半島ディアスポラ、海峡世界で陶窯の煙を上げる(2)
宝春は微笑むと、そっと春野の手を取り、両手でつつんだ。
――おれは刈代に行っても良いと思っている。なぜなら、そこでなら、春野もおれも、役割を得られるからだ。
――そなたが必要だ、風声春野。
保円の切迫した声をも、春野の耳はふたたび聞く。
都に行き、困難ながら保円を支えて、朝廷を変える。それによってしか、遠辺国や井津端国の収奪は収まらないだろう。国司が小手先の政策であがいても、その頂点にいる摂政を突き崩せなければ――……
――見よ、春野。望春である。
死んだ父の声。
雪原にすっくりと立ち、高い梢に紫色の花を咲かせる望春――木蘭の木。
あの木のように生きた父。あの暑い夏、海辺の村を回っていて津波に呑まれた父。
――春野は、風声の氏に、いや、環の威に、なくてはならぬ存在だ。
宝春に告げた兄野主の声。
「――春野! もうすぐだ」
朗らかな秋守の声に、春野は顔を上げた。彼女の指し示す方に、木々がとぎれ、視界が開ける。
「
稜線沿いの道から、眼下に広がる盆地を、秋守は示した。
青く生い茂るのは、大半が菅や葦だが、目路の向こうには、水田も見える。
春野と宝春は、秋守に連れられ、刈代の地を訪れた。
宝春は結局、秋守を春野に会わせた。刈代に行ってもいい、という、自分の意見も添えて。その夜、秋守が帰ったあと、ふたりは長く話し合った。春野は、宝春に、望むままに生きてほしかった。宝春は、春野に、同じことを考えていた。
なにをして、生きていきたいか。どこで、だれに関わって暮らしたいか。
互いに問いかけるなかで、ひとつの答えが出た。
刈代に、いちど行ってみよう。
環の鎮守将軍が、環の支配の及ばない地に行く、ということは、軍事行動以外ではありえない上に、ほかの官人に知られれば生活が危うい。だから、農民に身をやつして、夜陰に紛れ、ふたりは秋守に付いて山を越えた。
徒歩でも、一日半ほどで、その地に着いた。環が長い間攻めあぐねた異邦の地でも、距離としてはあっけないほど近い。その地で話されることばも、訛りは異なるが、春野の知っている遠辺国や井津端国の夷似枝語とほとんど変わらない。
訪れた村は、整地が終わり、仮小屋から、長く住むための家々を造作している途中だった。それは、特異なかたちの住居だった。
「入り口側は掘建柱で、家畜を入れて……人間は奥の竪穴住居で生活するのか」
「刈代夷似枝に井津端夷似枝、別嶋夷似枝に環人、といろいろな人間がこの村にはいるが、移住してきた者はこのかたちがいいと、刈代夷似枝の工人の提案に賛成したんだ。竪穴を掘れば暖かいが、端の空間では身動きがしづらい。その点、掘建柱の建物をくっつければ、暖かい空気を共有したまま、作業場に出られる。この村には工人が多いし、農民も冬は家族ごとに作業をする。家畜も寒さに凍えなくてすむ。井津端から連れてきた家畜が、越冬するにはこのかたちがよいだろうと考えた」
「道沿いに整然と並んで……まるで都のようだ……」
秋守は笑みを漏らした。
「新しく村を作るなら、外からだれかが来たらわかるように、道をまっすぐ作ったほうがよい。家族同士が互いを行き来するときも、見晴らしがよいほうが、安心する」
「なるほどな……」
「ここは焼き物を作る職人や、製鉄をする者、馬を養う者が主に住まう。移住前の親族関係をもとに、製鉄だけを行う集落もほかに作る予定だ。その場合は排水を浄化する大がかりな池が必要だし、燃料の生産地と近い必要があって、それはそれで各所と調整が必要だった」
槌音を響かせる村のなかに入っていって、春野は足を止めた。
「古庭――?」
屋根材となる萱を運んでいたのは、春山城下の津で出会ったことのある、時近の配下であったはずの夷似枝の古庭だ。
「春野さま?」
驚いた彼と一緒に、五歳ほどの女の子も着いてくる。
「そなたは時近殿の郎党をしていたのでは?」
「……時近さまには暇乞いをしました。シュシュの谷――祖父の故郷の谷を探すために、まず刈代に住むことにしたのです。娘と妻も連れてきました。秋守さまの商いも、手伝うことにしました」
「古庭は西国の夷似枝に顔がきく。とてもありがたい」
秋守が言い添える。
「そうか……」
古庭と別れると、秋守が提案した。
「宝春、土器を作る工人を紹介しようか?」
そして、ふたりを村の奥に案内する。工房には老若男女が十人ほどいて、簡素な椅子に座り、足でろくろを回している。蘇蘆出身の瓦職人であると秋守が宝春を紹介すると、質問攻めに遭った。成形や乾燥のやり方、窯の作り方、温度管理の仕方――……専門的なやりとりに、宝春はよどみなく答え、さらに話題は尽きない。秋守と春野は顔を見合わせると、建物を出た。
村の地形を見せ、争いが起きた場合の防御について、秋守は意見を求める。春野は壕を作る場所と、櫓を建てたほうがいい場所について答えた。
反乱を平定して以降、あまり使うことのなかった頭の部分を使っている感じがする。春野には、村の将来のすがたが鮮やかに見えてきた。
やがて日が暮れる。村長として選ばれた壮年の女性の家に招かれ、雑穀で醸した雑味の多いつよい酒を振る舞われる。彼女が自らの関わっている鍛冶でつくった鋼であがなった、やまほどの熊や鹿の肉を食べる。真新しい掘建柱の建物で、春野と宝春は寄り添って眠る。夜鳴き鳥や虫の声を聞きながら、春野は父を思う。
つねに高い場所を見上げていた父。やさしく春野の頬を撫でる父。いまはいない彼に、春野は問いかける。
――父上。
わたしはどうしたらよいのでしょう。
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