第一章 Disarmament――武装解除――
35歳ニート女子、鎮守将軍になる(1)
五月、うだるような暑さの
妻戸から入ると、むっと立ち込める湿気が保円の肺を圧した。常には開け放たれて風を通しているはずの
「保円殿――
部屋の最奥に座る七つ年下の摂政は、場を貫くようなするどい声で呼びかけた。
「その呼び方はやめよ、
不機嫌に返しながら、葛原
しかしながら、ふたりの身分は遠く離れている。
四代前に分かれた葛原氏は、青家が他家を蹴落とすことで血脈をつないだ。
年下の上司に、額を床に擦りつけるように礼を取ることを、屈辱だとは思っていないが、のしかかってくるような暑さのせいばかりでなく、保円は胃の腑をつめたい手で握りしめられるような厭な予感を覚えていた。
通常は政務の終わっているはずの夕刻に、この数の公卿が集まり、深刻な話し合いを持った、ということは。
「井津端より飛駅が到着し、春山城北の
摂政の淡々とした声に、保円のこめかみに冷や汗が流れた。
ふた月前に始まった井津端国反乱はやまず、都は動揺していたが、一気に戦局が悪化したという報は、内裏に更なる危機感をもたらした。
「北辺のみで事に対処は成しがたいと判断し、阿妻八国に
目を上げた保円に、経良は冷ややかに告げる。
「右中弁葛原保円を、
「――しかし!」
保円は顔を跳ね上げた。
「わたしは文官の身ゆえ、弓馬の術もおぼつかず、反乱鎮圧に役立てるとは思えませぬ」
「
摂政は刃のような口調を変えない。
「
「それは綺麗事でしょう」
ねめつけるような視線を、保円は摂政に向けた。
「そうは思わぬが」
「ご帝孫・泉岑由殿の苛政は音に聞こえておりました。環のなすことへの不満は、夷似枝だけにとどまらず、
「援兵を付帯させると申したはずだ」
「
「……至らぬ者を処断しただけだ」
初めて勢いを殺した摂政に、保円は語気をはげしくした。
「累代の将家、風声氏をご起用なされませ!」
「氏の長者たる野主はすでに井津端にいるが」
「その妹春野に――
「征夷大将軍にせよと!?」
「そのような事態に相違ありませぬゆえに」
「……」
目を見ひらき、摂政は保円に対峙する。
「その体制が実現できなければ、
経良はがばりと立ち上がり、手近の柱に笏を叩きつけた。
「朱家ごときが
「もしわたしが井津端で不首尾を犯せば、貴公はそれを口実にわが朱家を踏み潰すつもりであろ。そうはさせぬぞ、青家の小僧」
摂政のまなこに怒りの火花が散った。
「この……!」
保円はすい、と身を起こし、袖を翻して妻戸に向かう。
「保円! 話は終わっておらぬ!」
保円は足を止めると、固唾を飲んで見守る公卿たちを見回し、そののち摂政に視線を向けた。
「風声春野は遠辺国にいるそうです。彼女を公職に引き戻す説得はわたしがしますので、そのあいだに、貴公は公卿方をご説得なされよ。では」
ガン、と妻戸を蹴り開けると、保円はすたすたと歩み去った。
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