待ち焦がれる依子さん

 鈴鹿山脈霊仙山に敷かれた陰陽寮総本山に、怪異が侵入した。

 常ならば<荒御魂あらみたまの加護>の効力により、全ての怪異は総本山の外観を認識することもなく弾き出される。

 だがアヤカシをまとめる首魁は己の知覚ではなく測量情報を利用し、一部分の結界を破った。利便性のために培われた人の技術力が、逆に利用された瞬間だった。

 そしてアヤカシの群れは総本山へと雪崩れ込む。


 それは陰陽寮側の予測よりも遥かに早い展開だった。

 彼らは探索中の半妖こそが襲撃を企む主犯だと考え、その男を討伐すれば襲撃は未然に防げると想定していた。だが、半妖がまだ街に潜伏している段階で事は起こった。明らかに別働するアヤカシの影があった。

 万が一のために各地から滅怪士を招集していたものの、結果として初動対応が遅れる。幾人もの人員や滅怪士が殺され、総本山は血で血を洗う凄惨な戦いが始まった。


 だが、アヤカシの侵攻から約一時間が経過した頃――事態は一変する。

 総本山に一匹の銀狐が侵入した。その男は陰陽寮が狙う半妖だった。彼はまず外からの増援に対応していた絡新婦じょろうぐもを戦闘不能にすると、施設内部で暴れるアヤカシ達を次々に倒していく。

 彼はアヤカシの姿でありながら、アヤカシの味方にはならなかった。

 ならば人間の味方かといえば、そうではない。

 銀狐は襲いかかる滅怪士達も容赦なく倒していく。殺しこそしないものの、敵意を持って骨を砕き、肉を断ち、意識を奪う。

 やがてアヤカシと滅怪士双方からいの一番に狙われるようになっても、銀色の妖狐は両者の制圧を続けた。


 △▼△


 畳敷きの部屋の中で、和服姿の依子は正座をしながら目を閉じていた。

 時折地震が起こったかのような微振動が部屋を揺らし、天井から埃が落ちてくる。微かな怒号や悲鳴まで上部の壁から漏れてくる。防音壁を伝うほどの荒事が、わずかな距離まで迫っているようだった。

 総本山内部で戦闘が行われている。戦っているものは一つしか有り得ない――アヤカシだ。


 この状況を、依子は焦ることもなく粛々と受け止めていた。こうなることは数日前から予期していた。

 つがい役となる法武官――土御門宗吾が口を滑らせたことで、秘匿回線を傍受した存在がいることが伝えられた。彼も、上層部である元老院も犯人は半妖の男、太一だと決めつけている。

 依子自身も否定してはいない。秘匿回線の存在を知る外部の者といえば太一くらいのものだ。そして彼には総本山の位置を暴こうとする動機がある。

 だが依子は、この襲撃を太一の仕業だとは考えていなかった。


 ――多分、たーくんを利用した連中が群れを率いてる。だから内部まで侵入された。


 太一の性格を熟知している依子は、彼がそんな真似をするはずないと確信を持っていた。

 アヤカシ連中を利用したほうが救出の成功確率も上がるだろう。しかし彼はきっと、効率を度外視して秘密裏に単独で侵入することを選ぶ。

 理由は単純だ。依子の心が離れるかもしれないから。

 もし依子の親しい人間が殺されたとしたら、それは制御できないアヤカシを放り込んだ太一の責任でもある。その批難と共に自分への気持ちが冷めてしまうことを、彼は何より恐れる。

 大切なものを失うことに怯え、非情に徹しきれない。自分を犠牲にする道しか選べない。その駄目っぷりが大変愛らしいわけだが。


 つまり、この襲撃の首謀者は太一ではない。ただ関与はあっただろう。

 秘匿回線の通信を傍受できるほどの技術力は、太一は持ち合わせていない。彼を助けたアヤカシが存在するはずだ。太一はそいつにたぶらかされたか、あるいは今回の首謀者に利用された可能性が高かった。

 この襲撃の早さも、太一を囮にしてアヤカシの動向から目をそらされていたと考えれば辻褄が合う。

 しかし、太一が利用されただけで終わるとも思えない。


 ――たーくん、あなたも来てるんでしょ? 私にはわかるよ。


 死線が間近に迫っているというのに、依子の胸中は高揚で満たされていた。

 たとえ裏切られ、傷つけられたとしても、太一が依子の危機を見過ごすことはない。彼は必ず駆けつける。依子はそう信じて疑わなかった。

 太一にとって依子は生きる目的であり、縋る支えだ。それなしでは生きていけないからこそ、依子のわがままも愛情も全て受け入れる。

 それは依子も同じだった。彼なしではもう満足できない。生きていられない。

 だから、彼の罪も全て引き受けるつもりだった。


 ――早く来なさい。あなただけが苦しむのは、嫌よ。


 太一が依子を救おうとしなければこの事態は起こらなかった。彼の延命のためにやむなく逃したとしても、責任の一端は依子にある。

 仲間の死も、組織の窮地も、全ては自分の身勝手さが招いたこと。その事実から目を背けるつもりは毛頭ない。己の罪を否定することは、彼との幸せを願った気持ちまで否定することになる。


 ――私の運命、あなたに選ばせてあげるわ。たーくん。


 太一と再会できれば、待ち受けるのが地獄だろうと何だろうと一緒に生きる。

 再会できなければ、責任を取って仲間のために最後まで戦って死ぬ。


 重厚な扉が音を立てて、ゆっくりと開いていく。


 △▼△


 ――どこだ、依子さんはどこに……!


 外観と違って屋敷の中はかなり近代的な造りをしていた。コンクリートの通路を走り回り、俺は部屋を手当たり次第に開け放つ。

 部屋は一般人が使いそうな座敷や茶の間があったり、かといえば実験室や書庫、治療室のような専門的な部屋があったりと様々だったが、既に逃げ隠れたのか誰の姿もなかった。依子さんの姿も見当たらない。

 偶然、血塗れで何かを貪り食うアヤカシに遭遇したときは心臓が止まりかけたが、倒した後に確認して安堵した。でも彼女の無事を確認できたわけじゃない。

 それに依子さんは捕えられた立場だ。見捨てられないとも言い切れない。


 空振りが続く程に苛立ちが脳を刺激する。屋敷は侵入者を混乱させるためか、やたらと入り組んでいて外の景色も確認できない。位置が曖昧で来た道を引き返していることもあった。そんな施設が複数もある。一体探し当てるのにどれだけの時間がかかるだろうか。


 ――考えろ、組織ならどこに置く……!


 監禁場所の相場といえば専用の施設か、あるいは地下牢。

 考えながら走っていると柱と柱の間にある扉が視界に入った。俺は近づいて扉の奥を確認する。下層への階段が続いていた。

 奇妙な偶然だった。この先へ進むべきだと直感が働く。俺は唾を飲み込み、隠し持っている小瓶に指先で触れた。

 変怪の時間はそろそろ切れる。道中気絶させたアヤカシ喰いから血を得ているので続けての変怪は可能だけど、何が待ち受けてるかはわからない。

 俺は用心しながら階段を下りた。地下は天井が低くやたら通路が分岐していて、さながら地下回廊のようだった。どこに続いているかわからず、部屋らしい部屋も見当たらない。

 勘が外れたかと落胆しかけたとき、特徴的な匂いが鼻孔をくすぐった。


 ――っ! これは依子さんの……!


 間違いかと思った。でも、彼女の匂いを忘れるはずがない。

 迷いを捨てて走り出す。必死に匂いを辿る。心臓が痛いくらいに高鳴った。期待で手に汗が滲んだ。

 匂いはもうすぐそこだ。


「依子さん!」


 角を曲がった瞬間、虚を突かれた。 

 通路の中央には依子さんが着ていた制服が、無造作に置いてある。


「やはり貴様が半妖か」

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