第6話


 驚いて珠耶は水の中にしりもちをついた。

 滝の水は、一瞬止まった。

 と思うと、今度は逆流し、空に向かって激しく上昇する。

 自然に逆らうのを嫌がるように水は荒れ狂い、七色の虹をあちらこちらに乱立させた。

 にわかに空がかき曇り、やがて虹は雷の光と変わった。

 ざざざざ……と音がする。


 雨。雷雨。豪雨――


 今や滝の水に打たれているかのような雨が、珠耶を容赦なく打ちつけていた。

 手をかざして雨粒をさけ、必死に目を開こうとするが、開かない。見上げようとするが難しく、珠耶は目をしばたいた。

 明らかにこれは、人外の力である。

 遅れていた雷鳴が届く。 

 そして閃光――滝の上に人影が浮かび上あがった。

「私は、なぜ竜人として生まれたのだ?」

 流緒の声が響いた。

「な、なぜって……」

 珠耶は言葉に詰まった。

 だが、まるでその答えを期待していなかったように、流緒は促すこともなかった。まるで自問自答しているかのようである。

「私は、なぜ生まれ落ちたのだ?」


 やっと姿を見せた竜人――


 ただ、その姿は珠耶が知っている流緒よりも、更に人離れしていた。

 日の中、人間の中で暮らせば、確かに竜人の血は抑えることができる。だが、逆に言えば……竜人として暮らせば、より竜人になるということである。

 髪はますます白くなり、皮膚は透き通るようにやはり白く、脇から肩、そして首まで鱗が広がっていた。

 そして、目は……激しく何度も回転する。紅玉の爬虫類の瞳。

 もう、これは人とは呼べない存在である。

 しかし人の言葉ではっきりと、流緒は言った。

「私は常に考えていた。だがな、すでに紗羅が答えを持って教えてくれていた」

 しゅるる……と、赤くて細い舌が言葉と共に現れる。

 珠耶は恐ろしくなって、震えるばかりだった。

 その様子を見て、流緒は微笑んだ。

「おや、珠耶は知りたくはないか? 知りたくはなさそうだな。でも、教えてやろう」

 妖しげに光る眼。人を喰らうため……などとでも言いそうな口元の微笑み。

 このような恐ろしげな力を持つものを、虐げてきた身を呪ってももう遅かった。だいたい人外の者に、助けを求めたのが間違っていたのだ。

 竜人に人並みの情けを期待するものではない。所詮は、異形――心も異形に違いない。

 するり……と、空中を舞いながら、流緒は珠耶の目の前まで降りてきた。そしてちょろちょろ舌を見せた。

「……まさか、私がおまえや紗羅を喰らうとでも思ったか? 私が紗羅を憎むとでも思ったか? ありえぬな」

 ぐるり、と回った邪眼が、珠耶の目とぴたりとあった。


「我々……紗羅と私は二人で一人。共にあって幸せも不幸も分かち合う運命なのだ」


 ――突然の激しい稲光。

 辺りが一瞬真白になった。

 思わず珠耶は目を塞いだ。

 頬に突風がぶつかり、通り過ぎてゆく。

 そして、次に目を開けたときは――


 そこに流緒はいなかった。かわりに、流線型の長い体を躍らせる者が、暗雲の中を泳いでいた。

 激しい雷鳴が鳴響く。


 ――再びの閃光。


 きらりと輝く銀白の鱗。稲妻に輝くまるで刃、それともしなやかにうなる鞭か。

 銀糸の鬣を持つ美しい竜である。竜そのものである。

 それが――竜人であろうはずがない。

「る、流緒様?」

 珠耶の声は、次の雷鳴によって打ち消された。

 だが、竜に声は届いたらしい。真っ赤な眼球をぐるぐると回し、まるで笑ったかのようにも見える表情を見せた。

 一瞬だった。

 次の瞬間、竜は体をしならせると、矢のような速さで暗雲の彼方へと飛び去っていった。




 珠耶は、しりもちをついたままの姿でいた。

 気がついたら、光の中だった。

 背後の深森と、目先の黒岩、そして、瀑布。

 流緒が現れる前と何一つ変わらない風景。滝の流れる音だけが響く空間。かすかに水煙が虹を作っていた。

 今の雨、雷は幻か? だが、珠耶は頭の先からつま先まで、ずぶぬれのままである。

 深森の奥にある滝の前で、腰まで水に浸かった状態だった。

「流緒様? 流緒様?」

 もうすでに気配はない。

 ただの森に変わってしまったのだ。

 しかし、何が何だかわからぬままに、珠耶は彼の名を呼ぶしかなかった。

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