第2話


 沙地の国の長子――。

 それが流緒るおだった。

 だが、同時に爬虫類の目を持つ竜人であった。

 おそらく、竜神の末裔である竜人――今となっては人の世に姿を現さぬ異形であるが――が、戯れに赤子を取り替えたのにちがいない。

 赤子は真っ赤な細孔に細長い瞳孔を持ち、しかも脇腹に青白い鱗を持って生れ落ちた。乳を求めてうごめく口の間からは、細長い舌がひゅるりと顔を出した。恐怖に引きつる人々に、赤い目玉をぐるりとまわして、空腹を訴える。

 母親はあまりの事態に気が狂い、流緒を産んで七日の後、付き人の目を盗んで井戸に飛び込み、命を落とした。

 父王は愛する妻を失った。国民は貴重な水源を失った。

 ゆえに流緒は憎まれ、虐げられて育った。

 命を落とさなかったのは【竜神の伝説】があり、竜人の命を奪えば崇りがあるといわれていたからである。

 沙地の国は、赤い砂の国である。陽光は凶器になる。

 本来日差しに弱い竜人は、闇に住むしかない。それをいいことに、王は流緒を岩屋の奥に閉じ込めた。

 後妻との間に紗羅しゃらが生まれるまで、珠耶たまやは流緒の世話をしていた。

 岩屋の闇の世界は湿度が高く、不気味だった。だから珠耶はこの仕事を憎み、この子供をひどく恨んでいた。

 仕事だからちゃんと世話はした。だが、愛情をかけることはなく、乳をやるのでさえ嫌がった。そして、時にこっそり……叩いたりもした。



「あぁ、流緒様。私も若かったのです。あなた様を……もっと大事にするべきだったと、悔やみました。私には、あなた様に救いを求める権利はないのかもしれません。ですが……思い出してくださいませ。紗羅様のことを」

 珠耶は泣きながら訴えた。流れる水に向かって……だが、その声は轟々と流れる水の音に比べると、あまりにも小さかった。

「紗羅様は、あの時わずかに七歳でした。ですが、あなたを岩屋の闇から王宮へと戻し、そして沙地の王子として扱うよう、必死に父王に訴えたのです。ですから、あなた様は後の七年間を王子として過ごせたのではありませんか……」



 不幸な出産の後に後妻腹から生まれた王女は、見目麗しく、賢く、あっという間に民人の、そして王の心を捕らえる少女となった。

 濡羽色の髪と群青の瞳。その目には煌く星があった。まさに王族らしき美貌であり、取替え子とは大違いであった。

 幼き日々から利発であり、末は王位を継ぐだろうと、誰もが口々に語り合った。誰もが、長子の流緒のことなど忘れていたのである。

 だが、王女紗羅は兄を大事にしたのだった。


 五歳の頃、紗羅は初めて流緒と会った。

 乳母の珠耶を無理やり説得し、人知れず岩屋の闇へと降りていったのである。

 じめじめとした岩屋の奥から湿けったすすり泣きが響く。

 その時、流緒は闇の中で膝を抱え、長くなった白い髪に包まれるようにして、泣いていたのだ。

 紗羅が話しかけても打ち解けようとはせず、人ではない目を向け、そして再び伏せた。

 ぐるりと裏返る爬虫類の瞳に、さすがの紗羅も恐れをなした。

『私が王子だと? 兄だとおまえは言うのか? 違う。誰もが言っておる。竜人がいたずらに赤子を取り替えたと……』

 異形を見る目を向けたことに、紗羅は恥じた。

 だが、それは、兄を嫌ってのことではなかった。むしろ、自分のうちにも眠っている人ならぬ血を恐れたのかもしれない。

『誰が何と言っても兄様は兄様です。私にはわかる。私の血が教えてくれている……。だから、泣かないで……』

『おまえに、何がわかるのだ?』

 それ以上、異形で不気味な目を見せぬよう、流緒は顔を膝の間にうずめた。

 だが、紗羅は真正面から流緒を見つめ、そして手を差し出して顔を上げさせた。手はすぐに流緒に叩き落されたが、二人はお互いを見つめあったのである。

『何もわからない。でも、わかりたいのです』

 紗羅は真直ぐに、睨みつける竜人の目と向かいあった。

 そして流緒も、初めて呪われた身を人と認めてくれる存在を見出した。


 その逢瀬から、紗羅は頻繁に流緒に会いに行くようになった。

 そして同時に、あらゆる限りの文献や伝承を調べ始めた。兄を救う方法が、どこかに必ずあると信じて……。




「そして紗羅様は、父王を説得するべき伝承を見つけたのです」

 滝の中に返事はない。

 水音だけが響いている。

「もしかして……お答えしてくれぬのは、その期間が二年もあったからでしょうか? たしかに紗羅様があなた様のもとで過ごした時間は限られました。あなたには紗羅様しかおられなかったのに、紗羅様はほんの少しの時をあなた様と過ごされただけ。そして、あなた様を冷たい岩屋に置き去りにしたものでした。でも……」

 滝から響く轟音は、一人残されて闇で泣く竜人の悲鳴にも似ていた。

 それが流緒の叫びではないと知りつつも、珠耶は心臓が押しつぶされるほどの重みを感じた。

 本来、伝承に語られる竜人というものは、それほどお人よしではない。

「紗羅様は、あなた様を放っておいたのではありませぬ。まさにその二年、あなた様のために捧げたのですから」

 何が彼を怒らせているのか? いや、考えればすべてがその要因に思われてくる。

 姿を現さないのはそういうことか? 珠耶は不安にさいなまれた。

「聡明とはいえ、紗羅様はまだ幼かったのです。あらゆる伝承を調べ、王を説得させるには……大変な苦労があったのです。その二年を責めないでくださいませ」




 かつてこの世界は、竜神が天を割り混沌の海に落としたことから作り上げられた。その時、岩の間から様々な生き物が生まれ、世界のすみずみまで住むこととなった。人間もそのひとつである。

 やがて竜神は、一人の人間の女を愛し、子をはらませて天に戻っていった。その末裔が竜人といわれている。

 沙地の国の伝承によれば、竜神が愛した女は沙地の女であり、王家は竜の血を引いたといわれている。ゆえに、沙地の王国は竜神の末裔の国とされているのだ。

 しかし、悠久の時が流れてゆくうちに、竜人たちは衰え、矮小化した。やがて人々に異形と恐れられる存在となり、更に時が過ぎて姿を消してしまった。

 だが、沙地の国の王族だけは、脈々と竜神の血を守り続けていた。

 竜巫女といわれる歴代の女王は、近親婚を繰り返してその血を伝えた。彼女らは皆、異形であったため、人前に姿を現すことすら嫌ったが、類稀たぐいまれなる力を発揮し、時に死人しびとまで生き返させたという。

 やがて時の流れとともに、竜巫女の力も弱まった。

 多くの戦争が起こり、竜巫女の力の源ともいわれた砂漠の水も涸れ果てた。そしてついに、沙地の国は他国の支配下に置かれ、事実上崩壊した。

 他国の支配者は、民の信仰の象徴である竜巫女を切り刻んで、王宮の門に七日間さらした。そして、他国の神をこの地に広めようとしたのだ。

 しかし、今度はその地に大きな禍が襲い掛かった。

 今でいう地震、雷であったのだろう。だが、伝承の書には、天空より竜神が降りてきて、この地を割り、引き裂いた――と書かれている。

 世界は地獄を見た。

 その後、沙地の国を支配した国は滅び去り、人々は王家の血を引く者を探し出し、竜神の末裔として王に据えたのである。

 こうして沙地の国は復興した。そしてまた、長い時が過ぎ去った。

 人々は言う。

 竜神の末裔を王として頂く限り、沙地の国は繁栄すると。

『……ということは、お父様。我々が王家として栄えてきたのは、竜人であるからのはずです。兄様が取替え子であるはずはありません。兄様は……古代の血を色濃く出しただけのこと。我が王家の正当性を、より強く象徴している存在ではありませぬか!』

 わずか七歳――紗羅のあまりに見事な弁舌に感心し、王は流緒を王宮に住まわせることを許可したのだった。




「流緒様、それは簡単になされたことではありませぬ」

 紗羅の苦労をよく知る珠耶は、切々と訴えた。

 だが、流緒からの返事はない。

「……それとも……あなた様は、王宮に戻ることがお嫌だったのでしょうか? 確かに、あの七年間は……あなた様には心地よいものではなかったはず。ですが、あなた様も幸せそうに微笑まれていたではあるませぬか? それとも……それは偽りなのですか」

 思いかえせば、紗羅が行ったすべてのことが、この竜人には辛いことだったのかも知れない。紗羅に見せていた笑顔も作っていたものかも知れない。

 珠耶たちは、邪魔な王子を何度も鞭で打ちすえて折檻したではないか? 躾や勉学の遅れなどを口実にして。

 相変わらずの流れ。轟音。珠耶は涙と水しぶきに濡れた。

「辛い王宮の日々は、けして紗羅様のせいではありませぬ……。憎むならば我らを憎んでくださいませ」

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