35歳ニート女子、鎮守将軍になる(5)

 彼は切なげな顔をして、次の瞬間には春野を強引に抱き寄せた。春野の背に回された腕に、ぐっと力が込められる。春野の胸に、宝春の心臓の鼓動が伝わる。つよく、速い鼓動。

「ずっと――おまえが都に行ってからずっと、こうしておまえを抱き締めたかった。おまえを、どこにも行かせたくなかった」

 春野のこころは、はげしく揺さぶられた。すがるように、彼女は宝春にしがみつく。その反応に、宝春はますます力をつよめた。

「おまえがなんの職に就いているかは、おれにはどうでもいい。おまえが、おれのそばにいてくれれば――……毎日、朝目ざめたとき、物を食べるとき、夜の灯りを見るとき、おまえと一緒だったら、どんなにいいかと、思っていた。……でも、それはおれの――おれだけの望みだ。……自分のことばかり、言い募ってすまない」

 彼は腕を緩め、向き直ると、春野の耳の後ろの髪を撫でた。張り詰めた表情が、ほろ、とやわらぐ。

「……おれはおまえがいとしい。おまえが、おれに同じものを返してくれたら、どんなにしあわせかと思う」

 彼の澄んだ瞳に宿る思いを、春野は見た。

「宝春……」

「ああ、泣くな……おまえを泣かせたくて言ったんじゃないんだ……」

 彼女がぽろぽろと流す涙を、彼の指が受け止める。

「宝春、わたしは……でも、わたしは……――父上のようになりたいんだ」

「うん」

「ひとびとの暮らしを安楽にし、今日の食べ物や、明日の住処について思いわずらう必要のない――だれかを殺したり、だれかに殺されたりする危険のない暮らしを与えたい。それが父上や、風声のうじのなしてきたように、武や交渉によって成り立つものなら、環においては、それは朝廷で地位を得た人間にのみ許されることだ。だから……」

「うん」

「わたしは悔しい。また、絶対に職を得る」

 宝春は微笑んだ。

「そうか」

「それまでは、おまえのそばにいる」

「――えっ?」

「風声の遠辺の私領を見て回りたいし、……とりあえず、おまえと一緒に寝たい」

「春野!?」

 慌てる宝春に、春野はにこにこと笑いかけた。

「おまえもわたしと寝たいだろう?」

「えっ、いや、そういう意味じゃ――いや、そういう意味でもあるけど」

「おまえ、いまどこに住んでいるんだ? 連れて行け」

 ふふふ、と笑って、春野は宝春の手を取った。

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