第2話かんそうせん
その晩は久しぶりに酒を飲んだ。晩というには、遅すぎるか。月も沈みきるほどの遅い夜。相も変わらず素寒貧で、これから良くなる見込みもないが、とにかくうれしく、どうにも我慢が出来なかった。稼ぎは今までと変わらないが、もう倹約の必要はない。おれは手に入れることを果たしたのだ。これは転機だ。おれの人生はいわばここから始まるのだ。ならば祝杯に戸惑う必要はない。存分に飲むべきだ。
足元に積みあがった異形の骸、そして素朴な仮面ひとつ。眺めておれはまた一口勢いよく喉奥に押し込んだ。死体を肴に酒を飲む趣味はないけれど、しかし余りにも嬉しい。習慣にしてもいいかもしれない。
デブリの死骸は意外と寝心地がいいなんて、今までは考える余裕はなかったのだから。生まれた余裕は心に感受のゆとりを与える。
道はまた、例によって唐突につながった。
バミ、クタタタ、キュコリキュコリ。
「来たな」
独り言だ。誰に向けたわけでもない。
しかし未だにこの音を分かるように表現することがどうにも出来ない。10年来の悩みだ。答えのない疑問。
こじあけられるような、こすれるような?なにかを押し上げるような、だめだ。今度もさっぱりわからない。
音の少しあと、道がつながり、そして現れた。デブリたち。
振り返ればこの化け物どもとは長い付き合いになる。こいつらへの思いの丈を、人間みんなで比べたなら、おれは上位に食い込むだろう。
つまりおれはこいつらの正体に関して、人間の中で結構詳しいほうだ。
こいつらは火星人だ。
こいつらは進化した虫だ。
ネアンデルタール人だ。
意思を持った金属だ。
超能力者のなれの果てだ。
恒星に住む生物だ。
異世界人が悪ふざけで作ったロボットだ。
切実な星間移民だ。
伝説の幻獣だ。
未知の変異ウイルスのキャリアだ。
仮装した暴漢だ。
眠りから覚めた白亜の知的爬虫類だ。
並行世界のバクテリアだ。
時空の歪みが見せる実態ある幻だ。
遊星の貴人たちだ。
まあ、なんというか。こいつらにも歴史があり、事情があり、理由がある。存在にたる根拠というのがある。
家族があるかもしれないし、恋人がいるかもしれない。
悪意を持ってるかもしれないし、精神疾患があるかもしれない。
死にたくないと思うのかもしれない。
殺させはすまいと戦っているのかもしれない。
かも知れない。
もういちど念を押すが、おれはこいつらの正体にくわしい。上で言ったことは全て、でたらめだ。ついたことのある嘘を順に並べただけだ。
こいつらの正体にこだわる人間は少なくない。人間史からこいつらに関する研究の項が途切れたことはない。多くの時間がつぎ込まれ続けている。まるごと費やされた人生も一つや二つじゃない。
真実を知る立場から言えば、こういう歴史は、本質をはき違えた道草のようなものだ。雲の数を数えようとすることくらいささやかで、意味がない。
これはデブリの正体にとどまらず、人の世の多くの事に言える。おれはそう思っている。
ふいに、こちらにロードが伸ばされる。
ルイン。ミシューシュル、ガラゴロロ、ロロロ。
今日も音の意味は分からない。その日ではないらしい。
分からないこと、疑問、不安、謎、好奇心。
そんなことに向き合う必要はない。
人間には不十分すぎる。
当然だが、呼吸と散髪、どちらかしかできないなら、呼吸のほうが大事だ。犬の食事と自分の食事。どちらを優先すべきかは言うまでもない。
実はこの理論は見落とされやすい。
人生には、すべての瞬間に存亡がかかっている。
そして人は時々、存と亡のうち、亡に傾いてしまうことがある。
存在しないものに思いを馳せたとき、その油断が、滅びを招くことになる。
亡の誘惑は果てしなく、存は未踏の無限がある。ふと、流されてしまうこと、仕方なくも思える。
しかし違う。妥協はあり得ない。絶対に、生き物は存在から目を背けるようなことをしちゃいけない。彼岸はあくまで彼岸なのだから。
在り続けるのだ。そのためにすべてを賭けなくてはならない。
できる努力は全てして、持てる力を振り絞る。義務だ。誕生との契約だ。
だから正体なんていい。
仮面が光る。音の示すものを手繰って巻き取ってゆく。
無意味だよデブリ。今までお前が寄る辺としてもたれかかってきたものは今しがた空を流れる雲のように遠く無意味だ。
亡の誘惑に呑まれかけたお前なんて、おれの細腕でどうにでもなる。
そうしておれは、この化け物を滅ぼし、存を深めた。
屍の山は少しだけ高くなった。その頂に立つものを、強く示すかのように。
この場所から、おれはきっと望みを高みより引きずり降ろしてやる。
過去と未来にうつつを抜かすドジな奴らを後にして。
空血脈のボンバイエ @captorima
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