事務方国守代理、摂政命令をつっぱねる(2)

秋守アシリモシリ、オロナイのどうぜいは、付近の村々と一緒に、春山に朝貢に行くそうだ》

 刈代の交易の中心地、羽塔うとうヶ浜。雪の季節が始まり、停泊する船はすくなくなったが、依然としてひとびとは歩行かちや駄馬で活発に荷物を運び、行き交っている。集落のなかのひときわおおきな笹葺きの家で、秋守は夫コソンカに迎えられた。召使いが彼女の足を洗い、ふたりは囲炉裏の切られた居間の、毛皮を敷いた小上がりに座った。差し出された白湯を啜り、再会を喜ぶのも早々に、秋守は夫から別嶋夷似枝の動静を聞いた。

《……オロナイのあたりは、饗給に依存しているからな》

 同勢とは、交易を行う商人集団のことだ。北の財――貂皮、鷲羽根、さらには昆布や干鮭ほしざけなど、船で運びやすいものを、広大な別嶋の交易網で収集し、春山城への朝貢で環に差し出す。代わりに、別嶋夷似枝たちは穀物、硬く割れにくい土器、金属の武器や農具を手に入れる。夏や秋、戦乱のために朝貢が中止されており、彼らは食料に窮していた。その年は、別嶋に限らず北辺は旱魃や集中豪雨に見舞われ、採集や農事が振るわなかったためだ。

 春山城は環の手に戻り、井津端国内の反乱軍側の十二の夷似枝村も、五つまでが投降した。残りの村の降伏も時間の問題だ、という情報は、別嶋の同勢のあいだで共有されることになった。

 別嶋の、海峡に突きだした半島の突端であるオロナイよりも北、半島の付け根にあるレラシリという村の同勢に、コソンカは属しており、レラシリは今回の乱は静観する方針だった。妻である秋守は人脈を駆使し、夫の同勢の方針に反して、別嶋や刈代の別の同勢を乱鎮圧のために動員した。春野や保円と夷似枝たちをつなぐ役割を担った彼女は、井津端や刈代の各地を駆け回ったのち、羽塔ヶ浜に数ヶ月ぶりに戻ったのだった。

 召使いが持ってきた汁物の鍋から、コソンカは手ずから椀によそい、秋守に渡す。手に伝わるあたたかさと、白くゆらめく湯気に、秋守は目を細めた。

《乱は集結しそうだな。無事に帰ってこれて、ほんとうによかった》

 髭もじゃの年上の夫のあたたかいことばに、女商人は微笑む。

《幼馴染みが――春野が、よく動いたんだ。鎮守将軍とかいう、大層な肩書きをもらったらしいが、まったく驕ることがない。あの率直な……まあ、悪く言えば直截で、善く言えば純情な言動が、夷似枝たちを説得した》

《将軍が純情でも、環の首領はそうではないだろう》

 滋味の沁みた百合根の団子を噛んで呑み込み、ほっと息をついてから、秋守は夫のことばを胸に落とした。

《……そうだな。早晩に、井津端の収奪がやむとはとても思えない》

《……もしかしたら》

 コソンカは腕を組んだ。

《刈代に、井津端の民が逃げてくるかもしれない。三年前の飢饉のときは、環人も、夷似枝も、刈代に何百人と逃げて来ただろう。それが、また起こるかもしれぬ。現に、そのひとびとはまだ井津端に戻ってはいない》

《……それなんだが》

 秋守は椀を折敷に戻すと、手の込んだ刺繍の入った樹皮布を纏った夫の腕に触れた。

《春山ちかくの環人から、刈代に逃げる算段を付けてくれと頼まれた》

《……》

《環の役人に知られたら、わたしが井津端をうろうろすることに障りが出るかもしれぬと、……いちどは断わった》

《……ふりをした?》

 コソンカは、片眉を上げてにやりと笑った。

 秋守はふふ、と笑みを漏らす。

《時期が悪い、とは言った。いまは環の兵士がたくさん井津端に来ているからな。それに雪も降り始めた。足弱のひとびとに山越えは難しい時期だ。だから、この冬は耐えてくれ、という話をした。あるいは、環の方針が変わるかも知れないと――現に、春野も、新しい国守も、そう主張しているからな》

《……そうか》

《特に金になるかというとそうではないが……もし……》

《環人に、刈代で自分たちだけで生きろというのは、死ねというのと同じだ。彼らは、海峡側の冬の過ごし方も、狼や熊を狩る方法も知らぬ》

《だが、彼らは、硬い土器の作り方や、鋼を鍛える方法を知っている》

《……そうだな》

《わたしに逃亡を持ちかけたのも、そういったわざを持つ環人だった。彼らを刈代に連れてこれたら……》

《ここを拠点にするおれたちが、別嶋やもっと北のひとびとに売るものの仕入れが、もっと有利になる》

《窯場や鍛冶場を用意してやろう。手伝いたがる夷似枝もたくさん出てくるだろう。そういう商売も、こころ楽しいだろうな》

《それに》

 コソンカは口角を上げて目をくるりと回してみせた。

《環に一泡吹かせられる。さんざん夷似枝たちから奪ってきた環を》

 秋守は声を上げて笑った。

《それはどうかな。わたしの親友に害がでるようでは困る》

《そこは、秋守がうまくやる》

 そういって、コソンカは秋守の肩をぽんと叩いた。

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