事務方国守代理、摂政命令をつっぱねる(4)

 二四歳の時近は、裏地に黒い貂皮を張った外套を脱ぐと、従者に持たせた。

「なにをやっておられるのです? 保円殿」

 火桶に当たりながら、時近は悠然と言った。

「帰れ太郎。そなたは要らぬ」

 上座から底冷えのする声で言った保円に、時近は眉を上げた。

「雪道を遠路都から参りましたのに、夷似枝を制圧せず戻れば、父に殺されます」

「知らぬ。さっさと殺されろ」

「まあひどい」

 笏を口に当てて肩をすくめた時近に、保円は苛々と貧乏ゆすりを始めた。

 ――わたしはなぜこの場にいるのだろう……。

 春野はふたりからすこし離れたところに置かれた床几から、井津端権守と権介の会話をぼんやりと眺めた。

「おい春野」

 保円に声を掛けられ、春野はびくりとした。

「はあ」

「残った夷似枝村に攻撃を仕掛けることによって起こる事柄を申し述べよ」

 春野は立ち上がり、時近のほうに向けて話し始めた。

「第一に、雪が積もっております。阿妻八国から来た援兵は、雪に慣れておりません。行軍に時間がかかり、いたずらに公糧を消費します。第二に、夷似枝たちは、雪に慣れております。多少吹雪こうが、敏速に槍を振るい、あるいはこちらの動きを察知して谷間などで樹上から攻撃される事例が、遠辺国側の征夷などで多数見られています。自然、井津端側でも同様のことが起こるでしょう。第三に、あと数日のうちに、雪で公道が塞がれ――」

「わかった、わかった」

 時近はぴらぴらと手を振った。

「できぬ理由は訊いておらぬ。やれと言っておる」

「知るか帰れ」

 保円のぎすぎすした物言いに、時近は薄く笑った。

「父は、年内に反乱夷似枝の降伏がない場合、国守の任を解くと申しております」

「なんだそれは。経良たっての懇願だったぞ、わたしの派遣は」

「懇願……ではなかったと思いますが」

「うるさい黙れわつぱ

「ちなみに、保円さまの後任は、わたしにすると」

 保円と春野は顔を見合わせた。

「……」

 数瞬黙ったのち、ふたりは吹き出した。

「莫迦を申せ!」

 保円は声を上げて笑った。

「……莫迦ではないですが」

 眉間に皺を寄せる時近に、保円は近づくと、バンバンと肩を叩いた。

「出仕したてのそなたに、この難地を治められるわけがなかろう! また大反乱が起こって、春山城も、場合によっては井津端国府も、灰燼に帰すぞ!」

「痛い、痛いです」

「どうしたんだ、経良は。熱病にでも罹ったのか?」

「……いや、健康そのものでしたが……」

「目障りな政敵でも現れたのか? ん? またぞろあかね葦原あしわらの文人官僚が文句を言ってきたのか?」

 保円はおおきく首を傾けて、時近の顔を覗き込む。

「……」

「手札を見せろ、青家の小僧。そなたの手駒で雪中行軍することになったら、都の夫子が泣いて悲しむ」

「……実は」

「おっ、言うか。父の言いつけに背いて?」

「保円さま……」

 春野は呆れてたしなめた。地方回りでなんども修羅場をくぐった、五十間近の熟練官僚と、青家の御曹司では、器がちがい過ぎる。

 時近はじっと中空を見つめたのち、保円を見た。

「院が、井津端に行幸したいと聞かぬのだそうです」

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