第3話
家の方向的に、伊織と刻堂を家まで送るのは僕の役目になってしまう。そもそも僕との付き合いが一番短いのは綾瀬なのだった。伊織とは小学校から、刻堂は高校から、綾瀬は大学からの付き合いだ。伊織たちと僕は近い立地に調整することができたが、綾瀬はそれがかなわない。まあそれがどうしたという話ではある。綾瀬は「俺も可愛い女の子エスコートして~」みたいなことを言っていたが。
何事も客観視することを心掛けている、と僕は自負している。そんな審美眼で伊織と刻堂を見るなら、まあまずまずといったところなんじゃなかろうか。クトゥルフTRPGが分かる読者がどれだけいるかわからないが、伊織はAPP15、刻堂はAPP14、そんなところだと僕は思う。もちろん自信のある判断ではない、大きな声でも言えない。伊織の方が美人だと思ってしまうのは、刻堂と僕のそりが合わないからだろう。実際人の容姿に上下をつけるのはよくないことなんじゃなかろうか。
以上は、客観的に見た二人の感想。では主観的に見ればどうか――要するに僕の好みの話。恥ずかしげもなく暴露すると、伊織の胸に限っては僕の好み、どストライクなのあった。女性の胸が嫌いな男子はいるまい、もし嫌いならそれは男子ではない。小学生のころから伊織の傍でその胸の成長を見守ってきたわけだが、小学4年生までは一緒に風呂に入ってたりしていたわけだが(この話は滅多にしない。中学、体育の着替え中の男子更衣室で伊織にまつわる猥談が持ち上がっていた時にうっかり口を滑らせて、以後クラスの男子が妙な目で僕と伊織を見るようになった経験がある)、大きすぎず、どちらかというと小さい、しかしその見事な流線形、あらゆる現存する方程式では表しようのない究極の美、彼女の胸はそれを立体的に持ち合わせている点において最高に美しい、いわゆる美乳だと僕は高らかに宣言する(宣言するとは言っていない)。そんなこと伊織に言ったこともないし、刻堂に知られればこれ以上ない軽蔑の目で見下されることだろう。綾瀬はひょっとしたら同意してくれるかもしれないが、そんな話を振るのは僕のキャラじゃない。この思いは、億が一に僕が伊織と結婚することになったとしても、誰にも明かすことなく墓場まで持っていくつもりだ。
閑話休題、伊織の胸についてこんなに熱く語ってどうするのだ。
春になると徐々に日が短くなってくる。六時を回ると日は沈み切り、もう一時間たてば真っ暗だ。温かくなれば変質者も増えるし、容姿に関わらず女の子を家まで送るくらいの器量は持ち合わせていてとうぜんだろう。僕達三人は、2人がシェアしてるアパートまでの夜道を進んでいく。
「いやあ、おいしかったねぇ」
「あんな贅沢、滅多にしないしな」
「うんうん! しばらくはお金の使い方考えないとねー」
「貸さないわよ?」
「千鶴ちゃん、まだ私何も言ってない!」
つまり常習的に金を借りているということなんだろう。決して金遣いの荒い奴ではないんだろうが、どんくさい性格をしているのはよく知っている、驚くことでもない。
「伊織はどんくさいっていうより、今を楽しむ気概で満ち満ちていて周りが見えなくなる時があるのよね」
「うわーん辛辣~」
刻堂の分析は、なるほど的を射ている。たまには人間観察をしてみるのもいいかもしれない。今度のレポート課題のテーマは伊織観察日記にするか。
「英時はもっと優しいもんね、ねー?」
と、伊織が僕の回りをくるりと一周して、背後から飛びついてくる。背中に押し当てられる天然記念物、この感触を僕よ、ゆめゆめ忘れるなかれ。
「伊織、離れなさい」
刻堂は冷たく言い放つ。僕を警戒しているのはいつものことで、なんだか今の言葉には、伊織を僕から守ろうとしているようなニュアンスを感じ取った。伊織にその手のセンスは全くないので、従おうとはしない。むしろ。
「何をいまさら。ええい、千鶴ちゃんもこっちに来るのだー!」
と言って、刻堂の腕を強引に引っ張り、僕と刻堂をがっちりと引き寄せる始末。明らかに嫌悪を示す刻堂、この表情は、背後の伊織には見えていまい。
この構図が、僕たちの関係を物語っている。伊織はスキンシップが大好きで、僕は基本まんざらでもなく、ただ刻堂は相応に抵抗があり、でも伊織の流れには逆らえない。僕と刻堂は伊織に半ば強制的に引き合わされ、そこに時折外野から綾瀬がちょっかいややじを飛ばしてくる。ある意味これは、伊織中心主義ともいえるのではないだろうか。誰もが彼女の天真爛漫たる笑顔のために、このコミュニティに参加している節がある気がする。伊織のもとに集まった僕らなのであった。
そうこうしているうちに、2人のアパートに到着する。川を目の前にした、二階建ての古臭いアパートだ。部屋自体はそこそこ広いらしい。
「英時、送ってくれてありがとね!」
「……」
刻堂が礼を言わないのは織り込み済みだ。気にするなと、わざとつっけんどんに返し、2人が部屋に入るのを確認してから、僕も帰路に就く。
――人魚の刺身。
結局は予想通り、火のない煙だったわけだが、火のないところに煙はたたないだろうと言われれば返事に困る。錯覚したんだろうとか適当なことは言えても、根拠のある返事はしかねるのだ。例えば、あの店は噂とは別の店で、本当は誰知らない路地裏とかに、ひっそりと人魚の刺身を提供する店がある――のかもしれない。
――ふと。
川に、何かがいた気がした。
何かが頭を出して、こっちを見ていた気がした。
「……まさかな」
まさかだ。それに人魚は海に住んでいるというのが通説だ。川にいる化け物ならそれは河童だ。辺りは暗いし、何かの野生動物の気配を感じ取っただけだろう。
僕は無理やりに、名状しがたい何かを拭い去って、自宅を目指した。
ナンセンス・グロテスク MIDy @midy9969nect
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