第2話
「三橋君はどう思う、この噂?」
週末、くだんの店に向かう道中で、刻堂は僕にそう尋ねた。
「……それ本気で訊いてるのか?」
「ええ本気よ、答えはおおよそ想像つくけれども、本気」
それは本気でないのではと思いつつ、それでは刻堂の予想通りの答えを返してやろう。
「客寄せのためにつけた変わった名前の商品名に、根も葉もない妄想がくっついたものだと」
「本当に想像通りで、つまらない男ね」
刻堂に気に入られるつもりはないので問題ない。もともと、伊織が無理やりに取り持った仲みたいなものだし、刻堂の裏を返そうとしたがる態度はいろんな裏を持ち合わせている僕には都合が悪いこと、この上ない。悪い奴ではないし、僕だけでは止めきれない伊織と綾瀬の暴走のブレーキ役としては重宝しているのだ。空気が読めないわけでもなく、本当に楽しむべき時にはノリノリだったりするもんだから、余計に普段の、腹を探るような視線が際立つ。刻堂の「いい人」の面に引っ張られて、隠さなきゃいけないところまで喋ってしまう。
伊織のような表裏ない人間には、ただのクールビューティに見えるのだろうが。
「あなたは――」
刻堂と、ばっちり目が合う。覗かれる。
「あなたは何かを知っていて、それを隠すんだろうなという、想像通りね」
「――お前は僕を何だと思ってるんだよ……」
そしてどうにも、僕はこの女に目をつけられているようだった。勘の鋭さは、人の心を切り開くメスに由来するものなのか。こんな風にあらぬ疑いをかけられることがほとんどだが、たまに痛いところを抉ってこようとするのだから困ったものだ。……もちろん今回は前者。
「なんだ、僕がこの噂の発生源とでもいうのか?」
「知らないわよ、そんなの。それを教えてくれっていう質問だったの、分かる?」
「なんで根拠もなしにそんな胸張って人を疑えるんだ……」
「あなた自覚ないかもしれないけど、図星なのが態度にこれでもかってくらい表れてるわよ。隠してるのバレバレ」
「ところがどっこい、なにも隠してないんだなぁ。刻堂の読み間違いだ」
「……私はどうしても、あなたが隠してはいけないことまで隠しているようにしか思えないの。そういう人と仲良くするのには、正直抵抗がある」
「じゃあ伊織なんかはまさに、どストライクなわけだ」
殴られた。これこそ図星の態度なのでは?
「伊織もなんでこんなのと幼馴染続けてんだか……」
「嫉妬っすか刻堂さん?」
蹴られた。これで殴る蹴るなどの暴行成立だ。まあ今のはおちょくった僕にも非があるのだけれど。
「到着~!」
そうこうしているうちに、目的の店の目の前だった。外観は代わり映えなく、とっちかっていうと地味な部類だった。のれんを見てたびたび思うのだが、僕にはあれがどうしても客を拒絶する壁にしか見えないのだ。腕押しでたやすく壊れる壁だとしても、壁は壁。こういうきっかけがないと、一人ではなかなか入店しづらい部類の店だった。
入店すると、そこは事前に見た写真と同じ店内。そして僕たち一同は真っ先に、壁に張り出されたメニューに注目する。やはりそこには「人魚の刺身」の文字が。
「噂は本当だった!」
「まだ判断するには早いだろ」
カウンター席に、僕たち四人は並んで座る。左から僕、綾瀬、伊織、刻堂。刻堂は明らかに僕を避けて席を選んだ。本格的に怒らせてしまっているようだった。
「え、ふつーに海鮮丼とかうまそうなんだけど」
「うわっ、これすごいよ。全部いくら。いくらしか乗ってない」
伊織と綾瀬は本来の目的を忘れる勢いで、メニューを話題に盛り上がっている。どうやら変わった見た目の、いわゆるインスタ映えするメニューが多いようだ。人魚の刺身の写真は載ってなかったが、これはもう決まりだろう。
結局人数分の人魚の刺身と、綾瀬が追加で海鮮丼、伊織と刻堂とでイクラ丼を注文。人当たりがいいのか悪いのか、判断の付きにくい店主は「あいよー」と返事をし、調理を始めた。
「どうだろね英時、人魚の刺身、本物かな?」
「んなわけないだろ」
「もし本物で、その上噂通りなら、俺たち不死身になれるぜ?」
「なってどうすんだよ」
実際問題、もし本当に不死身になれるとすれば、もしそんな技術が確立したとして、でもきっと綾瀬や伊織はすすんでその恩恵を受けようとはしないだろう。不死身の主人公の、周囲にどんどん死なれていく悲しみを描いた物語なんて腐るほどあるし、死ねないことが一概にいいことであるなんて、この場にいる誰も思ってはいないだろう。僕と、おそらく刻堂も、どうせ噂だからと、伊織と綾瀬は間違いなく好奇心に負けて、ここに来たに違いないのだ。
果たして、出てきたのは一見は普通の刺身の盛り合わせに見えた。全体的に白魚が多いような気もするが。
「おっちゃん、これって本当に人魚の刺身なの?」
綾瀬が店主に尋ねる。話してみれば案外愛想が良かったなんてよくある話で、店主はがははと笑った。
「そんなわけねぇだろ、タイとかハマチの刺身だよ」
まあ、そんなもんだろう。綾瀬は「なんだよつまんねー」とか言って写真を撮っている。伊織は新鮮な海の幸を目にして本当に本来の目的を忘れてしまったらしい。一切れ口に運んで「うまー!」と叫ぶ。刻堂は何とも言えない顔で、人魚の刺身をじっと見ていた。
僕は一応、噂の真偽的なものを知るために、店主に重ねて尋ねた。
「最近、人魚の刺身を出す店があるって噂があるんですよ」
「お、いいねぇ、いい感じに話題になってくれてるか」
「いえ、本物のです。それを食べると不死身になれる、とまで」
「はあ、いやその伝説を知らないわけじゃない。このメニューの名前の由来もそれだからな」
「じゃああなたは、単に話題性のためにこんな名前を?」
「ああそうさ。もちろん本物なわけねぇ。人魚なんて所詮、伝説上の生き物に過ぎないんだからさ」
真に受けるほうがどうかしてるだろ、と店主は笑った。結論は出たようだった。
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