼没というわけか。怪しいな……」


姫川「塾の雰囲気は、とてもいいものでした。塾は、五階建てのビルの一階から三階を使っていて、一階は受付とスタッフルーム、二階は教室が四つ、三回は教室と個人学習室になっているのですが、一階から三階まで塵ひとつないくらい綺麗です。場の乱れは心の乱れに繋がるから、清掃を徹底するという、塾の基本方針があるみたいですね。スタッフさん達もとても優しくて、私が色々質問しても、全て丁寧に答えてくれました」


村瀬「色々? まさか、不必要に問いただしたりしたんじゃ」


姫川「安心して下さい! 主に、勉強に関する質問です。これについての」


村瀬「何だ、この間の参考書を持っていってたのか」


姫川「スタッフさん達の指導のレベルも高いし、素直にいい塾だと思いました。私は大手の塾しか知らないけど、あんな個人塾にも行ってみたかったなぁ」


村瀬「なるほど。塾としては、あまり問題がないようだな。しかし、結局塾長については、何もわからずじまいか」


姫川「それがですね、帰り際に、生徒たちが塾長について話しているのを、偶然聞くことが出来たんです! この間、塾長に進路相談に乗ってもらったという男子生徒が、まだ塾長に会ったことがないという別の生徒に、どんな人だった?と訊かれて、次のように答えていました。『思っていたより、ずっと普通のおじさん。麻の帽子に白いシャツで、ネクタイじゃなくてループタイだったのがお洒落だった』。」


村瀬「ふむ……。夏場だから、帽子を被る習慣のある人間は、毎日かぶり続けるかもしれないな。よし、この特徴に似た人物に注意して、明日も調査を続けてくれ。明日からは、俺も周囲で張り込むことにする」


姫川「了解しました!」




○調査四日目・オクヤマアカデミー二階


SE:姫川が帰り支度をする音


姫川M「(ふう。調査四日目も、何も進展ないまま終了か……。夏期入塾生も増えてきたし、そろそろ塾長が指導しに来ても良さそうだけど……。でも、今日はもう帰らなきゃ)」


SE:携帯電話のバイブ音


姫川M「(あっ、所長から電話だ。塾内じゃ電話に出られないから、外に出て……)」


SE:姫川が走って外に出る音


姫川「もしもし? 所長?」


村瀬「姫川。今、塾の一階入り口で、塾長の特徴によく似た人物が、スタッフらしき人と話をしている。俺は喫茶店の会計が終わるまで出られないから、急いで下に降りてきてくれ」


姫川「え? 分かりました!」


SE:姫川が階段を下りる音


村瀬「どうやら、塾の中には入らず、帰路につくようだな」


姫川「今、塾の外に出ました。……あっ、あの帽子の人ですか? 交差点を渡ろうとしてる」


村瀬「そうだ。引き留めてみてくれ。自然にな」


SE:姫川が早歩きで近づく音


姫川「あの、すみません。私、四日前にオクヤマアカデミーに入塾した者ですが」


男 「……!」


SE:男が走り去る音


姫川「え? な、何で逃げるの?」


村瀬「姫川、追いかけろ! 俺も追う!」


姫川「はいっ!」


男 「ひっ!」


SE:姫川と男が走る音


村瀬「姫川!」


姫川「あっ、所長! その人です! その帽子の!」


村瀬「分かってる! 待て! このっ……」


SE:男と村瀬が走る音、村瀬が男の腕をつかむ音


男 「うわあ!」


村瀬「……捕まえたぞ。なぜ逃げる? やましいことでもあるのか」


男 「ち、違う! 違います!」


姫川「あれ? どこかで聞いたことあるような声……」


村瀬「取り敢えず、顔を拝ませてもらおう」


男 「あ!」


SE:村瀬が男の帽子を取る音


姫川「あ―っ‼」


村瀬「な、何だ?」


姫川「こっ、この人!」


SE:姫川が鞄をあさる音


姫川「この参考書を書かれた方ですよ! ほら、著者近影と顔が一緒! 大学受験界の国語の神と謳われ、どんな難解な文章でも読み解けると評判の「出水メソッド」の提唱者、国語講師の出水いでみず清きよし先生! 私は直接授業を受けたことはないけど、授業は毎回、立ち見が出るほどの人気だと聞いたことがあります。私も先生の参考書のお蔭で、国語が何とかなったようなものなんです!」


村瀬「そ、そうなのか? しかし、何故そんなに人気のある講師が、こんなふうにこそこそしてるんだ?」


姫川「それが……。数年前に、突然大手予備校の在籍講師一欄表からお名前が消えて、講師を辞められたのではないかと噂になっていました。でも、まさか、こんな所にいらっしゃったなんて……」


出水「あの、あなた方は一体?」


村瀬「私達は、探偵事務所のものです。ある人から、オクヤマアカデミーで働きたいが、塾長の素性が分からないので不安を感じる、詳しく調べてほしいとの依頼を受け、塾の内外で張り込みを続けていました。塾長らしき人物が現れたので、手荒な方法ですが引き留めさせて頂いたという訳です」


出水「そうだったのですか……。確かに、塾長のオクヤマイズミは私です。こちらの女子生徒の鞄から、その参考書が見えていたので、『出水清』名義で活動していたころの私を知っている人間が、私の過去を蒸し返しに来たのだと思って、つい、逃げだしてしまいました」


姫川「『出水清』名義だったころ……。どうして、オクヤマイズミという名前を使われるようになったんですか?」


出水「大手予備校に務めていた頃、私は人気があることを妬まれ、女性講師と不倫関係にあると根も葉もない噂をたてられて、人気を失墜させられたのです。週刊誌などにも名前が出てしまったので、実名での活動がし辛くなってしまって……」


姫川「酷い……。いったい誰が、そんなこと」


出水「おそらく、同業の講師らだと思われます。予備校講師は、人気を競う商売ですから」


姫川「そんな……」


村瀬「そして、退職された後、偽名を使って、あの個人塾を作られたのですか?」


出水「ええ。予備校を辞めた後も、どうしても教育に対する思いを消すことはできず、私を理解してくれる人や、かつての教え子たちと共に、オクヤマアカデミーを立ち上げました。もう私が、大教室で講義することなどないのでしょうが、それでも私は、私を選んでくれる生徒がいる限り、その子たちを全力で指導し、導きたいのです。もちろん、塾で働きたいという方に対しても、思いは同じです。どうかそのように、依頼主の方に伝えて頂けないでしょうか」


姫川「……先生」


村瀬「……姫川から上がってくる、塾内の調査報告を聞く限り、そのお気持ちに嘘偽りはないものと存じます。わかりました。依頼人にも、そのように告げさせて頂きます」


出水「ありがとう……。ありがとうございます」




○二日後・村瀬探偵事務所・オフィス


SE:オフィスの奥の扉が開く音、姫川がソファに近づく足音


姫川「相楽さん、お茶のお代わりは、いかがですか?」


相楽「ありがとう。大丈夫よ。でもまさか、塾長があの出水先生だったなんて……。昔、よくお噂を耳にしていただけに、まだ信じられないわ」


姫川「これで、オクヤマイズミという偽名の意味も、何となくわかった気がしますね」


村瀬「ん、どういうことだ?」


相楽「実は、先生の偽名と実名を繋げると『奥山の泉から出でる水は清い』って、綺麗な一文になることを発見したんです。さすが国語の先生、詩的ですよね~」


相楽「なるほど、そういう訳だったのね……。所長、姫川さん、本当にどうもありがとう。今日の調査報告を聞いて、私、オクヤマアカデミーの面接を受けてみることに決めたわ」


姫川「え、本当ですか?」


相楽「ええ。実際に出水先生に会って、お話を伺ってみたいという気持ちが高まってきているの。だって、どんなことがあっても、私もやっぱり、生徒たちと関わることが大好きなんですもの」


姫川「相楽さん……。頑張ってくださいね! 私、応援しています!」


相楽「うふふ、ありがとう。それじゃ、そろそろお暇します。重ね重ね、本当にありがとうございました」


村瀬「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」


姫川「ありがとうございました!」


SE:相楽が歩いて行き、オフィスのドアが閉まる音


姫川「……今回も、色々と勉強になりました。世の中には、裏表のある人もいるけど、どんな目にあっても、自分を貫く人だっているんですね」


村瀬「そうだな。……だが、今回のような平和な案件は稀で、ここで働き続けたら、いずれお前は、人のもっとどす黒い部分や、最低な部分も見ることになるかもしれない。前から心配だったんだが、それでも、ここでバイトを続けたいか?」


姫川「そうですね……。私は以前、奉仕は善で搾取は悪っていう、単純な二元論でしか物事を見ていなかったから、蓮井先生の本質を見抜けなかったのかもしれません。世の中は、もっと複雑で歪曲してるんだってことを、社会に出る前に学べる機会なんてそうそうないから……限界まで、続けてみようと思います! それに、何ていったって、これこそ最高の奉仕ですから!」


村瀬「フッ……そうか。じゃあ、これからも頑張ってくれよ」


姫川「はい!」


SE:固定電話の鳴る音、姫川が電話を取る音


姫川「はい、村瀬探偵事務所です!」

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女子大生・姫川雪乃の事件簿 風希理帆 @381kaho

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