序 星火の急(2)

 井津端いづはこくの北東、たまきの果てである猪爪いづめ村は、同時に東隣の遠辺国とおのへこくから山岳部を抜ける要衝の地でもある。更に言えば、北にある綿湖わたのうみと呼ばれるおおきな火山湖を挟み、環の支配の及ばぬ地・刈代かりしろと接している。

 鎮守将軍・風声春野かざごえのはるのは、猪爪村に遠辺国側から入り、配下の兵士を山間に残して、単身村の田地のなかを歩き、雪がやむのを待った。

 ――こちらが武器を持っていないことを、ひと目で知らせる必要がある。

 猪爪村の櫓らしき黒い影を見上げ、風向きが変わるのと同時に、彼女は笠、みの、毛皮の上着や脛巾はばき[脚絆]を脱いだ。面倒になって、袴も外してしまう。

 白い小袖一枚になって、身を切るようなつめたい風に身を晒す。

 これでは罪人のようだな、と思い、特にそれも間違っていないと思い直す。

 井津端の交易の中心地・春山で、晩春に夷似枝えにし村十二村の大規模な反乱が起きてから半年。当初春山城や春山郡家ぐうけを焼き、鎮兵ちんぺいに数百人の犠牲を出して、夷似枝たちは圧倒的な優勢を以て春山河以北の地の独立を要求した。その理由は、前国守の泉岑由いずみのみねよしを始めとする、王臣家の収奪に耐えがたいから、というものだった。

 遠辺国や、北辺の南に接する阿妻あづま八国の増援を受け、井津端側は反撃を開始したが、形勢が逆転したのは秋口になってからだ。そこには、刈代の夷似枝や、さらにその北、海峡を挟んだ別嶋わけのしま夷似枝の一部が朝廷側に与した影響がつよい。国郡制によって縦割りに把握されていた朝廷側の兵士たちは烏合の衆に過ぎず、勇猛さでは夷似枝たちにまったく及ばないためだ。朝廷側は夷似枝たちを使うことに慎重になった。彼らを身のうちに取り込むことは、刃一枚ではらわたを食い荒らされる危険と隣り合わせだ。近隣の国に更なる救援を命じ、ようやく朝廷側は春山城を奪還する手筈を整えた。

 ――この事態になるまで、わたしは手をこまねいていた。

 七年前の罷免から、彼女は散位さんい[無職]となり、都で幽居していた。昨年から遠辺国にいたものの、西隣の収奪になにかをなせたわけではなく、反乱を聞いても自分の私領への影響を心配するだけだった。

 白く雪の積もった丘から、数人の武装した夷似枝たちが降りてくる。

《わたしは、鎮守将軍風声春野という! 空拳である! 村長に取り次いでいただきたい!》

 寒さにからだの芯からぶるぶると震わせながら、春野は叫んだ。

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