驕りの塔、あるいは未来の犍陀多

髙橋螢参郎

第1話

 高速船は予定時刻きっかりに、洋上に浮かべられた新たな陸地であるメガフロート、『ユートピア』の先端へと無事着岸した。

 エヌ氏をはじめとする乗客は数日ぶりの陸地を待ち切れず、タラップへと殺到した。とは言え、船旅自体は極めて順調だった。空は晴天そのもの、海もここ数日は見事に凪いでおり、甲板に立っても大した揺れを感じることはなかった。

 かつては荒れ狂う海神の気を鎮めるために生贄を乗せておいて海へと放り込んだものだったが、エヌ氏をはじめ、そこにいる誰しもが航海の無事と幸運を祝う気持ちなど一切持ち合わせていなかった。既定事項だったからだ。昨日から雲が一切出ないことも、雨が降らないことも、波の高さから風の向きや強さに至るまで、すべての天候が予定通りに管理されていた。

 今やこの星は人間のためだけに回っている。世界政府を樹立した人類は戦争のみならず自然の脅威をも完全に克服し、完璧な調和の保たれた世界を少々の退屈と引き換えにやっとのことで手に入れたのだった。

 それでも、エヌ氏に限らず飛行機からこの地に降りた者は必ず最初に空を見上げ、すっかり忘れかけていた嘆息をついた。メガフロートの中心部から伸びた塔は、天を劈く勢いで成層圏まで伸びていた。その雄姿は画像データなどでは到底伝わることはなかった。


 地球を巨大なこまに例えるならば、地表より寸分の狂いなく垂直に建ったこの塔はさながらその芯棒だ。

 ただ大地を礎にして建っているのではなく、正確には静止軌道の上、つまり宇宙から『降りて』きているのだ。国家、民族の垣根を越えた地球人類として最初にして最大のプロジェクト。それがこの塔というわけだった。

 本来は宇宙開発に向けた軌道エレベータとして設計された上で、中継駅の活用という側面から副次的に構想されたのが、駅を基地として発着する無人機による大気への刺激、ひいては気象への介入であった。現在では目論見通り、世界中の天候はおろか温度湿度に至るまで、この塔より精緻にコントロールされている。

「……で、はじめは莫大な予算の投入を渋っていたかび臭いお役所気質の人間どもも、デモンストレーションと称して頭の上に雹を降らせてやったら面白いように掌を返したよね」

 壇上の主任であるワイ氏は締め括りにごく流暢な新世界共通語でそう言って、白い歯を見せて笑った。エヌ氏以下新規着任者二十四名を前に行われたブリーフィングだったが、その概要について知らぬ者はなかった。この発明は俗に天候改革とも呼ばれ、作物の収穫量は飛躍的に向上、安定し、海上のメガフロートの開発技術の発展も伴い人類の可住領域(エクメーネ)はおよそ考え得る限界まで拡張された。人の居住に適さない気候などというものは一部の自然保護区を除き、この時代には地球上から消え去っていた。

 世界中より選抜された二十四名はこれよりシステムエンジニアとして、ここ太平洋上空三万㎞に位置する軌道エレベータの中継地点に設けられたオフィスにて人類繁栄の最前線に立とうとしていた。今は検討段階だが、ゆくゆくは世界政府本部も移設される計画があるという。

 ユートピア。かつて人々が夢想した、どこにもない理想郷。それが今目前に迫っている。皆、使命感に燃え立たぬはずなどなかった。

 エヌ氏も例外ではない。彼もまた世界的に名の知られたシステムエンジニアとして食うに困らぬ身でありながら馳せ参じたのだ。満を持してのエヌ氏の参加には既に世界中から注目が集まっており、今日ここへ至るまでにも数え切れぬほどのインタビューが繰り返されていた。

「さて、説明は以上になりますが、何か聞きたいことのある方は」

 ワイ氏の呼びかけに手を挙げる者はなかった。地球最高の頭脳の持ち主たちは早速それぞれの持ち場へとつき、ひとつの組織として働き始めた。


 だが二十四名の当初のモチベーションとは裏腹に、いざ蓋を開けてみるとそこに仕事らしい仕事は用意されていなかった。

 基本的なシステムはとうの昔に完成されており、専ら設備の保守とデータの収集が中心で、核心的なことはもう何も行われていなかったのだ。

 まあ、そういうものであろうと大方の者は黙っていても高額の給金の出ることもあって日々それなりの仕事をこなしていたが、ひと際燃えていたエヌ氏はその情熱を見事に持て余してしまっていた。

 何と言っても彼は世界レベルのシステムエンジニアなのである。その知識や技術を宙ぶらりんにさせておくのは人類レベルの損失であるという自負があった。大学や研究機関に大企業と、いくらでも活用先はあったというのに。それらをすべて断ってここにいることがいささかアホらしく思えた。

 加えてエヌ氏には頭痛の種があった。直属の上司であるワイ氏の存在だ。

 ワイ氏は傍から見ても、ここにわざわざ招集されるようなシステムエンジニアとしての仕事をしているようにはとても見えなかった。それだけならばまだしも、事あるごとに他の職員の邪魔をしてくるのである。急に背後から忍び寄ったかと思うと両肩にそっと手を置いて、

「どうだい、そろそろ休憩しないか。いいお茶があるんだ」

「あまり根を詰めていても身体に悪いぞ。休憩だ休憩」

「終業時間だぞ。さあ帰った帰った。今日できなくても明日やればいいさ」

 もちろん休息を挟まなければ能率が落ちることはエヌ氏も理解していたが、そうだとしてもあまりに回数が多いので辟易してしまうのだ。なるほどリーダーとしての素質はあるのか気が付けば何名かたぶらかされて談笑していたが、エヌ氏はそうした緊張感の欠如がたまらなく嫌だった。

 同じことを考えさっさと職を辞して帰ってしまった者も数名いたが、それはエヌ氏に言わせればまた違っていた。そこで問題を発見できないのは単に能力がないからだ。必ず自分にしか解決できないような何かがある。そのために呼ばれているのであって、それを手ぶらで帰るとは一体どんな了見か。

「エヌ君、今日はもういいよ。いい酒があるんだ、飲もうぜ」

「結構です」

「そうか。それが君の幸福に繋がるのであれば、邪魔はしないがね」

 ワイ氏はエヌ氏のつれない態度にため息をひとつつくと、それ以上の無理強いはせず決まってこう言うのだ。その持って回った言い方にエヌ氏はますます意固地になり、仕事にのめり込んでいくのだった。

 確かに、とてもではないが残業などしていられるような環境ではなかった。なにせ誘惑が多過ぎるのだ。ワイ氏の勧める上等な茶や酒もそうだが、想像以上に様々な嗜好品や娯楽がここには集まってきていた。

 資材搬入の都合上、海の上にも関わらず物流はしっかりと通っており、望めば世界中のありとあらゆる品がここにいながらにして手に入った。しかも申請を通せば公費で、だ。エヌ氏ももう少し若ければすっかりやられてしまっていただろうと身震いしたが、仕事の手を緩めるような真似はしなかった。折角与えられた環境を、むしろ逆境と捉えているフシすらあった。

 快楽の限りを断った修行僧の如く、黙々とエヌ氏は作業に没頭した。


 ある日、エヌ氏はワイ氏へ密かに個人面談を申し込んだ。

「……気が付いてしまったかい」

「ということは、ご存じだったんですか」

「まあ、ね。君が一番最初に気付くとは思っていたよ」

 ワイ氏の無責任な物言いに、エヌ氏はいよいよ本気で腹を立てた。

 エヌ氏の連日連夜に及ぶ調査の結果、現行で使用している天候を左右するプログラムのソースコードにはいくつもの間違い、すなわちバグが存在することを突き止めたのだ。その道のプロフェッショナルである者からは想像がつかないほど、その内容はどれもこれも杜撰そのものだった。

「しかし君もよく報告してきたな。懲戒解雇どころか、下手をすれば本物の首が飛ぶような案件だぜ。これは」

「承知の上ですよ」

 エヌ氏は毅然として言い放った。ワイ氏の言う通り、本来ならば上長の許可なしでは改竄できないよう厳重なプロテクトをかけてあるファイルを、違法すれすれの手法で勝手にこじ開けたのだ。どのような処分が下ってもおかしくはない。

「それに首がかかってるのは貴方だって同じなはずだ。死なばもろともです、イタチの最後っ屁で報道関係者にリークしてやります」

「まあまあまあ。しかしなあ」

 義憤に駆られ鼻息荒くまくし立てるエヌ氏を宥めながら、ワイ氏は次のように返した。

「そこまで解るなら……気付いてるはずだろ?」

「……」

 一転、この一言でエヌ氏は黙ってしまった。ソースコードの不正を暴き立てたまでは良かったが、困ったことに実際のプログラムの挙動には何ら問題はなかったのである。

 署名もなく、何者によるコーディングか定かではなかったが、事実として不具合の報告はこれまで一切上がってきていない。バグを意図的に用いるやり方もないわけではないものの、いくらなんでも背負っているものが大き過ぎる。旧世紀のビデオ・ゲームと同じには言えないのだ。

「今は良くても、このままではいつ、何が起こるかわからないんですよ! 怖くないんですか!?」

 そう語るエヌ氏には鬼気迫るものがあったが、ワイ氏はそうだろうね、と軽く受け流してみせるだけだった。その飄然とした態度が更にエヌ氏の反感を買った。

「あなたって人は、どうして……」

「……『神が望むなら(インシャー・アッラー)』という言葉を知っているかい?」

 ワイ氏はごくゆっくりと口を開いた。エヌ氏も一般教養としてなら聞き覚えはあった。旧世紀の回教徒(ムスリム)の常套句、としか理解していなかったが、要は動いているのだからそのままにしておけと言うのだろう。断固として、首を縦に振るわけにはいかなかった。

「知りませんよ、そんなの。何日、いや何年かかったって、僕が責任を持って直してやりますよ。そうだ、そのために呼ばれたんだ」

 世界の危機に殉ずる覚悟を見せたエヌ氏に対しても、ワイ氏はいつもと同じ言葉を投げかけるだけだった。

「そうか。それが君の幸福に繋がるのであれば、邪魔はしないがね」


 プログラムの修復は難航を極めていた。

 デバッグ、つまり既存のコードを読み解いてそのつまずきをひとつずつ正していくしかないのだが、解析すればするほど今問題なく動いているのが奇跡的としか言いようがない有様だった。エヌ氏は結局いちから作り直した方が早いとの判断を下し、早々にコーディングへと取り掛かった。

 エヌ氏に味方はいなかった。勤務時間中に公然と機密性の高いファイルを触るわけにもいかず、定時になればそれぞれプライベートがあるからと蜘蛛の子を散らしたように皆そそくさと帰っていく。普通はチームを組んで当たるものをひとりでやろうというのだから、途方もない労力と時間がかかることは火を見るよりも明らかだった。

 もっとも、どれもこれもがエヌ氏にとって好都合でもあった。誰もいない方が大手を振ってオフィスで作業ができていいし、独りならば他人の作った分をいちいちチェックする手間も省ける。

 まさか世界を動かしているプログラムの根幹部分に自分自身の手を直接入れられる機会が来ようとは。眼の下にはっきりとわかる隈を作りながらも、入力デバイスを駆使してコーディングを続けるエヌ氏の口元には常に微笑が浮かんでいた。

 ユートピアと軌道エレベータが落成し、天候改革が起こった時、エヌ氏はまだ幼かった。おれならもっと上手くやれると、これまでずっと信じて已まなかった。論文でその脆弱性を指摘したこともあった。ようやく研鑽に研鑽を重ねた自身の技量のほどを存分に振るい、証明できるのだ。いちシステムエンジニアにとってこれ以上の本懐はなかった。

 それにしても、何故これほどの栄誉に浴しながら先任者はプログラムに署名のひとつも残さなかったのだろうか。そこだけが気がかりではあったが、エヌ氏はすぐに好機と捉え直し、そんなことは忘れてしまった。


 ある日、作業が一区切りしたところでエヌ氏は自身の席を離れ、給湯室で持ち込んだ豆を挽いてコーヒーを淹れた。エヌ氏が唯一最後まで手放せなかった娯楽だった。遺伝子改良を受けた蒲公英(たんぽぽ)で作られたノンカフェインの代替コーヒーでは、どうしても味気なく感じた。

 エヌ氏は湯気の立つマグカップを片手に、窓際へと注意深く歩いた。もう随分と慣れてしまったが、天空のオフィスから見える絶景にはここに来た誰もが夢中になったものだ。特にこの時間、雲海の彼方に夕陽が沈んでいく様を見届けるのがエヌ氏は好きだった。

 何が『神が望むなら』、だ。エヌ氏は小さく口にした。

 常人の目の届かぬ雲の上でこうして何十日何百日と眺めていても、窓の外を天使ひとり横切っていくことすらなかった。この三千世界のどこに神の隠れるところのあるものか。遺伝子の解読に等しく、もはや地球上起こり得るすべての事象はプログラムのコードと同じくらいに確からしいことばかりだ。

 軌道エレベータを聖書になぞらえて天使が天界と地上を行き来するというヤコブの梯子と呼ぶこともあるが、とんでもない。旧世紀に神を巡って人が大勢殺し合った時でさえも、一度も姿を見せなかったではないか。

 現に宗教人口は年々減少の一途を辿り、如何なる宗教の教えも非科学的な迷妄の産物とされ、単なる保護されるべき過去の文化以上の扱いを受けていない。それを今更、あんなカビの生えたような言葉を持ち出してくるとは。時代錯誤も甚だしかった。

 強いて言えば神の役割を引き継いだのはこの塔、その中枢にいて機能を司る、自分ではないか。少なくとも五穀豊穣と国家安泰は掌中にある。

「く、くふ、はは、は」

 エヌ氏は発作のように突然息を漏らし始めた。これは今に始まったことではなかった。最初はそんなことなど微塵も思いもしなかったが、大多数の人の手の届かないここで雲をかき混ぜるような真似をしているうちに、エヌ氏はふと腹の底から笑みがこみ上げてくるような優越感と全能感を度々感じるようになったのだった。

「楽しそうだね」

 どこからともなく現れたワイ氏の声を聞き、エヌ氏は一瞬で笑うのをやめた。部屋のロックは新たに設定しておいたはずだったのだが、どうやら今日に限ってかけ忘れていたらしい。

「もしかして、お邪魔だったかな」

 嫌な奴だ、と出かかったのを寸でのところで奥歯で噛み殺し、いや、とエヌ氏は表情を社交的な笑顔に作り直した。

「構いませんよ」

「一応進捗を聞いておこうと思ってね、どうかな」

「あと少しですよ。ですが、どうします? このプロジェクトの責任者は主任、あなただ。僕がいくら完成させたところであなたの、いやもっと上の許可がなければ実行には移せませんが」

 極めて当前の内容だったが、それゆえにワイ氏を捉えるエヌ氏の眼光の冷たさが際立った。だがワイ氏は変わらずいつもの調子で軽く答えた。

「おいおい、今になって随分殊勝なことを言い出すなあ。どうした」

「いえ、勤め人の基本ですからね」

 その一言で、今度はワイ氏が笑い出した。

「都合のいい時だけ縋ろうったって無駄だぜ。君がそいつを信じるなら、その通りにすればいい。なあに、それだけ心血を注いでおいて素直にお蔵入りさせるようなタマじゃないだろう、君は」

「感謝します」

「どうせいざとなったら、僕を殺してでも実行するつもりだったんだろ?」

「まさか」

 そう言ってエヌ氏も気取られぬよう、心の中でほくそ笑んだ。


 数日後、いよいよワイ氏立会いの下でプログラムのバージョン・アップが行われる運びとなった。

 あくまでも内々に、ということでその日コントロールルームへと入ったのは二人だけだった。エヌ氏は機密情報へのハッキングの負い目からこれを承服したものの、そんな必要はないと内心では考えていた。

 何度テストで走らせても挙動は完璧だった。正規の手続きを踏んで精査されても、一切問題はないはずだ。それだけに正式な署名の遺せないのが本当に残念で仕方がなかった。世界を救った男として顕彰されてもいいくらいだというのに。

「じゃあ、始めようか」

 ワイ氏はマザーコンピュータを起動し、プログラムの上書きを開始した。10%、20%とインストーラーの数字が進んでいく度に、エヌ氏は勝利を確信した。自分の作ったプログラムが遂に地球を回す時が来たのだ。

 30%、40%……

 たとえ誰にも知られなくても、人類の華々しい歴史を自分が切り開いた。人としてこれ以上の誉れはないだろう。ああくそ、せめてイースター・エッグでも仕込んでおいてやるべきだった。そうすれば、いつか……

 60%、70%……

 そうだ、少しくらい感謝されたっていいはずだ。アップデートと称してまた次回にでも作ったものの名前が判るようにしておこう。それくらいの役得があってもいいはずだ。そうしたらこんな事なかれ主義丸出しののクソ上司のもとなんか去って、もっと金のいいところへ移ろう。それがいい。

 90%……

 おれはこんなところで終わる器じゃない。これだけの事ができるからにはもっと高みへと登れるはずだ。となると、やはり宇宙だな。宇宙工学の分野でも絶対に必要とされるはずだ。この才能は地球ごときのスケールじゃおさまらないだろう。そう、おれは新世界の神なんだ……

「新世界の神、ねえ」

 ワイ氏はにやにやとエヌ氏の顔を覗き見た。

「なっ……」

 エヌ氏は反射的に口を抑えたが、無駄なことだった。思ってこそいたが、最初から一言もしゃべってはいなかったからだ。

「この天まで届く高い塔に、新世界共通語。君たちはまた、同じ所へと行き着いてしまったわけだ。まあこっちの言うことを最初から聞いてくれているようであれば、わざわざこうして二度目をやり直す必要もなかっただろうけどね」

 100%。

 その瞬間、軌道エレベータはぐわんと大きく揺れた。宇宙からぶら下がっているこの塔が傾くなど、常識ではあり得ないことだった。

 エヌ氏は転がった机とともに壁へと磔にされたが、一方でワイ氏は重力を完全に無視してその場へまっすぐ、静かに佇んでいた。

 まるで、無風の湖の上にでも立っているかのように。

「君は言ったね。いつ、何が起こるかわからなくていいのかと。わたしに言わせてもらえば、人ふぜいがそんなことをできる必要はない。あまり思い上がってもらっては困る。天気についてだって、まさか本気で君たちがどうこうできるだなんて思っていたのか? ……あんなでたらめなプログラムなんてあり合わせで用意しただけで、全部、裏で僕がしてあげてたというのにね」

 それを最後に、ワイ氏の口調や表情から主任の面影がすっと消え失せたのをエヌ氏は目撃した。まさか生きているうちに拝むことになろうとは。

 慈しみとも哀れみともつかぬものを秘めた声色で、ワイ氏は続けた。

「エヌ君、人類の代表として最後、君にひとつ聞いておきたい。何故君たちはいつもこうなのだ。わたしはできる限りのものは常々与えているつもりだが、毎回それを無視した上でなお付け上がるような真似をする。その性根はまさにこの塔そのものではないか。そもそも、あの時も藪をつついて蛇を出した。その結果がこれだ。つくづく度し難い……」

「……」

 本来ならあり得ない角度から飛んで来た機材に押し潰され絶命寸前のエヌ氏には、もう何も答えられなかった。ワイ氏はその様子を見て、もう済んだことだが、とつぶやいた。

「いずれにせよ、三度目はない。次の者たちが足ることを知る、真に賢き者であることだけを祈ろう。さらばだ」

 そうとだけ言い残し、神は今度こそこの世界を去った。

 エヌ氏のプログラムは地軸を乱し、重力をねじれさせ、衛星軌道上にあった軌道エレベータの終着駅を地球へと引き摺り落とした。

 それはまさしく神のくだした鉄槌に他ならなかった。


 果たして何万年、何億年経ったのだろうか。

 人間社会が滅亡し地球という星を観察する者がいなくなって後、いつしか氷河期を終えた地表にまた新たな人類が出現していた。今度は恐竜からそのまま進化した、体中をうろこに覆われた爬虫人類がこの星を統べることになりそうだったが、彼らもまた旧人類がそうであったように、狩猟に明け暮れる生活を送っていた。

 とある爬虫人類のオスが、宇宙より墜ちたかつての軌道エレベータの残骸を発見した。彼は当然その経緯など全く知らず、労せずして風雨をしのげる家ができたと喜んだ。

 そして、この残骸をちょうどここへと配置した何かに感謝し、祈りを捧げるのだった。

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驕りの塔、あるいは未来の犍陀多 髙橋螢参郎 @keizabro_t

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