とあるアヤカシ喰いの未練

 同性を好きになったのがいつ頃なのか、美希はもう覚えていない。

 ただ気づいたときには同じ訓練施設にいた同期の少女に胸の高鳴りを感じていた。自覚した当初は戸惑い、心の病なのかと疑い、男と接触しない生活で変になってしまったのかと不安に陥った。しかし美希は誰にもその悩みを打ち明けることはできなかった。

 精神に問題有りと診断されれば滅怪士不適合の烙印を押される。そうなれば訓練施設を追い出される。待ち受けるのは妊娠適齢期まで隔離されて過ごす暗い青春時代だ。

 外の世界を見ぬまま一生を終えるのは嫌だったし、友達や気になる子と離れるのも嫌だったし、役立たずと蔑まれるのも怖かった。だからずっと、秘めた思いは胸の奥から少しも出さなかった。


 そうして恋心に蓋をして厳しい訓練を終えた後。美希は晴れて外界での任務に就いた。当然、同世代の少年や青年を見たり接したりする機会もあった。

 何も変化はなかった。ときめきすら感じない。

 結局、同性への恋愛感情は気の迷いでも何でもなく、そういう風に産まれてきただけという話でしかなかった。わかってしまえば気持ちも楽になって、普通の女にならなければという強迫観念も綺麗さっぱりと消え去った。


 街中ではよく女性達の姿を眺めた。目移りするのは可愛くて笑顔の素敵な女の子だった。きらきらした大人の女性に憧れた。

 もちろん見るだけだ。不必要に声をかけることはできない。アヤカシとの戦いに巻き込んでしまうから。

 本当は年頃の女性達が好きなこと、遊んでいるものに触れて楽しみを共有したかったが、それも許されはしない。

 そんな中で魔法少女のカードゲームに手を出したのは、一人で完結する遊具ならお目溢しがあるだろうという打算があったからだ。


 興味を持ったきっかけは、中高生くらいの女子がコソコソとプレイしていたから。子供向けなのにどこがいいのだろうと気になった。もしかするとプレイヤー同士で会話する取っ掛かりくらいになるのではと、若干の下心もあった。

 予想外のことが起こった。美希はカードゲームにのめり込んでしまった。娯楽に免疫がなかったせいか、グッズを集め始めるのにもそう時間が掛からなかった。もちろん組織に隠れて、細々と。

 いわゆるオタクショップで同じ商品を買い求める少女を見かけると、何となく仲間意識が芽生えて楽しくなった。


 これまではそんな些細な楽しみ方で十分だった。

 けれど今の美希は、後悔していた。

 こんなことになるなら、片思いだったあの子に告白すればよかった。自分を誤魔化さなければよかった。任務なんて気にせず話しかければよかった。

 いつかそんな機会が来るなんて、待たなければよかった。


『木! 楠――っ!』


 誰かの声が聞こえる。男の声だ。男なんて話したくないし近づきたくない。

 でも、あの男のときは。

 憎くて腹が立って仕方なかったけれど、彼が弱々しく笑う姿は、少しだけ愛嬌がある。


『楠木っ! 目を覚まして!』


 呼びかけてくるのは、あの男だ。

 半妖でいながら正体不明の力を持ち、陰陽寮と敵対している男。

 滅怪士に惚れて、その女を救い出そうと足掻く男。

 線が細くて頼りなさそうなくせに、決して諦めない男。

 それと、女装すると結構、可愛い。


 石のように重たい瞼を辛うじて上げると、銀髪銀瞳の男が映った。

 綺麗な銀色の髪は濡れそぼって所々が焦げたように黒ずんでいる。獣耳も頬も、その下の身体も傷だらけだった。

 妖狐は泣きそうなほど眉を曇らせている。彼の状態がそうさせているのではなく、別の人間を気遣っている表情だった。現に彼は美希が目を覚ましたことで目元を和らげ、ほっとしている。


「良かった……! 今すぐに病院に連れて行くから!」


 妖狐に変怪中の太一は美希を背負おうとする。そんな姿で病院に連れて行こうとしているのが可笑しくて美希は笑った。だが実際には口元はピクリとも動かない。

 彼女は気づく。もう時間はないと。


「…………った、よ」

「え?」


 最後の力を振り絞って声を出す。自分でも信じられないほど掠れて小さかった。

 太一は手を止めて耳を近づけてきた。美希は感覚のなくなった舌を動かして、精一杯に伝える。


「わるく、なかった、よ……おんなの、この、すがた」


 意表を突かれたのか太一が固まった。その顔がやはり可笑しくて、美希は笑った。今度はちゃんと口角が上がっている気がした。


 ――だからさ。もう一度その格好、ウチに見せてよ。


 言葉は声にはならなかった。それでも、美希は満足だった。

 雨の止んだ曇天を見上げる。


 ――あーあ。ウチも依子さんみたいにすれば良かったなぁ。


 組織に背いて半妖の男と恋仲になった依子のことは、まったく理解できないと思っていた。しかし今はその感情がよくわかる。

 いつ死んでもおかしくないからこそ、得られる時間が僅かだったからこそ、依子は自分の欲望に忠実に生きた。誰かに遠慮して出会ったチャンスをふいにするくらいなら、例え何かを失ったとしても自分の想いを遂げようとした。

 他者からすれば身勝手で歪んだ行いだとしても。

 依子が、羨ましい。


 彼女の幸せを否定できる権利は誰にもない。幸せは、誰かの物差しで測れるものじゃない。

 それは美希自身がよくわかっていたはずなのに、かつてのように普通という枠組みに当てはめようとしていた。それで窮屈になって後悔しているのは自分だ。

 依子と美希の違いは、進んだか止まっていたか。それだけでしかない。


 ――もう、遅いけどね。でも、もし生まれ変わったなら……今度はちゃんと。


 曇天の隙間から光が覗く。その眩しさに、微笑んだ美希は目を閉じる。

 まるで宙に浮いたかのように、身体が軽くなった。


 △▼△


 声と足音が遠ざかってから幾らか時間が経過した。

 仰向けに倒れたままの棗は、目を覆っていた腕を下ろす。雨が止んだ曇天は晴れ間が見え始めていた。


「はぁ。フられちまったにゃー」


 自虐的に独白した棗はポケットをまさぐる。こういうときに煙草を吸ってみるとまた違う味わいかもしれないと思い立ったからだ。しかし今は持っていなかった。

 ため息を吐いて、まぁいいか、と諦める。不思議と悪い気分ではないから。


 ――これからどうするかなー。


 元の生活に戻るにしても、ひとまずは住処を移さなければいけない。

 いっそ思い切って別の国に移住するのも手だ。環境がガラッと変えれば煩わしい関係も、記憶もそのうち薄れるはずだから。

 ただその前に、ギルドメンバーぐらいには別れを告げておいてもいいかもしれない。

 ぼんやり考え事をしていると、ぬかるんだ地面を踏む足音が聞こえた。


「あんたにも悪いことしたわね、鴉。この詫びは後で――」


 確認もせずに声をかけた棗は、足音の方向へ首を傾ける。

 その顔が凍り付いた。

 瞬間、棗の身体は小気味いい音と共に煙に包まれる。中から飛び出したのはイタチに似た獣だ。

 雷獣の素体に戻った棗は一目散に駆けた。妖力を使い果たした今は逃げるしかない。


「どこに行くのよ、化け物」


 何かに引っ張られ前のめりに倒れる。振り返ると、自慢の三叉の尻尾にナイフが突き刺さり、地面に縫い留められていた。


「殺し損ねてくれたことのお礼をしなきゃいけないでしょ。私の中身をぐちゃぐちゃにしたみたいに、可愛いがってあげる」


 棗に近づいたアヤカシ喰いの女――藤堂秋子は、引き千切られた鴉の頭部を放り捨てて、妖艶に笑った。

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