依子さんの元へ
どうすればこの状況を回避できた?
移動中、俺はそんなことばかりを繰り返し考えていた。
夜の闇空を跳ねる。真正面からぶつかる風を浴びることで身体が冷えていく。反対に頭だけは熱を帯びていた。様々なことが浮かんでは切り替わり、思考がまとまることはない。
浮遊感の後に落下が始まる。俺は眼下を走る大型トラックの荷台に降り立ち一息つく。着地時に軽い音がしたが、まさか荷台ボックスの上に誰かが乗っているなんて運転手は想像もしないだろう。
立ったままだと後方の車両に丸見えなのですぐしゃがみ込む。できるだけ姿勢を低くしながら俺は周囲を確認した。トラックの左右に広がっているのは無機質な遮音壁で、向こう側には深緑の山々が広がっている。
その光景も、高速道路を走るトラックの速度に置き去りにされて絶えず移り変わっていく。
アヤカシ喰いの本拠地は県を二つほど越した先にあった。自力での移動だと到着までかなりの時間を要する。かといって呑気に交通機関を利用する余裕はない。
だから高速道を使って移動時間を短縮する案に踏み切った。移動中の車を飛び移ることで目的地までの直線経路を突き進み、少しでも到着を早めたかった。
妖狐に変怪したままなのでトラックを飛び移ること自体は簡単だし、何より目的地は山中深くに位置している。わざわざ人里を経由するより、高速道路から直接山に入るほうが都合が良い。
現在位置を地図で確認しながら、飛び降りるタイミングを間違えないよう注意する。一時も気は抜かない、つもりだった。
けれど僅かな緩みを狙ったように、彼女達との記憶が割り込んでくる。
俺への決別を口にした棗さん。最後に血を分け与えてくれた楠木。少し前に描いていた明るい未来とは真逆の光景だった。
全てお前のせいだろ――どこからか冷たい声が響く。
――俺がもっとうまくやれば……こんなことには、ならなかったんだ。
棗さんの思惑や工作に気づける機会は幾つもあった。アヤカシ喰いの組織が襲撃されることも阻止できたはずだ。
いつまでも半妖のつもりで、どこかに慢心があった。吸血鬼ユーエルが忠告してくれていたにも関わらず、この力の重要さを軽んじていた末路だった。
自責の念が刃となって胸の奥を蹂躙する。自分の不甲斐なさを呪う。
これ以上はもう、何も失いたくない。
――まだ間に合う。依子さんだけは、絶対に俺が……!
行き場のない後悔を決意で誤魔化す。終わってからいくらでも悩み後悔すればいい。
握っていた地図を開く。そろそろのはずだ。
秘匿回線で送られた電波は、人の手の及ばない山間部の領域へと発信されていた。そこにアヤカシ喰い達の根城が存在している。
鈴鹿山脈と名付けられた連なる山の中腹に、依子さんが居る。
新たに得た変怪用の血はもう移動で使い果たしている。この姿がまだ続いている内に辿り着かないといけない。俺は覚悟を決め、高速道路の向こう側へと飛んだ。
△▼△
勾配の急な山中を駆けて、俺は目的地にたどり着いた。
が、地図を再確認することになった。
「確か、この変だけど」
位置情報は近辺を示している。しかし暗い森の中には何も見えず、先には切り立った断崖があって行き止まりだ。施設らしきものはどこにもない。
騙された、という仮定が脳裏をかすめる。
――駄目だ。棗さんを疑うな……!
彼女の最後の優しさを俺が信じなくてどうする。きっと何か隠されているに違いない。
そのとき、妙な匂いが鼻孔を刺激した。焦げ臭い匂いだ。でも周囲に火の手はない。
用心深く辺りを確認すると、視界の端に異物が映った。
「鈴……?」
木と木を繋ぐように細い糸が張ってある。糸には鈴が一つだけ付いていた。明らかに人の手が加えられた形跡だ。
俺は唾を飲み込み、糸の張られたし空間へと手を伸ばす。
バチン、と音が鳴った。
森が開いた。いや、正しくは目の前にあった木々がどこかへ消え去った。
代わりに現れたのは巨大な屋敷の群れだ。断崖の前に建っていて、総面積はかなりの広さを誇る。瓦葺屋根の古めかしい建造物は寺院と呼んでも差し支えない様相をしていて、それら一緒くたに重厚な壁に囲まれていた。
あまりにも突然の異変に呆けてしまう。受け入れるまでに数秒ほど時間を要した。
ようやく事態を飲み込むと、身震いが来る。
――ここが本拠地……!
おそらく結界によってかなり強い認識障害の力が働いていたんだろう。ここまでの大掛かりな防衛策を施すくらいだから、重要な場所でまず間違いはない。
同時に焦げ臭い匂いの原因もわかった。屋敷の一部から黒煙が噴き上がっていた。
火災にしては火の手が確認できない。内部で何かが起こっている。事故という可能性は端から捨てた。
もう襲撃が始まっているんだ。
――依子さん……!
焦りに駆られて跳躍する。壁を飛び越えて敷地内に侵入すると、和風の庭園が広がっていた。ただし、元は綺麗に整えられていたはずの石庭や枯山水は無残に踏み荒らされてる。松の木も折られ、石畳が破壊され、争った痕跡がそこかしこに残されていた。
警戒心を高めたが、この場所に人の気配はない。耳を澄ませば誰かが争うような声が微かに聞こえてきた。戦闘はもっと奥に移動しているらしい。
逸る気持ちのまま走り出そうとした瞬間――身体に絹糸のようなものが絡みついた。
「っ!?」
「おや、おやおや」
両腕と一緒に上半身が糸で拘束される。その糸を辿ると、すぐ近くの屋敷の屋根に繋がっていた。
糸の終着点は、屋根の上に立つ女の下半身だ。
「妖狐など、この戦に呼んでいたかのう? しかも若々しい。珍客の来訪も予定になかったが……もしやもしやの、半妖さんかえ?」
髪の長い女が首を傾げる。切れ長の鋭い目つきに真っ赤な唇をしていた。薄いカーディガンを羽織るその背中からは二対の腕が生えている。スカートですっぽり覆われている下半身はやたらと大きく膨れあがっていた。糸はそのスカートの中から出ていた。
蜘蛛、という単語を連想する。女で蜘蛛の特徴に合致するアヤカシといえば、
「おかしいのう。雷獣がうまくやる手筈と聞いていたのに。まさかまさか、失敗したのかえ?」
「……あなたは炎鬼の仲間、ですか」
女は真っ赤な唇の端を吊り上げた。暗い瞳の奥に興味の色が混ざる。
「うっふふふ。あんたはん、やっぱり半妖の坊か。何しに来はった。わてらの手伝いかえ?」
「逆です」
ぐいと身体が引っ張られ宙に投げ出される。俺の身体はそのまま屋根瓦に叩きつけられた。
「なんやけったいな妖術を扱う半妖が人間の女を助けようとしてるいうやないの。炎鬼殿が嘘をつくわけあらへんと思うとったけど……いややわぁ。情熱的やねぇ。女が心配で心配で、わてらに殺される前に駆けつけたん?」
絡新婦のアヤカシはべろりと舌を出す。唇同様に赤かった。
それは生来の色ではなく、血を舐め啜った後だからだと気づく。
「仲間外れを恨んどるかもしれへんけど、人間の女に惚れとる妖狐なんて使いものにならん。あんたはんは必ずわてらの敵になる。炎鬼殿の見立て通りやったなぁ」
「……」
「堪忍してや。せめてアヤカシ喰いの女共々、骨までしゃぶり尽くすさかい」
女の計六本の腕がゆっくりと俺に向かう。喜悦でつり上がる目に濃厚な殺意が宿る。
俺はゆっくり深呼吸して、告げた。
「恨んでるわけじゃないです。アヤカシなら普通だと思うから」
「うん?」
手で触れた糸がじわりと溶ける。すかさず鈎爪で切り裂き、拘束を解除する。絡新婦は驚き後ずさった。
「恨んでるのは俺自身ですよ。なのですみませんが、鬱憤晴らしに付き合ってもらいます」
俺は全身の力を漲らせ、アヤカシへと向かう。
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